レジスタンス
気付けば固いベッドに寝かされていて、薄汚れた灰色の天井に埋め込まれた電灯の白い光が視界に飛び込んできた。
薬品のにおいが鼻をつく。
起き上がろうとすると、ベッドに横に座っていた衛生兵が静かな声で寝ているようにといい、ほかの医者を呼びに部屋を出ていった。
かぐやは衛生兵がいなくなるのを確認すると、上半身を起こして部屋を見まわした。蹴られたせいなのだろう、左目には眼帯が巻かれていてうまく像の焦点を結ぶことができなかった。
医務室のような小部屋にはかぐやの他に誰の姿もない。かぐやの寝ているベッドが一つと、先ほどまで衛生兵がすわっていた椅子に小さな机が置かれているだけだ。抵抗軍の地下基地といえばたいした部屋数もないだろうから、自分のために特別に部屋を要したいのだろうと推測はついたが、どこか申し訳ない気持ちと腹立ちが湧きあがってきた。
だいたい顔を切ったくらいで大げさなのだ。
怪我人は他にもたくさんいるはずで、いちいち特別待遇をしなくてもいいのに。
それよりも大伴御行と石上の安否が気にかかった。ここには十分な薬も医療器具もないかもしれない。たとえ処置を施したとしても助かるという確信はなかった。
医者がもどってきたらすぐに尋ねよう。そうしなければ心が落ち着きそうにない。
もう見るものがないと分かるとかぐやはゆっくりと枕に頭をおいた。ベッドと同じように固い枕だ。そして、どこかほこり臭かった。
「……ここまで来たか」
感慨はなかった。
滝に流されたみたいにあっという間の出来事で、いまもまだ夢を見ているのではないかと疑ってしまうほどにすべてがせわしなく変転していた。
戦いに次ぐ戦いをようやく切り抜けたのだと思うと、いまさらになって鳥肌が立った。いつ死んでもおかしくない場面ばかりだった。地球でのことも、月にもどってからのことも、ふたりの勇者がいなければ何もできずに終わっていただろう。
その彼らがそばにいない。
自分でも滑稽なほど不安になるのを感じた。わたしは、いつからこんなに弱くなったのだろう。いや、最初から強くなどなかったのだ。じいを失ったときも、翁と別れたときも、クレアを連れ去られたときも、わたしはいつだって不安だった。
「失礼します」
サントと供に数名の白衣を着た医者が入室した。
王宮直属の優秀な医師たちだ。戦火をくぐり抜けいまは抵抗軍に協力しているのだろう。だが、それ以上の人数がアリストス軍に捕まったにちがいない。
医師らはかぐやの顔の傷をはじめ、体調やほかに痛む個所はないかといくつかの質問をして、おおかた問題なしという結論を出した。すこし疲労がたまっているため数日間安静にすればいつもとかわらぬ生活を送れるようになるだろうと伝える。
「つまりわたしは寝ているだけでいいのだな」
「基本的には」医者のひとりがこたえた。「無理は禁物です」
「ならばわたしをほかの患者と同じ部屋へ移せ。このような空間の無駄遣いをしている余裕はなかろう、寝ているだけならば廊下でだってできる」
「しかし、ルア様にはストレスのない環境で静養をしていただかなければ」
「こんなところにいたほうが精神的に参る。わたしだけを特別扱いしている場合ではなかろう。さあ、わかったら早くほかの病室へ連れて行け」
「そうはいいましても――」
かぐやにつめ寄られた医者たちは助けを求めるようにサントの方を顧みたが、軍部副隊長はかぐやの表情が本気なのを感じ取ると、
「ルア様を後ほど別の病室にお連れしろ。この部屋はもとの用途通りに使う」
「もとはなんだったのだ、ここは」
かぐやがサントに尋ねる。
「もとは備品置き場だったものを片づけたのでございます。かぐや様をお連れした後、荷物を戻させましょう」
「そうしてくれ」
かぐやはふうと息をつくと、ふたたび身体を起こしてサントと向き合った。
白い短髪をした老人は昔よりもやつれてはいたが目の輝きを失ってはいなかった。アリストス軍が突如として侵略を開始してから軍をひきいて各地を転戦していたのが、今度は抵抗軍の指揮をとっている男は、あくまで武骨で、物静かな軍人だ。
慎重な性格のサントだったからこそ抵抗軍の勢力を温存しつつ戦うことができたのだろう。
軍部隊長は国王とともに最前線で戦っていた。勇猛で知られた武人だったが、サントが指揮をとっているということは捕虜になったか、命を落としたかのどちらかだ。彼の性格からして敵の手に落ちることを許しはしなかったことだろう――親しかった人は周りからどんどん消えてしまう。
「その前にいくつかお話せねばならないことがございます。それに、ルア様から話してもらわなければいけないことも」
「分かっている――だが、その前に聞かせてくれ。大伴と石上の容体はどうだ」
「おふたりの勇者様はただいま集中的に治療を施しているところです。背の低い方は身体的な衰弱が激しく、肩の骨も折れてはいますが命に別条はありません。ルア様よりも時間はかかるでしょうがしばらく安静にしていれば完治します」
「石上はどうなのだ」
サントは質問に答えるのを少しためらっていたが、かぐやの表情をちらりとうかがい見てから、低い声で言葉を発した。
「……大変危険な状態です。指の損傷はさほどでもありませんが背中に受けた傷が重傷で、いまは医師を総動員して手術をしております。それに加えて栄養失調が激しく、衰弱の度合いはもう一方と同じくらいかと」
栄養失調。
石上が「腹が減った」といって駄々をこねていたことを思い出す。
あのときは厳しい言葉で叱責し行軍を続けたが、思い返せばあのときにはもう限界が近づいていたのかもしれない。体が丈夫だということでなんでもかんでも平気だろうと楽観していた。それは間違いだったのだ。ひどい仕打ちをしてしまったと後悔の念が湧いてくる。
「助かる見込みは」
「……正直、厳しいかと」サントはうつむきながら言った。
「そうか」
かぐやはなんのためらいもなくベッドから降りると出口の方へ歩きはじめた。あわててサントが呼びとめる。
「どこへ行かれるのですか」
「見舞いだ。あやつの看病をしてやるというのが約束でな、破るわけにもいかないだろう」
「それは医者にお任せくださいませ」
「あやつらはわたしに惚れているのでな、見舞いに行ってやれば元気も出るだろう」
惚れているというかぐやの言葉にサントは驚いた様子だったが、まったくベッドに戻る気配のない姫君を見て「身体の調子が悪くなったらすぐに仰ってください」とくぎを刺してから石上のいる病室へ案内をはじめた。
地下基地というだけあって窓はひとつもなく灰色の冷たいコンクリートの廊下が複雑に入り組んでいる。廊下の両側にある小部屋にはそれぞれ標識が取り付けられ、そこがなんのための部屋なのかを示していた。
人影はまばらだったがすれ違うどの兵士もかぐやの姿を見かけると直立不動で敬礼をし、涙を浮かべる。
数分ほど無言で冷やかな電灯の下を歩いて行くと、無機質なドアのまえにたどり着く。そのわきには「集中治療室」というプレートがはめられており、なかからは慌ただしい声が聞こえた。
かぐやがノブを握ると、金属の冷たい感触が手のひらを伝った。
「ここにいるのか」
「まだ治療を続けています。邪魔にならぬよう、気をつけてください」
「ああ」
ドアを開ける瞬間は緊張した。
石上は緑色の台の上に寝かされていた。腕や口のあちこちから管がのび、液体の入った袋につながっている。大きな身体のまわりを何人もの医師が囲み、とまることなく手を動かし、指示を飛ばす。
まるで怒声のような指示からは、余裕がまったく感じられなかった。
「石上……」
大きすぎるために二台のベッドを連結し使っている。
その上に横たわる巨体はかすかに肺を上下させていたが、そこにいつものような快活さは残っていない。まるで機械のようだ、とかぐやは思った。電力を供給されるだけの機械。
「ルア様、どうしてこちらへ」
治療にあたっていたひとりが目を丸くする。
サントは医者に事情を説明すると、かぐやを石上のそばへ導いた。
「どうか声をかけてあげてくださいませ。この方はラングネ国の救世主、ならばここで死ぬはずのない男でございます。ルア様の力で、捻じ曲げられた運命を矯正するのです」
「こいつは単純なやつだからな、わたしがひと言声をかければすぐにでも目をさますさ」
石上の大きな手を握る。
冷たい手だった。
両手で包みこむように温めながら声をかける。
「石上、お前と大伴のおかげでわたしは生き延びることができた。地球でお前たちと出会ってから、わたしは助けられてばかりだ。そしてこれからも、そうなるだろうと思う。わたしがお前たちに恩返しをできるとすれば戦争がすべて終わり、ラングネ国を無事に復興させてからになる。だからそれまで生きてもらわなければ困るのだ、なあ、そうだろう」
石上に反応はない。
目をつぶったまま、点滴を受け入れている。
「せっかく月にまで来たのだ、こんなところで果てるような器の小さい男ではなかろう。わたしにはまだお前の力が必要なのだ。この大きな腕と、力と、なによりお前自身が。わたしはこれ以上誰も失いたくはない、だから目をさましてくれ」
かぐやの声は、涙を帯びていた。
「食べ物なら好きなだけ食べさせてやろう。わたしでいいのならいつでも話し相手になろう。手を握ってほしければ握ろう。だから生きろ、生きて、わたしを喜ばせてくれ」
涙がひとすじ、こぼれ落ちた。
「頼むから――目を覚まして」
石上の胸にかざられていたネックレスが光り出したかと思うと、それは意思を持ったように石上の顔へと移動し、額の上へ乗っかった。
誰もが手をとめてその不思議な光景を見つめていた。
そして、小さな貝殻の集まりは徐々に光を弱めていくと、また何事もなかったように沈黙した。
「笑っておりますな」
サントがつぶやく。
石上の口元は、いつのまにか、微笑をたたえていた。
「これがお前の返事なのか――石上」
ほんのわずかに、握った手が、押し返されたような気がした。
自分の病室に戻る途中、大伴御行の眠っている部屋にも立ち寄ったが、まるで死んだように眠っているだけで、話しかけてもなんの反応もなかった。
近くで見ると、端正な顔のあちこちに傷がある。
石上のように丈夫なわけでもなく、光のない感覚で戦い続けることはさぞかし心細いことだっただろう。命に別条はない、その言葉が何よりも頼もしく、嬉しかった。
「ルア様、クレアのやつはどういたしましたか。ルア様を迎えにやったはずですが」
うす暗い廊下で、サントが訊く。
かぐやは表情をこわばらせて、蛍光灯を見上げた。
「アリストス軍に捕まった。お前たちが助けにくる前の戦いで」
「……そうでございますか」
「クレアはまだ生きている。それにラングネの兵士の多くが捕虜になっているだろう。彼らを一刻も早く助けだしてやらねばならないな」
「そのことなのですが」とサントは前置きして「これからの作戦を立てるためにもルア様には一部始終をお話ししなければなりません。お疲れのところに長話になりますでしょうが、よろしいですかな」
「ああ、もちろんだ。わたしからも話さなければいけないことがいくつもある」
かぐやの体力面を気づかってベッドは移さず、話が終わってから病室をかえることにした。
ふたりきりで打ち明けたいこともいくつかあったし、その方が気も楽だろう。サントがこれから語ろうとしていることは決して明るいことばかりではないはずだ。
固いベッドに腰を下ろす。
病室はいやに静かで、身にしみるようだった。
「さて、なにからお話しいたしましょう」サントはふう、とため息をついてからいった。「ルア様が月を離れてからのこと、今回のアリストス軍の侵略について分かったこと、それから……」
「父上のことも、だ」
きっぱりと言ってのける。
サントは覚悟を決めたようにうなずくと、しゃがれた声で喋りはじめた。
「アリストス軍が突然の侵略を開始したのはわずかひと月前のことでした。もちろんルア様も覚えていることでしょう、昔から国境争いはありましたがそれも細々としたもので、この数年はなにもなく平穏な状況でありました。その均衡が破られたのは、あの巨大な兵器を用意してきたためでした」
「レーザー砲か」
「それだけではありません、我々の想定をはるかに上回るほどの軍備を整えてきたのです。まるでこの数年を戦争の準備に費やしてきたかのように。警備の手薄だった国境はまたたく間に防衛線を突破され、その勢いを止めることも叶わず反撃の態勢ができたころにはすでに領内の半分ほどがアリストスの手に渡っておりました。軍が緩みきっていたといえばそうなのかもしれませぬが、たとえ万全の準備をほどこしていたとしてもあの兵器と装備には勝てたか怪しいものです」
「あの大量のジープのように」
「そうです。一連の侵略は、その辺に理由があるのではないかと睨んでおります」
「どういうことだ」
「アリストス側は発掘調査中に古代人の軍事基地のようなものを発見したのではないでしょうか。この場所もそうですが、いまだこの星には無限の技術品が土をかぶったまま眠っております。そのほとんどは生活を便利にさせるため活用されておりますが、あまりに強大な力を手にしまったゆえに、あらぬ気を起したのかもしれませぬ」
「月を統一しようというのか、馬鹿者め。都人たちがなぜ月を捨てたと思っているのだ。発達しすぎた技術力が自分たちの手に余るようになったからだぞ、軍事兵器などその筆頭ではないか」
「アリストスは周到に計画を立て、発掘した兵器を調査し、なんの懸念もなく使いこなせるようになるまで訓練をこなしたことでしょう、表面上は平生と変わらぬふりを装って」
「その予兆は、まったく感じられなかったな」
「よほど用意周到かつ秘密裏に決行されたことなのでございましょう。なにせひとつの星を支配するかどうかという瀬戸際の話ですから、計画は綿密さを極めたくなるものです」
「それで、アリストス軍は?」
「我々の拠点を次々と攻略しつつ、王城にまで迫ってまいりました。そのころになるともう総力戦でした。こちらは予備隊も含めてありったけの兵を送りだしましたが、敵の勢いと装備をくずすことができず、じりじりと防衛線は後退して行きました。そしてあの総攻撃の日に、隊長と国王様とともに前線に立っておりました」
「父上が死んだのだろうとはじいから聞かされている。遠慮はしなくていいぞ」
「――はい。国王様は一隊を自ら率いて善戦なされましたがそれもむなしく、最後は軍隊を分断され、まさに死に物狂いとなって戦っておられました。そして最期の間際というときに、残った兵をまとめて抵抗軍を結成し、ルア様の御帰還を待つようにと指示をされたのです。国王様は、あのジアードという男にとどめを刺されました」
「……あいつが……」
唇を切れるほどにかみしめる。
せめて命を散らすときだけでも苦痛なく逝ってほしかった。ジアードの手にかかったのならまっとうな死に方はできなかったにちがいない、そう思うと無念がこみ上げて来て、怒りに拳が震えた。
「ジアードは同時に隊長をも切り捨てました。国王様の言いつけどおり城内の一般人と兵たちを誘導して、秘密の通路を使いこの基地にまで案内しました。ふだんから訓練の一環としてこの場所は想定しておりましたが、まさか本当に役に立つ日が来るとは思っておりませんでした」
「あの城には妙な仕掛けがたくさんあるからな」
ラングネ国、アリストス国ともに王城は古代人の遺物で、城のあちこちに失われた技術が残されているのだ。かぐやが地球に逃避したときの宇宙船もその一つだった。
そのスイッチがどこにあるのかは王族と軍部の最高機密であり、一般人が知り得ることはない。
もちろん敵が探すことも不可能だろう。
「王城が占拠されたと聞いたのはそれからすぐのことでした。我々は敵に居場所を知られないよう細心の注意を払いながら、各地に点在する残兵を吸収し、ときにはアリストス軍の一隊を奇襲したりして、ルア様の帰還をまっておりました。ですが三日目になったとき、クレアがどうしてもルア様を迎えに行きたいというものですから、いつかはその必要もあることですし、少々不安ではありましたが彼女を使者として派遣することにいたしました」
「たしかこの基地にも一隻、宇宙船が配備されていたな」
「そうです。ですがアリストス軍のレーザー砲が空中への警戒を怠っていませんでしたから、飛び出したところですぐさま撃墜されてしまうのは目に見えておりました。ですから陽動作戦を行ったのです。王城に夜襲をかけるのは骨がおりましたが、ひとまず敵の注意をそらしたところでクレアの乗った宇宙船を出立させました。レーザー砲は命中しなかったようですが、そのかわりにかなりの損害を受けました」
「クレアがわたしのもとへ来た時、すでに半年以上が経過していた。月と地球では時間の流れが違うのかもしれぬという話になったな」
「そのようなことが」サントは表情にださず驚いて見せた。
「理屈がどうであれわたしにとっては好都合だった。ふたりの勇者をさがし出すこともできたし、気持ちの整理をすることもできたからな。それに、素晴らしい人たちと出会うこともできた。わたしに生きる大切さを教えてくれたのは、間違いなく彼らだ」
「おふたりの勇者様は、どのようなかたなのでございますか。その、惚れているとか、なんとか」
「ああ、お前の言うとおりだ。地球で勇者をさがすとき一芝居を打ってな、そのときわたしに惚れた男たちというのがあやつらだ。他にも数人いたのだが、どいつもこいつも骨のない男たちだった」
「……さようでございますか」
箱入り娘として育てられたはずのかぐやが、ここまでひょうひょうと男を扱っていることにサントは驚愕した。いくらもとからお転婆だったとはいえ、地球でいったい何があったのだろうと心配になる気持ちを押さえつける。
「予言によると、勇者様はなにかしらの宝を有していたはずですが」
「石上は先ほどのネックレスがそうだ。大伴のほうは、奇妙なことだが瞳の代わりに紅の玉が眼窩に収まっている。そのせいで視力は失ったが、そのほかの感覚が鋭敏になっているから生活も戦闘も困らないそうだ」
「なんとも不思議なことでございますね」サントが感嘆の声を上げた。「都人が地球へと持ち運んだ古代技術の結晶が、あの宝の正体なのでしょう。ほかにもあったのではないですか」
「見つけるのは至難の業だ。あやつらふたりも死にそうな目にあって入手したものらしい」
「なるほど」
サントは二度、三度とうなずいた。
それから壁にかけられた時計に目をやると、席を立った。
「そろそろお時間でございます。ほかの病室へ移りましょう」
「抵抗軍はこれからどうするのだ」
「――ルア様に指揮をとっていただきたいと思っております。そのためにもルア様の一刻も早い回復と、勇者様の復活が不可避かと」
「そうか、そうだな」
かぐやはなにか意を決したようにベッドから立ち上がると、サントのあとに続いて病室を出た。ここからすべてがはじまる、まだスタートラインに立ったばかりなのだと自分に言い聞かせながら。




