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遭遇

 どのくらいの時間が経過したのだろう。

 安全装置を装着してさえ舟をつき破って外へ放り出されてしまいそうな衝撃を受けて、しばらく気を失っていたようだった。ゆっくりと頭を持ち上げる。かるい頭痛がした。

 そのほかにはなんの異常も痛みももないので怪我を負ってはいないらしい、と確認する。

 どこからか風が吹きこみ、かぐやの黒い髪を揺らした。見ると舟の右翼部が吹き飛び、翼のつけ根である側面に大きな穴が貫通していた。よく無事だったものだと思う。

「――おい、大丈夫か」

 隣で気絶している大伴御行の肩を揺さぶる。

 前方ではクレアと石上がぐったりしていたが、どちらも呼吸をしているようなのでおそらく心配はないだろう。とくに石上は。

「う……」

 不時着したときどこかへ打ちつけたのか右肩をおさえながら大伴御行が顔を上げ、息を深く吸い込む。

「かぐや様ですか」

「それ以外に誰に聞こえる。動けるか」

「ええ、大丈夫です――っ」

 安全装置のとめがねをはず起きあがろうとすると、大伴御行は痛そうにうめいて右肩をおさえた。ふだん冷静沈着であまり表情を変えない彼が脂汗を浮かべているのであるから、少なくとも脱臼、わるければ複雑骨折しているかも知れない。

 クレアもかぐやにも応急治療を出来るような知識はない。早急にどこか手当のできる場所に運ばなければならなかった。

「無理をするな。動くと怪我が悪化する」

「これしきのことで――」

 無理に立ち上がろうとするが、体勢を崩して不自然な形で転んでしまう。その拍子に肩をしたたかに床にぶつけ、柄にもなく大きな声でうめいた。

 かぐやは大伴御行を座らせると、クレアのほうへむかいながらいった。

「そこでじっとしていろ。怪我人は安静にしているのが一番だ」

 クレアと石上はいくら肩を叩いても目をさまさなかったので少し不安になったが、後頭部をはたいてやるとようやく寝ぼけ眼で意識を取り戻した。そういえばクレアの寝起きが悪いのは昔からだった。

 かぐやの想像通りふたりとも目立った外傷はなく、クレアが肘にかすり傷を負っているくらいのものだった。石上は墜落する前と同じようにぴんぴんしている。

 そうはいっても地球を離陸する直前の激戦でふたりの勇者たちは身体のあちこちに傷をかかえていたので、どこか安全な場所で治療をする必要性はじゅうぶんにあった。

「石上、大伴を背負ってやれるか」

「かぐや様なら大歓迎なんだけどな、男を守るのはそんなに趣味じゃねえや」

「無駄口をたたくな、私だってお前の背中になどおぶわれたくはないのです。ですが、これが最善の処置だというならおとなしく従うほかないでしょう」

「ちぇっ」

 口ではしぶしぶといった様子だが、石上はきびきびと大伴御行を持ち上げると舟のそとへ出て、見渡すかぎりに広がっている広大な大地を目の当たりにした。

「すげえ……」

 黒い空が悠然と広がっている。

「……懐かしい光景だな」

 かぐやがあとから続き、感慨深げに空を見上げた。

 果てしなく深い闇のなかに星の光が頼りなく浮かんでいる。太陽は地球から見るものとさほど大きさも形も変わらなかったが、空が青色ではなく雲もないためか、どこかとげとげしいような印象を与えた。

 地球とはまったく違う、別世界だった。

 最後に舟から出てきたクレアは両手を思いきり伸ばして深呼吸をした。

「ううん――やっぱりこっちの空気のほうがなじみますね、ルア様」

「地球のものも悪くはなかった。が、故郷の空気はまた別格というものだ」一転、かぐやは目つきを厳しくした。「クレア、抵抗軍のアジトはどこにある。ここら辺になにもないということは城からだいぶ離れたところに着地してしたようだが、大伴たちの怪我の治療もせねばならなぬことだ、すぐにこの場所を離れたほうがいい。あまりもたもたしているとアリストス軍の追手がくるだろうからな」

「ここからだとけっこうありますよ。徒歩なら三日はかかりますね、かくれながら進むのなら七日は覚悟していた方がいいかもしれません」

「なにか乗るものがあればいいのだが――この船はもう使い物にならぬようだしな」

 古代人の科学力によって生み出された半透明で緑色の宇宙船は、片方の翼がもげてあとかたもなくなっているうえ、着地の衝撃であちこちが破損していた。

 右翼部分はレーザー砲にもっていかれたのだろう。今ごろは宇宙空間のどこかを漂っているか、それともすべて溶かされたかのどちらかだ。

 もしあれが直撃していたら、と想像すると背筋を悪寒が走る。

 大伴御行の協力がなかったらレーザー砲の発射タイミングを予測するなどという神業は不可能だった。偶然にしてはうまく行き過ぎている、そう考えると見えない何かの力によって守られているような気がして、少し心強い。

「クレア、なんとか直せないものか?」

「無茶言わないでくださいよ。こんなボロボロになったものをどうやって飛ばせっていうんですか。それに月と地球を往復するだけのエネルギーしか積みこんでませんから、もとの状態に修理したところで動きはしませんよ」

「ずいぶんと危ない橋を渡ったものだな」

「もともと余力が少なかったところにあのレーザー砲を二度もかいくぐらなきゃいけなかったんですから、当然ですよ。こっちを出るときはまだ援護があったからよかったけど、さっきのはホントに間一髪でしたもん」

 となると、舟の線は完全にあきらめるほかない。

 かぐやは周囲にしばらく建物などの人工物がないのを見て取ると、頭の中にラングネ国の地図をえがいた。王都までの最短ルートはどこか近くの街道に出ることだが、どう考えてもアリストス側の警備が敷かれているだろう。

 たとえ万全の状態の大伴御行と石上の力をもってしても地球のときのように厳重な警戒を突破できるとは限らない。おまけに片方はほぼ戦闘不能の危機に立たされているわけだから、わざわざ敵のまん中に飛び込むのは愚の骨頂だ。

 そうはいっても近隣の街を見つけたところでそこにもアリストスの魔手が迫っているのは確実で、へたに発見されて街の人々に迷惑をかけるのも避けたかった。彼らはまだラングネ国の国民なのだ。

「急ぐぞ。ぐずぐずしている暇はない」

 地理に明るいかぐやが先陣を切って歩きだす。

「アジトは王都の近くか」

「すこし離れた場所にあります、ただすこしへんぴなところになりますけど」

 クレアがかぐやのあとに続きながら返事をする。

 自国の歴史はもちろん、地理などもじいに教え込まされたからかぐやは常人よりもずっと詳しい。最後尾をついてくる石上に視線をちらりとやってから、いまさらになって思い出したように痛みはじめた擦過傷を軽くなでる。

 あの大男に縄で縛られたときに負った傷だったが、無暗に腹がたった。

「――抵抗軍というのは、どのようなものなのだ」

 腹立ちと、いくらかの寂しさを紛らわすために話しかける。

 クレアから現状を教えてもらうのはこれからの方針を立てる上で重要なことであったし、ひょっとすると抵抗軍のアジトよりも治療に適した場所があるかもしれない。いまは情報が必要だった。

「軍部副隊長サント様を中心とするゲリラ部隊です。サント様は場内に残っていた勢力をまとめあげて、地下行動を通って用意されていたアジトへ籠城しています。幸いなことにまだアジトの居場所は知られていないので、そこから市街地に打ってでては敵軍に被害を与えつつ、情報収集に努めているところです。その過程であちこちに散っている残兵をとりこみ数を増してきてはいますが――すでに多くが捕虜となっていますので、正直なところかぐや様に期待するほかないという感じですね」

「数は?」

「およそ五百。食料もあちこちから集めてはいますが、さほど長い時間はもたないでしょうね。負傷兵も多く、ルア様が生きているという希望だけで保っている状態です。もしここでかぐや様が囚われたという情報でも流れたら」

「ラングネ国は、終焉を迎える、か」

「でも大丈夫ですよ、この通りルア様がもどって来たんですから。ラングネ国の復興も間近ってものです」

 クレアが明るくいう。

 月の国の気候は、暑すぎず寒すぎずといった感じで、さほど気温が気になるというようなことはなく、湿度も低いので歩くには適した環境だった。それでも太陽の照りつけを遮るものは少なく、しばらく歩いていると徐々に気温が上昇してきた。

 どうやら不時着したのは夜が明けてすぐだったらしい。

「長いこと地球にいたから忘れていたな」

 いくら生まれ育った月とはいえ半年もほかの星で暮らしていたためか、故郷の感覚を忘れてしまっている。この空気も、一日もたてば慣れるだろう。

 地平線のむこうへ視線をこらす。舟が墜落した場所はすぐさま敵方へ知らされたことだろうから、いつどこからアリストス軍の斥候が現れてもおかしくはない。遮蔽物がないというのは敵を発見しやすい利点はあるが、敵からも見つかりやすいという致命的な欠点もある。

 こちらの戦力は実質、石上ひとりという状況で、その石上もいつ倒れても不思議ではない重傷だ。

「ルア様、ルア様」

 うしろから声がかかる。

「どうした」

「ご飯どうしましょうか」

「――腹でも減ったのか、こんなときに」

「と、石上様が申しております」

「まったく困ったやつだな」

 わざわざこのタイミングでいわなくてもいいだろうと思うが、食料が危急の問題になっているのも事実だ。三山村で籠城戦をおこなっているあいだもろくな食事をとっていない。

 とはいえさきほど食べたばかりではなかっただろうか。

「我慢しろ、と伝えておけ」

「でもあたしあの人と話すのあんまり好きじゃないんですけど」

「気持ちは分かるが辛抱してくれ。わたしなど求婚されているのだぞ」

「おなじ勇者様でも大伴様のほうがずっといい人ですよね。あたし結婚するなら大伴様みたいに優しくて礼儀正しい人がいいな、石上様はがさつだし乱暴だし、それにちょっと大きすぎます」

「地球人はみなわたしたちよりも背が高いし、体格もしっかりしているからな。わたしも地球へ行って驚いた」

「あ、そういえば」と、クレアは自分の二の腕をつねった。「あたし太りましたか?」

「そんなことはないと思うぞ、むしろ痩せたのではないか」

「ですよねえ」

 首をひねるクレア。

「地球に行ったとき気のせいか体重が重くなった気がしたんですよね。緊張していたせいかもしれないですけど」

「――ともすれば、そうかもしれないな」

 地球と月とでは物理法則が違ってもおかしくはないだろう。

 あちらとこちらとではまるで別世界なのだから。

 しばらく誰も口をきかずに足を進めていく。足場はまったく舗装されていないため砂利やこぶし大の石が散乱しており、歩いているうちに足が痛くなった。

 小高く盛り上がった丘のむこうにようやく植物の群生する茂みらしいものが見えた。かぐやたちはいったん腰を落ち着けると、大伴御行の容体をたしかめ、少し休憩してからまたすぐに出発した。

 いくら月が地球よりも小さいとはいえ、大地はどこまでも続いている。

 ときどき思い出したように人工物らしいものの残骸が砂に埋もれて頭を出していたが、それ以外に人の気配を感じさせるものはなにもなかった。

 半日の半分ほどが経過した頃、最初に音を上げたのは石上だった。

「腹が減ってもう歩けねえや。このまま歩いてくんじゃ、おれたち基地とやらにたどり着くまえに骸骨になっちまうぜ、そんなのまっぴらごめんだね」

 どかりと地面の腰をおろしてしまう。まるで駄々っ子がぐずついているようなありさまだった。

「好きにしろといいたいところだが、あいにくおまえはわが国を救う運命を背負っているのだ。ここで置いて行くわけにはいくまい、立て」

「いい加減飯を食わせてもらわねえと、大伴様を喰っちまうぜ。おれは腹が減って仕方ねえんだ」

「やせ細った狼のようなことを言うな、苦しいのはお前だけではないのだぞ。なんなら貴様を大伴に焼いてもらってみんなで食してもいいが、どうする」

「……わかったよ。行けばいいんだろ」

「最初からそうしていればいいのだ」

 苦々しい顔で先を急ごうとするかぐやの腹の虫がぐうぅ、となさけない音をならす。クレアは必死に咳払いをしたりして聞こえないふりをしたが、石上はにやにやと笑いながらかぐやのうしろ髪をながめていた。

 さらに歩いて行くと、ようやく道のようなものに出会うことができた。

 道とはいっても自然のままではないといったほうが近い代物で、せいぜい大きな砂利が見当たらない程度の細々としたラインが延々と続いていた。

「この道の先は街につながっている……が、敵もそこを通って来るだろうな」

 かぐやがつぶやく。

 この道を使えば街までは最短距離でたどり着くことができるだろうが、アリストス軍に遭遇するのは必至だ。いままでの道のりもそうだったがいかに人目につかないようにして歩みを進めていくかというのが課題だった。

 日はちょうど天頂に達し、気温も朝に比べるとずっと高くなっていた。

 太陽の光がじかに降り注ぐこの見晴らしのいい丘ではどこにも身を隠せるような場所はない。

「どうするんだ?」

 石上が追いついて声をかける。

 はだかの上半身には張りつくように汗が浮かんでいて背中に隠れた大伴御行の姿が見えないほどだ。体力に関しては心配していないが、地球での戦いも含めてしばらく動きっぱなしであるから、そう楽観ばかりもしていられないだろう。

「クレア、味方の迎えは期待できないのか。敵の隙をついて乗り物を使うことができればだいぶ楽になるぞ」

「――ルア様の御帰還はもちろん知っているでしょうけど、サント様は慎重なお方ですから敵の待ち伏せを警戒されているかも知れません。直線距離でいえば敵のほうがずっと近いことですしこのあたりに警戒網を張っていれば抵抗軍の全滅は避けられないかと」

「わたしを助けるのに甚大な被害を払ってしまっては無意味だな、だが……」

 正直なところ、体力の限界が近づいていた。

 食べ物だけでなく徒歩の疲労も、緊張しっぱなしだったことによる精神的な消耗も、かなりピークに近い。石上も平気な表情をしているがおそらくかなり参っているはずだ。

 合流してからまだ間もないがクレアだって戦火をくぐりぬけてから地球への強行軍だったのだから、一介の侍女に過ぎない彼女にとっては相当な負担になっていることだろう。

「ここで待ち伏せをするというのはどうだ」

 かぐやが思いつきを提案する。なかなか魅力的な作戦に思えた。

「アリストス軍の先鋒を返り討ちにして装備や乗り物を奪い、抵抗軍の基地まで戻る、これなら時間も短縮できるし抵抗軍の手助けにもなる」

「――それは、いけません」

 石上の背中から力のない声が聞こえてきた。

「なぜだ、大伴」

「――斥候とはいえ、敵も大軍を送り込んでくることでしょう。いまの石上と私では撃退するだけの体力は残っていません、なによりこちらの居場所を明かすことになるのはいただけないです。逃げて、敵の包囲網が手薄になったところを叩くのならともかく、密集を倒すのはまず無理だと思われます」

「他に手はないのか」

「……私の体調が万全なら良かったのですが……申し訳ありません」

「仕方のないことだ、気にするな。それよりも今はこの道を進むほかあるまい。敵が大勢なら、こちらの方が早く姿をとらえられるだろう」

 だが、その瞬間だった。

 遠方から津波のように押し寄せてくる軍勢の影を最初に見とめたのはクレアだった。飛行機こそないが、車の荷台に兵士を詰め込んだアリストス軍が道を埋め尽くすように疾走して来たのだ。

 車は色も形も様々だったが、どれも一様にアリストスの国旗である赤と黄色のシンボルマークが大きく刻み込まれている。

 エンジン音はまだ聞こえなかったが、巨人の足音のようにゆっくりと近づいてくる恐怖感は痛いほどに伝わった。

「ルア様、逃げましょう。ここで戦って万が一のことがあってはいけません」

「――いやだ」

 迫りくるアリストス軍の車両の群れから視線をはずさずかぐやが首を横に振る。

 クレアは強引にかぐやの腕をつかむと、

「なに言ってるんですか、ここは身を隠すのが先決です」

「いやだといったのが聞こえなかったか」

「ルア様!」

「わたしはここで戦う、戦って父上のかたきを討つ」

 かぐやの眼には涙によるものではない充血の赤さが浸透していた。大伴御行のものとも違う、憎しみに染まった赤色だった。

「ご自分の立場を理解してください、ルア様」

「うるさい、離せ!」

 クレアの手を振り払い、道の中央に仁王立ちになってアリストス軍を睨みつける。かぐやたちのいる場所まで来るのには十分もかからないくらいだろう、一刻も早く逃げなければ見つかるのは明らかだった。

 だがかぐやは地面に根が張ったように動こうとしない。

 クレアがむなしい説得を試みるが「いやだ」といってかたくなに耳を貸そうとしなかった。

「逃げてどうなるというのだ、逃げたからといって事態がよくなるわけではなかろう、それなら戦った方がましではないか」

「どうして負けるのが前提なんですか、ルア様はラングネ国を復興させるんじゃなかったんですか!」

「戦わなければそれも叶わない」

「でも!」

「くどい」

 クレアは困ったように石上の方を顧みるが怪我人を背負った大男は力なく首を振るばかりで、動きを起こそうとはしなかった。

「どうして……」

「それが皇女としての務めだからだ」

「そんなの、絶対おかしいです。どうしちゃったんですか、地球でなにかあったんですか、ルア様まるで別人みたいになって」

「国自体が平常ではないのだ、わたしが変わらなくてどうする」

 アリストス軍の近づいてくる音が聞こえる距離にまで迫ってきた。敵軍の動きがにわかに慌ただしくなっている、こちらの存在に気づいたのだろう。

「……石上、大伴をおろしてやってくれ。戦いになったら敵の武器を奪ってわたしに渡せ、あれならわたしでも戦える。なに、心配するな。剣のことならじいに多少の手ほどきは受けている」

 膂力がなくとも熱と光の力で敵を焼き切るレーザーの刃。

 赤色に光るあの剣さえあれば、地球のときのような無力感にさいなまなくても済む。

「クレア、大伴のことは頼んだぞ。

「――私はかぐや様の護衛ですからね、戦わずして逃げ出すようなことがあっては面目が立ちません」

 よろよろと苦しそうに立ちあがる。

 肩をつらぬく激痛にたえながらなんとか微笑を作り上げた。

「無理をさせるぞ」

「かまいませんよ、あなた様のためなら」

「礼はこの戦いが終わってからいくらでも言おう。それまでは絶対に死んでくれるなよ」

「もちろんですとも」

「石上も同じだ、お前が死ぬようなところは想像もできんがな」

「あたりまえじゃねえか、なんのためにはるばる月の国まで来たと思ってんだよ」

 どんと分厚い胸襟をたたいて力強さをアピールする。

「クレアはどこかに隠れていてくれ、わたしたちが敵の装備を奪ったらすぐに迎えに行く。その時は運転をたのむぞ」

 言葉は優しかったがかぐやの口調はほとんど命令のものと同じくらい厳しかった。しばらく茫然とクレアは立ちつくしていたが、思い出したようにそばの物影へ姿を隠した。

 かぐやと勇者ふたりは細い道をふさぐように敵軍を待ちかまえる隊形になる。遠くから近付いてくるアリストス軍が手のひらほどの大きさになったとき、大伴御行が地球で見せたときと同じ炎の龍を両腕から召喚し、先頭を走ってくる車の一台に命中させた。

 大勢の怒鳴り声がする。

 そしてつぎの瞬間には、兵士を積んだジープは巨大な火柱を立てて爆発した。周囲の人間もいっしょにまきこまれてはじき飛ばされ、小さな道をふさぐ結果となる。

 相手が障害物にもたついているうちに、かぐやと石上は悠然とアリストス軍にむかって突進し、ジープの残骸を乗り越えてきた兵士たちに喰いかかっていく。

 最初に石上が右手を振り上げ、自分の腹ほどの身長をした兵士をふっとばした。

「石上、武器を奪うのだ! 忘れるなよ!」

「わかってるよ!」

 つづいて近くにいた兵士の腕をつかむと、力まかせにひねり上げた。耳をふさぎたくなるような悲鳴とともに、あり得ない方向に折れ曲がった骨がぽきりと乾いた音を立てる。

 地獄の底でものぞきこんでいるかのように叫び続ける兵士が落とした剣を拾いあげる。どうやら持ち主が手を離すと光の剣は消えるらしく、石上がふたたび剣を手にすると赤い刃が姿をあらわした。

「ここまで投げろ!」

 かぐやが両手を振り上げて合図をしている。

 石上は手首のスナップだけで剣の柄を放り投げたが、意に反してかぐやよりも遠くへ行ってしまった。それに先ほどから妙に体が軽く感じる。勇者の力が増しているためかわからなかったが、きっとそうだろうと自分で納得してこぶしを繰り出すと、地球のときよりもはるかに速く敵の胴体をとらえた。

「石上、狙いはわかっていますか」

 うしろから大伴御行の声がかかる。

 前線は石上に任せて、うしろから援護をしようという作戦だ。いまの大伴御行に敵の攻撃を回避しきるだけの余力はない。

「あん? こいつらを倒せばいいんじゃねえのか」

「乗り物を奪うんです。私の炎を使うとどうやら爆発してしまうようなのであなたが中の人間を引きずり出して、かぐや様を誘導してあげてください。それまでは私が時間を稼ぎます」

「肝心の姫様の姿が見当たらねえじゃねえか」

「あなたが適当なところに武器を投げつけるからでしょう、そうでなければもっと早く作戦を移行できたのに」

「ああそうかい、悪かったな」

 アリストス軍は石上の怪力を警戒してか、不用意に近づいて来なくなった。そのおかげで大伴御行とゆっくり会話できるのだが、餌に群がるアリのように敵の兵士は石上を何重にも囲む。

 石上の息はすでに荒くなりはじめている。

「要は時間を稼げばいいんだろ。だったら好都合じゃねえか」

 敵軍とにらみ合ったまま仏像のように動かない。かぐやに渡したものと同じ武器を敵の兵士たちは持っている。あれに触れれば地球のときのようにかすり傷だけでは済まないだろうということは、なんとなく察しがついた。

 敵の一部隊が大伴御行の方へ向かっていくのをはた目にとらえる。

 炎使いの横を剣を持ったかぐやが走り抜けてくるのと、戦闘が再開されたのとはほぼ同時だった。

「どけえ!」

 敵は石上と大伴御行、そしてかぐやを分断しようとそれぞれのあいだに人の壁をつくり、行く手を阻む。敵兵が密集したところへ大伴御行の火炎の龍がおそいかかり、海を裂くようにかぐやの前方に道が生まれた。

 アリストス軍の兵士はジープによって次々と補給され、際限がない。もっとも前線に近いジープを見つけ出すと石上は人の波をかきわけて接近し、ドアがあかないのを見て取ると強引に窓ガラスを割ってなかにいたふたりの兵士の襟首をつかんでそとへ投げ飛ばした。

 首から下げた首飾りの宝がいがぶつかりあって儚げな音を立てる。

 かぐやのほうを振り返ると、大伴御行の炎にまもられながら懸命に前進してくるところだった。

「こっちだ!」

「わかっている、石上、運転はできないのか!」

「どうやってやるんだ」

「まずハンドルを握ってだな、アクセルを踏み込むのだ。そうすれば動きだす、だが隣にあるブレーキを踏んではならぬぞ、それでは進むどころか止まってしまうからな、あとは――」

「ああ、頭がこんがらがりそうだ、さっさとこっちへ来てくれ」と石上が叫んだ。

「わかっている。わたしが着くまでそこを死守していろよ」

 大伴御行の援護を受け、かぐやはゆっくりと石上の守るジープに近づいてくる。「車を渡すな、死守せよ」というアリストス側の司令官の怒声がする。

「ちくしょう、なんだってんだよ」

 戦いにくい足場で石上が奮闘する。

 そのとき、不意にかぐやを守っていた炎が途絶えた。大伴御行のまわりにアリストスの兵士が集まり、剣を振りかかっていた。

 かぐやはすぐさま石上からもらった剣の柄を握り、下段にかまえる。大声を上げながら石上の待つジープに向かって駆けだすと、進路を阻むようにアリストス軍がかぐやへ向かってきた。

 だれの目も殺気立っている。

 かぐやさえ捕えることができれば報償は莫大なものになり、一生を保証された金額だけでなく、国の英雄としての名誉も得ることができる。兵士という身分にとって敵の大将をとらえることは一気に階段を駆け上るための手段なのだ。

 それだけでなく、戦争を終わらせることもできる。家族を持っているものにとっては一刻も早く戦争が終結することも大切だった。

 その想いはかぐやにもわかる。

 だが、譲れないものがある。同じ月の国の民とはいえ、一方的な侵略をしかけてきた彼らに加減をすることはできなかった。

 押し出されるようにして最前面に立っていた男に切りつける。肉の焼ける嫌なにおいがした。手ごたえはまったくなかった、人を切るのはひどくあっけない感触だった。

 まさか一国の姫が反撃してくるとは思ってなかったのだろう。敵は一瞬ひるんだようだった。間隙をついて石上のもとへ猛然とダッシュする。

 石上もなんとかまとわりついていた兵士たちを振り払うと、かぐやに向かって手をのばした。

 力強い右手が届こうかという瞬間、一筋の光がかぐやと石上のあいだを一閃した。

「っ!」

 驚いたように石上が手を引っ込める。

 指が何本か、なくなっていた。切断面は焼かれて凝固しており、血こそ流れ出ていなかったが不気味にどす黒く変色していた。

「はずしたか。しくじったな」

 舌舐めずりしながら剣を構えているのは目の鋭くとがった、痩せぎすの男だった。頬は痩せこけ、髪はほとんどが脱色し白くなっている。角ばった骨のすぐ上に張りつめた筋肉がこびり付いていた。

 男は両手に赤い刀を持ち、アリストスの黒と赤をかたどった軍服をまとっている。

 彼の周りには避けているかのように人がいない。他の密集した部分と比べて、音この付近だけは不自然な空気が漂っていた。

「――おめえ、そこらへんの雑魚どもとは腕が格段に違うな。立ち居ふるまいからして尋常じゃねえ、いったいどんな訓練したらそんなまがまがしい殺気を出せるようになるってんだ」

 男から立ちのぼる異様なオーラは、感覚の鋭敏な大伴御行でなくとも充分に感じることができた。人を殺すことにためらいのない、むしろ愉しんでいる瞳が、オーラを増幅させているようだった。

 二刀流を戦場で使う者などほとんどいない。自分の身を守れなくなるためだ。

 だが、己の命をなんとも思わないのであれば二刀流はおそろしい殺傷力を持つことになる。攻撃に特化したスタイル、それが二本の刀を持った男の思想をあらわしていた。

「なに、簡単なことさ。好きなだけ人を殺せばいい。そうすれば自然と殺し屋としての気配が備わって来る。あんた勇者なんだろ。そのわりに大したことのない目をしてるじゃないか。もっとたくさん殺せよ。戦争ってやつはな、殺せば殺すだけ勇者になれるんだぜ」

「アリストスの馬鹿どもはいったい何を考えているというのだ――よりによってこんな奴を戦場に送りだすとは」

 歯ぎしりしながらかぐやが石上のもとへゆっくりと歩み寄る。

「おい、こいつらはオレの獲物だからな。手出ししたら殺すぞ」

 怪物を見るような恐ろしげな目つきで兵士たちがじりじりと包囲円を広げ、後ずさっていく。だれもがこんなイカレタやつに巻き込まれて死ぬのはごめんだというような表情をしていた。

 石上はジープの運転席から降りると、かぐやの前に進みでた。

「こいつは危なすぎる、下がってな」

「そんなことは百も承知だ、馬鹿もの。長い歴史のなかでもこやつほどの重罪人はおるまいと噂されている男だぞ。何十人もの人々を虐殺し、アリストスの牢に入れられていると聞いていたが――保釈されたのか利用されているのか」

「勇者様とやらを警戒してオレを解き放ってくれたんだ、雇い主様にはたくさん感謝しなきゃなんね―な。それにひとついいことを教えてやるぜ、おれが殺したのは何十人って単位じゃねえ。それ以上だ」

「どのような卑劣な契約を結んだのだ、ジアード・レム」

「シンプルな約束だったぜ」ジアードは言った。「勇者をひとり殺せば無罪放免、ふたり殺せば遊んでくれせるだけの金をくれるって話だ。オレはそんなものいらねえけどよ、牢屋に繋がれたまんまじゃ誰の命も奪えないから退屈してたんだ。あっちの兄ちゃんが殺される前に、さっさとデカブツのあんたを殺しておかないとな、獲物が減ったらつまんねえもんなあ」

「この場で最も会いたくなかった男だな――石上、ジープはいつでも運転可能だぞ」かぐやが運転席に乗り込んでいった。

「どうせ逃げられはしないんだ、だったらここで勝負をつけちまった方がいいだろ。こんな狂人が生きてたんじゃ一般人も危ねえしな」

「その指は平気なのか」

「ちくちく痛むくらいだ、心配ねえよ」石上はこぶしを握り締める。「それに、殴るのに差し支えはねえ」

「このオレと素手でやり合おうってんなら笑い者だぜ。剣の勝負は触れたら終い、どっちが先に首をはねるかで決まるんだからなあ。そのでかい拳じゃ、オレに届くまえに斬られるぜ」

「地球にはな、肉を切られて骨を断つという言葉があるんだ」

 石上は不敵に笑いながら、狂人ジアードの剣の射程に入らない距離に立つ。それを見て、ジアードも腰を落とした。

「侮るなよ、そやつの剣の腕は本物だ。一対一ではまともに勝負になったものはいないと聞く」

「よく知ってますねえ姫さんよ。あんたは殺さずに捕まえれば懸賞金が倍になるんだが、ラングネの姫を切り捨てるっていうのはどんな感覚か、楽しみでなんねえんだ。そこから動くんじゃねえぞ」

「それより先に、てめえを排除するだけだ」

 石上が、首に下げたネックレスをさわる。

 かぐやを手に入れるために探しだした宝は、いまやかぐやを守るための力になっている。石上を本物の勇者に仕立てあげている子安貝に触れていれば少しでも力を分け与えてもらえるような気がした。

 ざらついた感触が指さきに伝わる。

 焼き切られた右手の指の数本は、もうどこにもない。火傷のあとのように固まった傷口がひどく傷んだが、石上はさして気にならなかった。いまは目の前の敵に集中しなければ。いままでの雑兵とは違って一瞬でも油断すれば死に直結する。

 全力を出しても勝てるかどうかわからない相手だ。せめて大伴御行なら相性がよかったのかもしれないが、石上の敵としては最悪の部類に入るだろう。

「さあ、少しは愉しませてくれよ、勇者様よお!」

 一気に二本の刀でうちかかって来る。

 石上は巨体からは想像もできないスピードで身をひるがえし、鼻先をかすめていく切っ先をかわす。狂人ジアードは鴉を思わせるような声で甲高く笑いながら、次からつぎへと石上の身体めがけて剣を振りおろし、ときには剣先を突き出す。

 決して大ぶりな構えではない。

 一撃の威力が必要ないため、手数の多い戦法が主流なのだろうと石上は判断する。すこしでも隙が生まれたところに強烈な一撃をかまそうと考えていたがそれすらも難しくなった。

「避けてるばかりじゃ勝負になんねえぞ」

 体重と同様に軽いフットワークでジアードは石上を包囲網のすみへ追いやっていく。勇者がアリストス軍の兵士に接触しそうになると、おのずと兵士のほうから死に物狂いで石上の進路をあけた。ジアードの機嫌をそこねたら殺されるというのは、誰もが理解し、感じている恐怖だった。

 ジアードが鋭くつきだした剣を横っとびにかわす。すぐうしろにいたアリストスの兵卒は石上の巨体によって死角になっていたところからジアードの剣が現れたのを回避することができず、胸元に赤い刃をくらった。

「あーあ、関係ないやつ巻きこんじまったなあ。ラングネのやつらはいくら殺してもいいって話だったが、味方を殺しちゃいけねえよなあ。また逮捕されたら人殺せなくなるから、気をつけなくちゃ――だけど、こりゃあ必要な犠牲だろ」

 まだ意識のある兵士の胸元から、無情に剣を振り上げる。

 目を覆いたくなるほど凄惨な光景だった。かぐやは、思わずジアードに向かってどなった。

「貴様、それでも人の子か!」

「神の子だったらいくら殺してもつかまんねえんだけどなあ、残念だがあんたの言う通りなんだよ」

「石上――こやつにだけは負けてくれるなよ。想像したくもないがこやつに殺されたラングネの民や兵は十の指で足りないくらいだ、なんの罪もない人々をこうして無残に殺すのがジアード・レムのやり口だからな」

「それだけで済むと思ってんのか? ここは戦場なんだぜ、殺せば殺すだけ褒められる無法地帯だ、そんな場所でオレが遠慮なんかするはずねえだろ」

「貴様……」

 思わずかぐやが剣を片手に血相を変えてジープから降りて来ようとするのを、石上が鋭い声で制した。

「来ちゃいけねえ、いいたかないがあんたを守って戦えるだけの余裕はねえんだ。そこにいてくれた方が、助かる」

 悔しげに唇をかみしめながらかぐやはジープの運転席にもどった。「わたしを待たせるな、必ず勝つのだぞ」

「おうよ」

 言い終るが早いやジアードの双剣がふたたび石上の周囲の空気を切り裂いていく。間断なく繰り出される剣劇。かわしそこなった剣先が腕の肌をかすり、肉が少しだけ焦げ付く。

 ジアードは石上をいたぶるのを楽しむかのようにフットワークを使って隅に追い込んでは、石上が体勢をかえる隙を狙って着実にダメージを重ねていく。

 最初は腕、次はわき腹、そして足のつけ根へ。

 これ以上手傷を負えば勝負どころか、動くことさえままならなくなる。しかし狡猾なジアードはその動揺を逃すことなく、精神的にも肉体的にもすこしずつ石上をえぐり取る。

 戦っていて気付いたことがある。

 ジアードはただの殺し狂ではない。

 構えこそ二刀流という独学ではあるが、その実対峙してみると攻撃を最大限に生かすことによって防御を補っているのだ。触れれば終いという武器の特性を活用した、実に合理的なスタイル。それに加えて異常に鍛え上げられたフットワークによって相手に反撃の余地を与えていない。

 性格さえまともだったら武術家として月の国中に名を馳せていたことだろう。

 だが、なにより厄介な殺人狂の血が、ジアードの最後の一ピースとして最凶の剣士をつくり上げていた。

「おらよ」

 ジアードは石上の足元を払い、体勢を崩す。

 思わず地面についた右手に激痛が走った。――次の瞬間には、ジアードが背筋が寒くなるほどに凶悪な笑みを浮かべて剣を持った腕を引いていた。

 殺される、そう確信した。

 ジアードの赤い剣が石上の喉元につきたてられる。鮮血が飛び散った――ように、かぐやの眼には映った。

「石上!」

「……なんだ?」

 ジアードの身体が一瞬硬直し、間合いを散り直すためにうしろへジャンプする。

 巨大な貝の盾が、石上の首元を守るようにジアードの剣を阻んでいた。うすい白色の貝殻は鮮やかな模様を描いており、重厚な存在感とともに圧倒的なまでの神々しさを放っていた。

 石上が恐るおそる貝の盾に触れると、まぶしいほどに輝きながら石上の手の甲にうまく収まるように変形し、拳の関節部分を覆うようにして防具となった。

 それぞれ、右の手と左の手に一つずつ。

 右手のほうには虎の爪のように鋭利なとげが付いており、左手のものは腕全体を守るように硬質な鎧となっている。石上の首にかざってあったはずのネックレスからは、いくつかの宝貝が抜け落ちていた。

「奇妙なもんを隠してやがるじゃねえか、勇者がこんなにひ弱じゃあ倒しがいがねえと思ってたんだ。大事な指をなくす前に切り札を出しときゃよかったのになあ」

 挑発するようにジアードが目を輝かせる。

 石上は自分の身に起こった異変が信じられないといったように手元の装備を見つめていたが、ひとつ大きな深呼吸をすると、ジアードに真正面から向きなおった。使い方は、自然と分かっている気がした。

「行くぜぇ!」

 ジアードが先ほどよりも数段早くなった剣筋を、左手の腕当てでガードする。剣同士でなければ受け止められるはずのなかったジアードの剣は、石上の二の腕を貫通することなくとまった。

 間髪をいれず石上の右フックがジアードのあごを狙う。

 バク転しながら間一髪で石上の拳をさけたジアードは薬物に汚染されているかのようにタガの外れた笑い声をあげて、石上に打ちかかってきた。さきほどまでのようにどこか洗練された太刀筋は影を潜め、いまはただ凶暴な本能だけで剣をふるっているかのように滅茶苦茶だった。

 だが、それだけに早い。

 目視できなくなりそうないくつもの残像をくぐり抜けながら、石上は反撃に出る。左手は防御に、右手は攻撃に。ジアードの痩せた体躯には、一撃だけで十分だ。

「死ねぇっ!」

 思い切り突きのばしたジアードの剣を受け止めるのではなく受け流し、続いて襲い来る赤い剣を強引にふり払う。触れ合いそうなくらいの距離でジアードの身体にぽっかりと無防備な部分が露出した。

 あらん限りの力と思いを込めて、右の拳を振りぬく。

 ジアードの身体に届こうかという瞬間――背中にいやな気配を覚えた石上は、とっさの判断でしゃがみこんだ。標的を失った拳は本来とらえるはずだった胴体を大きくそれて、ジアードの脚の骨を砕く乾いた音がした。

「石上、上だ!」

 かぐやの声に反応して左手を頭上にかざす。

 ジアードが最後の力を振りしぼって繰り出した一撃は、石上を傷つけることはなかった。ジアードの泣き叫ぶ声をしり目に石上は立ち上がるとすぐさまかぐやの元へ駆けつけた。

「しっかりつかまっていろよ」

 石上がかぐやの横へ乗りこむと同時にアクセルを全開に踏み込み、ジープを急発進させる。ジアードの敗北に恐れをなしたのか士気を完全に喪失したアリストス軍の兵士たちは、かぐやの進路を阻もうとはせず、わが身を守るために進み来るジープから離れていった。

「大伴、つかまれ!」

 運転席のドアから差し出された石上の手を、大伴御行がしっかりとつかむ。紅蓮の魔術師はひどく消耗した様子で、いまにも倒れこみそうなくらいだった。

 大伴御行のまわりにいた兵士たちを蹴散らしつつ、クレアが身を隠しているはずの丘のふもとにジープを走らせる。だが、そこに探し求める姿はなかった。

「クレア――」

 ジープを降りてクレアをさがしたい強い衝動にかられる。

 どこを見回しても、転がっているのは小石ばかりで、クレアの小さな背中はどこにもない。地面にいくつもの足跡が残っているのを認めると、かぐやは即座にすべてを悟った。

 ――クレアはアリストス軍に捕まったのだ。

 おそらく、三人が戦っている最中に背後をとろうとした敵の一隊がクレアを発見し、ここぞとばかりに捕虜としたのだろう。血痕が残っていないということは死んでいないにちがいない。それだけがわずかな希望の光だった。

 いやだ。

 これ以上誰の死ぬのも見たくはない。クレアを救出するためにアリストス軍の本営に向かってジープを発車させようとすると、大伴御行が息も絶えだえに、ハンドルを握るかぐやの腕をつかんだ。

「駄目です」

「クレアまで見捨てろというのか、大伴っ」

「ここで引き返してはなりません。私どもにもう戦うだけの力は残っておらず、敵軍の士気が落ち込んでいる今こそ逃げる好機です。この機をみすみす放棄して敵軍のまん中に突入することがあれば、せっかく拾った命をどぶに捨てることになります」

「さっきはわたしのいうことに従ったではないか、なぜ今度は反対するのだ」

「私はかぐや様を守るために動いているのです。あの場では、逃げるのは得策ではなった。万に一つに賭けに挑むしかなかった。勝負に勝ったいま、わざわざ敗北に直進するのはいくらかぐや様の意思に反していようとも賛成することはできません。どうか逃げてください」

「――だが」

「あなたがいなければ先ほどの狂った男のようなものに殺される一般人がたくさん出ることでしょう。戦に敗れた国の民がまともな扱いを受けられるはずがありません。奴隷となり、むごい仕打ちの果てに堪え切れず命を落とすものだっているはずです。かぐや様、あなたの望む未来はそんなものなのですか。かぐや姫としての使命は、どこへ行ったのですか」

 ハンドルを握りしめる両手がわなわなと震える。あたたかい涙がぽつぽつと雨のようにこぼれていく。嗚咽を漏らしながら、かぐやはジープを発進させた。抵抗軍の待つ、クレアがおしえてくれた基地へ向かって。


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