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襲う光線

「ちなみに、クレアはわたしの侍女。月の国の事情はざっとこんなものかしらね」

「ルア様あんまりじゃないですか。せっかくはるばる地球にまで迎えに来てあげたっていうのに」

 クレアが抗議するが、かぐやは涼しい顔で無視を決めこんでいる。

 月への道のりはもう半ばを過ぎており、黄金に輝く円形の大きさはかなり大きく見えた。目を凝らせば街のひとつでも見えそうなくらいである。

「私たちはかぐや様と同じ祖先を持つということなのでしょうか」

 大伴御行が訊いた。先ほどから口をはさむことなく静かにかぐやの話を聞いていたのだが、身を乗り出して興味深そうにうなずいている。

「地球にも先住民がいたという話だ。血は薄まっているだろうが、そうかもしれぬな」

「遠い親戚ってわけか。嬉しいな!」

 がははと石上が哄笑する。

 クレアは露骨に顔をしかめた。

「あたしなんだか嫌です」

「安心しろ、わたしもさほど嬉しいとは思わない」

 がっかりして使い物にならなくなるのは明らかなので石上の耳に入らないようこっそりと話す。当の石上は気にとめることもなく上機嫌に笑っている。

「わたしたちは地球に渡った者たちのことを都人と呼んでいる。というよりも、地球の人々はみな都人だな――尊敬と畏怖との気持ちを込めてな」

「なんだか不思議な感覚ですね。預かりしれぬ遠いどこかでつながっているというものは」

「勇者に選ばれたのだ、中途半端ではない縁があるのであろう――それに、勇者の素質を持つものは月人の血が濃いのかもしれぬな。その宝物も過去に月から渡ったものだ」

「かぐや様に惹かれる理由も、そのあたりにあるのかもしれませんね」

 大伴御行が平然と言ってのける。

 かぐやはすこし顔を赤らめてそっぽを向いた。

「どさくさにまぎれて変なことを言うな」

「私はもとから申していたことですが」

「面と向かっていうなということだ。なんだか気恥かしい」

「そうですよ。かぐや様は渡さないんだから」

 クレアがかぐやに抱きつきながらべえと舌を出す。侍女と皇女という立場にはまったく見えないが、大伴御行はあえてつっこまないことにした。おそらくクレアという人間が特殊なのだ。

「でも、ルア様はやっぱりすごいですよね。たったの三日で勇者様をふたりも見つけちゃうんだから」

「三日?」

 かぐやが眉をひそめる。

 地球では半年以上が経過していたはずだ。一日の長さは月でも地球でもさして変わらなかった。

「そうですよ。あたしがアジトに逃げてから、敵の隙をつくりだすまでにそれだけかかったんですから」

「……月と地球では時の流れ方が違うのかもしれませんね」

 大伴御行があごに手をあてて考えこむ。地球の常識は、月では通用しないと思っていたほうがいいかもしれない。

 クレアは白い船内の天井を見上げる。

「えー、でもちゃんと三日で来たはずなんだけどなあ」

「だが、それは朗報だ。わたしが月を離れて三日しか経過していないというのなら、まだ挽回の余地はいくらでもある。――クレア」

「はい?」

 かぐやはいくらかためらったあと、口を開いた。

「――月の様子は、いま、どうなっている?」

「…………」

 クレアは答えず、伏し目がちに視線をそらした。わたしはいい、構わずに言えとかぐやがうながすと、重たげにクレアは言葉を発した。

「国王様は、御崩御されました。現在は軍部副隊長のサント様が指揮をとり、地下にこもってゲリラ的な戦いをくりかえしているところです。敵は王城を占拠し、残党狩りに全精力を傾けているところです――が、本当の目的はそこではなく」

「わたし、か」

 かぐやが大きく息を吐き出しながらつぶやく。クレアが小さな頭を下げると、黒いショートヘアがふわりと宙に浮きあがった。地球の重力圏を抜け出して、無重力状態になっているのだと、今更になって気が付いた。丸い粒になった涙がクレアの頬のあたりをふわふわと漂う。

「ごめんなさい」

「なぜおまえが謝るのだ。国を守るのは我ら王族の使命、おまえたちが気にすることではない。アリストス国の侵略を防げなかったわたしこそ責めを負うべきなのだ。――それは、父上も同じこと」

「王城が占領されていくなかであたしはなにも出来ませんでした。たくさんの人がつかまって、あたしもなんども殺されそうになったけれど、本当に偶然逃げのびることはできた。でも、それだけなんです。逃げただけで、誰も助けられなかった」

「クレアはわたしを迎えに来てくれたではないか。それで十分だ」

「わたしどうしてもルア様の力になりたくて、地球に行くくらいしか出来なかったからみんなの反対を押し切って宇宙船に乗ったんです。だけど、それしかできない」

「――クレア」

 かぐやが優しい口調で呼びかけ、ぽんぽんとクレアの頭をなでた。髪の毛のやわらかい感触。

「侍女というのはどんな職業だ」

「え?」

「おまえの役割はわたしを支えることだろう。それだけでいい。生きて、わたしのそばにいてくれるだけで心強いのだ」

「……はい」

「生きてくれてありがとう、クレア」

「はい」

 かぐやが子どもをあやすように胸のなかへクレアを抱きいれると、クレアは声を上げて泣きはじめた。月の姫は目をつぶって静かに侍女の髪をなでつける。その光景を見ていた石上の目にも大粒の涙が浮かんでは、とめどなく空中に透明のしずくを生み出していく。

 静寂の時間だった。

 いくつかのすすり泣く声だけが、孤独な黒い宇宙を進む舟のなかに満ちていた。

 ――耳をつんざくようなアラームの音と、赤い警戒色が突如として船内を覆った。かぐやの体がびくっとこわばる。王城が陥落したときと同じ警報音。

 自然と足がすくみだす。

 クレアは素早く身をひるがえすと空になっていた操縦席に飛びつき、操縦桿を握った。眼前の大きなガラスには視界いっぱいに広がった月の姿が映し出されている。

「席についてください。急いで!」

 クレアのせきたてるような言葉に反応してふたりの勇者と姫君は各自の座席にもどると、安全装置をがっちりと固定した。クレアの額には冷や汗がにじんでいる。

「急にどうしたんだ」

 クレアのただならぬ様子に真面目な口調になった石上が尋ねる。

 手早くパネルのボタンを操作しながらクレアが声を上ずらせこたえる。

「レーザー砲がきます。自動操縦じゃ回避不可能なので、手動に切り替えますけど、ちょっと気をたしかにもっていてくださいね」

 言うが早いや、船体ががくんと揺れ動いた。

 クレアが操縦桿を両手で握りしめる。じっとりと手の平がしめっている。心臓が激しく鼓動を刻んだ。

 操縦桿を左へ切ると、強烈な負荷が横向きにおそってくる。

「大丈夫ですか」

 大伴御行が声をかける。かぐやの呼吸は病気の患者のように荒くなっていた。

 顔色も青ざめており、正常な状態ではない。

 だが、かぐやは片手を大伴御行に押しやって制止した。

「案ずるな、なにも問題はない」

「……ですが」

「前を向け。わたしに構うな」

 きっぱりと否定する。

 大伴御行はすこしのあいだ逡巡していたが、やがて諦めたように自分の席へ戻った。それ以上不安定な体勢のままでいては舟のなかを転げまわることになりそうだった。

 クレアの操縦する宇宙船は取舵をいっぱいに切り、どうにか進路を逸らそうとあがいていた。

 だが危険を知らせる赤いアラームは鳴りやまずかぐやの心をむしばみ続ける。それと呼応するようにかぐやの動悸も激しくなっていった。

「レーザー砲ってなんだ?」

 石上が椅子につかまりながら聞く。

「巨大な光線です。あたったらひとたまりもありませんよ。骨も残らず溶けてしまいます」

「そりゃ大変だな」

「人ごとみたいに言わないでください。死ぬときはあなたも巻き添えですよ」

「なに? そりゃ駄目だ! どうにかしろ!」

「だったら黙っててください! 今忙しいんです!」

「――なにか策はあるのですか?」

 石上にかわって大伴御行がクレアに質問する。クレアは月面の一部を睨みつけながら返事をよこす。

「ブースターがあります。これを使えば敵の予測以上の速度が出せますから、レーザー砲をかわすことができると思います。――けど」

「それを使う瞬間がわからない、ですか」

「敵がレーザーを打ってからじゃ遅いんです。あれは自動発射だから、少なくともその数秒前に察知していないと。でもあまり早すぎると軌道修正されて直撃コース。そこが難しいんです」

「……私がなんとかしましょう」

「そんなこといったって、どうするんですか」

 叫ぶようにクレアがいう。大伴御行は紅い瞳をぎょろりと月面の方角へ向けた。

「強力な気が集まっているのを感じます。それが限界までたまったときが、おそらく期限でしょう。その直前に私があなたにお知らせしますから、しっかり操作をしてください」

「そんなことできるんですか――さすが勇者様ですね」

 いくらか安心したのか、クレアが小さく笑みを見せる。

 大伴御行は深呼吸をして呼吸を整えると両目を大きく見開き、一点を凝視しはじめる。視線の先にはかすかに光るものが見える。大伴御行の瞳と同じように赤い光だ。それはかすかにだが、巨大化しているようだった。

 徐々に月が面積を増す。

 それと同じように赤いレーザーの獰猛な光も近づいてくる。大伴御行の号令に即座に反応できるよう、クレアは両目を閉じていた。

 大伴御行の合図はまだない。

 緊張したまま月に接近して行く。月の地表がはっきりと視認できるようになる。凹凸の多い地形。ところどころ黒っぽい影のようなところもある。そのほかの部分は黄金色に輝いていた。

 ふと気付くと、体が重さを取り戻しはじめていた。月に近づくほど自分の体重を感じるようになる。

「…………」

 かぐやの呼吸。

 舟の駆動音。

 アラーム。

 つんざくような静寂だった。

「――今です!」

 大伴御行が突然、叫んだ。

 その瞬間クレアは操縦桿を思い切り左に倒すと同時にブーストのボタンをありったけの力で叩いた。腹の奥が引っ張られるような感覚とともに舟の前に広がる光景が移動する。

 舟の後方では空を落ちていくような轟音が響いていた。

 突如、視界が強烈な光で埋め尽くされる。

 なにかのはじけ飛んだ鈍い音がした。

 アラームの種類が変わり、音声が警告を示す。

『機体破損、機体破損、右翼部に異常が見られます。緊急の不時着をいたします。振り返します、機体破損――』


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