戦う者、戦えぬ者
「私どもの有利な点は、相手方に今夜までという期日を知られていないことにございます。帝の性格からしておそらく今日にでも一斉攻撃を仕掛けてくることでしょう……それさえしのげば、月からの迎えを待つことができます」
「かぐや様、月の国の使者というのはどのような形で現れるのでしょうか。それだけでも分かれば対処もしやすいかと」
大伴御行が質問するが、かぐやは首をひねった。
「わたしにも分からぬ。おそらくはあのような舟で」と、地球にやって来たとき搭乗していた緑色の飛行船をあごで指し示す。「迎えにくるはずだ。あれよりは大きいとは思うがな」
「どうしてですか?」
「わたしが使ったものはあくまで緊急脱出用の船だったから、一人が乗れて地球まで安全にたどり着ければいいだけの性能しかなかった。だが月にもどるとなると、予言にしたがって勇者を同伴するだけのゆとりと、それなりの装備が必要になってくる。中型の舟でなければそのようなことはできまい」
かぐやの言う中型の船がどのくらいの規模なのか見当はつかない。が、それは些細な問題だった。月から迎えが来てくれれば万事解決なのだ、あとのことは考えなくともいい。
昨日の火計が功をそうして帝の軍勢は後退を続け、いまでは山の中腹にまで陣を下げている。
かぐやひとりをとらえるために大勢の被害が出たとなれば、物理的な面だけでなく、その指揮官の名声をも下げることになってしまう。
帝が望んでいるのは完ぺきな勝利であり、かぐやだった。
「どちらにせよ今夜になればわかることだ」
そういってかぐやは空を見上げた。
翁の予想通り、大伴御行の放った火はまるで生き物のように山を飲み込みかけたが、帝の兵士たちによる必死の消火活動によって半日後には消し止められた。
黒い山肌の露出している部分を視認できるほどの火災であったから、煙がそのまま雲になったように、その夜にはひとしきり雨が降った。秋の雨は冷たかったが、大伴御行が火をだしたので暖をとることはできた。
「今宵は満月にございます。どうか月の加護が、皆さまに与えられますように……」
翁が、天に祈った。
激しい戦いだった。
それは本来、戦になるはずもない戦い。
多数の力をもった者たちが、弱者を一方的になぶるべきものだったのだ。勝負は最初あら決しているはずであり、勝敗がひっくりかえることなどありえない。
いくら超人的な力を有した男たちがいるとはいえ、彼らには守るべき人がいた。
彼ら一人ならば圧倒的な力の前から身をひるがえして逃げ隠れることもできただろう。それはすなわち敗北だった。だが、刀を交わしたところで結果が変わるわけではない。
敗北が近くなるだけだ。
それを最も感じているのは、当の本人たちだった。
早朝からいつ果てるとも知れぬ数の大群を相手に、休む間もなく命を賭して戦わなければならない。常に死線がすぐそばにひかえているという極度の精神状況が、肉体だけでなく心をも蝕む。一瞬の油断が、敗北に直結する。
戦う力のないものたちにとって、戦場はもっとも苦しい。
自分たちが足手まといになっていることを痛感せずにはいられないからだ。戦いたいと思う気持ちとは裏腹に、いなくなってしまいたいという強い願望が顔をのぞかせる。
なにも役割の与えられない、ただの人形。
血の匂いや、肉の裂ける音がするたび、それが自分に降りかかっているかのような錯覚に陥る。いつそうなってもおかしくはない状況が奇妙な意識を生み、死にかけているだれかと同化し、まるで我がことであるかのように思ってしまう。
武器さえあれば、と願うが、それすらもかなわない。
たとえ月の国の最新鋭の武器を手にしていたところで戦力になれるとも限らない――人を殺す感触を、かぐやはまだ知らなかった。
石上はその怪力と傷の付かない強靭な肉体で敵の群れに攻撃を仕掛けてはまるで子供をいなすようにあしらい、屈強な兵士たちを威圧する。大伴はその類稀な能力で攻守万能の紅蓮の炎を操り、戦場の端から端までを支配下に置く。
その戦いぶりは一騎当千などという比ではなく、阿修羅のごとく顔をゆがめながらがむしゃらに動きまわっている。そのなかでかぐやと翁は、必死に敵の目をかいくぐりながら身を隠そうとした。
翁の鋭い観察眼によって割り出されるかくれ場所は、それなりに時間を稼ぐことはできたが、それも一時的な対処に過ぎない。どうあがいたところで四千の瞳をかいくぐり続けることは不可能だった。
「かぐや様――ご無事ですか!」
血で染まった着物をまとった大伴御行がかぐやに声をかける。
あたりは血のような夕暮れに染められ、大伴御行の服とさほど変わらない色が地面を彩った。彼の両目は赤よりも紅く、しきりに動いている。
「……なんとかな」
荒い息をしながらかぐやがこたえる。
物影にかくれていられるのはほんのわずかな時間だけだ。翁の指示する影から影へ、太陽を恐れるかのように逃げまどうあいだ、敵の眼前に身をさらしている瞬間は生きている心地がしなかった。
「じきに夜になります。あとすこしの辛抱です」
大伴御行がかぐやを励ます。
敵はあふれた河の水のように大地をおおっている。竹取を生業とする翁は普段から山を登っているためかかぐやよりは消耗していなかったが、それでも年齢と長時間の緊張状態から来る疲労はかくしきれない。
「翁、この攻撃はいつ終わるのだ?」
「――おそらくは、日が暮れればいちど撤退するものかと。敵の被害も微小ではございませんゆえ」
肩で息をする翁の様子からは、限界が近そうだと見てとれる。
だが、その瞳はいまだに敵軍を間断なくにらみつけており、あきらめた色はまったくなかった。
「頑張りましょう。あとわずかでございます」
「ああ――」かぐやはそっと物影をでる。「死ぬなよ」
「月の国に行かないことには、死んでも死にきれませんから」
そういうと、大伴御行は囮となるため派手に炎を振り回しながらかぐやたちと反対方向へ飛び出し、そのまま駆け去っていく。かぐやと翁は敵の注意がそれる隙をついて、鼠のように山の斜面を移動する。
足を踏み出すたび、枯れ葉の乾いた破裂音がする。
それさえも戦場では命運を分ける作用になる。かぐやの額には汗がにじんでいた。
山の稜線に半分ほど身をかくした太陽が、ゆっくりと夜を迎えている。断末魔のような赤い日差しがようやく消えると、突如として強い風が吹荒れた。
「翁!」
顔をかばいながらかぐやが叫ぶ。
木の葉や小枝が雨のように降りかかって来る。名前を呼ばれた老人は、かぐやの小さな手をしっかりと握りしめた。
「戻りましょう。あの場所へ」
遠方からほら貝の大きな音色が響いてくる。撤退を知らせる合図は、子守唄のように聞こえた。
潮が引くように敵兵が計画的に陣地へ戻っていく。追撃するだけの気力は、もうどこにも残っていなかった。
ふらつく足に鞭打って、頂上の砦に帰還する。
そこには上半身を返り血と汗で濡らした石上がどっかりと胡坐をかいて坐っていた。眼をつぶって瞑想を行っているらしい。
「石上、けがはないか」
かぐやが倒れこむように腰をおろして尋ねる。石上は口だけを動かしてこたえた。
「かぐや様こそ、平気ですか」
「わたしは大丈夫だ――少々、疲れはしたがな」かぐやは無造作に垂れる黒髪をうしろへまとめた。
「ならよかった」
「瞑想などお前らしくないではないか。いったいどんな心変わりだ?」
「人の命を奪うってことは、そいつらの人生に責任を取らなくちゃいけないってことだからな。おれはその決意もないままに戦いをはじめちまった――だから、こうして気持ちを鎮めてんだよ。死んでいったやつらの分まで、戦ってやらなきゃ失礼だ」
かぐやは石上の言葉を聞くと、みずからも足を組み、ひとつ大きな深呼吸をした。
「それはわたしも同じだ。わたしのために犠牲になった者たち、わたしを信じて最後まで戦ってくれた者たち、そしてお前たちの殺した兵士たち――そのすべてを、わたしは背負おう。月の姫として」
「なかなか立派な心がけじゃねえか」
そういって、石上は小さく笑った。
しばらくすると大伴御行が帰って来た。ふたりして瞑想にふけっているかぐやたちを見ると、すぐに事情を察して、終わるまで声をかけなかった。
「敵は死傷者を回収しているようです。おそらく、それが済めばいまいちど大きな攻撃が来るものかと」
「夜襲か」
石上がつぶやく。
「その見込みは高いでしょう。帝としてもそろそろ決着をつけてしまいたいはずです。長期戦になればなるほど相手の損害は増えていくばかりでございますから、短期決戦で一気に勝負を決めてしまいたいと考えるのが普通でしょう」
翁が冷静な意見を述べる。
かぐやが空を見上げると、そこには太陽をなくして暗い空と、ようやく姿をあらわしはじめた満月が、ゆっくりと動き始めているところだった。