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翁の計略

「おらあっ!」

 翁の作戦は、さほど難解なものであることはない。

 あまり複雑にしすぎると各自の行動が制限され、有事の際にかえって機能しなくなる可能性が高いからだ。少人数であるならばさらに各自の判断が尊重されることになるため、変に作戦を限定するよりも目的のみを与えてしまったほうがやりやすいという背景もある。

 とはいえなにも考えず闇雲に攻撃を仕掛けても無駄なので、やはり機先を制してかぐやたちは出陣した。

 敵はかぐやに対しても攻撃の手を緩めることはない。上からの指示でそうなっているのだろうが、かぐやを攻撃しても石上か大伴御行が守るだろうと想定しているのだ。

 むろんそれは正しい推測で、石上がかぐやを抱きかかえながら戦闘をすることになる。

 これが却って石上のやる気を促すことになろうとは計算外だったが、とにかく勇者の名にふさわしい獅子奮迅の働きで活路を開いていく様は圧巻だった。

 石上が作った道を大伴御行が疾走する。

 目的地までは一直線だ。急勾配の斜面をかけ下り、ときには飛んでくる矢を身をひるがえしてかわしながら両腕に神経を集中させる。

 うしろのことは石上に任せておけば大丈夫だろう。色々不安なところはあるがかぐやを守るという志においてはなんの心配も抱かない。たとえかぐやと自分の命のどちらを取ると聞かれても、確実にかぐやを優先できるようなやつなのだ。

「……あれか」

 目が見えないのにまったく困らないのはなぜだろう、と思う。

 たしかに目の前に広がっているのは暗闇ばかりなのだが、なぜか風景の輪郭が浮かび上がって来るようにわかる。それに自分を狙っている視線や殺気も痛いほど感じられる。だから避けることは問題なかった。

 ――ただ、一事において。

 かぐやの顔が見られないのが残念ではあったが。

 それも彼女を守る力を得たと考えれば悲しむようなことではない。

 横から槍が繰り出される予感がする。

 当てずっぽうでしかないが盲目になってからこの手の勘が外れたことは一度もない。ひょっとしたらこれも力の一部なのかもしれないな、と思う。

「どけ!」

 胴をなぎ払おうとのびてきた槍の穂先を跳躍して回避する。

 足元のずっと下方を風が横切っていくのを感じる。そうして降り立った先には大量の切りだされた木材が保管されており、太い丸太が何本も積み重なっている。

 周囲に兵士の気配はない。

 こんな場所を警戒する必要はまったくないからだ。食糧にもならなければ武器になるわけでもない、ただ空き地があったからそこに邪魔な資材をおいていたというだけの話だ。

「木を、燃やしてください」と翁はいった。「この時期の木材はよく燃えることでしょうから、いったん火をつければ燃え広がっていきます。そうしたらすぐに撤退いたしてください。あとは神か仏が好きなように決めることです」

「何故だ?」と大伴御行は聞く。それと水を得ることはまったく反対の事柄であり、関係性があるようには思えない。

「山火事のあとはよく雨が降ります。それと同じでございます。木を燃やせば煙が空へ昇り、それが雲となって雨を降らすのです。うまくいくかどうかはお天道様のご機嫌次第ではありますが、試してみる価値はあるでしょう。それに二つ目の狙いとしては敵軍の混乱を誘うことができます。山火事ともなれば全滅は必至、その間は攻撃を仕掛けてくることもありますまい。加えて大伴様の能力がいかにこの戦場で脅威となるかを知らしめることができます」

「……そんなことまで」

「敵に弱点をさらすことなく行動するのは兵法の基本でございます。裏の裏をかくのが戦いというものなのです」

 とういう翁の眼光は、まるで現役の武将のようにするどかった。

 大火力で足元の丸太を包む。

 すぐに小枝や枯れかけた葉が赤くなりはじめるが、肝心の本体に引火しなければ火はすぐに消えてしまう。焦ることはない。この作業をしているとき大伴御行は無防備になるのだが、その隙を気づかせないために石上が奮闘している。

 やがて、焦げ臭いにおいが風に乗って立ちこめはじめる。

 見ると黒くなった樹皮の奥で赤い塊がくすぶっている。今日は風が強い。このまま放っておいても勝手に燃え広がっていくだろう。大伴御行は両腕の龍の刺青に炎を治めると、ひらりと丸太の山から降り立った。

 ようやく異変を感じとったらしい兵士が顔をのぞかせ、驚いた表情をする。

 大伴御行は目くらまし程度に炎を展開すると、素早く山の斜面にとりかかった。余計な殺生をすることはない、どうせ何人倒したところで大勢は変わらないのだ。

 獰猛なクマのように唸りながら力まかせに戦っている石上の姿が見えた。

 かぐやを腕のなかに抱きながらの戦いではあるがまったくそれを感じさせない俊敏な動きをしている。ある兵士の突き出した槍が石上の二の腕に命中するが、まったくの無傷のままその矛先をはね返し、振り向きざまに鋭いけりを繰り出す。

 格闘家のように無駄がない動きでは決してない。

 それを有り余る筋肉で補うことによって、回避不能の速さを生み出しているのだ。

「作戦完了だ。戻るぞ」

 敵兵の背後をぬって進み、石上に声をかける。

 大納言と中納言という身分の差があるので、大伴が石上に敬語を使うことは少ない。かぐやの面前では丁寧な言葉で話すのを心がけているので穏やかな口調になるが、戦場にあっても冷静な言葉遣いでいろというのはなかなか難しい。

 石上は大伴御行を認識すると、くるりと反転して木立のなかを頂上のほうへ走りはじめた。山肌がめくれあがって下にいる兵士たちに降りそそぐ。意図はしていないだろうが、結果的にそれが目くらましになっていた。

 急ぐのには理由がある。

 頂上の砦には翁が残っているのだ。

 物影に隠れているとはいえ敵に気づかれる可能性も充分に考えられる。翁はこの作戦を提示したとき、自分の身にもっとも危険が降りかかることを承知していたのだろう。

 もちろん算段がないわけではない。

 敵の目的はあくまでかぐやの捕縛と石上、大伴御行の抹殺であり、砦を奪取することではない。実際、あの場所には戦略的にほとんど価値がないといっていいだろう。

 たしかに敵より高い位置を確保しておくのは有利だが、それは軍隊同士の衝突の場合であって、寡兵で戦うときにはほとんど意味をなさない。むしろ自分たちの居場所を公言しているぶん不利だともいえるくらいだ。

 下るときには疾風の如く目的地にたどりつけたが、登りとなると勝手が違ってくる。

 高所にいるほうが敵を迎え討ちやすい。つまり帰還にはより大きな労力が必要だということだ。

「……急がなければな」

 角度的に敵を跳躍してかわすというのは不可能だ。そんなことをすれば空中で串刺しになるのは明らかで、仕方なく炎をまとっても人の壁を崩すことはできなかった。

 そのとき、頂上から歓声が聞こえてきた。

 さっと石上と視線を合わせる。緊急事態かもしれない。

 かぐやがそれを察しないはずがない。視線はすでに翁のいる砦に向けられている。

「石上! すぐに戻れ!」

「それができたら! 苦労しない!」

 足が止まっているあいだにも標的を見つけた蜂のように敵がぞろぞろと集まって来る。一瞬でも気を抜けば命はない。

「はやく!」

 かぐやがしきりに石上を急かすが、足場が不安定なせいもあって思うように身動きが取れない。

 横一直線に大伴御行が走り抜けると、石上の腕をつかんだ。

「私を投げろ」

「はい?」

「このままじゃ全滅だ。私を出来る限り遠くへ投げろ、そうすれば状況を打開できる」

「石上、やれ!」

 かぐやが怒鳴りつける。

「肩が抜けても知らねえからな」

 大伴御行の腕をつかむとぐるぐると回転し、その勢いが頂点に達したとき、天高く大伴御行が打ち上げられた。最初は雷のような速さで放たれた大伴御行だが、次第に勢いを失い落下をはじめる。

 眼下の枝葉で落ちる衝撃を和らげながら着地したが、肩に激痛が走った。

「……石上の言った通りか」

 空中から突如として現れた大伴に唖然としている兵士たちの間隙をついて猛然と頂上へ向かう。予想以上に石上が距離を稼いでくれたおかげで、翁がいるはずの場所まではあと百歩ほどになっていた。

 状況は芳しくない。

 こちらの戦力がいないことを見てとった敵軍は翁の期待に反して攻め入っていた。といっても、戦う相手が誰もいないのだから足を進めたという方が近いだろうか。

 幸いまだ翁は発見されていないようだが、砦の内部のあちこちに敵兵が散在しており、見つかるのも時間の問題だった。

「――やるしかないか」

 炎の渦を自身の周囲を包むように広げる。

 まるで紅い繭のような物体。違うのは尋常でない熱気を放っていることだ。

「……なんだ、あれは」

 茫然と敵兵がつぶやく。

 もはや奇術の域を凌駕している。炎を自在に操るだけなら狐の化けたものでもできると聞いたことがあるが、人間が操る力としては異常だ。

「手加減をしている余裕はない。すまないが死にたくなかったらどいてくれ」

 巨大な火球は砦の中央に向かってものすごい勢いで突撃してくる。帝の兵士たちは、いくら精鋭ぞろいとはいえ、その圧倒的な能力の前に次々と道をあけていく。

 炎の球に槍を繰り出そうという猛者がいても、その周囲の熱気に妨害されて思うように近づけない。大伴御行の通ったあとには小さな火種がいくつも残された。

 自分たちで作った柵さえ焼き捨て、見張り台の付近に向かって走る。これが健常者であれば視界がなくて困るところなのだろうが、盲目の大伴御行にはまったく不都合なく、攻守一体の火の球を支えていた。

「翁!」

 かがんでいた老人の小さな気配を感じ取る。

 それと同時に。翁をまきこんでしまわないよう火球を解除する。

「大丈夫ですか?」

「こうなることくらいは予想しておりましたから。ここまで来たらもう、たとえ私がいなくても大丈夫でしょう。明日の夜まで持ちこたえるのはそう難しいことではございますまい」

「なにをいうんですか。あなたがいなければかぐや様が悲しまれます。それでいいのですか」

「……正直を言うと、私は少し怖いのでございます。この大軍を相手に、いったいどうやって戦っていけばいいのか、これ以上の策も思い浮かびません。私は、自分が死ぬ以上に、かぐや様が死ぬ姿を見てしまうのではないかと恐れているのです。この老体がどうなってもかまいませんが、かぐや様まで失ってしまっては私の生きている価値は微塵もございませぬ。どうか、私の身はどうなっても構いませんから、かぐや様をお助けに行ってください」

「かぐや様には石上がついています。彼なら心配ありませんよ」大伴御行がやさしく諭す。

 翁の眼からはぽろぽろと大粒の涙がこぼれだしていた。乾いた老人の肌を伝っていく涙は、ひどくゆっくりだった。

「あとはかぐや様をお守りしながらこの場を守り抜けば、月からの迎えがやって来ることでございましょう。そうなれば私の役割はお終いでございます」

「――翁は月へいらっしゃらないのか」

 おどろいた口調の大伴御行。

「かぐや様がお探ししているのは勇者でございます。この落ちぼれた男ではございません。私は、月の国には参れないのです」

「それはら、なおさら生きるべきです。生きて、かぐや様をお見送りするべきでしょう」

「――それだけじゃない。私は負けるのも怖い。普通に考えれば四人で二千の大軍に立ち向かうなどというのが無理な話なのでございます」

「昨日までの勢いはどうされたのですか。この戦に負けたところで、逃避行に出ればいいだけのことでしょう、そんなに悲観的になることはありません」

「……実質、逃げてもその先に待っているのは死よりも辛いものになりましょう。地球に舟があったとしてどうやってそれを見つけ出すのでしょうか、見つけたとしても使える保証もありませぬ。不確実なものを探し続けるのは、心が堪えられないものでございます。それに、時間が経ち過ぎてかぐや様がもどられたときには手遅れだったということになっては本末転倒、それこそ生き地獄でございます」

 大伴御行は、翁の言い分をしずかに聞き届けると、翁の肩に手をかけた。 

 細い、骨ばった肩だ。余分な贅肉などは一切なく、いままで質素な暮らしをしてきたのだろうと察せられた。

「未来が怖ろしいから死を選ぶなどというのは愚者の所業です。生きていさえすれば、どのように暗い未来でも挽回する機会がおとずれます。現にかぐや様もそうでしょう、いちどは月の国を追われながらも必死に自分のすべきことを成し遂げようとする、それをあなたが先に諦めてしまってどうするのですか?」

「――それは」

 言葉に詰まる。

 大伴御行の理屈はまったくの正論だった。それでも体の震えはとまらない。本能的な恐怖が戦場には満ちている。

「あなたもかぐや様を想う一人であるならば、最後まであきらめてはいけません。私たちはたったの四人しかいないのですから」

 そうでしょう、と。

 大伴御行は肩にかけていた手を、翁の右手にすっと差し出した。ほんのわずかな逡巡のあと、翁が力強く握り返した。

「指示は?」

「まずはこの砦の内部にいる敵を追いかえすことが必要です――が、そろそろ頃合いでございましょう」

 翁は石上たちが戦っている方角へ視線をやった。その先には大伴御行が火を放ってきた丸太置き場があり、黒い煙をもくもくと立ち昇らせていた。

 焦げ臭い木の匂いが鼻をつく。

 そのとき、背中越しにほら貝の音が響いてきた。朝方聞こえてきたものと同じほら貝ではあったが、音がまったく違っていた。銅鑼太鼓も打ち鳴らされているようで、帝がいるはずの場所から等間隔の信号が伝達される。

「火攻めだ!」

 と、敵軍の将校らしき立派な鎧をまとった騎馬兵が怒声をとばす。

 あわててそこら中にたむろしている雑兵たちが槍をかかえて自陣へと撤退をはじめ、みるみるうちに人影が消えた。

「山火事にでもなれば密集した敵の全滅は確実。いまはその危険性に気づいたのでございましょう。もしかすると山一面の木を切り落とすようなこともあるかもしれませぬ――三山村のみなには申し訳ないが、かぐや様のためでございますから」

「翁もなかなかの親馬鹿ですね」

 大伴御行が苦笑する。

「聞いていたのですか?」

「聞こえてしまうんですよ。感覚が鋭敏になり過ぎているようでして」

「なんともお恥ずかしい限りございます」

 翁は顔を赤らめた。秘密裏の会話が他人に聞かれていたとなると、どのような年齢になっても照れくさいものだ。

 しばらく騒音のような敵軍の指揮系統がせわしなく機能して、潮が引いて行くように敵軍は視界からいなくなってしまった。かぐやを抱えた石上が不思議そうな表情をしてもどって来る。

「いったいなにがあったんだ? 急にいなくなっちまった」

 いつの間に上裸になったのか石上は服をはだけさせ、岩のように固い胸襟に汗がしたたっていた。こちらにまで熱気の伝わってきそうな暑苦しさだ。

「その前に離せ石上! これ以上は堪えられない!」

 かぐやがじたばたともがき、石上の腕から脱出する。彼女のあでやかな着物には石上の汗がぐっしょりとしみこみ、変色していた。露骨に顔をしかめるかぐや。

「これも翁の策略のうちです。敵はしばらく攻撃を仕掛けてこないでしょう」

 大きなため息をつくかぐやを憐れみながら大伴御行が説明する。

 石上はかぐやの様子な気に留めるそぶりもなく、がさつに笑いながら空を見上げた。まだ雲はない。秋特有の、薄い青空が広がっているだけだ。

「そりゃあよかった。かぐや様にも格好いいところを見せられたし、俺は満足だ」

 そういって地面に仰向けに寝転がる。眼をつぶったかと思うと雷鳴に負けず劣らずうるさいいびきをかきはじめた。かぐやは再び大げさに嘆息する。

「どうにかならぬのか?」

「昔から貴族らしからぬ男でしたが、最近はさらに悪化しているようですね。こればかりは本人の問題ですから私にはどうしようもありませんが」

 大伴御行もやれやれと気苦労のつまった言葉を吐きだす。

 大男は気持ちよさそうに晴天の下で寝転びながら、幸せな夢でも見ているのだろう。口元がいやらしく歪んでいた。


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