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プロローグ

 けたたましいほどの赤い警報が鳴り響いている。

 怒声。走り回る人々。泣き叫ぶ女の人の声。砲声。そして、耳をつんざくアラーム。

 すべてがまるで静寂を破壊し尽くそうとするかのように激しくのたうちまわっている。そこにあるのは混乱と恐怖、そして崩壊。

 兵士たちは不十分なまま隊形を組み、武器を持たぬ者は必死な形相で逃げ惑っている。いったい何を守ればいいのか。それが自分の命であることさえも忘れてしまったような顔つきを誰もがしていた。

 焦げ臭いにおいが鼻をつく。

 きっと王城のどこかが焼かれたのだろう。脳裏に突き刺さる異臭のせいで立ちくらみがした。視界がぼんやりとかすみ出す。変転。意識が遠ざかっていく感覚を、ぼんやりと感じた。

 誰かの肩がぶつかって、抵抗する気力もなく倒れこむ。

 固い床にぶつけた体のあちこちが痛む。すぐ耳元で駆けていく足音が聞こえる。たくさんの、腰から提げられた剣が見えた。鮮やかな緑や青の刀身は、いまは収められているが、じきに振るわれることになるだろう。いや、その暇さえないかもしれない。

「第17隊、出撃!」

「23番守備隊、壊滅しました!」

「敵軍右翼、防衛線を突破します!」

 無線を通した報告の音声があちこちから聞こえてくる。

 指揮系統が滅茶苦茶に破壊されたせいで、軍隊はすでに秩序をなしていない。もはや烏合の衆と化した兵隊たちは、守るべき国とともに消滅の危機を迎えていた。

 起き上がるだけの気力もなかったが、頭のなかでは「立て! そして戦え!」という父の声がこだまして弾けそうだった。

「わかってるよ……そのくらい」

 つぶやく声は騒乱にかき消され。

 激しい頭痛が父の顔をぼんやりと覆い隠していく。長く、白いひげをたっぷりと垂らした厳めしい顔つきの父親。年齢以上に刻まれたしわと、あまり好きじゃなかった怒鳴りつけるような声が浮かんでくる。同時に思い出す、物ごころついたときから暗記するまで繰り返させられた予言の言葉。

『彼の国に渡った者共の遺物を従えし勇者たちが、其の国を導くであろう』

 それは全体のほんの一部にすぎないけれど、すぐに運命を決めることになるだろうとは分かっていた。そのために今日まで無駄とも思える知識を詰め込まされたのだ。その前に死ななければ、だけど。

「姫様! 姫様!」

 聞きなれた声がして、腕を力強く引っ張られた。

 そのまま肩にもたれかかるようにして立ちあがる。ふらつく足とは裏腹に、意識はだんだんとはっきりしてきた。

 がたいのいい強面の老兵士が体重を支えていた。ヘルメットからのぞく白髪が目立つが、いまは黒くすすけている。

 丁寧なのにどこか荒々しい所作で、老兵士はゆっくりと歩きはじめる。どこに向かっているのか想像はついたがどうしても行きたくなかった。

「父上は……?」

 かすれた声で尋ねる。

「陛下は前線で指揮をとっておられます。姫様を安全な場所まで御逃がしするのが某の役割ですから、余計な心配はなさらないでください」

 口調は穏やかだが、その裏には無用なことを質問するなという無言の重圧がありありと見てとれる。戦局はだいぶ旗色が悪いのだろう、というのはすぐに想像がついた。

「そりゃ、首都まで攻め込まれちゃね……無理だよ、もう」

「なにを仰いますか! 陛下と姫様がいる限り、我が国はいつまでも続きますぞ! それがたとえ地下深く、空遠い場所であったとしても!」

「空遠く、ね。ねえわたしもそこに追いやられるの? 祖国復興という旗印を無理やり背負わされ、今この場所で大切な民たちとともに果てることも許されない。それが一国の姫として正しい姿なのか? なあ、そうなのか?」

「もちろんでございます。国とはいわば主があってこそ成り立つもの。治める者がいなくなれば、国は自然と崩壊していく定め。姫様なくして我らの国はないのでございますから」

「違う! お前たちはいつもそうやってわたしを言いくるめて、はぐらかす。わたしはこの場所でお前たちと一緒に死にたいのだ! 生まれ育ったこの場所で。じい、そうだろう?」

「……そういうふうに呼ばれたのも久方ぶりでございますな。姫様の幼きころがなつかしゅうございます――陛下、あなたの娘様はなんと立派に育ったことか」

「その口調、まさか」

 じい、と呼ばれていた老兵士は一瞬ほほ笑んだかと思うと、太い石柱の影に巧妙に隠された扉をゆっくりと開いた。なかは薄暗く、背後にある扉からのみわずかな光が差し込んでいる。

 意識のもうろうとした少女を静かにおろして壁にあったくぼみを探ると老兵士は、入口に背を向けたまま壁に埋め込まれたスイッチを操作しはじめた。

 無機質な機械音と、そとの動乱の声がいっしょくたになって届く。

「じい、答えろ! 父上はどうなったのだ! じい!」

 老兵士は応えない。

 せわしなくパネルを操作しては、次々と文字を打ち込んでいく。それはかなり手慣れた手つきで、ほんのわずかも動作が中断されることはなかった。

 ふらつく体を冷たい壁にもたせかけながら立ち上がる。

 呼吸が荒い。心臓が千切れそうなくらい脈打っているのを感じた。

「わたしは戦うぞ! この城で、臣下と共に最後の一兵になるまで戦うのだ!」

「お言葉ですが姫様」老兵士は動きを止めずに声だけを発した。「それは姫様の役割ではございません。この老骨こそ、落城のそのときまで戦い続けるべき人です。ですから、姫様は姫様の戦を勝ち抜いてくださいませ」

「そうはいくか! じいや父上やみんなを見捨ててわたしだけ逃げるなど、決してあってはならぬ!」

「逃げるわけではございませぬ。姫様は別の場所で戦うのです。それはさぞかし辛い旅路になるでしょうが、某は姫様ならどんなに険しい道のりでも越えて行けると信じておりますゆえ、心配はしておりませぬ」

 最後の操作を終えると石で作られた床が開き、その下からゆっくりと飛行船が姿をあらわした。人がひとり乗れるだけのスペースしかない。なかが透けて見える半透明の緑色に塗られたその機体は、流線形に翼をつけたようないでたちで、搭乗者さえいればすぐにでも発進できる準備ができていた。

 一度だけ、父に連れられて見たことがある。

 あの時は古代の超技術にただただ感心しただけで、まさか本当に使わなければならないときがこようとは思ってもいなかった。うなるようにエンジンが駆動しはじめる。床からほんの少し浮きあがった飛行船から視線を離せずにいると、老兵士が強引に腕をとった。

「離せ! はなせっ!」

 声だけは威勢がいいが、体がまったく動かない。

 それは城をさ迷っていた途中に吸ってしまった大量の煙のせいなのか、老兵士が万力のような力で腕を引っ張っているからなのか、どちらにせよずるずると引きずられるままに飛行船に押し込められる。

 コックピットに入った瞬間、有無を言わさずにドアが閉じ、緑色の船体が老兵士と少女とを隔てた。

「じい!」

 怒鳴りつけ、力なく機体の壁面をたたくが、むなしいほど小さな音がこもるばかりだった。

 白髪におおわれた屈強な老兵士はかすかにほほ笑むと、きびすを返して再びパネルの操作に戻った。今度はほんのわずかな時間で、天井が開き、飛行船の乗った床が上昇しはじめる。

 上を見ると、青い巨星と無数の光がある。

 そのとき、明らかに敵意の混じった怒鳴り声がした。老兵士の表情が一気に引き締まる。腰にかけた剣のつかに手をのばすと、緑色のビームをまとった刀身が具現する。

 そのまま穏やかに、すべてを吐き出すように深く呼吸をしてから刀を上段にかまえる。

「じい、逃げろ! わたしのことなど構わず逃げろ!」

 聞こえてないはずはなかった。

 だが、老兵士は飛行船がせり上がっていく床を背にして振り返ろうとはしない。いくつもの怒鳴り声が大きくなり、そしてさほど広くない部屋中に反響した。

 見たことのない赤い刀を構えた兵士たちが、鬼のような形相をして老兵士を取り囲む。

 眼下に映る人影をとらえながら、老兵士が完全に包囲されていることを認識する。そんなことは関係ないのだろう。どうせ、逃げ出すつもりなんてないのだから。

「わたしだけを逃がすな! 命を無駄にするでない、じい!」

 敵軍の兵士たちはいまにも飛び出そうとする飛行船を見ると、血相を変えて襲いかかろうとした。だが、その瞬間、機先を制するように老兵士が強烈な気合いの声を発する。

 兵士たちはひるんだように動きを止めるが、すぐに正気を取り戻してじりじりと間合いを詰めていく。敵は大勢、どんなに奮闘したところで時間稼ぎにしかならないのに。老兵士は目に見えぬ速さで、もっとも近くにいた兵士を切り捨てた。

 唖然とする間にもうひとり。敵があわてて剣を構えなおしたときにはすでに三人目を斬り伏せていた。

 それを見た兵士たちは呼吸を合わせて飛びかかろうとする。その間にも飛行船は上昇し、エンジンのモーターが荒々しく回転しはじめた。

「じい!」

 鮮血が飛び散る。

 いくつもの剣に貫かれた身体は、それでもなお誰かを守ろうとするかのようにゆっくりと崩れ落ちていく。妙にスローに映るその光景は痛いほど網膜に焼きついた。

 視界の端で敵の兵士たちがパネルを操作し、飛行船を止めようと四苦八苦している。だが、上手くいかないのか、破壊すれば止まると思ったのか、レーザーの剣で壁の機械を突き刺した。白い煙が上がる。それでも飛行船が止まることはない。

「じい!」

 はるか下で死んだように動かない老兵士に向かって叫ぶ。

 聞こえてるはずはない。聞こえてないはずはない。矛盾した二つの想いが交錯して、とめどなく涙となってあふれ出す。

 エンジンが臨界に達したとき、強烈な衝撃を身体に感じた。

 狭かった視界が一気に開ける。

 目の前には巨大な青い惑星。そして背後には、いたるところから黒煙が上がっている慣れ親しんだ王城と、そのなかを動きまわる小粒な人間たち。

 そして、城から少し離れた場所にある、巨大な砲身。

 その照準は、発進したばかりの飛行船に向けられていた。

 視界が真っ白になる。信じられない速度で飛行船が回転しているなかから、巨大すぎる砲弾を見たのだと気づくにはしばらくかかった。

 目の前が正常に戻った時、広がっていたのは暗黒の空と、ひときわ大きさを増した青い星だった。涙が球体になって浮かんでいる。体が空っぽになってしまったかのように軽い。

「じい……みんな」

 嗚咽まじりに叫ぶ。

「わたしを――ひとりにしないでよ」

 その声は、誰にも届くことはなく。

 おいてきた故郷と呪われた自分の運命とが、徐々に離れていった。


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