1−5
「んぐッ……ゴボッ……!」
一瞬だけ喉元が解放された瞬間、アドラは反射的に息を深く吸ったが、咽込む事になった。
(血……⁉︎)
アドラは再びスピネルを退けようと暴れるが、顎を固定され、更に血を流しこまれる。
吐き出す事を許さず、かといって窒息する事も許されない。アドラが血を嚥下したのを確認して、ようやく唇が離れた。
(毒を、移された……?)
「アドラ、取引をしよう」
混乱と窒息で動けないアドラへ、再びスピネルの顔が迫った。
緋色の瞳はやはり底が見えない。だが爛々とした光が躍っている。
「私の復讐を手伝ってほしい」
アドラは目を見開く事しかできない。
「な、に……復讐……?」
「キミはきっと賛同するよ」
目の前の男を殺せればアドラとしては充分だというのに、何を求めると言うのか。何をそんなに嬉しそうに語るのか。
理解不能で思考が止まってしまう。
「エステリアを、共に滅ぼそう」
まるでダンスの誘いのように、気軽に切り出された提案は実に重く――。
「それが終わったら、私を殺してもいいよ」
アドラを揺るがす内容だった。
「なにを、馬鹿な事を……!」
エステリアは確かに憎い。聖樹教を使い暴論を振りかざして侵略行為を働く現状は、許し難いと思っている。
だが、民は別だ。今、自分がここにいるのは、彼らのおかげだ。
実際に命からがら生き延びたアドラを助けてくれたのは、エステリアの民であるブレイディだ。ロイのようなお人好しも、下働きの少年のような未来ある若者も沢山いる。
復讐心が鈍るからと過度ななれ合いは避けて来たが、それでも善良な、不幸に見舞われるべきではない人々がいるとは知っているのだ。
「ぼ、くは、お前さえ殺せれば」
「キミの身体には毒と、不死身の祝福を移した」
思わず耳を疑った。毒の事は理解できたが、祝福とはこうも簡単に移せるものなのか。
驚いている内にも、じわりじわりと毒が身体を焼いていく痛みが増していく。
(これは、誤算だ……)
何十、何百と復讐の想定して、自分の毒で逆に殺される事も考えてついていた。
しかし、ここまで悪趣味な方法で、祝福と組み合わせて、拷問の手段とされる事は想定外だった。
「ガフッ……⁉︎」
「このままだと、死ぬ事もできずにずっと苦しむよ?」
抑えつけられたまま血を吐き出し、白いローブを汚していく。
喉元で留まる血が更に呼吸を狭め、苦しさが増す。
いつか身を焼いた炎が、今度は身体の内に燃え移ってしまったかのような激痛で、身を捩る事も難しい。
そして、祝福が発動しているのか、和らぐ瞬間が一定間隔で来る。
(気が狂う……)
復讐が終わった後は遅かれ早かれ死ぬつもりでいた。解毒剤など準備していない。白術を使おうにも今は詠唱が叶わない上に、治癒できるかもわからない。
痛みには強い自負があったが、かなり厳しい状況だとアドラは悟った。
祝福のせいで自害もできないだろう。
苦しみから逃れるためには、スピネルの要求を呑むしかない。
(冷静に考えれば……頷くべきだ……)
彼の復讐さえ終われば、改めて自分を殺して良いと、破格の条件まで提示されているのだ。
待てば必ず、機会はやって来る。
そう、理解しているが、ふと姉の顔が過った。
――姉さんは、どうすべきだと言うだろう……?
聡明で心優しいワキアならば、思うところがあっても最終的に、きっとアドラの選択を咎めないだろう。
常にアドラを信じ、愛して、存在を祝福していた。
貴方なら、きっと大丈夫だからと。
「こと、わる……」
アドラは血を吐きながらも、ニヤリと笑って見せた。
「お前の言いなりになど、なってたまるか」
これは意地だ。
カデンスの二の舞のような、無辜の民を増やすような事に、加担などしない。
怨敵が苦しみ続け、願いが叶わないのならそれで良い。
死ねないまま、苦痛で精神が壊れてしまったとしても、最後の最後まで敵対すると決めた。
「ふふふふ……」
しかし、それこそが待っていた答えだと言わんばかりに、スピネルは笑みを一層深くする。
「最高だ」
顎を掴む手が強まり、ゆっくりと再び唇が重ねられ、血を流し込まれはじめた。
毒と祝福が体内で濃くなっていき、痛みと和らぎの波が更に大きく、早くなっていく。
身体が、内から爆ぜてしまいそうだった。
「ぐぅ……ッ! 放せッ……やめろ……!」
「こんなに浮かれた気分になるのは初めてだ。キミは絶対に、絶対に必要だ……」
どちらのものか分からない血に塗れ、ぴちゃ、ぺちゃと、艶やかな水音を立てながら蹂躙されていく。
「ああああ……ッ! ころ、す……! 殺してやる――ッ‼︎」
耐え難い苦痛が精神を焼き切り、アドラは悲鳴交じりの絶叫を上げた。
それでもスピネルはアドラを抑えこみ、キスを止めない。
抵抗が段々弱まっていくまで止めず、動かなくなったと見計らって抱きしめ、胸の部分に耳を当てた。
とくとくと、微弱ながら音がする。時折乱れ、殆ど意識の無い身体を振るえさせながらも動いている。
「その時が来たら、待ってるよ」
甘い声を、脳に響かせるように囁く。
汗と血で汚れたアドラの髪を、不慣れな手つきでゆっくりと撫でた。
これから、長くも短い破滅への道行きを共に辿る。その祝福のように――。
「この国の、灰の上で待ってる」
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よろしくお願いいたします。




