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「……眩しい」
一階の瞬きの間に、移動は完了していた。
夕日に目を慣らしながら周囲を観察してみれば、何処までも広がる橙色の空の下、艶やかな白の石畳の床が広く円形状に展開している。中央にはカフェテーブルが一つと、椅子が二脚。自分以外は誰もいないようだ。
床の淵を取り囲む様に、わずかながら白い骨のようなものの先端が見えている。
(まさか……大聖堂の屋上か?)
少し肌寒さを感じる外気も踏まえ、アドラは仮定した。
屋上の存在など初めて知ったが、この風景からふと思った事がある。
――まるで、決闘場みたいだ。
ひりついた空気がそう思わせるのだ。机と椅子さえなければ、なおの事思っただろう。
胸元のナイフをローブ下で引き抜き、右手首に隠したところで、丁度右側の椅子の景色が歪んできた。
夕焼けの中から闇が滲み出るようにじわりじわりと、救国騎士スピネルが姿を現す。
「来てくれてありがとう」
相変わらず、甘い顔貌に穏やかな笑みを張り付けている。
甲冑は纏っておらず、黒のシャツとスラックスのみの軽装。武器の類も見当たらない。
アドラにとっては好都合だが、この状況においては不気味でしかなかった。
(僕を認識しているのなら、殺される可能性を考えていないのか……?)
それとも考えてはいるが、防御する必要は無いと判断されたのか。
どちらにせよ腹立たしい。
「……いいえ、何か御用でしょうか?」
「まずはこちらへ来てくれ」
本当にお誘いのような口ぶりだが、情緒がない。言葉に感情が籠っていない気がする。
恐る恐る近寄ると、空いている椅子に座るよう促され、その通りにした。
復讐相手と二人、一つの机を共にしている。実に妙な状況だが、もう少しでナイフが届く距離となる。
「顔を見せてくれないか」
緋色の瞳が、面布の上からアドラの灰色の瞳を射貫く。
「戒律ですので、出来かねます」
大聖堂内で働く高僧たちは、個を聖樹へと捧ぐ事で信仰を示す。その一環で、皆顔を面布で隠すのだ。
特殊な布なため視界は問題ないが、ともかく息苦しい。できれば外して生活したいと思う事もあるが、この戒律にアドラは何度か救われている。
どんな表情をしていても、バレないからだ。
「ここには私しかいない。戒律など気にしないでくれ」
「お見苦しいものを見せてしまいますよ?」
「構わない。見たいんだ。キミの顔を」
だが、スピネルは食い下がる。甘い言葉と声色を選んでくるが、有無を言わせない圧を込めて来る。
剣を携えていないというのに、これ以上断ればその場で捻り殺されそうな気配がある。
(駆け引きは無用か……)
アドラは覚悟を決め、面布を外した。
ぶわりと、冷たい風が火傷肌を撫でる。同時にゆるりと、右手首に隠したナイフの柄を握る。
「あぁ……やはり、そうかぁ」
鮮明になる視線スピネルの笑顔に感情が宿った。
儀式の時よりも恍惚として美しく、ぞっとする程凶悪な笑みだ。
「あの燃える家から生き延びたんだね。アドラ」
「……っ」
真っ白な肌を紅に染め、無邪気に笑う救国騎士は、無邪気で邪悪な子供の様だった。
ナイフを握る手に力が籠る。爪が食い込んだ痛みで、アドラは何とか機会を間違えて飛び掛からずに済んだ。
「何故……名前まで」
スピネルは立ち上がり、ゆっくりとアドラへと距離を詰めた。
皮の厚い騎士の手が、顔の半分を覆う火傷痕をうっとりと撫でる。
「キミは、唯一私が斬り逃した敵……知りたくなるだろう」
距離、隙、視界。全てが揃い、周囲の音が消えた。
貯めこまれた怒りが全身を支配し、何もかもが停滞しているような感覚に見舞われる。
――ふざけるな……!
アドラは感情に任せ、ナイフをスピネルの心臓の目がけて突き刺した。
「おや?」
刃が届く瞬間、スピネルは身体を少しだけ捩り急所を外したが、脇腹には刺さった。
流血はごく少量で、傷は既に癒えているが――。
「ゲホッ……!」
スピネルは吐血し、その場で片膝をついた。その隙にアドラは距離を取る。
作戦は一先ず成功した。不死身の祝福は破壊された体内や傷を治すが、白術と混ざった毒を消し切れていないようだ。
(やはり、聖樹由来の魔力が、常に全身を巡っているのか)
白術は自身の魔力を聖樹の魔力に置き換えて利用するもの。本来なら不死身の祝福により、排除されるはずの毒を、体内に流れる聖樹の魔力として誤認させられれば、痛手を負わせる事ができるかもしれない。
アドラが推察した不死身の祝福の絡繰りは正しかった。
毒はすぐに全身を巡り、内部から破壊されては再生される痛みで立ち上がる事も不可能になるだろう。
(殺し切ってみせる……!)
アドラは再びナイフを構え、再び切りかかろうとするが――。
「フフフフ……アッハハハハ!」
スピネルは血も拭わず笑って見せた。
痛みは確かにあるはずだというのに平然と、ただただ楽しそうに。
「私を殺すためにここまで……嬉しいよ。期待以上だ」
「何がだ……ッ!」
何を考えているのか理解できず、アドラは思わず叫んだ。
「姉さんは、皆は……幸せだったのに! お前のせいで……!」
目の前の怨敵は死にかけているのに、何故か震えが止まらない。
解放された怒りが、涙と共にとめどなく溢れて来る。
故郷、カデンスは決して豊かな国ではなかったが、とても長閑で、平和だった。
自然を信仰し、大陸の歴史を解明しながら、エステリアとも友好関係を築いていた。
だというのに突然、大軍を率いて押し寄せて来たのだ。
「あのまま、何も無ければ姉さんは兵士を引退して、結婚式を挙げて……!
モラもサイスも、エルナさんだって夢が……生活だって……どうして!」
友人のモラとサイスは馬鹿らしくも一攫千金を夢見て旅の計画を練っている途中だった。
近所のエルナさんは今度孫ができるからと、忙しくも楽しそうに産着を編んでいた。
そして、アドラ最愛の姉ワキアは、長い恋の果てにようやく好きな人と結ばれて、新しい道を歩み出すはずだった。
他の民たちも、それぞれが何かを想い、願う事があり、未来があったはずだ。
「使命だったから」
この一方的な虐殺は、聖樹教を受け入れなかったが故の討伐と歴史書に記されている。
それだけで、平和なカデンスの全てを、目の前の男が騎士たちを率いて斬り割き、国の存在ごと焼き払った。
土地を奪い取り、カデンスがそこに在った事実を根こそぎ消し去ったのだ。
使命。ただ命じられたから、当たり前の事で、それだけで。
「あああああ‼︎」
怒り狂い向かってくるアドラの腕をスピネルは捻り上げ、ナイフを奪い取った。
続けざまに飛んでくる拳を簡単にいなし、空いている手でアドラの首を捕まえる。
「う……がぁっ……!」
「生きることを祝福された人間は脆い」
力ずくでアドラを石畳へ押し付け、馬乗りになってそのまま首を締め続ける。
毒に犯されていようとも聖樹の祝福は健在だった。アドラが全力で抵抗してもびくともしない。
ナイフが遠くに投げられ、カランカランと虚しく音が鳴る。
「それなのにどうしようもなく、見ていると涙が出そうになる」
酷く苦しい。酸素を求めて身体が跳ねあがる。それでもアドラはスピネルへ視線を外さない。
敵意を燃やし、最後の最後まで睨みつける。
薄れゆく意識の中で見えたスピネルは、泣きそうな笑顔を浮かべていた。
(化け物のくせに……そんな、人間のような……)
最後の最後まで理解に苦しむ。何を求めて呼んだのか。ただ自分を揶揄って遊びたかったのだろうか。
「……君は、特に眩しいね」
わからないまま、このまま自分は終わるのだろう。
だが、救国騎士が苦しむのならそれでいい。少しは浮かばれる。
巨大な諦念にアドラの意識は押し潰されそうになっている中――。
「ん……っ⁉︎」
何故かスピネルの顔が迫って来て、唇が重ねられた。




