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 何はともあれ、やる事が増えた。

 ロイと別れ、すぐさま長い廊下と薬草園を抜けて、図書棟へと入る。

 手早く仕事で利用する資料を集め、だだっ広い一階の作業スペースの最奥の個室の鍵を取った。

 この時間、図書棟の利用者は少ない。高僧たちは礼拝や、それぞれの部署で一塊になって仕事をする事が多い上、下働き達はもう少し後に利用するだろう。

 カチリと、鍵がしっかりかかった事を確認し、簡素な作業机へ向かう。


(最悪の手段だが、背に腹は代えられないか……)


 仮に、本当にお誘いだとしたら、利用する他ない。書類仕事を急ぎ片付けながらアドラは考える。

 身体を鍛え、白術を修めたものの、あの救国騎士に真正面から立ち向かって勝てるわけがない。少しでも相手に隙が出来る手を選ぶべきだろう。

 野心家たちを見習ってみるかと思考の舵を切って、眉間に深い皺が寄っていく。


(……少しの間、我慢するだけだ)


 想像するだけで吐き気がする。この手の行為には嫌悪感しかない。

 大巡司に至るまでの過程で、聖樹教を憎む難民や、嫉妬に駆られた同僚から乱暴されかけた事は何度かあった。

 その度に何とか凌いで、冷静に反撃した。その経験の通り、今回もやれれば良い。


(それでも勝てなかったら……いや、勝つ必要はないか)


 これは勝負ではなく、復讐。相手を殺せれば良いのだと、考えを改めた。

 書類仕事を終えたアドラは、胸元からナイフを取り出す。美しい文様が刻まれた革の鞘に包まれたナイフだ。

 柄尻に嵌めてある虎目石を数度爪で叩き、左右不規則に回転させると、カチリと子気味良い音を鳴らして外れ、柄の空洞が現れた。

 このナイフは、今は亡きアドラの祖国カデンスの伝統工芸品仕込だ。

 国民全員が祭りの日、生涯に一度だけ授かるもので、仕掛けの開け方はナイフ毎に違う。

 

 ――生きた証と、皆の恨みを……一撃に。


 次に、アドラは青い液体が入った小瓶と銀の枝のような杖を机に置いた。

 小瓶の液体を柄の中へ流し込み、杖先を向ける。


「混ざり合い、潜め。重なり混ざりし時、爆ぜろ」


 小さな光が杖先からふわりと飛び立ち、液体の中で弾けた。

 非常に簡易な詠唱だが、白術の達人であるアドラが施せばこれで充分だった。

 最後に、虎目石を柄尻に埋め込み直し、鞘へ収める。


(これで最悪、痛手にはなるだろう)


 ただの毒ならば救国騎士はすぐに浄化してしまうだろうが、白術を混ぜ込み罠を仕掛けた。


(……確実に殺し切れる自信がないのは悔しいな)


 今打てる最善手が、完全な致命の一撃に成り得る想像ができない。何かを仕掛ける前に殺される想像の方が何通りも出て来る。


(僕が帰って来なくても、救国騎士が痛手を負ったとしても、誰かが共犯として疑われる事はないはず。

 ……あぁ、ブレイディ先生には悲しい顔させてしまうかもしれない)


 復讐の後の事も、ずっと考えて来た。

 成功しても、失敗しても、国境の街エーグの教会で働く恩師ブレイディの元へ、必ず一報が届くだろう。

 素性と復讐心を察しながら匿ってくれた上に、最低限生きていけるようにと聖樹教やエステリアの知識を授けてくれた。

 更には、身寄りのないアドラの後見人にもなってくれた優しい人だ。

 その人や、ロイの顔を浮かべると、胃のあたりがキリリと痛む。


(……身勝手で申し訳ない。赦さなくていい。どうか、僕の行動が彼らへの理不尽な不幸になりませんように)


 目を瞑り、心のままに祈りを捧げた。

 実に身勝手だと思いながらも止められなかった。

 何とか気持ちを切り替えて目を開くと――。


「……これは、ご丁寧に」


 丁度手の当たる位置に、一枚の手紙が差し込まれていた。

 封筒の隅にはスピネル・タイランの文字が躍っている。救国騎士は白術も達者だと思わず笑ってしまった。

 恐らくはこれを開けば救国騎士スピネルの指定した場所へ転移する。非常に高度で、高級な魔法具。


(これを開けば、もう後戻りはできない)

 

 嫌な動悸が耳の奥で響いている。封を開ける前に心を落ち着かせていると、コンコンと個室の扉が叩かれた。


「……あの、大巡司様」


 先程手伝った下働きの子供だ。やはり勤勉で目敏い。

 人気は無いが、個室の扉が一つだけ閉まっていると確認し、受付で利用状況を見て尋ねて来たのだろう。

 復讐道具をしまい込み、アドラは鍵を開けた。


「あぁ君か、申し訳ない。

 火急の用事ができてしまって、一問くらいなら答えられるのですが……」


 出て来たアドラの姿をよく見て、少年は何とか質問を凝縮させようとその場で考え込んでいる。

 本当ならもう少し時間を割いてやりたかったが、共犯だと疑われてしまうのは非常に忍びない。


「その、白術を使うために必要な信仰が、よくわからないんです」


 白術に必要なものは自身の魔力と、どんな現象を起こしたいかを定義する詠唱。そして、聖樹への厚い信仰とされる。

 少年から捻り出された質問は、単純だったが重みのあるものだった。

 

「聖樹の存在を強く信じ、大切に敬う。これはわかりますね?」

「はい。大切に思っているはずなのです……魔力を流して、詠唱もちゃんとしているはずなのに、術が上手く発動しなくて」

「……ではとっておきのコツをお教えしましょう。口外しないと約束できますか?」

「は、はいっ」


 これが最後になるなら、一人くらいには伝授しても良いかもしれない。

 アドラは面布の下で自然と笑みを作った。


「極論、白術を使うための信仰とは、聖樹をどこまで正確に知っているかで決まります」

「えっ」


 少年は呆気にとられた声を出した。

 信仰について、教科書では「心に聖樹を根差させる事が大事」など抽象的な事しか書いていない。

 だから、高僧だとしても白術を苦手とする者はかなり多いのが現状だ。その習得の難しさ故に、他の勉強をしている内にいつの間にか、少しずつ使えるようになっていくものと認識されている。

 実際白術の素養がある者は、幅広い分野の学問と芸術を愛し、聖樹の事を具体的に想像できる者たちだ。


「貴方は良い目を持っているから、きっと素晴らしい白術使いになるでしょう。

 歴史、美術、逸話……なんでも良いです。納得できるまで知識を蓄えてから、手応えあるまで練習しなさい」

「そ、それは、何故」


 アドラは後ろ手で手紙の封を切った。

 もし万が一、無事に生きて帰ってこれたなら、追及に答えても良いかもしれないと考えながら――。


「え……大巡司様?」


 下働きの少年の目の前で、アドラは忽然と消えた。

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