表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化決定】嫌いな後輩にキスされました  作者: 灰庭たま
第二章 嫌いな後輩と営業回り
6/10

夜のオフィスに、ふたり

 その日の営業車の中で、隣の席の花森はやけに静かだった。


「花森さん、大丈夫?」


 今日は花森にとって初めての単独アポ。私が同行するものの、基本的には花森がメインで話すことになっている。


「別に。普通です」


 そっけない返事。でも、スマホを握る手に少し力が入っている。


「緊張してるなら、最初は私が話すよ。途中から花森さんに振るから」

「大丈夫です。一人でできます」


 強がってるな、完全に。

 まあ、何を言っても聞かないだろうし、放っておこう。


***


 クライアント先の会議室。

 相手は五十代くらいの仏頂面の男性と、鋭い眼光を放つ女性。入室した瞬間から、空気がピリピリと張り詰めていた。


「では、今回のご提案について、花森からご説明いたします」


 私が促すと、花森が資料を開いた。だが、その手が微かに震えている。


「え、ええと……今回のプランなんですけど……こちらの資料の、あ、すみません、ページが違いました……」


 いきなりの粗相。先方の男性が露骨に眉をひそめた。


「で? 具体的にどういうメリットがあるの?」

「それは……そのぉ……コストの面で……」

「コスト?どれくらい削減できるわけ?具体的に数字で言ってよ」


 畳み掛けるような追及。想定外の質問に花森の顔が青ざめていく。


「そ、その……約、じゅう……」

「約十パーセント?それならあまり費用対効果が見込めないわね」


 女性も冷たい声で加勢する。


「それに、この提案内容、前回の打ち合わせで却下された案と何が違うの?同じことの繰り返しじゃないかしら」

「いえ、あの……ち、違うんです……」


 花森の声がどんどん小さくなる。喉が圧迫されているかのように、言葉が出てこない。

 会議室に重苦しい沈黙が落ちた。

 まずい。このままでは完全に潰されてしまう。仕方ない……。


「すみません、補足させてください」


 私が割って入った。


「今回のプランは、コスト削減と品質向上の両立です。年間運用コストを30%削減しつつ、標準化と自動化で不具合を40%減らせます」

「30%……本当に?」


 男性の目つきが変わる。


「A部門での試験運用で既に実績があります」

「……面白いわね」


 女性が資料に目を落とした。空気が変わった。


「もう少し詳しく聞かせてもらえるかな」


 男性が前のめりになる。私は隣の花森に目配せをした。彼女の青ざめていた頬に、わずかに血の気が戻っていく。


 相手の表情が少し和らいだ。


「なるほど。それで、導入までのスケジュールは?」

「それについては、花森からご説明します」


 私が花森に視線を向けると、少し落ち着いた様子で頷いた。


「スケジュールですが、初期導入まで約三ヶ月を予定しています。まず最初の一ヶ月で……」


 今度は、さっきより落ち着いて話せている。

 私は黙って聞きながら、必要なタイミングで資料をめくったり、補足の数字を提示したりした。


「……という流れになります」


「うん、分かった。じゃあ、一度社内で検討してみるよ」


 相手が笑顔で立ち上がった。


 よし、何とか形になった。


***


 車に戻り助手席につくなり、花森は窓の外を向いたまま黙っていた。


「お疲れ様。」

「……」


 返事がない。


「花森さん?」

「はぁ…」


 深いため息。


 私はエンジンをかけた。


「最初なんてそんなもんだよ。誰だって——」

「慰めなくていいです。なんか余計惨めなんで」


 花森がぴしゃりと言った。


「自分でダメだったのは分かってます。浅海さんにフォローしてもらわないと何もできないなんて、情けないですよね」

「そんなこと言ってないじゃん」

「言ってなくても、思ってるでしょ」


 ……こりゃ、機嫌悪いな。


 私は何も言わずに、車を走らせた。


***


 その日の夜、会議室で明日の準備をし終え、デスクに戻ろうとすると、営業のフロアから明かりが漏れているのが見えた。

 時計を見ると、もう九時を回っている。


 誰だろうと思って覗くと、花森が一人でパソコンに向かっていた。


「花森さん、まだいたの?」

「まだいますけど。月曜の提案資料できてないんで」


 冷たい声。まだ引きずってるのか。


「今日中に終わらせなくていいよ、それ」

「いえ、やっちゃいます」

「無理しないの」

「別に、無理してないです」


 花森がパソコンの画面を見たまま答える。


 ……こいつ、意地になって面倒くさいな。


 でも、放って帰るのも何か違う気がした。


 私は給湯室近くの自販機からカフェオレを買って、花森の隣に置く。


「……何ですか、これ」

「カフェオレ」

「見れば分かります」


 花森がちらりとカフェオレを見たが、手を伸ばさない。


「飲まないの?」

「別に。喉乾いてないですし」


 私は自分のコーヒータブをプシュッと開けて、花森の横に座った。


「あの、隣、座らないでもらえます?」

「なんで」

「人が横にいたら集中できないんで」


 花森がむっとした顔でこちらを見た。


「……お疲れ様だったね、今日」


 花森がカフェオレを手に取って、一口飲んだ。

 しばらく沈黙が続いた。

 花森がため息をつく。


「……ダメダメですね、わたし」


 ぽつりと呟いた。


「自分ではちゃんと準備したつもりだったんですけど、本番で全然ダメで」

「そんなもんだよ、最初なんて」


「浅海さんは最初からできたんじゃないですか?」

「全然ダメだったよ。初アポの時なんて、緊張でお茶こぼして、相手のスーツびしょ濡れにしたから」

「……最悪じゃないですか」

「最悪だった。平謝りしたわ」


 花森が少し笑った。


「浅海さんでもそんなことあったんですね」

「あるよ。誰だって最初はそう」


「……浅海さん、やっぱり意外と優しいですよね」

「そう?」

「はい。いつもは冷たいくせに。こういう時だけ優しいです」

「こういう時だけって。いつも優しいじゃん私」

「いや、冷たいです、氷の女です」

「なにそれ」


 私が思わず吹き出すと、花森がくすっと笑った。


「でも、今日のフォロー、なんかかっこよかったです」

「……かっこいいって…。やめて」

「ほんと。ああいうスマートな感じ、朝倉さん好きそうじゃないですか?」

「知らないよ、そんなの」



「………絶対、好きになりますよ」


 花森が少し切なげな横顔でふっと笑う。


 残業続きで疲れてるんだろうな、と私は思った。


「もう帰ろ。続きは月曜」

「はい」


 花森が資料を片付け始める。

 私も立ち上がって、コーヒーの空き缶を捨てた。


「浅海さん」

「ん?」

「……ありがとうございました」


 花森が小さく言った。


「いいよ、別に」

「感謝してます。一応」


 一応、って何だ。

 また一言余計なんだから。


 でも、花森の横顔は少し穏やかだった。


「……どういたしまして」


 私はそう答えて、部屋の電気を消した。


 廊下を並んで歩く。

 隣を歩く花森の足音が、妙に心地よく響いた。





----

気に入っていただけましたらブックマーク、評価などとても励みになります!

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ