表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化決定】嫌いな後輩にキスされました  作者: 灰庭たま
第二章 嫌いな後輩と営業回り
4/10

雨粒の中の本音

 今朝の花森は、企画部の三年目男性社員、横川さんと話している。

 横川さんはスポーツマンらしいガタイの良さに甘いマスク、爽やかで明朗な性格が社内で人気だ。


「えー、横川さんってそういうとこありますよねぇ〜。ふふ」


 花森が笑いながら、横川さんの腕を軽く叩いた。

 ボディタッチが、激しい。というか露骨。


「今度、ご飯連れてってくださいよ〜」


 甘ったるい顔で花森がそう言うと、横川さんは満更でもない顔で何か返している。耳が赤い。案外ちょろいな横川。


 私はデスクで書類を整理しながら、その光景を横目で見ていた。

 顔はしらけていた。完全に。


(またやってる)

(ていうか田村さん一筋かと思ったらそうでもないんだ)


 営業部の男性社員たちも、ちらちらと花森の方を見ている。花森劇場の観客だ。私はさしずめ最前列で冷めた顔をしている客といったところか。


「花森さん、外回り、行くよ」

「はーい、いってきまーす。じゃあまた後で、横川さん」


 花森は横川さんにひらひらと手を振って、私の後ろをついてくる。

 フロアを出るまでは、ずっとそのトーンをキープ。


 エレベーターに乗った瞬間。

 花森の表情がスンと死んだ。深いため息とともに。

 声のトーンも、さっきまでの軽さも、全部消えた。

 まるでスイッチが切れた家電だ。


 私は前を向いたまま、その変化を視界の端で捉えていた。

 もはやこの切り替えのギャップに、苛立ちを通り越して笑いが込み上げるようになってきた。



 密室。

 二人きり。

 エレベーターが静かに下降する音だけが響いている。


 花森は腕を組んで、数字が減っていくパネルをじっと見ている。


 ――あの瞬間を、思い出してしまった。

 あの夜、キスした時の、花森の顔。

 唇の柔らかさ。


(ああ、もー、なんで今思い出すの…)

(忘れろ。忘れろ)


 でも、消えない。

 横にいる花森が、妙に近く感じる。桃のような甘ったるい香水の匂いがいつもより近い。気のせいだ。気のせいのはずだ。


 エレベーターが一階に着いた。

 ドアが開いて、外の空気が流れ込む。


 花森は無言で先に降りた。私もついていく。

 駐車場まで、二人とも何も言わなかった。


 車に着いて、ドアを開ける。

 花森は無言で助手席に座ると、即スマホを取り出した。

 画面を見たまま、こちらを一切見ない。

 親指が画面を激しくスワイプしている。イソスタでも見てるんだろう。


 私は何も言わず、車を発進させた。


 ***


 外回り中、空が嫌な色になった。


 昼までカンカン照りだったのに、次の瞬間には前が見えないレベルの豪雨。狐の嫁入りとかいうやつか。

 ワイパーが可哀想なぐらい、完全に負けている。


「うわー、雨きついなぁ」

「最悪ですね」


 助手席で花森がぽつりとつぶやいた。

 地声。完全に素。


「次の訪問まで時間あるから、車で待機しようか」

「はい。……てか雷やばくないですか」

「車の中なら大丈夫じゃない?」

「普通に雷の音、苦手なんですよね…」

「今は"雷こわ〜い♡"って言って甘える相手もいないしね」

「なに。馬鹿にしてるんですか」


 私が裏声で花森の甲高い声の真似をして軽くからかうと、花森は淡々と吐き捨てるようにそう言いながら、フロントガラスの向こうをぼんやり見ている。


 いつもの調子が抜けて、妙に素直な声。

 雨音だけが車内を満たしている。

 信号待ちの赤が濡れたガラスに滲んで揺れている。


 さっきコンビニで買った缶コーヒーを開ける。私のはブラック。花森のはカフェオレ。この選択にも人間性が出る気がする。


「ってか浅海さんって」


 突然、花森が振り向いた。


「誰にも本音言わなそうですよね」

「……え?」


 私は戸惑った顔で花森を見た。


「あ、別に悪口じゃなくて。なんか、ちゃんとしてる人って、ずっと"表向きの顔"してる気がして」

「社会人だし……そういうものじゃない?」


 反応に困り、曖昧に笑って見せる。


「ほら、それ」

「何が」

「そうやってふわっと流すとこ。心の壁、厚そうだなって」


 外で雷が光る。


 返す言葉を探したが、出てこなかった。


 反論したいのに、花森の目が意外とまっすぐで、いつもの軽さがなくて、言葉が詰まる。



「……花森さんは、」

「わたしは、言いたいこと言って嫌われるタイプです」

「自覚あるんだ」

「普通にあります」


 花森はカフェオレを一口飲んで、窓の外を見た。


「昔から、クラスで孤立してたんですよね」

「……え」

「わたし、可愛かったから」


(自分で言うな)


 と思ったが、黙っていた。ツッコむ気力もなかった。


「ズバズバ言っちゃうタイプだったんで。クラスの女子たち、多分気に入らなかったんでしょうね」

「ふぅん」


「だから割と今も、男の人にはグイグイ行く方法とか分かってるんですけど」


 花森は少し笑った。自嘲っぽく。


「女の人と距離を詰める方法っていうか、友達になり方があんまり分からないっていうか。そういうの、苦手で」


 外では雨が少し落ち着いたものの、まだしとしとと降り続いている。


 私は何も言えなかった。


 花森もこんな話することあるんだなって思った。

 というか、こんな顔するんだって思った。

 窓に映った花森の横顔が、妙に静かで寂しげに見えた。


 普段のあざとさが抜け落ちた、素の表情。

 言葉よりも、その顔のほうがずっと印象に残った。


「……あ、止んできましたね。雨」


 花森の声で我に返る。

 外を見ると、雨が弱まっていた。


「本当だ。じゃ、行こっか」

「はい」


 車を発進させながら、ふと思った。


 ――花森との距離が、さっきより近い気がする。


 気のせい、だと思いたい。

 でも心がなんだかざわついていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ