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【書籍化決定】嫌いな後輩にキスされました  作者: 灰庭たま
第一章 嫌いな後輩にキスされました
1/10

私は花森千紗が嫌いである

 私は社内の後輩、花森千紗はなもりちさが嫌いである。


 なぜなら、あざといからだ。


 笑う時の声のトーン。上目遣い。語尾の伸ばし方。どれを取っても、"男ウケ"の計算が見える。


 たとえば今日。昼休み、給湯室で営業課で一番のイケメンの田村さんと立ち話していた。


「花森さんがアポ取ってくれたおかげで受注できたよ」

「え〜、うれしい〜。じゃあ今度代わりにご飯連れていってくださいよ〜、うふふ」


 笑いながら、田村さんの両手に触れるように紙コップを渡す。爪は淡いピンク。田村さんの手に触れる指の動きが妙にねっとりしている。


 確かに、ビジュアルはいい。小柄ながらスタイルが良く、子犬のように潤んだ、少し垂れた大きい瞳にベビーフェイス。骨格に合ったフェミニンな服装に、研究され尽くしたメイク。

 可愛い。それは認める。認めるしかない。だが、問題はその"武器"の使い方である。


 男性社員の前では、まるで舞台女優のようだ。

 段ボールをスタスタと運んでいたと思えば、お目当ての男性社員が近づくと、わざとらしく「おも〜い」とヨタヨタとし始める。

「え〜、すごいですね〜!」「さすがです〜!」という常套句と共に目を輝かせる表情。

 全てが男性を喜ばせる武器である。


 ところが、である。


 女の私――浅海凪あさみなぎと二人きりになった途端、彼女は別人になる。


「資料、ここ、置いときます」


 無表情で書類を置く。一オクターブは声が低く、語尾の甘えたような"〜"は消失。死んだ魚のような目。もちろん目は合わせない。下がった口角に笑顔はゼロ。そのギャップたるや、笑うしかない。


 ***


 午後。上司からの指示で私の外回り営業に新人の花森が同行することになった。

 

 運転は私。

 彼女は助手席でスマホをいじりながら、たまに窓の外をぼんやり見ている。私は大人になって、気を遣って話しかけた。


「花森さん、今日の商談なんだけど——」

「……」


 返事がない。目線はスマホに夢中。


「あの、聞いてる?」

「聞いてますけど」


 少しイラっとした様子の花森。声のトーンは平坦。やる気ゼロ。まるで休日に親戚の集まりに連れてこられた反抗期の中学生のような気だるさだ。


 その態度にイラっとしながらも私はもう一度、大人の対応を試みる。


「今日の取引先、マナーとか敬語とか気にする人で。ちょっと気をつけた方がいいかも」

「……はあ。了解でーす」


 だらんと助手席にもたれかかり、スマホを見ながら気の抜けた返事。


 彼女は相変わらず窓の外を眺めている。まるで「めんどくせー」と全身で表現しているようだ。いや、表現している。確実に。


 信号待ちで私は小さく息を吐いた。ここまで男性社員と態度が違うと、もう笑うしかない。さっきまで給湯室で先輩に満面の笑みを見せていた人間と、今助手席でため息をついている人間が、同一人物だとは思えない。


 そして、ご自慢のネイルを見ながらぼそっと一言。


「今日、田村さんの営業同行したかったな〜。」


(……は?私だってあんたみたいなのと一緒に営業回りしたくないんですけど)


 私は思わずイラッとして、ハンドルを握る手に力が入った。


 だから嫌いなんだよ、花森千紗。


 あんたのそのあざとさ全開モードと、私へのふてこ過ぎる塩対応。

 そのギャップが、妙に腹立たしく、妙に滑稽で、そしてやっぱり腹立たしい。



 ***


 ある日の土曜日。

 その日は居酒屋で大学時代の友人と飲んでいた。


 奥のテーブルから、聞き覚えのある笑い声が響いてきた。


「え〜まじで?知らなかったあ〜」

「うそ〜!涼太くんさすがだね〜」

「もうやだぁ〜、うふふ」


 見なくてもわかる。あの甲高い猫撫で声は、紛れもない、花森千紗だ。


 ちらっと目を向けると、男四人に囲まれて笑っている。髪を耳にかける仕草。グラスを両手で持つポーズ。上目遣いで隣の男を見上げる角度。全てが計算通り。

 花森のあざとさを最大限に発揮できる、その現場を生で見たのは初めてだ。


 最悪だ。なんでこんなところで遭遇するんだ。酒が不味くなるだろうが。

 せめて気付かれないようにしよう。


 私はジョッキいっぱいのビールを飲み干して、「うざ」と小さく呟いた。


 友人が「知り合い?」と聞いてきたが、「いや、全然」と首を振った。関わりたくない。今日ぐらいは、花森千紗のことを忘れて飲みたかった。


 それから一時間ほど経った頃、また奥のテーブルから声が聞こえた。


「千紗ちゃん、大丈夫?顔、真っ赤だよ?」


「だいじょぶです〜。まだのめますぅ〜」


 声が少しろれつが回っていない。あの女、酒弱いくせに無理してる。ふっ、馬鹿だ。


 案の定、三十分後には男たちに支えられながら店を出ていった。「家まで送るよ」という声に、「ありがとうございますぅ〜」と甘えた声で返している。

 私と友人はその様子を見て、目を合わせて苦笑いした。


 私も友人と会計を済ませ、店を出た。


「どこにでも、あざとい女っているよね」

「ああ、さっきの酔っ払ってた子?…まあね〜、でも実際ああいうのがモテるから」


 そう愚痴をこぼすと、友人は笑って言った。

 分かってる。分かってるけど。ああやっぱり嫌いだ。



***

 友人と別れた帰り道。


 夜風が冷たくて、酔いも少し引いてきた頃。コンビニの前を通りかかった時、ベンチで誰かが倒れている。


 よく見たら、花森千紗だった。


 え。さっき男たちと帰ったんじゃ?


 近づくと、スマホが地面に落ちている。バッグの中身も半分こぼれている。リップ、ハンカチ、小銭入れ。いつもの完璧な花森千紗からは想像できない惨状だ。

 素通りしたい気持ちを抑え、声だけかけてみる。


「……花森、さん?」


 声をかけると、ゆっくりと顔を上げた。


「ん〜……え、浅海さんれすか?」


 目がとろんと完全に据わっている。呂律が回ってない。頬は赤く、髪は乱れている。さっきまでの完璧なビジュアルはどこへやら。これが素の花森千紗か。


「こんなところで何やってんの?」


「あ〜、それが〜。飲み会してて〜帰り道に途中でトイレ行きたくなって〜。コンビニ寄ったら〜、みんないなくなってました〜」


 へら〜っと笑う花森。置いていかれたのか。あの男たち、最低だな。いや、でも花森も悪い。酒弱いくせに調子に乗るから。


「家、どこ?送る」

「いいれす〜」


 ふらふらと立ち上がろうとして、またベンチに倒れ込む。


「いらないれす〜。女に興味ないんで、ほっといてくらさ〜い」


 そう言ってにやっと笑う。


 ……は?


 女に興味ない? 何その言い方。

 まるで私が下心で声をかけたかのような言い様。いや、まあ確かに可愛い女の子は好きだけど。いやでも花森はない。

 そして今はそういう話じゃない。


 カチンときて吐き捨てた。


「そう。じゃあ勝手にここで倒れてれば」


 そのまま踵を返した。


 十歩。十五歩。二十歩。


 背後で、ガタンという音がした。振り返ると、ベンチから転げ落ちている。


「いたた……」


 ぐらぐらと体を揺らしながら、スマホを取り出そうとして、落とす。拾おうとして、また倒れる。もはや酔っ払いコントだ。完全に一人で帰れる状態じゃない。


 ……無理だ。放っておけない。


 明日、「浅海先輩に見捨てられました〜」とかあの猫撫で声で男性社員に言われるのも癪に触る。

 いや、それ以前に、人として放っておけない。変な男に絡まれたらどうする。事故に遭ったらどうする。後味が悪すぎる。

 大人の対応。そう、これはあくまでも大人の対応だ。


「……ほんとめんどくさい女」


 ため息をついて、戻る。


「ほら、立って」


 花森の腕を掴んで引っ張り上げる。思ったより軽い。というか、細い。し、柔らかい。


「あえ〜?浅海さん……、なんでもろってきたんれすかあ〜?」

「黙って。タクシー拾うから、大人しくしてて」


 散らばった荷物を拾い集め、バッグに詰め込む。花森は私の肩に寄りかかって、ふにゃふにゃと笑っている。


「え〜浅海さん、意外とやさしいれすね〜」

「うるさい」


 タクシーを止めて、花森を押し込む。


「どちらまで?」と運転手に聞かれたが、花森はもう寝ている。バッグからスマホを取り出して、住所を確認しようとしたが、ロックがかかっている。


「……仕方ない。うち行くか」


 自宅の住所を告げると、タクシーは走り出した。


 道中、花森は私の肩に完全に体重を預けている。甘い香水の匂いがする。髪がさらさらと頬に触れる。近すぎる。こんなに近くで花森千紗を見たのは初めてだ。

 改めて見ると可愛い。こいつ本当に性格は終わってるがビジュアルだけはいい。少し心臓の音がうるさい。

 いや、違う。決してときめいてるのではない。酔ってるだけだ。そうだ、酔ってるんだ。


 タクシーの運転手が時折バックミラー越しにちらちらとこちらを見てきたが、何も聞かないでほしい。説明できない。


 自宅に着いて、タクシーを降りる。花森を支えながら玄関まで歩く。


「ほら、入って」


 玄関で靴を脱がせる。花森は素直に従う。いつもの塩対応はどこへやら。酔うと従順になるタイプか。


 リビングに連れていき、ソファに座らせる。そのままずるずると寝る体勢になり、また爆睡し始めた。


 キッチンに行き、水を入れたコップを持ってくる。


「花森さん、これ、水置いとくから」


 コップをコトリとソファ近くのテーブルに置く。花森は気持ちよさそうにすやすやと爆睡している。


 さて、着替えようかな、そう思い立ち上がったその瞬間――


 手首をぐいっと掴まれた。



「え、ちょ、なに――」


 引き寄せられる。視界が揺れる。


 次の瞬間、唇に柔らかいものが触れた。

 

 あたたかくて、息が混ざる。

 思考が止まる。

 逃げようとしても腕が離れない。


 むしろ力がこもって、近い。

 近い近い近い。


 唇がそっと開く。熱い息が漏れる。

 抵抗する間もなく、舌が押し入ってくる。

 なめらかだ。しかもやたらと巧みだ。


 舌が絡めとられる。頭がぼーっとする。

 心臓が痛いぐらいに跳ねている。

 呼吸ができない。



 ようやく顔が離れたとき、花森は半目でぼんやり笑って、すぅっと眠りに落ちた。



 私はただただ花森の寝顔の前に佇み、間抜けな声を落とすしかなかった。



「………」


「………は?」


「………………なに今の?」

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