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異界の悪の大幹部だった俺、帰還したら無職で所持金120円だったのでツナマヨおにぎりに救われた件

作者: 穂麦
掲載日:2026/01/22

 真っ赤な太陽だ。大都会東京を赤く染め上げ、ここを自分の世界であると主張している。


 アスファルトには熱が残ったまま。帰宅途中で明るい声で話す学生に混ざり、未だにスーツ姿で携帯に頭を下げているサラリーマンもいる。


――喧騒


 いわゆる平和な光景が目の前に広がってはいるが、公園の塗装の禿げたベンチに座る男は、難しい顔をして黒い物体を睨み続けていた。



 燐慟識りんどう・しき


 二十一歳男性。


 八年間、行方をくらまし最近になって故郷へと戻ってきた。


 少々、特別な仕事に就いていたが、それを人前で語るわけにはいかない。



 彼の外見を一言で述べるのなら、とんでもない美形。


 鋭い顎、漆黒の瞳。その見た目ゆえ、周囲にいる者たちは、気後れして近付けない。


 いわゆるボッチ。しかし美形であれば孤高と呼べるブランドが、そこにはあった。


 だが、その姿の裏側で、識はひどく卑近な絶望に焼かれている。


(……残金、百二十円。これでは、明日の朝には「生存権の維持」すら危うい)


 胃は、まるで自食作用でも起こすかのように鳴っていた。奪い取った外神の権能も、現代日本のコンビニ決済の前では無力だった。


 震える指先の先にあるのは、百五十円の「ツナマヨおにぎり」。


 識の脳裏には、異界で喉を鳴らした忌まわしい記憶が浮かぶ。


 配給食の「岩パン」。


 それは噛むほどに歯茎が痛み、泥水のような味が口を満たす。最終的には工具を持ち出さなければならない代物だった。


 「這泥トカゲ」の尾は、味が毒そのものだった。むしろ毒以上に毒らしい味だった。



 しかし、これはどうだ。


 目の前にある、この白磁のごとき輝きを放つ米の粒は。


 指に触れる海苔の、心安らぐ、しかし峻厳たる磯の香りは。


(百五十円。わずか数枚の硬貨で、これが手に入るのか)


 識は、うやうやしくその「聖体」を両手で捧げ持った。


 外界の喧騒はもはや彼の鼓膜を震わせることはない。今、この半径数十センチの空間は、一人の求道者と一つの円錐形が対峙する、神聖なる礼拝堂と化しているのだから。


(……開・門)


 指先に、羽毛を撫でるほどの手向けを込める。薄膜のセロハンが「天使の羽ばたき」にも似た繊細な音を立てて剥離した。


 その瞬間、鼻腔を貫いたのは、深き磯の香りと米の芳香。


 彼は目を大きく見開き、しばらく、白き天使(米)の姿を凝視した。



 そして静かに、漆黒の概念のりを纏った福音を口元へと運ぶ。


――ッ、パリィ、ッ……!!


 乾いた音が「世界」を分断した。


 それは文明という名の祈りが結晶化した、最高純度の希望。


(海苔が……歌っている。血に塗れたこの手を、お前は赦すというのか)


 歯が白銀の地平へと沈み込む。刹那、中心核コアから溢れ出したのは「ツナマヨネーズ」という名の原罪的な奇跡。


 暴力的なまでのアミノ酸の奔流。それはまさしく慈雨。全ての穢れを洗い流す、神の慈悲にして天の抱擁。


(神は、ここにいた。あなたは、これほどまでに人間を愛しておられたのか……)


 識の頬を、一筋の涙が伝う。それは悲劇の終わりではなく、過剰なまでの「優しさ」がもたらした、救済の証明であった。



 だが、周囲の人々の視線は冷たかった。


 ただでさえ目立つ容姿であるにもかかわらず、これほど目立つ異常行動をとっているのだ。


 彼らの眼差しは、冷ややかを通り越して氷ついていた。

 


 識は神の愛を感じている。



 しかし、周囲から見える光景は違う。


 ベンチに座る絶世の美青年は、怨敵を呪うかのような形相で、大粒の涙をこぼしながら、「おにぎり」を一心不乱に食している。



 その様子は、己の全てを持って王を信じ続けた臣下が、最後の瞬間に王に裏切られたかのような、尋常ならざる暗い光すら宿っていた。



――怖い。



 走り抜ける園児が思わず足を止め、母親の服の裾を強く引いた。


「ママ、あのお兄ちゃん、なんで泣きながらおにぎり食べてるの……? 」


 母親は答えない。それよりも早くこの場を去ろうと、息子の手を引いて歩を早める。


 周囲のサラリーマンたちは、怯えた表情で一瞬だけ見るも、すぐさま目線を逸らし、緩やかな円を描いて彼から避難していく。


 だが、識がその様子に気付くことはない。ツナマヨとの対話を前にすれば、そのようなこと些事でしかないのだから。



――その時。



 識がツナマヨという神への信仰に目覚めたことで、彼が内に宿す外神の力が溢れ出た。


 周囲が侵食され、色が剥がされていく。


 白と黒、灰色へと。

 

 転がっていたサッカーボールは灰色に、草木は死の色へ、鳥の羽ばたきさえモノクロに――。



「……あのお兄ちゃん、色がついてないよ?」


 子どもの呟きがキッカケとなり、周囲の大人たちが悲鳴を上げ始めた。


 しかし男は動かない。ツナマヨ(神)との対話を前にすれば、それは些末なことなのだから。


「警察ですか……!? 化け物だ! 墨田区の公園に、何か……おぞましい捕食の儀式をしている怪人がいるんだ!」


――地獄絵図。


 だが、その中心にいても、識は変わらない。


 ツナとマヨのコクが織りなす「慈愛の旋律」に心を震わせ、独り静かに神への感謝を捧げている。



 やがて、おにぎりが識の胃袋へと消えた。


 人々は安堵する――隣のコンビニ袋から新たな福音が取り出されるまでは。



――阿鼻叫喚の第二楽章。


 それは第二の福音とともに訪れた。それには「50%OFF」という名の、あまりに世俗的で、あまりに慈悲深い聖印シールが刻まれている。


 彼は恭しくその衣を剥ぎ、黒の祝福ツナマヨを顕現させた。


「……警察を、早く……ッ!」


 傍らではパニックホラーという名の現実が加速する。


 だが、識と世界の位相はもはや噛み合わない。一人の狂信者が二つ目の奇跡を咀嚼しようとしたその時、因果の糸を断ち切って「それ」は現れた。



――空間が避ける。


「ジ、ジィギャリリリリリリッ!!」



 ガラスを指の爪で掻き毟るような不快な音を立てて、次元の亀裂から巨大な重機怪人『スカベンジャー・インセクト』が這い出した。


 油圧シリンダーの駆動音は、獲物を咀嚼する顎の動きに似て、不浄な粘液をアスファルトに撒き散らしている。


「……あ?」


 識の思考が止まった。


 今、神聖な余韻に浸ろうとしていたのに、怪物の咆哮がそれを壊したからだ。


 識の瞳から光が消えている。


 ただの不快感ではない。


 神殿の最奥で祈りを捧げている巡礼者(狂信者限定)が、他宗教の者が、土足で祭壇を蹴り上げられた時に抱くような、タブーを目の当たりにしたかのような怒りだった。


「逃げなさい! あなた、早く!!」


 しかし女の声で、識の殺意は遮られる。


 その瞬間、彼の周囲からモノクローム化が消えた。



 識の前に立った彼女の近くには、ボロボロの軽トラ。手には刃こぼれした錆びた剣。


 彼女の膝は目に見えて笑い、手も震えている。


 しかし、その剣先をスカベンジャーから逸らすことはない。


 ヒーロー事務所「アストレア」の社長、星乃であった。



 常にヒーローランキングは圏外。家賃は今月で三ヶ月目の滞納。


 今日、彼女がここに来たのは、正義のためですらない。


 ただ偶然、近くを通りかかっただけだ。



 故に本来であれば、この件とは無関係。



 しかし、無防備にベンチに座る一般人を見捨てることはできなかった。


 星乃は、崖っぷちのヒーローだ。その名前は、活躍による栄誉ではなく、経営難という不名誉に塗れている・


 だが、だからこそ彼女は、ここで一般人を見捨てて、ヒーローとしての誇りを捨てるなど出来なかった。



(せめて、あと五秒。五秒でいいから……!)


 その五秒を稼ぐために、彼女はなけなしの勇気をかき集めて、狂暴怪人の前に立っている。


 今の彼女に、ヒーローと呼べる力強さなど感じられない。それでも、怪人と一般人の間に立ち続けている。


「逃げなさい! あなたも、早……?」


 星乃の思考が止まった。


 背中から、とんでもない何かを感じた。まるで死の未来を、確定させる死神が立ち上がったような。


 後ろから聞こえる土を踏む一歩一歩が、処刑台に至る階段のように感じられた。



 そして星乃のスキルである危機感知センサーが――仕事を放棄した。



(この女……)


 なにかが終わった星乃。その一方で識は驚愕に打ちひしがれていた。


 周囲の人間が逃げ去る中、彼女だけが自らの意思でここに立っていることに。


 それどころかモノクローム化を発動させていた中を、この女は躊躇なく飛びこんできた。


 この空間の因果律ですら、識の一挙手一投足に怯えて跪くあの空間の中に――。


(俺の放つ……この、ツナマヨという至高の平穏を乱され、怒りに燃える中へ、自らの意思で踏み込んできたというのか。しかも、無力な身で、この俺を救うために?)


 再び周囲から色が失われる。


 識の挙動一つで、周囲の重力分布が狂い、アスファルトが飴細工のようにぐにゃりと歪む。



(そうか、これこそが、かつて物語で読んだ、地球の『ヒーロー』が身に宿す気高き精神……だというのか……これが、そうなのか)



 識の胸中には、すでに忘れ去ったと思っていた敬意という熱い想いが再燃していた。


 彼は精一杯の誠実さと激励を込め、眼前で今にも崩れ落ちそうな星乃を見つめる。


 なお、星乃にとっては、憤怒の魔王に睨み据えられた光景。


「あなたの覚悟、受け取った。……下がっていろ。不純物は、俺が排除する」


 それは至誠に満ちた言葉。しかし極限状態にある星乃の耳には、別の意味に変換される。


「ヒィィィ……ィ……」


(「食事を邪魔した罪を、清算してやる。お前の番が来るまで邪魔をするな」……そう言っているのね!?)


 涙を流し始めた星乃。彼女の脳内では、すでに走馬灯が流れている。


 自分にヒーローの素質が無かったことを嘆かない日はなかった。その日々の最後は、この美しい死神に与えられるのだと、脳は結論付けていた。


「終わらせようか」


 識は一歩、前へ踏み出すと、空になったおにぎり(ツナマヨ)の包装紙を、儀式的な所作で丁寧に畳む。


「ジギャリリリリリリーー……」


 落とすらモノクロームに呑み込まれると、怪人の耳触りな奇声もまた消える。



 しかし東京タワーすら圧し折る油圧クローという暴力は、識を粉砕せんと殺到する――このときまでは。



 白と黒の世界に触れた瞬間、暴力は分子となって崩れ去った。



「――騒ぐな」


 スカベンジャーの眼前で指をならす。


 その瞬間、世界が震撼した。


 爆音すらも虚無に呑み込まれ、一瞬前までそこに暴威を振るっていた巨躯の怪人は、原子の塵へと還り、初めから存在しなかったかのように消滅した。


 ついでに、背後のビルに穴が開き、風通しがよくなっていた。



 静寂が、戻る。


 識もまたモノクロームを解除した。


 そのまま、腰を抜かして震え続ける星乃の前へ立つと共に膝をつく。


(この女……己の命を顧みず、俺を救おうとした。まさに真の英雄だ。この恩義に対し、俺も最大級の誠意で示さねばなるまい)


 識の瞳が、星乃の潤んだ瞳を真正面から見据える。


 彼の内面では、高潔なヒーローへの敬慕が荒れ狂っていた。


 その真摯な瞳の奥に星乃は、「獲物の魂を吟味し、未来永劫の隷属を命じる魔王」の品定めを見た。


(怪我はないようだ)


 彼女の様子に安堵をし、識は星乃が乗ってきた軽トラへと目を向ける。


 アストレアと書かれていることに気付く。


 その名は、記憶の片隅でホコリを被って埋もれている、情報と一致するものだった。


(この女は……そうか、あの男の――)


 知りあいですらない。しかし、ずっと昔、遠くから見たあの姿の面影が重なる。


 今、憧れと打算が一つとなった。


 識は、最も雄弁に、そして切実な願いを伝える。この世界で生き抜くための、血を吐くような本心を。


「……雇え。俺には、金と、職歴が必要だ。……あのアパートを追い出されたくない」


 それは、地球に生還した彼が直面している「生存権維持」の叫びであった。


 だが、絶望の淵に立たされた星乃の脳内では、その言葉は死の宣告へと自動翻訳される。


「は、はいぃ! 採用、採用です! 終身雇用しますぅ!!」


 星乃は半狂乱のまま、人生で最悪の判断ミスを口にしていた。


 魔王様の命令には逆らえないのだ。


(ふむ。理解が早い。やはり、これほどの覚悟を持つ者が、この世界のリーダーなのか)


 ある秘密結社において、最恐大幹部と部下に言われ、外からは「あいつが一番ヤバいんじゃね?」と評価されていた男の就職先が決まった。


(これで、今日からパンの耳ではない、米の飯にありつけるかもしれん。感謝するぞ、社長)


 これは識の生活基盤の確保という安堵、星乃にとっては絶望的な隷属の始まりであった。



 その夜。



 識の夕飯は、震える社長から分け与えられた、近所のベーカリーで譲り受けたという「パンの耳」であった。


「……これが、地球の味か。帰って来たのだな、地球……」


 識は、照明の消えた四畳半の部屋で、また少しだけ、感極まって泣いた。


 その涙は、再会した故郷の温かさと、絶望的に美味い小麦の端切れの味を、深く噛み締めるためのものだった。


【おまけ】SNS


シーン1:公園でおにぎりを食べる美形


【ハッシュタグ】#今日の公園 #これは何 #見ちゃいけない気がする #飯テロ


ユーザーA(目撃者): 公園のベンチでめちゃくちゃ顔の良いお兄さんがおにぎり食べてるんだけど、なんかすごい。真剣すぎて怖い。 返信:


ユーザーB: その「すごい」って何…?


ユーザーC: もしかして、めっちゃ美味そうに食べてる系?


ユーザーA: そんなレベルじゃない。なんかもう、神を拝んでるみたい。涙流してるし。#ツナマヨ神


ユーザーD(遠巻きに見てた人): やばい、墨田の公園で白いもの食べてる美形見たんだけど、なんか周りの色薄くなってない?気のせい? 返信:


ユーザーE: え、心霊現象?


ユーザーF: 突然変異的なイケメンパワー?


ユーザーD: 違う、なんか風景がモノクロに…まさかホントに何かの儀式?助けて警察…


ユーザーG(通りすがりの主婦): 子供が「あのお兄ちゃん、なんで泣きながら白いご飯食べてるの?」って聞いてくるんだけど、答えられないよ…。なんか周りの空気が重い。急いでこの場を離れよう。


ユーザーH(公園の近くで仕事中): 公園から悲鳴聞こえるんだけど何事?「化け物だ!」「捕食の儀式!」とか叫んでる人いるんだけど。 返信:


ユーザーI: 事件?


ユーザーH: いや、なんかすごく綺麗な人がおにぎり食べてるだけ…?に見えるんだけど、そのせいか?周りがめちゃくちゃ怖い雰囲気。


 ◆


シーン2:怪人出現と撃破


【ハッシュタグ】#怪人現れた #マジでパニック #あれはヤバい #ヒーロー参上?


ユーザーJ(目撃者): 【速報】公園におにぎり食べてる美形がいたら、突然次元の裂け目から巨大な重機みたいな怪人が出現した…!まじでパニック! 返信:


ユーザーK: うそでしょ!?どこ!?


ユーザーL: まさか、あのモノクロの人と関係が…


ユーザーJ: みんな逃げてる!やばい、終わった…


ユーザーMヒーローマニア: 公園で怪人発生。女の人が例の「モノクロの人」を庇う形で前に出たけど、あれ大丈夫? 絶対に死ぬ。


ユーザーN(目撃者): え、なんかボロボロの軽トラからヒーローみたいな人が飛び出したんだけど!?大丈夫なのあの人!?てか、あのイケメン、ヒーローに睨みきかせてるように見えるんだけど!? 返信:


ユーザーO: 状況がカオスすぎる


ユーザーP: ヒーロー「下がってろ不純物」とか言われてない?聞こえたんだけど…


ユーザーN: 私も聞いた!そのあとヒーロー泣きながら「終身雇用しますぅ!」って叫んでた!意味わかんない!


ユーザーJ(再び): 怪人、消えた。マジで一瞬。あの美形が指パチンしただけ…? 返信:


ユーザーK: は!?マジで!?


ユーザーL: やっぱり神様だったんじゃ…


ユーザーJ: 指パッチンで怪人が塵になった。しかも後ろのビルに穴開いてる…何あれ。もうわかんない。怖い。


ユーザーM(ヒーロー志望): (投稿削除済み) 返信:


ユーザーP: さっき「終身雇用」って言ってた人、投稿消したな…大丈夫か?


ユーザーO: なんか公園のベンチで、さっきの美形がヒーロー(らしき人)に土下座してるように見えるんだけど…交渉してる…?


ユーザーJ: 「雇え。金と職歴が必要だ」って聞こえた。何それ。



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