霧の向こうにいる誰か
10月に入ると、私の住む場所は、朝の濃い霧に包まれるようになる。
個人的に、あらゆる天気の中でも、濃霧は嵐と同じくらい恐ろしい。時によって、視界の範囲は10メートルを切り、行く手に何があるかさっぱり分からなかったりする。
同時に霧というのは、どうやら雪に似て音を吸う性質があるらしく、車の行き来もその気配を隠してしまう。
そんな朝に目が覚めると、妙な妄想にとらわれることがある。
霧の向こうから、誰かが私に悪意を向けているような、根拠の全然ない恐れ。
その誰かは、たぶん、かつて私が、踏みつけにした命や、心だ。
小さいころ、これから茹でて食べる菜っ葉についた虫を殺した。
幼稚園の同級生のカズキくんと喧嘩になり、何度となく負けたくせに、意地になって彼に10日間もの間、あらゆる手で奇襲をかけ続け、彼の親ごと泣かせた。
私の手で翅をむしられたイナゴ。せめて甘露煮にでもして食べればよかったものを、残酷な戯れでそれは命を散らした。
小学生時代の心の変調。誰も彼もを心配させて、母は関節が見えるほどにやせ細り、父は不眠症を患った。
ヘビに食べられながら私をみていたツチガエル。私は助けなかった。カエルが飲み込まれるさまを、ただ、興味で見ていた。
中学生時代、母との関係に悩み、しかし私は本で仕入れた知識を武器に母をはねつけ、母の望む進路を拒否した。この世の終わりのごとく泣く母の声を、ドアの向こうに黙殺した。
父が親戚関係の中で孤立していくのを、私は知らぬと手を貸すことを拒んだ。
数えればきりが無い。正しいかどうかはどうでもいい。とにかく、命を痛めつけて顧みず、心を殴りつけて反省もせず、のうのうと生きてきた。
私に傷つけられたそれらは、霧の向こうから私を睨みつけている。
よくも傷つけてくれた。よくも見捨ててくれた。
許さぬ。決して許さぬ。お前が死の床で命を終えるその日まで、いいや黄泉路のその先までも、我らはお前を追ってきっと必ず報いてくれる。
自分が生まれてきたことを、腹の底から悔やみ、地に頭を擦り付けて許しを乞え。我らはその頭を思うさま足蹴にしてくれる。
そう言って、声なき声をあげて私を憎んでいる。
私だって痛んだのに、心を潰された時だってあったのに。私も声に出さず、そう、霧の向こうに語りかける。けれど、それは私の訴えには耳を貸さない。いつか私がそうしたように。
日が昇る。霧は薄れていく。霧の向こうにいる何者かは、霧とともに消えていく。
恨めしい。苦しめ。もっと苦しむがいい。自身のまき散らした罪の、その重さに絶望し続けるがいい……。
日差しの中で、霧とともについに何者かは消えた。父が起き、母が目覚めて、我が家は動き出す。
朝の挨拶を交わしながら、霧の向こうの何かの最後の恨み言が耳の奥で蘇る。
ああ、なぜ気が付かなかったのだろう。
アレの声は、私の声に、本当に本当によく似ているーーー。
秋の朝。気分乱高下の季節はやはり今でも乗り切りづらい。
いろんな仕事が一息ついたタイミングで、疲れなのかこういう観念が襲ってくる。うまく言葉にできなかったころ、それは本当に恐ろしかった。
今はこうして、言葉でその輪郭をとらえられる。恐怖を少しずつ克服すべく書いた。




