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子供であること

六話目






 

 ――。と、私を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返った先で母だったモノが父を食べていた。

 父に走れと怒鳴られ、無我夢中で走り出した。家だったはずの屋敷は人型の化け物たちが蔓延り、隙あれば私に手を伸ばそうとしていた。


 命からがら辿り着いた部屋に見知らぬ男性が三人いた。

 十代ほどのお兄さんは緑の鋭い瞳を向けてきた。

 三十代ほどの男性は私よりも深い青い瞳を気だるげに動かした。

 二十代ほどの黒い男性が赤い瞳をぱちくりと向けてきた。その赤い瞳が処分されそうだった所を救ったクッキーと被り、思わず犬の名前を呟いた。


 黒い男性は『姫ちゃん。どうしたの?』と視線を合わせ、自分はクッキーだと名乗った。

 訳が分からなかったのは顔に出ていたと思う。精神異常者だと思ったが、彼はにょきっと耳と尻尾を出して『ほら。姫ちゃんといつも一緒に寝てるクッキーだよ』と笑った。

 背後から迫ってきた化け物の声に一か八か彼に賭けようと思った。

 



 結論から言うと賭けに勝った。

 クッキーは私を支えて犬の姿で走り出した。その背後から追ってくる二人は私を探るように見てきていたが、安全な場所に到着して話せば、二人は渋々と私の盾になってくれた。

 父はよく言っていた。あの部屋に飾っている二つの銃とクッキーはきっと特別な存在だ。と。事実、三人は特別だった。


 マギーはいつも気遣ってくれた。人間は脆いものだという先入観もあってか、私の表情や言動に敏感だった。

 スネークはいつも危険を遠ざけてくれた。私が怯えるかもしれないと考えてゾンビを近づけさせなかった。

 クッキーはいつも側にいてくれた。両親を失った私に必要なのはアニマルセラピーだと、温もりが必要だと、とにかく離れずに行動してくれた。

 


 子供のフリを続けて居れば彼等に守ってもらえると思った私は、父が望んでいた姿を演じ続けた。

 そうすることで両親の様に死ぬことはないと思ったから、それが正しいのだと思った。だが、その考えとは裏腹に日に日に疲弊していくのを感じた。

 自分が起きているのか寝ているのか分からない日々が続いた。

 

 それでも日々楽しく過ごせたのは三人のおかげなのだろう。

 辛くないとは言えないが、辛いと言うほどではなかった。親代わりとなった三人と居られるのは幸せだった。

 こんな世界で幸せを感じられるのは貴重だ。だが、こうなってしまう前よりも日々感謝の気持ちが沸き上がるようになった。

 前の世界では教えてもらえないことをたくさん学べるのは楽しかった。

 




 クッキーと過ごす日はとても平和だった。

 犬である彼の五感が迫り寄る敵に気付かないことはあり得ない。姿が見える前に彼は移動して、危険と隣り合わせになることはなかった。

 それでも危険が訪れることもあるが、彼が犬の姿に変わるだけで安全に素早く移動できた。本人は『三つも頭あるから楽勝だよー』と笑っていたが、生憎その姿を見せてくれない。怖がるかもしれないと彼の方が怯えながら縮こまったので、強請ることはもうやめた。

 

 スネークと過ごす日はとても騒がしかった。

 騒がしいのはあくまで彼であって化け物ではない。むしろ化け物に接近されることすらなかった。

 姿を見せた化け物相手に彼が人差し指を向けて一言呟けば、化け物は次々と倒れていった。屋上で寝ころびながらあれを撃てそれを撃てと告げれば、彼は一寸の狂いもなく射止めて見せた。正直屋敷にいたスナイパーよりも腕が良かった。

 

 マギーと過ごす日はとても貴重だった。

 彼と過ごす日なんてそもそも数えるほどしかない。だがそれよりも貴重なのは、彼の目がキラリと特有の光を発したときは化け物たちが恐れる様に距離を取ることだった。

 マギーに触れることを恐れる化け物たちは私を意識しながら近づいては来なかった。間近で化け物を観察できるのはマギーと居るときだけだったから、とても貴重な体験だった。

 


 三人はそれぞれ得意とすることを教えてくれた。

 クッキーは逃げるときのコツを教えてくれた。足場が悪い場所はこう走ればいいとか、こう登れば力がなくても簡単だとか、とにかく体を動かすことを中心に教えてくれた。

 スネークは多人数を効率的に“掃除”するやり方を教えてくれた。どこから攻めれば相手が簡単に崩れるのか、どこから距離を詰めればより深い場所に入り込めるのか、とにかく戦闘での心得を教えてくれた。

 マギーは人間を相手にどう接すればいいのか教えてくれた。人を操る方法とか、人の誘導の仕方とか、とにかく対人間のやり方を教えてくれた。

 


 三人ともそれは使わないに越したことはないと言っていたが、もし逸れてしまった時が来ても、誰かが合流するまで安全にいられるようにと教えてくれた。

 それなら隠れ方などを教えればいいのだが、さすが人外。実に好戦的な内容で笑ってしまう。

 父が教えてくれなかったことを三人は教えてくれる。それは新たな刺激となって私を形成していった。

 それと同時に舌足らずな私ではなかったら、よちよち歩きを止めてしまったら、重い物を持てることを知られてしまったら、三人は私を守らずに離れて行ってしまうのではないかと怯えるようになった。





 

 父は代々医者を継いできた。

 とても大きな病院を経営し、その資産で一山当てた先祖が屋敷を建て、私が一生散財を続けても消えることのない財産があった。

 そんな家で父が望む娘は“いつまでも子供のお姫様”だった。


 ある時、お父様と呼んだら父は複雑そうな顔をしていた。

 悲しみと怒りが混じった様な顔に、私はすぐに“ぱぱ”と言い直した。それで父はいつも通り嬉しそうに笑った。母も似たようなものだった。

 だから、私は子供であることを受け入れた。

 いつまでも子供で居続ければ使用人達に発達障害を噂されたが、両親が笑っているのならそれでいいと思った。両親さえ満足すれば私はここを継いで一生遊んで生きていけると思っていたからだ。


 

 だが、運命の日に全て崩れ去った。

 ようやく抜け出せると喜んでいる自分に戸惑いながらも、普通に話そうと口を開こうとした時だった。三人の口調が幼女に対するそれだと気付いてしまった。

 私はまた子供を受け入れた。延長だから別に苦痛はなかった。生きられることの方が幸せだから、こんなの些細な事だった。

 子供でいればクッキーが食事を調達してくれる。スネークが遊び道具を持ってきてくれる。マギーが安全な家を提供してくれる。何不自由ない暮らしがある。

 今の世界では三食食べられない。娯楽なんてない。安全な場所なんて存在しない。だから、私は幸せ者なのと思った。



 


 物心つく頃には普通の子供とはどこか違うのは自覚していた。

 周りの子供を『なんてガキ臭いんだ』と冷めた目で見ていた。周りの大人の発言を心の中では嘲笑っていた。

 周りが幼稚すぎて、考えなしに生きているのが丸わかりで、吐き気がした。

 それだけお手本となる子供がたくさんいたのだ。子供のフリをするのは何ら問題なかった。

 馬鹿の考えることを理解した。馬鹿の行動を真似した。馬鹿と同じように笑っていた。

 それだけで周りは愛らしい子供と見てくることが分かった。それに本当に救いようのない馬鹿だと嗤った。

 

 周りの大人たちを見て察した。

 大人にとって都合の良い子供は良い子でその逆が悪い子になるのだと。どれほど否定しても、それは事実だった。

 大人たちがそうだと態度で示すのなら、その人にとっての良い子になれば随分と生きやすかった。

 大人たちが望む姿を見せるだけで相手は上機嫌になり、すごいと持ち上げるだけで可愛がられるようになった。

 大人が聞いて呆れる。どんな人間も子供のままだった。だから家では自分の思い通りにしようとする薄汚い“子供たち”の扱いを学んでいった。

 



 ただ、三人はどこか鋭かった。

 人間とは違うからか、話し方は段々と大人のソレに変わっていった。幼児相手の話し方はなくなっていた。大人の様に接してきていながら、子ども扱いを続けていた。

 矛盾した扱いに戸惑いが大きかったが、その子供を受け入れた。

 戸惑いがあっても、抵抗があっても、一度受け入れてしまえばどうってことない。恥なんてない。プライドもない。ただ自分の望みを叶えるために行動し続けた。


 

 子供には難解な言葉を投げかけられても普通に返事をした。そうすれば三人は頭が良い子供だと認識してくれて、それ以降は変に簡単な言葉を選ばなくなった。

 放置して三人で話しているのをスネークが持ってきたトランプで遊びながら待てば、すぐに大人の会話をしていても問題ないのだと判断してくれて会話が筒抜けになった。


 三人の計画を聞くのは楽しかった。

 本来なら怯むはずであろう問題も、彼らは平然と解決する。物理での解決が多いのが難点だが、彼らと離れなければ生き残れるのは間違いないと確信する材料になった。

 暇になれば外を徘徊する化け物を横目にクッキーの膝に座れば、彼は嬉しそうに私を抱き寄せた。スネークの裾を引っ張ればすぐに話しを中断してくれた。マギーの足の間を潜れば三人は笑って遊び相手になってくれた。

 そうやって中断した会話は私が寝入ってから始まった。三人の会話をBGMに眠りにつくのは心地よかった。


 意識が浮上して聞こえてくるのも三人の声で、起きている時も寝る直前も彼らに囲まれて生活するのは、家にいる時と比べると遥かに呼吸がしやすかった。

 眠るときに触れてくるクッキーの温もりも、声を掛けてくるスネークの柔らかい声も、微睡む視界で微笑むマギーの顔も、全部が安眠材料だった。


 だから決して誤解して欲しくない。

 彼らと過ごす私は不幸ではない。例え目の前で両親を失い、人間ではない男三人に囲まれていて、外を徘徊する化け物が支配する世界になっていようが、私は彼らと生活を共にしていて幸せなのだ。



 もう大人の顔色を伺う必要がないのは何より楽だった。

 もう変な子供のフリを辞められるのも本当は嬉しかった。

 自分であれるという事が何よりも幸福だと、いったいどれほどの人間が理解をしているのだろう?






 

「おチビー」


 

 と、私を呼ぶ陽気な声が響いた。


 屋上の風に体をふらつかせながら下を見れば、大きな赤黒い犬がいた。

 三つの頭を下げて、少しだけ不服で、何かに怯えている様なその赤い瞳に心臓が高鳴った。

 ああ、あれがクッキーの本来の姿なのか。と、頬を緩ませた。


 意地でも本来の姿を見せてくれない彼にとって、それを見せるのは信頼の証なのだろうと勝手に思い込んでいた。それが今目の前にあるという事実が嬉しかった。

 屋上から飛び降りれば一つの頭が焦った顔をして駆け出した。モフモフの毛に埋まる体に笑いが止まらなかった。

 少し前では考えられない行動だ。もしかしたら三人は怒るかもしれないが今はこの温もりに体を委ねたかった。暖かい体温に睡魔が襲ってくる。チリチリと焼ける音が心地よかった。三つの頭を向けてくるクッキーに笑いかければ、呆れたように笑われた。


 

「クッキー、かっこいいね」

「んんぅっ、……ぁー、ありがとうね、姫ちゃん」

「ナイスキャッチ」

「お願いだからもう飛び降りないで」


 

 はあ、と、ため息を吐いた彼に「約束はしないけど」と笑ってやれば、複雑な表情を見せた。


 マギーと話した日から一週間。少しずつ普通に話すようにしていって、何も取り繕わなくなったのは昨日のことだ。

 そんな私に初めこそクッキーは戸惑っていたが、彼はすぐに『姫ちゃんの本音が聞けるなら悪い子で良いよ』と言ってくれた。そんなことを言う大人は初めてで、逆に私の方が戸惑っていた。


 スネークは全てを把握していたからクッキーを笑っていた。マギーは少し嬉しそうに頬を緩めていた。

 私が私の普通になって、三人は笑うことが増えたと気付いたのは今朝だった。それに気付くなり、自由に生きていいのだと言われている気がして朝から泣きそうになっていた。

 ようやく、私自身が認められた気がしたのだ。


 

「クッキー、まだ離れるの?」

「んー、この距離じゃあ猫ちゃんすぐ来ちゃいそうだしね」

「スネークならどうにかできるんじゃないの?」

「出来るだろうけど、もっと離れていたいんだ。姫ちゃんに嫌な思いしてほしくないからさ」

「ふーん」

「ちょっと姫ちゃん。自分の事でしょー? なんでそんな興味なさそうなのー?」

「だって、三人がいれば安全だし、そこまでする理由が分からないから……」


 

 その言葉に一つの頭が悶え始めた。もう一つの頭が理由を話そうと考え始め、最後の頭は耳を大きく動かした。


 

「スネーク、マギー。乗れ」


 

 と、耳を動かした頭が告げれば、二人はすぐにクッキーの背に飛び乗ってきた。

 勢いよく走り出したクッキーの背でバランスを崩せば、ひっくり返る前にマギーとスネークの腕が私を支えた。


 

「マギー。時間稼ぐからおチビよろしく」

「ああ。後を追わせるなよ」

「分かってるよ」


 

 スネークが両手を開いて前に付きだせば、各指から鉛玉が発射された。音もなく飛び去っていくそれを横目にマギーを見上げれば、小さく頷いた。

 ああ、また王国の追手が来たのか。と、他人事の様に思えていた。


 たかが一週間程度だが一度王国の一人に姿を見られた私は案の定というべきか、そこの王様と猫の悪魔に狙われる日々を送っている。

 今のところ毎日の様に刺客が訪れてくるが、その人数は減っていっている。距離が距離なだけに途中で脱落する兵士も少なくはないのだろうと考察している。


 

 王様はハレムに私を加入させたいらしく、とにかく血眼で刺客を投げ続けてくる。全て返り討ちにあうが中々に熱を上げているのを一週間で嫌というほど味わった。

 クッキーに容姿を描いてもらったが父より年上は普通に無理だし、ハレムとか日本の源氏物語でも始める気かと冷静に突っ込めば三人は吹き出していた。


 そして問題は猫の悪魔の方だ。彼はクッキーとは犬猿の仲らしく、クッキーが主に遊んでいたせいとはいえ、矛先を私に向けるとは迷惑でしかない。

 クッキーを叩きのめすには私の存在が必要不可欠だと思ったらしく、彼は私を生け捕りにすることに命懸けだ。現に雑踏の中に彼の部下が混じっているそうだ。


 

「この調子じゃあ、他の悪魔たちも寄ってくんじゃない?」


 

 スネークの発言に頭が痛くなった。


 

「その時はクッキーが責任を取るだろう」


 

 マギーが軽蔑した声で吐き捨てた。


 

「ちょっと俺を悪者にしないでくんない? 腐っても地獄の番犬なんだから仕事してただけって時もあんだからさー」


 

 クッキーが不服そうに一つの頭を向けてきた。


 

「時もってことは、全部が全部仕事じゃなかったんだ」


 

 と、振り返ったクッキーの頭を撫でながら告げれば、彼はバツが悪そうに目を逸らした。

 そんな彼を見てマギーが責め立てれば、こちらを見ずにスネークが加担してきた。クッキーはより居心地が悪くなったようで走るスピードを上げていた。


 とてつもない強風の中、マギーの腕の中でジッとするが音が上手く聞き取れなくなってしまった。よく三人はこの中で普通に会話ができるなと関心していれば、突然クッキーが飛び上がった。

 近くなった空を見つめて居れば、着地したクッキーはさらにスピードを上げ始め、私は会話に加わることを諦めた。





 

 ぐんぐんと距離を開けていき、クッキーが足を止める頃には兵士たちの姿はなくなっていた。悪魔たちが随分とイラついていたらしい。

 私に付いた砂埃を払うスネークに礼を言いながら辺りを見回せば、綺麗な一軒家が一つだけ残っていた。フラフラと近づいていけばマギーが私の腕を引っ張り、スネークとクッキーが中に入っていく。その行動をしたということは、中に“何か”がいたのだろう。

 

 マギーと二人で待っていれば彼らはすぐに家から出てきた。


 

「とりあえず動く奴はもういないよ」

「姫ちゃんが食べられそうな物も多かったし、今日はここで一夜を過ごそうと思うんだけど」

「ニャン、どうしたい?」

「いいんじゃない? どうせ追ってきてもクッキーが勝手に連れて行ってくれるだろうし」


 

 中に入れば外装に負けず劣らず。汚いものはなかった。

 綺麗に整頓されたインテリアを眺めながらリビングの扉を開く。

 五人家族で過ごすにも十分な部屋の広さに感心しつつ、成金が好みそうな家具を眺めていく。部屋の中に血はない。もし血の海でもこの家具なら大した金額でもないだろう。と、場違いな事を考えながらキッチンに目をやった。

 クッキーの言葉通り食欲そそる缶詰などが転がっていた。


 

「……クッキー、匂いは?」


 

 と、後を追ってきたクッキーに問えば、彼は首を傾げて答えた。


 

「ん? 食べ物は何も問題なかったけど……」

「そうじゃなくて、人がいた痕跡の方」


 

 彼は眉をひそめて鼻を鳴らし、すぐに顔が強張ったのが見えた。

 ああ、やっぱりそうか。と、落胆すると同時に体が宙に浮いた。

 人の手を渡っていき辿り着いたのは結局クッキーの腕の中で、正面から抱き寄せてくる彼の体を避けて奥を覗き込めば、先程とは真逆の血の海があった。


 男性と女性が一人ずつ。年齢は二十代から三十代ほどの若い二人だ。薬指に指輪をしているので夫婦だろうと視線を動かせば、リビングの壁に二人の結婚写真が飾られていた。写真の中に子供の姿はない。

 ここで暮らすのも限界を感じ、逃げ出すために物資をまとめていたのだろう。


 スネークが興味なさげに二つの死体を指さした。


 

「コレ、どうする?」

「捨ておけ」


 

 マギーが冷たい声で返した。

 三人は私が取り繕わなくなってから何も隠さなくなった。人間をただの生き物の一つとして接する彼らは私が知っている人たちと比べるとあまりにも残忍で冷酷で――恐ろしかった。

 それでも、それが向くのは私以外の人間で、私相手にはその欠片すら感じさせない。それが彼らの本心かは不明だ。

 もしかしたら非常食として残されているだけなのかもしれないが、生憎食いでのある者は他にたくさんある。私に固執する理由はないので、それが向かないのは食事として認定されているからではないと信じている。


 マギーの言葉に適当に返事を返したスネークが人間を抱えて外に投げ捨てた。

 化け物たちが集っている一角に投げ捨てれば、それがどうなるのかなんて想像する間でもない。そして、そこに化け物が集っていたのなら、投げ捨てた夫婦以外に生存者がいるはずだ。

 理由もなく集うことのない化け物の食い物に対する執着心は生存者のそれとは比べ物にならない。


 スネークが戻ればマギーは満足そうに頷いていた。

 目の前のクッキーを見上げれば、彼は特に感情の籠っていない暗い瞳を外に向けていた。王国の奴らが追ってきたのかと思ったがそういうわけではなさそうだ。


 

「ニャン。今日は何が食べたい?」


 

 マギーの質問に口籠れば、三人の目がこちらに向くのを感じた。

 品定めをするわけでもなく、ただ純粋に私の言葉を待つ視線に心のどこかで安心していた。


 

「手料理は?」

「……姫ちゃん手料理が良いの?」

「うん」

「スネーク作れるか?」

「無理。そういうクッキーは?」

「俺も経験ないなあ。マギーは?」

「……何が食いたいんだ?」

「……ボルシチ、あとヴェネグレット」

「……そうか。ヴェネグレットは食材的に厳しいな」


 

 と、マギーは冷蔵庫を漁り、調味料棚を漁って答えた。


 

「ボルシチと、これを使ってパンも作るか?」

「……うん。ありがとうマギー」

「少し待ってろ」


 

 腕まくりをしたマギーはまずホームベーカリーの釜に材料を入れ始めた。

 電気なんて当に切れているはずだが、マギーの手にかかればソレはなかったことになる。彼曰く、神の欠片を持っている天使には現世の常識は通用しないらしい。

 ピッ、と、ボタンの音が鳴れば、固まっていた二人がようやく動き出してマギーに詰め寄っていた。

 どうして料理ができるのかとか、どこで料理を覚えたのかとか、色々と問いただそうとする二人をマギーは珍しく蹴り飛ばして、二人は私の足元に転がった。


 

「姫ちゃんも気になるよね!?」

「いや。マギーだし、元は神の子なら知ってても不思議じゃないでしょ」

「おチビ、そうは言っても、マギーは切り離された方で本体じゃないでしょ?」

「切り離された方だとしても、それまでの記憶は薄っすらと残ってるみたいだし」

「っていうか、何でボルシチが良かったの?」


 

 クッキーの疑問にスネークが乗っかった。

 キッチンでこちらを意識したマギーの姿もあって、これは答える必要があるなと口を開いた。


 

「お母様が、作ってくれてたんだよね。小さい頃からよく食べてたから……。まあ、お父様はボルシチよりピロシキやブリーニ、メドヴィクを食べてる私の方がお気に入りだったみたいだけど」

「……じゃあ、姫ちゃんの思い出の味なんだ」

「へー、おチビが育った味かあ。ちょっと興味出た。マギー僕の分も作ってー」

「分かった」

「え、マギーとスネークは食べれないんじゃなかったの?」

「いや。食事を必要としないだけで食べられるよ。人型になれる特権ってやつ。初めて食ったのはさ――」


 

 スネークは昔話を始めた。

 

 初めて食事をしたのは物置小屋に監禁された少女と過ごした時だったという。

 少女は誘拐されてそこに閉じ込められていた。ただ身代金目的で丁重に扱われていて、寂しい以外の不便はなかったそうだ。

 その少女には多すぎる食事が出され、一人で泣きながら食べる彼女に我慢できなくなったスネークは人型となって共に食事をすることにした。

 初めてスネークが食べたのはクラムチャウダーだった。


 

「正直、めちゃくちゃ臭くてさあ……、その子の口に合うものをって作ったんだろうけど、その子もマズいって笑ってたよ」

「クラムチャウダーかあ……食べたことないなあ」

「姫ちゃんはあんまり好きじゃないと思うよ」

「そうなの?」

「うん。おチビの口には合わないと思う。あ、でも、次の日食べたエッグベネディクトは結構好きだと思うよ」

「あー、確かに姫ちゃん好きそう。チョリソとかも好きなんじゃないかな?」

「……マギー」

「今度作る。他にもあるならリストアップしておいてくれ」


 

 と、マギーはこちらを見ずに告げてきたので、二人と一緒に食べたい物リストを纏めていく。

 あれは好きだと思う、あれは絶対好き、あれ好きだった。などの意見交換を繰り返していれば、遠くの方で雄叫びが聞こえてきた。それに反応したのは勿論クッキーだった。


 王国の追手がもう追いついたらしい。

 ため息を吐きながら外に飛び出した彼を見送れば、スネークとマギーが食卓の準備を始めてしまった。

 戸惑っている私を他所に次々とさらに盛りつけられていく食べ物を呆然と眺めていると、出て行った姿と変わりないクッキーが部屋に戻ってきた。

 

 いや、違う。……コレはクッキーじゃない。

 そう思ったのは私だけではなかったらしく、スネークとマギーは私を守るようにクッキーの姿をした何かとの間に体を滑り込ませてきた。

 口を開く前に気付かれたのは予想外だったのだろう。

 決してクッキーが見せない情けない顔をしたソレは私を恨めし気に睨んできた。


 

「退魔銃にルシファー、ケルベロス。お嬢さん、自分の国でも作る気かい?」


 

 と、高めの男性の声が問いかけてきた。

 返答に困っていれば前の二人が鼻で笑った。


 

「おチビがいるところがおチビの国だ」


 

 当然の様にスネークが言った。


 

「ニャンが望むのならお前の国はニャンの物だ」


 

 嘲笑う様にマギーが続けた。

 その二人を見てソレはわざとらしくため息を吐き出した。


 

「恐ろしい騎士様たちだね。……また来るよ、若き女王様」


 

 と、長い尻尾を揺らしながら闇に溶ける様に消えていった。


 大慌てで帰ってきたクッキーの話しでは、まさにアレこそが猫の悪魔だったそうだ。

 より目を付けられる行動をしてしまったなと思いながらも反省の色を見せずにいれば、三人は楽しそうに笑っていた。

 次は軍隊で訪ねてくるだろうと予測するクッキーの言葉に警戒の色を強めた二人だが、食事の用意を続ける手を止める気はないようだ。

 三人は話しながら着々と食事の準備を進め、とてもじゃないが食事前の会話には思えない内容が飛び交っている。

 その会話を聞きながら、私じゃなかったら食欲なくなっていただろうな。と、思った。


 

 正直に言うと私はどこにいても構わない。

 それが下水道であろうが海のど真ん中であろうが、三人と過ごせるのなら何処を家にしても構わない。

 一年経たずでよくここまで信頼したものだと感心するが、彼らと離れる日常が一切想像できないのだ。


 彼らと過ごせるのが今の私の幸せで、代えがたい日常になってしまった。

 だから例えどんな相手が攻め込んできたとしても、三人と変わらずこの先も過ごしていけるのなら、どうでもよかった。

 そして、今日も、そんな他人事の様に考える子供の自分を受け入れた。






Nola、カクヨムにて多重投稿してます

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