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おチビの機嫌

二話目






 すねーう。と、舌足らずに僕を呼んだ愛おしい子を抱き上げれば、彼女はふにゃふにゃの笑顔を浮かべた。

 おチビは残念ながら僕達の中では犬のクッキーにお熱で、無駄に整った顔を何度殴りたいと思ったのか分からない。

 

 初めて彼女を見たのは世界が終わった当日だった。

 クッキーを呼びながら部屋に入ってきたおチビを始めこそ鬱陶しく思っていたが、何度あしらっても可愛らしく笑って駆け寄ってくる姿に心臓を撃ち抜かれた。



「なあに? すねーう」

「スネークでしょー。おチビは今日も軽いねー」

「すねーう、かるいの、きらい?」

「んなわけないでしょー。だとしたら、いつまでもここにいないよ」


 

 小さい彼女が嬉しそうに笑ったのを見て、ポケットから日焼け止めを取り出す。


 

「さ、おチビ。焼けたら痛い痛いだから、これ塗ろうねー」


 

 そう言って目の前で揺らせば、おチビは小さい頬をパンパンに膨らませた。


 

「やっ!」


 

 顔ごと視線を逸らして、彼女なりの最大限の抵抗を見せられ、ため息が飛び出す。


 

「ニャン、スネークが困ってるぞ」

「や、」


 

 首を大きく横に振った彼女に困り果てて居れば、グスッ、と、鼻を啜る音が聞こえた。

 サァーっ、と、血の気が引いていくのを感じる。


 

「お、おチビー?」


 

 優しく呼びながら顔を覗き込めば、うるうるの大きな瞳を向けられ、僕とマギーは固まった。


 大前提として、僕達三人はおチビを傷つける気も泣かせる気もない。初日のあの涙で懲りた。

 小さい彼女は変に頭が良いときがある。それは僕達の中では周知の事実だったが、同時に年相応な我儘な一面も持っている。そんな我儘を何でも叶えるのは犬であるクッキーだけで、泣き止ませる術を熟知しているのも、僕達より長い時間を過ごしているアイツだけだ。

 もちろん、それを不服に思うことはない。むしろ面倒なことは押し付けられるし、満足している。が、この日焼け止めばかりは仕方ない。

 

 おチビの真っ白な肌は太陽に弱いらしく一刻を争う。それに気付いたのは一週間ほど共に過ごした時だった。

 あの時はまだ鬱陶しい半分愛おしい半分だったため、夜中に号泣する彼女が喧しくて腹立たしかった。迫りくるゾンビ達を排除しながら、クッキーが彼女の担当をして、僕とマギーはゾンビ達に八つ当たりしていた。


 原因は日焼けだった。

 真っ赤になった肌が痛くて、眠れなくて、いつもそばにいた両親が居なくて、色々なものが重なったおチビは子供らしく泣き叫び続けていた。

 

 それからというもの、再び彼女がそうならないようにとクッキーが調達してくる日焼け止めを塗ってやるのだが、臭いだったり感触だったりが気に食わないらしく、彼女はこうやって抵抗する。

 焼けていく彼女の肌を見ていれば段々と太陽への怒りが込み上げるが、太陽には一切気持ちは通じず、むしろ勢いを増したように見えた。


 

「おチビ。僕はね、おチビが苦しむの見たくないんだ」

「や」

「おチビ、痛いのは嫌いでしょ?」

「や」

「おチビが笑顔で過ごせるように、コレ塗らせてほしいな」

「や」


 

 ぷいっと膨らんだ頬をそのままに顔を背けるおチビに頭を抱える。

 どう説得すればおチビが素直に言う事を聞くかなんて分からず、考えれば考えるほど頭痛がしてため息が漏れた。おチビはそれに更に瞳を潤めてしまい、助けを求める様にマギーを見上げたが、当の本人は既に姿がなく逃げられたことを察した。


 

「姫ちゃーん」


 

 申し訳程度に着ていた服を被せて太陽を遮ってやれば、そんな軽快な声が聞こえてきた。

 声の方を向けば赤いメッシュを揺らすクッキーが歩いてきていて、その後ろにはマギーがいた。クッキーを呼びに行ってくれていたことに今更気づき、心の中で感謝を告げる。


 

「ね、姫ちゃん。いやいや期なの?」

「……や」

「えー、何が嫌なのー?」

「……や」

「スネークがいや? それとも俺?」

「……ちがうもん」

「だよね? 日焼け止めが嫌なんだよね?」

「うん」

「じゃあ、今日は俺とお揃いにしよっか」

「……ん」


 

 流石クッキー。拗ねたように唇を尖らせるおチビを頷かせた彼に感心していれば、手間かけさせんなとでも言いたげな目を向けてこられた。


 おチビ相手には何でも許せるクッキーでも、おチビ以外で時間を割かれることは心底嫌う。おチビが自分で塗って欲しいと駆け寄れば許すが、僕が手間取って他者がお願いに行くのは話が変わってくる。怒気が含まれる瞳に謝りつつ日焼け止めを差し出せばわざとらしくため息を吐き出された。


 

「姫ちゃん、スネークに塗って欲しいよねー?」


 

 と、おチビに問いかける悪魔に心臓が高鳴った。

 先程まで散々拒絶された以上、僕相手で満足するとは思えず、おチビをまともに見ることもできなかった。


 

「すねーうがいい」

「よくできましたー」

「え、は?」

「じゃあ、姫ちゃんはスネークになんて言えばいいのかなぁ?」

「すねーう、ごめんなさい」

「あ、え、」

「おねがいします」


 

 ぺこりと礼儀正しく下げられた小さな頭に顔を覆って天を仰ぎ見た。今だけは神を信じられるかもしれない。なんて柄にもないことを思いながらおチビを見れば、申し訳なさそうに泣きそうな顔をしていた。

 身もだえする僕の頭を叩き、クッキーは「返事」と短く告げてきた。


 

「僕もごめんね、おチビ。僕で良かったら、塗らせてください」

「……うん! すねーう、ありがとう!」

「え、おチビありがとうってもう言えるの!?」

「最初は俺が良かった……っ!」


 

 子供の成長は早いと聞いたことがあったが、ここまで早いものなのかと驚きを隠せなかった。その横ではクッキーが蹲るように崩れ落ちた。離れた場所でもマギーが目を見開いていて、自分たちの姿が子供の成長を見守る過保護な親のようで笑えた。


 事実、おチビの成長は早い物で、初対面の時は会話すらままならなかったのに今では普通に会話することができる。相変わらず舌足らずではあるが言える言葉は日に日に増えていて、明日は何が言えるようになるのか楽しみにしている自分がいた。

 


 初対面の時は”すねーう”とも呼べず、四苦八苦しながら絞り出したのは”しゅねーう”だった。ゾンビへの知識も全くなかった彼女だが、気付いたときにはゾンビは危険な存在なのだと理解し、呼び方も今の状態になっていた。


 日々成長を続けるおチビでも変わらないものもあった。ふわふわと舞う天使の羽の様な綺麗な甘い笑顔は、どんな状況でも変わることなくそこにあり続けていて、柄にもなくそれに喜んでいる自分がいた。変わらないものがあるというのは、存外気分が良いものだった。


 そんなおチビの小さな頭を撫でれば、彼女は楽しそうに笑い始めた。

 本当に彼女は愛おしい子だ。と、頬が緩むのを感じる。


 

「お、今日のスネークは素直じゃん」

「珍しいこともあるものだな」

「すねーう、だっこー!」

「はーい。まったく、僕を跪かせるなんておチビくらいだぞー」


 

 馬鹿にしたような二人は無視して彼女を抱き上げれば、彼女は大きく手を広げて嬉しそうにもちもちの頬を緩ませた。







 

 長い間、ずっと一人で生きてきた。


 誰かに使われるために作られた装飾の激しい銃は、今では一発ずつしか撃てないアンティークとして保管されるようになった。初めこそ大勢を殺してきたのだろう。意識が芽生える前の事は知らないが、目を覚ました時に人を殺す感覚に何も感じなかった。それが当たり前のことだと思っていた。


 大勢の手を渡り歩いた。総督と呼ばれる五月蠅いオヤジや、姫と愛される小娘の腕を渡り続けた。時が経てば扱いづらい銃だと言われた。昔は愛されていたはずの僕を横目に新しい自我のない銃に熱中していった。物置に放置されたり、盗まれてゴミ捨て場に捨てられたりしているうちに、人型になれるようになっていた。



 やがてただの置物としてオークションに賭けられた僕は博物館の人間を押し切っておチビの父親に買われた。おチビの父親は財力だけは無駄にあった様で、僕を家に連れ帰るなり僕専用の棚を作りたいと駄々を捏ねていた。まあ、その計画もおチビの母親に潰されたが。それほど愛される場所は以外にも居心地が悪くはなかった。


 棚に飾られ、毎日おチビの父親に話しかけられた。飽きることなく話しかける彼を見て、おチビの母親はどうしてそんなことをするのか聞いていた。彼は決まって答えた。付喪神が宿ったら面白いだろう。と。それを聞いた母親は楽しそうにおチビと同じ笑顔を浮かべて、物言わぬ僕に話しかけ続ける父親を見守っていた。


 

『今日はな、私の天使が生まれたんだ。とても愛らしい子でね、年頃になったら嫌われてしまうかもしないが、あの子が幸せに生きられるのなら、私は何でも手放す覚悟はできている。愛しい我が子の為なら何でもできるというのは、本当だったんだな。……なあ、スネーク。もしあの子の身に何かがあったら、守ってやってくれ』


 

 と、その日から一方的な約束を取り付けてきた。

 毎日、刷り込まれるほど告げられ、気付けば勝手に守り続けていた。



 その日から時が流れ、僕の隣にはマギーが来た。

 おチビの父親が嬉しそうにマギーを僕の隣に置いたとき、互いにただの銃ではないと警戒しあっていたが、意外にも互いに興味を持たない僕たちの相性は悪くなかった。おチビの父親は僕とマギー相手に勝手な約束を言うようになった。


 それからさらに時が流れ、クッキーが来て、運命の日を迎えた。



 そんな生活だったからだろう。廃棄される可能性が高かった僕たちはおチビを守ることに躊躇はなかった。だが、彼女を信頼はしていなかった。

 僕とマギーはおチビの父親に恩があるわけで、彼女自身には何もなかった。最低限の関わりで十分だと思っていたし、あの人が生きられず彼女が生き残った事に腹立たしさもあった。僕たちは随分とおチビに八つ当たりをしてしまった。

 

 彼女と初めて対面したあの日、おチビの父親があそこまで口煩く約束を言い続けた理由も分かった。だが、それとこれとは別だ。

 おチビ自身を信頼するに至ったのは、それこそ僕のせいでゾンビ共が集まってきたせいだった。

 



 あの日、八つ当たりで四方八方に体内生成の銃弾をまき散らしていた。

 とにかく朝から機嫌が悪かったし、それに対してクッキーが口を挟んでくるのも腹立たしかった。おチビには当てないように乱射していれば、その音を聞きつけたゾンビに囲まれ、おチビが噛まれそうになった。ギリギリのところで助けだした僕に、おチビは大きな瞳をパチパチとして、嬉しそうに笑った。


 

『しゅねーう、あっこ! たいたい、ないない?」


 

 少し不安そうに揺れる目に驚き、彼女の言葉の意味を考えていれば、清掃を終えたクッキーが解読してくれた。


 ”スネークに抱っこされるの初めてで嬉しい。怪我はしてない?”と。




 その言葉におチビを見れば、大きな瞳は変わらず不安そうにこちらを見てきていて、震える声で平気だと返していた。たったそれだけで、おチビは嬉しそうに良かったと笑った。

 後悔が押し寄せてきた。経験したことのないような海の底より深い後悔だった。今まで彼女にしてきた事と釣り合わない優しさに、物であるはずの僕から涙が零れ落ちた。

 

 それから僕は何とかして今までの距離を縮めようとしたが、赤子とそう変わらぬ彼女はゼロ距離で接してくれて、当時の自分を殺したくなったのは記憶に新しい。


 彼女が生まれて何年経っているのか知らないが、彼女はまだ幼い。

 僕の見た目はたった一日で地図から消えた帝国の若き皇帝の姿を貰っている。彼の十八の誕生日の次の日に帝国は滅びた。そんな僕と比べても、彼女の年齢は一回り以上離れているように感じる。


 彼女の体に顔を埋めてこすりつければ、楽しそうな声が頭上から聞こえた。

 まだまだミルクの匂いが取れていない彼女が愛らしい。赤子の様に何でも楽しめる彼女が愛おしい。ずっと守りたくなる彼女が何よりも大切で、幸せを願いたくなる。




 おチビの父親――ヴィクトル様。この先、例え僕だけになったとしても、この命が尽きるその時までおチビをまもります。だからと言って、僕は彼女が死ぬまで死ぬつもりはありません。なので安心してお眠りください。どうか安らかに。





Nola、カクヨムにて多重投稿してます

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