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008.黒犬

ギルドの依頼を受けた冒険者たちが、依頼に合わせ消耗品を買い込みにやって来る朝の時間帯。

「選択の羊」と呼ばれるこの小さな道具屋では、珍しく店内に笑い声が響いていた。


その発端は、先の遺跡発見の立役者の来店だった。

先の遺跡発見の褒賞として士官へと推薦されたギリシャだ。

本人は迷っていたが、結局は渋々ながら引き受けた形で、正式に官職を拝命することとなった。


与えられた役職は「黒衣衛百戸長」。

王都の治安維持、犯罪捜査、暴徒鎮圧などを行う武装組織「黒衣衛」の中間指揮官である。

名目としては百軒前後の区域を監督する責任者ということになっているが、

現実の王都の過密さと混沌を思えば、その倍以上の範囲を請け負わされることも珍しくない。


「百戸長」とは響きこそ立派だが、実際は現場仕事の管理職である。

しかもギリシャには、官の仕事の作法も書類も、まるで心得がない。

当然、経験ある部下——いや、実質的には「上司」に近い監督役がつけられた。


黒衣衛の中には、権限を振りかざすばかりで私腹を肥やすような手合いも少なくなく、

街の人々からは皮肉を込めて「黒犬」とも呼ばれている。

冒険者のような無頼の徒との関係もお世辞にも良好とは言えない。


そんな彼らの制服に身を包み、ギリシャが「巡回」と称して店にやってきたのである。

黒染めの皮鎧に銀の装飾、腰には制式の剣と検査用の書板が吊られている。

威圧感と格式を備えたその姿は、正しく“官”としての威厳を湛えていた——

だがそれだけに、彼を知る者ほど、笑わずにはいられないのである。


「……だめよ、みんな……笑ったりしたら、失礼……なんだから……!」

ノルンはそう口では言いながらも、思わず吹き出してしまった。

普段のギリシャの荒くれ者ぶりを思えば、その仰々しい姿はまるで仮装のようにしか見えなかったのだ。


「この辺りの担当になったんでな、大店には顔出しが必要なんだよ。」

笑い声の中でギリシャは不満げにそう言い放つ


“大店”とは、商人組合の本部、娼館、冒険者ギルドなど、規模の大きな施設を指す言葉だ。

それに比べれば、「選択の羊」は個人が趣味で営んでいるような小さな道具屋にすぎない。


「それと、治安が悪いとこもだ。」


「なるほど。真昼から怪しい連中が屯する場所、ね」

ノルンは皮肉を込めて笑いながら、店内で道具を吟味する冒険者たちに目を向ける。

なるほど、騒がしくて物騒な匂いがするには違いない。


「けど、あんたが現れると治安どころか騒ぎが増すだけじゃない?」


ギリシャは中堅冒険者としての名声はゆるぎないもので、その腕前は確かだ。

並の賊やならず者など、素手でも簡単に取り押さえてしまう実力を持っている。

だからこその士官という事なのだろうが、今は公的に武力行使の権限まで持っているのだから、確かに質が悪い。


「分かってるって。だからこそ、お目付け役がついてんだろ」


店の外には、無表情な中年の男が直立して待機していた。

風ひとつで揺れることもない佇まい。見るからに“付き添い”などではない、“監視者”である。

この一帯に新たに任ぜられた百戸長・ギリシャの失態を防ぐため、王都から派遣されたのだろう。

恐らくは、実戦を潜り抜けてきた手練れの古参。

そのあまりに真面目そうな顔つきに、ノルンは内心で「気の毒に」と小さく同情した。


「ま、今まで見たいに依頼選んで好きな事だけやるわけにはいかないが、何かあったら呼んでくれ」

ギリシャは胸を軽く叩き、気安く言葉を継いだ。

「こう見えても、俺――まあまあ偉いらしいからよ」


百戸長という役職は、現場で一定の裁量を認められた立場である。

もちろん本格的な取り調べや裁定となれば、それは「審律院」の管轄となる。

だが、日々の巡回、軽犯罪への初動対応、市井の混乱収拾などは、黒衣衛の手に委ねられている。


「その代わり、ヘマすりゃ即座に剥がされるけどな!」


冗談めかした声に、笑顔が浮かぶ。

それは飾り気のない、街で育った男の笑みだった。


頼りにしてよいのか怪しげな新米にノルンが微笑みながら声をかける


「じゃあ、“お役人様”。今日のところはこのくらいでいいかしら?」


慣れた手つきで数枚の金貨を布に挟み、さりげなくカウンターの上を滑らせる。

王都で店を構える以上、特別なことではない。

これは賄賂というには額が小さく、むしろ“労い”とすら呼べるものだ。

もしこれで揉め事が回避できるのなら、商人にとってはむしろ安い。


ギリシャは金貨の包みを目の前にしたまま、微かに眉をひそめた。


「……これ、受け取らなきゃいけないものか?」


ノルンは帳簿に目を落としたまま、わずかに笑う。


「別に“受け取りたくない”なら無理にとは言わないけど……あなたの部下はどうかしら?

それとも、さっそくヘマをするつもり?」


ギリシャは言葉を失う。

かつては剣を手に、あらゆる障害を斬り伏せてきた。

だが今、彼の力は腰に下げた剣ではなく、その隣の証印に宿っている。

混乱を鎮めるのは、剣の威力ではなく、この“やりとり”なのだ。


「……こういうのは、慣れるもんか?」


「さあね。でも――“慣れた方が楽”なのは確かよ」

「これから相手にしていくのは魔物なんかより遥かに面倒な生き物よ」


ノルンの声には、冷たさも皮肉もなかった。

ただ、この街で生きていく者の静かな現実があった。


ギリシャはしばし包みを見つめた後、そっとそれを手に取る。

金貨の重みが掌に馴染まないまま、彼は静かに腰の袋にしまった。


「……黒犬呼ばわりも当然だな」

ぽつりと漏れた声は、誰に聞かせるでもなく低く、苦笑混じりだった。

「魔物殴ってた方が、よっぽど筋は通ってたな……」


その言葉には、かつて剣を振るっていた頃の誇りと、

今この場で感じた割り切れなさが、入り混じっていた。


「さて、顔は見せたし。十分に笑われた。ひと先ずは任務完了ってことかな」


ギリシャは外の監視役に一瞥をくれてから、肩をすくめて「じゃあな」と手を振り、からからと店を後にした。


その背に、再び軽い笑いと、ほんの少しの敬意が混じった視線が送られた。

笑っていたのは、ノルンだけではなかった。



ノルンセレクト

付け届け:金貨3

賄賂とは言わないまでも、形式的・慣習的に行われる

ギリシャの就任祝いも兼ねてかなり多め

人間相手では特効であることが多く、様々な場面で効果を発揮する

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