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007.城門

多くの民を守るための城壁と城門

その中に居れば安全と保護を約束されるが……

二つの月が顔を出して重なり、冷たい光を地上に注ぎ始めるころ。

王都を囲む高い城壁の門は、静かに、けれど確かな決意をもって閉ざされることになる。


その一刻前──閉門の合図を告げる鐘の音が、東の塔から順に、くぐもった余韻を引きながら鳴り響いた。

金属が空気を震わせるその響きは、遠く離れた市中の隅々にまで染み渡り、昼のざわめきを洗い流していく。

ノルンもその音を耳にし、棚の品を手際よく片付け始めた。帳簿を閉じ、戸棚に鍵をかけ、ひとつひとつ、静かに。


王都の門が閉じられれば、そこはもはや誰であれ通れない。

冒険者であろうと、旅人であろうと──たとえ王族であろうとも、例外はない。

これは秩序であり、誇りでもある。

だからこそ、外に残される者たちにとっては、まさに生死を分ける境界となる。


街の喧騒は潮が引くように遠のいていく。

店先を行き交う者の姿もまばらで、旅の荷を背にせかせかと駆けてゆく影が、路地に長い影を引いていた。

それらはほとんどが、朝一番の出立に備えて寝床と装備を整える冒険者や旅の民。

すでに一日が終わりへ向かっていることを、街全体が静かに受け入れていた。


閉門間際の時間帯は、いつだって慌ただしいものだ。

出る者にとっては、間に合わなければ夜を城壁の内で過ごせばよいだけの話。

だが、入る者にとっては──それは、命をかけた賭けに他ならない。


門の外は、王都の庇護の及ばぬ場所。

獣魔の群れが夜陰に乗じて徘徊し、野盗が牙を潜めて狙いを定める。

光と秩序が支配する王都の外は、まったく異なる世界。

そして夜が来れば、その違いはより決定的となる。


そんな時刻──もう誰も来ないと思っていた扉が、からん、と軽やかな音を立てて開いた。


顔を上げたノルンが見たのは、ジノという名の青年だった。


旅装のまま、肩に埃を乗せたままの姿で現れた彼は、どこか飄々とした物腰の好青年だ。

左手にはまだ手綱を握っていた感触が残るのか、指先がやや白んでいた。

冒険者登録はあるが、戦いに身を投じるよりは、王都と周辺都市を行き来し、荷運びや小間使いで日銭を稼ぐ便利屋──そんな暮らしをしていると聞いている。


「もう閉めるんだけど?」

ノルンが帳簿から目を上げて言うと、ジノは気まずげに笑って肩をすくめた。


「わかってる。けどさ、戻る街道でちょっと気になる連中を見かけたんだ。女子供を含めて十人くらい……碌な荷もなく、着の身着のまま。あれは流民か難民、良くて巡礼者だと思う。どちらにせよ、あの調子だと門には間に合わない」


さらりと語られた内容に、ノルンの手が止まる。

街に入れなかった者がどうなるか、それはこの地で暮らしていれば誰もが知ることだった。


外に留まるということは、夜を越すということ。

しかも、その身一つで。

悪漢に襲われて金で済めば御の字、もし女子供であることが目的なら……その先は想像に容易い。

運よく通りすがりの商隊や余裕のある冒険者にでも拾われれば御の字だが、彼らも閉門を意識して行動をしているのだ、運よくというのは本当に運が良い場合だけだ。

門に間に合わぬそのほとんどは恐怖に震えながら夜を明かすことになる。


「……可哀そうだけど、どうにもならないわ」

ノルンは静かに、現実を突きつけるように言った。

王都という都市は、それだけの数の人々が集まり、門という境界線の向こうで日々、似たようなことが繰り返されている。


「そうなんだよな。王都の門は硬いから。けど、今日は死人が出るかもしれない」

ジノは言葉を継ぐ。

「もうすぐ雨が来る」


ノルンは眉をひそめた。

雨。──それは旅人にとって最悪の知らせだった。


外の人間にはただの悪天候ではすまない。

火は消え闇が全てを隠し、風雨と雷に音すらも奪われる。

悲鳴も怒号もすべてかき消されてしまうのだ、隣で人が襲われても気が付かない、助けを呼ぶ叫びも届かない。

人だけではない。

さらには、水魔と呼ばれる、雨や水に潜む魔性の存在。

一度嗅ぎつけられれば、非戦闘員などひとたまりもない。


ジノは話す間にも店内を見て回り、防寒具、折りたたみ式の簡易天幕、火打ち石、焚き付けの束、そして携帯食を──ためらいもなく手に取って、次々とカウンターに並べていった。


どれもこれも、自分ひとりで使うには過剰な量だった。


ノルンはしばらくその背を黙って見ていた。

──この男は、果たして善意でそれをしているのか。

それとも、弱者の窮状に乗じて高値で売りつけようという算段なのか。

ノルンには、それを見極めるだけの目がまだ育っていない気がした。


やがてジノは手を止め、いつもの軽い口調で言う。


「これだけまとめて買うんだ。少しくらい、まけてもらえると助かるんだけどな? このあと売れ残りのパンと、宿屋の残飯を買いに行く予定でさ」


ノルンは困惑しながらも、つい小さくため息をついて、うなずいた。

何かを見抜ける自信があるわけじゃなかったけれど──

それでも、いま目の前にいるこの男が、誰かのために動いているのだと思いたかった。


「多少汚れてるけど、乾いてはいるわ」

ノルンはカウンターの下からきつく締めつけられたぼろ布の束を取り出す。

元から売り物ではなく油汚れを落としたりや火口の材料として二次利用するための物だ。

惜しいものでも無い。


「いろいろと、悪いね」

支払いを済ませ、袋詰めされた荷物を軽く持ち上げたジノは、礼の言葉もそこそこに、軽やかに扉を開けた。

そして外の馬留に繋がれた馬の背中に次々に荷物を積んでいく。


開け放たれた扉から冷たい夜気が入り込む。

空では、二つの月が重なり、その下に広がる街道の先には、名も知らぬ人々が待っている。

きっと彼は、そこへ向かうのだろう。


ノルンは何も言わず、その背を、夜の帳に消えるまで静かに見送っていた。




ノルンセレクト

襤褸布:10銅貨

使い物にならなくなった衣服やカーテン、シーツなどの切れ端

様々経緯をへて最終的に行き着く布の末路、柄も素材も匂いも様々

ノルンは使い捨てできる布地として道具の整備に大量購入している

清潔とはいいがたいが濡れた体を乾かす程度の吸水性はある


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