001.新人
道具屋「選択の羊」のとある一日。
冒険者を目指す若者の前に立ちはだかる最初の敵。
王都ラグナ、商業地区の一角、人気のない小路にひっそりと佇む道具屋「選択の羊」。
木製の扉にはくすんだ金色の取っ手が付いており、開閉を告げる鈴の音は控えめだ。扉をくぐると、どこか懐かしい香り――木の温もりと古びた革の匂いが鼻をくすぐる。
店内は広くはないが、整然としている。壁には棚がびっしりと並び、手入れの行き届いた道具や小物が隙間なく配置されている。ランタン、ポーション、ロープ、手袋、冒険者御用達の基本装備が所狭しと並べられ、どれも値札が丁寧に貼られている。
装飾品か売り物なのか、所々に無造作に置かれた小さな植物――苔玉や小さな花瓶――が店内に柔らかな生命感を加えているが、それがかえって商品全体の無骨さを引き立てていた。
木製の重厚なカウンターには店の歴史を感じさせる帳簿が置かれ、その横には一冊の分厚い魔物図鑑が控えるように立てかけられている。
カウンターの椅子では少女が手にした商品に値札をつける作業に追われていた。
少女の名前はノルン。
まだ17歳だが、その目にはどこか大人びた影があった。くすんだ銀髪は肩の辺りで切りそろえられ、忙しない日々のせいか、少し乱れている。しかしその乱れが、彼女に妙な親しみやすさを与えていた。
瞳は薄い青灰色は、窓から差し込む光が当たるたびにガラスのような透明感を帯びる。繊細な人形のような整った顔立ちは控えめに見ても美少女や美人の群れの中にいても見劣りすることは無いだろう。
服装は質素で実用的な作りのブラウスとスカート。袖口に少しだけ糸がほつれている、もっとも彼女は気にしていないようだ。
夕日が店内を橙色に染める頃、扉の鈴がカランと鳴り響いた。ノルンは、手元の帳簿から目を上げる。入ってきたのは見慣れない顔――十代後半と思しき若者だった。
目は輝いており、その表情にはどこか未熟さを隠しきれない希望があった。荷物は肩掛けの鞄ひとつ、帯革に小刀が一振、足元はひどく汚れており、王都の外からの客人であることは明白だった。
「こんにちは!」
若者は元気よく声を上げ、カウンターに近づいた。
ノルンは自分と同い年程度に見える若者の風貌と態度から、この後のやり取りにため息をつきそうになる。
それでも今後付き合うことになるかもしれない客を無下に扱うわけにはいかない。
ノルンは既視感のあるやりとりを始める決心をする
「いらっしゃい、うちは初めての人ね」
「遠くから来たのかしら」
突然の質問に若者は慌てて答えた。
「はい、キルア村から今日やっと」
キルア村は王都から5日ほどの距離だ
街道は整備されており、差し当たって大きな危険のない安全な旅路だろう
それでもノルンは若者の行程にねぎらいの言葉と、称賛を送る。
およそ恋愛など未経験であろう若者は、その旅路を初対面の美少女に武勇伝のごとく称賛され褒められ舞い上がり赤面する。
他愛のない世間話を混ぜつつノルンは若者から事情を引き出していく。
「そんなすごい遠くから大変だったわね、怪我とかしてない?」
恋人の帰省を心配するかのような甘い言葉を掛けながら、目の前に立つ若者をじっと見つめた。その視線は冷静で鋭く、品物を査定みするような目つきだった。
頬は赤みを帯びており、まだ幼さが抜けきっていない。
少なくとも人は殺してないか……
しなくてよい心配をしながら、また若者に目を移す
「ふむ……」
ノルンの目は、自然と若者の全身へと移った。
肩にかけた鞄は街道をゆく旅人としても頼りない物だ。手のひらにある薄いマメは、長い労働の証というより、日々の軽作業でついたものだろうか。
「……荷物は少ないわね。どこかにもう預けたのかしら?」
ふと投げかけた問いは、そうであってほしいという機体でもある。
しかし焦ったように、ノルンが似たような若者から何度も聞いた返事で答える。
「あ、あの、これから揃えるつもりで……!」
此れから揃える
その言葉はノルンにとっては上客候補への立候補である、しかし素直に喜べないのも事実だ。
若者は控えめに見ても余りにも未熟なのだ。
これまでも冒険者を目指す馬鹿者がみな一様に恵まれた身体能力や老練な魔術師というわけでもない。
未熟だが恐るべき才能を秘めた天才、磨けば光るという事もある
しかし、ノルンが懸念する問題はもっと現実的に非情なものだ。
「……なるほど。」
ノルンは観察を終え、静かにカウンターの木を指で叩く。
「冒険者志望ね。けど……まだ冒険者ってわけじゃないわよね?」
若者の表情が曇る。彼女が言葉にしない真実を悟ったのかもしれない。
態度からするに恐らくはギルドへの登録もまだなのだろう、むしろ先にこちらに来たのは幸運かもしれ無い、そんな事を思いながらノルンは続ける
「それで、何をご所望かしら?」
「もしかして冒険に必要なもの一式という事?」
ノルンの問いに若者にとっては天啓というものだったろう
「はい!それでお願いします!!」
若者は嬉々として鞄から小さな革袋とりだし、中に詰まった銀貨と銅貨の山をカウンターに広げて見せた。
全て合わせても金貨には程遠い、多めにみても銀貨50あるかどうかだろうか。
それは若者にとっては大金だろう、だが冒険者の支度金としては余りにも不足している。
全て中古品で見積もったとしても、その倍は必要になるだろう。
冒険者に憧れて希望にあふれる若者がどの程度の一式を期待しているのかノルンは手に取るようにわかっている。
しかし理想と現実は余りにも違い過ぎる。
あの程度の金額では背嚢やブーツ、ナイフなどは到底手が出ない、身に付けている物で補ってもらうしかない。
ノルンは予算と折り合いがつく範囲で最良と思われる道具を見繕う
この若者が無理な魔物退治など引き受けずに済むように、簡単な採集などの日帰り依頼がこなせるよう。
「そうね……それじゃ、これくらいかしらね。」
色あせた水袋が二つ、鈍色のランタン、小さな火口箱、厚手の外套、そして薬草と応急処置キットを取り出してカウンターに並べられる。
ノルンとしては絶対の自信がある品々だが、若者には薄汚れた中古品に見えるだろう。
ノルンセレクト
水袋(8銀貨*2):1Lの小型が二つ、使い込まれて柔らかくまた匂いも完全に抜けている品
火口箱(3銀貨):特殊な防水処理によって雨天や落水後も問題なく使用できる
外套(15銀貨):厚手の防水布で最低限の防寒防雨が期待できる。見た目もまあまあ
ランタン(8銀貨):照明器具、松明では片手がふさがるため選択、夜間、洞窟内の採取依頼も考慮
薬草と応急処置キット(10銀貨):簡易的な止血と治療が可能、死なれては困る
油(5銀貨):燃料、着火剤、潤滑油、錆止め、防水など用途が広い
「初めてのお客様だから、サービスで油は詰めてあげるわ。」
ニッコリと微笑んでみせるが、若者の顔は曇ったまま。
それでものノルンは言葉を続ける。
「薬草と応急処置が不要なら、ロープや防水布を選べるわよ。ロープは10メートル、崖登りや荷物を縛るときに便利ね。防水布は寝るときに雨を防いだり、簡易の屋根を作ったりできるから、結構役立つわ。」
「遠出する予定がないなら、寝袋や替えの衣類なんかは今すぐ必要じゃないかもしれないわね。それに、魔法が使えるんだったらランタンや火口箱もいらないかもね?」
ノルンの問いに若者は小さく答える
「あ、いや……魔法は……」
「なるほどね。なら、火口箱は持っておいた方がいいわね。」
ノルンは安心させるように軽く頷き、火口箱の説明をしながら話を繋げる
「武器や防具はうちじゃなくてちゃんとしたお店で揃えた方がいいわ。うちじゃナイフや斧みたいな物しか扱ってないから。中古を安く扱ってるお店があるから紹介するわ」
「そ、それは助かります……」
若者がほっとした表情を浮かべたのを見て、ノルンは最後の仕上げにかかる。
此処までのやり取りで冒険者になるには金がかかるということは理解できたはずだ。
そして今の所持金では最低限の道具すらも満足に準備できないと、武器防具はこれらの比ではなく高価な事は言わなくても分かるはずだ。
此処から先は幾度となく繰り返された定型文に近いものだ。
ゆっくりと落ち着いた口調で、さも今気が付いた心配事のように提案する。
「町に着いたばかりなら、宿もまだ決まってないんじゃない? それなら買い物は明日にして、先に宿をとった方がいいわ。街中とはいえこの時期は野宿は辛いから。この先に行った「水晶の鈴」なら私の紹介だと言えば多少は融通してくれるはずよ、あそこは駆け出しの冒険者が良く利用してて色んな話も聞けるわ」
ノルンなりの商談打ち切りの誘いだ
冒険者ギルドへの登録料やそこから先の出費詳細は宿の連中に任せてもいいだろう
とはいえ若者は恥をかかずに店を後にでき、宿にいけば冒険者というもの直に感じることになる
それでも冒険者になりたいというのであれば、何らかの方法で金を工面してまた店に訪れる
「ありがとうございます……また来ます。」
若者の言葉が真意なのかどうかはわからない
それでもノルンはその言葉に笑顔で返答を返す
「いつでもいらっしゃい、選択の羊はいつでも此処にあるから」
彼が店を出ると、扉の鈴が再び小さく響く。店内に静寂が戻ったが、ノルンは何も言わず、ふと壁際の値札のない短剣に目を向けた――それは、彼女自身がかつて持っていた夢の名残だった。
初期費用について少し書いてみる。
勿論、地域や時代によって変わるだろうが……