3話 終わりの始まり
人間界オリオンより西側に位置する国。魔王国ダランジュラ。
魔王ブルルブルルルが支配するこの国に、マオウは訪れていた。
「いいじゃねえか。俺からしてもその提案は魅力的だぜ~~。だがよ~~、アダムとイヴはどうすんだ~~?」
ノイズ混じりの声が部屋中に響く。虫から覚醒した魔王であるブルルの声は人間の言葉を真似して似たような音を出しているだけだ。それ故に彼の声は人間達に対して不快な破音を帯びている。
「策はある。見ていろ。直ぐにでも状況は一変する」
マオウは怪しげに笑う。彼の計画は徐々に、そして確かに進みつつあった。
「おかえりなさいませ」
魔王国ダランジュラから自国に戻ったマオウを出迎えたのは、占い師のノスドラだった。
「ああ。早速だが、門を通してくれ」
「かしこまりました」
マオウに促されるがまま、ノスドラが水晶に両手を据えると、マオウの目の前に透明な扉が現れた。
「本当に、なさるおつもりですか?」
マオウ扉に手を添えると、ノスドラが問いかけた。
「お前は、容認しかねるか?」
「いえ。私は成るがままの未来に興味があるのです。どんな未来であれ、受け入れる」
マオウの質問にノスドラは瞳を閉じた。
マオウはそれから何も言わずに今にも消え入りそうな門の扉を開き、姿を消した。
扉の先は別空間だ。
物音ひとつせず、一切の埃も舞わず、視界に広がるのは壮大な草むらと、高く聳え立った一本の木。
「ここが、エデン⋯⋯」
魔王国 絶対断絶空間 原初の花園エデン
魔王アダムとイヴが支配する国。
他の種族は暮らすことのできない。ラクシア大陸と完全に断絶された外界。すべての始まりの地で、アダムとイヴしか暮らすことのできない神聖空間。
本来行き来することのできないエデンだが、ノスドラだけはこの空間とラクシアをつなぐ門を生み出せる。
とは言え、彼女が生み出せるのはほんの一瞬。門はすぐに消失してしまい、もう一度門を生み出さない限りここから出ることは出来ない。
その上、アダムとイヴ以外の種族がこの空間に留まれるのはおよそ10分程度。それ以上時間が立つと、原初以外の相応しくない生命として存在そのものを消されてしまう。
それは、マオウであっても例外ではない。
「やあ」「マオウだ。どうしたの?」
高く聳え立つ一本の木の麓に二人の少年少女が立ち竦んでいる。マオウの存在に気付くと嬉しそうに小さく笑った。
「めずらしいね」「ここに来る人なんて、あなたが初めて」
二人は体を絡ませながら、まるで自分たちだけで会話している様に話している。
「悪いな。長話は出来ない。俺であっても、存在そのものを消されてしまえばどうしようもない」
「はは。いいよ」「ふふ。話して?」
「ああ」
マオウは会話の中である物を気に止めていた。
一本の木にぽつりと生えたたった一つの果実。
黄金に光ったその実を一瞬目に止めると、アダムとイヴに言った。
「悪いが、少しの間眠っていてもらう」
「「え?」」
途端、マオウは瞬間移動の如く、アダムとイヴの頭上になる果実に手を伸ばした。
アダムとイヴは果実に触れようとするマオウの姿をぎりぎりまで目で追っていた。
いける⋯⋯
果実に一瞬触れ、マオウがそう確信した瞬間だった。
「「───なにやってるの───」」
その声は、耳元で聞こえた。
おい。嘘だろ。
時間の問題じゃない。今の今まで、こいつらは俺の真下に居たんだぞ!?
考えているうちに、マオウは草の中に身を投げ出されていた。
体中に鳥肌が立ち続けている。全身が震えている。いや、ものすごく震えている。
まるで、マオウの本能が彼らに脅えているようだった。
「直接戦ったことはなかったが、まさか、これまで──」
「ねえ」
再び耳元で声がする。
なにをしようとしてるのかな?
そして気付けば吹き飛んでいる。段々と果実から遠のいていく。
ああ。これは、無理だ⋯⋯格が違う⋯⋯
「ねえ、許してほしいの?」
吹き飛ばされている最中でも、すぐ傍で話しかけてくる。
「あ、ああ⋯⋯」
「ふふふふふふふ」「ははははははは」
やめろ。やめろ。やめろやめろやめろやめろやめろ。
「やめろー!」
「「ゆるさない」」
まるでベクトル変換されたかのように、マオウは再び草むらの中に飛ばされた。
え? なにがおきたかわからない? あたりまえだ。
だって、なにもしてないのだから。
流れる時間の中では、この二人は一切動いていないのだから。
「ははは。あとちょっとで」「マオウが消えちゃうよ? ふふふ」
横たわるマオウのすぐ傍で二人は不気味に笑い合っている。
もう残された時間は少なかった。絶体絶命。マオウの計画は早くも失敗の秒針を刻み始めていた。
「⋯⋯⋯⋯」
「どうする? もう殺す?」「どうしよっか。殺しちゃう?」
二人はまるでどのおもちゃを買うか悩んでいる様に首をかしげると、暫くの間をおいて言った。
「「殺そう」」
その瞬間だった。
二人の動きが止まった。見つめる先はマオウの手。
「ねえ、なんでそれもってるの?」「ねえねえ、どうやってとったの?」
「⋯⋯」
ここにきて初めて動揺する二人に、マオウはにやりと笑いつけた。
「「かえせ!」」
血相を変えて叫ぶアダムとイヴ。その瞬間、マオウは手に持っていた金色の果実を空中に投げつけた。
二人の視線が果実を追い、手を伸ばそうとする。
「必死だな。まあ、そうでないと困る」
果実を無我夢中に追う二人の横で、マオウは話し出した。
「私が何の策もなしに犬死しに来たと思うか? 本気でお前たちに勝とうとしていると思ったか? 違うぞ。言っただろ? 少しの間、眠っていろと⋯⋯」
アダムとイヴが果実に手を伸ばす。あと20秒で10分。マオウは消滅する。だがマオウは笑っていた。そして、呟いた。
「これがすべてのはじまりだ」
途端、果実の黄金が空間全体に広がる。
「ノスドラ!!!!! 門をあけろ!!!!!!」
マオウの雄たけびと共に、少しのラグもなく新たな門が生まれる。
マオウが消えるまで、残り5秒。
やった! やったぞ!
4
これで、私の望みが叶う!
3
もう私の邪魔をするものは⋯⋯
2
この世から居なくなったんだ!
1
私の時代だ!
0
門とともに、マオウは姿を消した。丁度10分という時間で、マオウはやり遂げたのだ。
アダムとイヴの封印を⋯⋯
人間界 オリオン城
「王よ、本当にマオウ殿との会談をお受けする御積りですか?」
オリオン国の大臣、マグラス・セリアーノは深く頭を悩ませていた。
かつて一度も会談を行ったことのない魔王マオウから正式な会談が申し込まれたからだ。
「受けぬわけにはいかんだろ⋯⋯」
オリオン国。第15代目国王。タンドリー・オリオン。彼も頭を抱え難しい顔をしていた。
マオウの来訪は今回で2度目になる。1度目は、タンドリーが生まれるはるか前。マオウが魔王に覚醒しておらず、先代魔王の傍付きとして出向いた。魔王としてこの地に訪れるのは今回が初めて。ならばなぜ二人がこれ程に頭を悩ませているのか。その理由は二つあった。
一つはマオウ自身がかなりの人間嫌いであるという噂から。魔王に覚醒する以前に人間を恨んでいた魔王は他にも少なくないが、マオウもその一人。その中でも、彼が人間から受けた仕打ちはかなりのものだという。勿論唯の噂でしかないのだが、それを形づける根拠がある。それが二つ目の理由。
彼は今だかつて人間に救いの手を差し伸べたことがなかった。
前回の魔王戦線で勝利したアダムとイヴによって定められた人類と魔王間の平和協定。他の魔王はそれに従ってか人類を何度も救ってきた。
だが彼は違う。アダムとイヴがそれを承知しているのかは分からないが、彼は頑なに人類を助けることをしなかった。その代わりなのか、人間に対して手も出してこなかった。
一切干渉しない。というのが正しい表現なのだろう。
そんな彼が史上初とも言える『人間の国との会談』それは必然的に王たちに不安をあたえる。
「彼が何を考えているかは分からんが、最悪の事態だけは阻止しなければならない。我らはこの国の民たちの命を預かっているのだ」
「最悪の事態ですか⋯⋯それは、例えば我々人類と魔王達の対立みたいな事でしょうか?」
「ありえなくはない」
暫しの間、沈黙が走る。その間聞こえるのは、二人の固唾を飲み込む音だけだった。
「無事に終わってくれると良いのだが⋯⋯」
王は思いを馳せた。何としても、オリオンを守る。今は唯、それだけだった。
「伝令! 伝令!」
と、突然部屋の外が騒がしくなる。それは、マオウが来訪した合図でもあった。
「王よ。この先なにが起きたとしても、私は貴方の右腕として、忠義を全う致します」
「ああ。頼むぞ、大臣⋯⋯」
「はっ!」
マグラスの思いを受け、王は腕を強く掲げた。
「いざ参ろうぞ!」
マオウの来訪を受け、城には出来る限りの勢力が集められた。
城を守る城衛騎士、国を守る防衛騎士、戦闘に長けた聖騎士団、魔法使い、魔人騎士団、上級冒険者。
数にすると約500名の精鋭たちが城に集められるのは異例の事態だった。
「よくぞ集まってくれた! オリオン国、国王のタンドリー・オリオンである!」
国王の号令にその場にいる全員が地面に膝をつける。それは、国王が長い時間で積み上げてきた信頼から来るものだった。
「もうすぐに、魔王の一人であるマオウ殿が、顔をお見せになる! これは人類史、そして彼が魔王になってから一度もなかった異例の事態だ! 皆を呼んだのは、彼に刃を向けるためではない! 国全体として彼を歓迎する意図に他ならない! だが! もし、この国に危機が訪れたとしたのなら、その時は! その忠義を、死ぬ直前まで守りぬいてほしい! そして、この国を、我らの手で救うのだ!」
おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!
城中に大歓声が巻き起こる。国王の言葉で、騎士たちの士気は大きく跳ね上がった。
「よろしい。さすがはタンドリー国王。噂に違わぬ立派な器だ」
大きな歓声の中でも揺るがぬ存在感。その声に、騎士たちの緊張感は膨れ上がる。
ばごん! と大きな轟音を鳴らしながら、城の大門が破壊される。それは予定より早くマオウが到着した合図だった。
「すまない。出迎えがないものだから、強引にでも入れさせてもらった」
その威圧感に、その場にいた全ての人間が気圧されてしまう。緊張感はさらに高まり、肌をじりじりと焼き尽くすようだった。
「ようこそいらした。魔王様においては──」
「建前はよい。未知なるものに警戒心を持つのは当然の事だ。王よ、私は交渉に来た。平和的解決を望むが、そちらがその気なら勿論相応の受け答えで対応しよう
「滅相もない。貴方がたには国を守っていただいている。こちらとしても平和的に済ましたい」
「よかろう。では案内せよ。話はそれからだ」
「御意」
マオウとの会談は、王室で、大臣と国王との三名だけで行われることになった。騎士たちは城じゅうにばら撒かれ、外からの警護態勢をとる。
「すまなかったな。扉を破壊してしまって」
「いえいえ。あとで修繕いたしますので。それで、交渉というのは?」
早速本題に入ろうとする王に、マオウは待てと言わんばかりに掌をかざした。
「そう焦るな。一杯どうだ?」
そう言ってワインをとりだしたマオウ。かなりの上品な酒だ。
「これはこれは。いただきます。なにか良いことでもありましたかな?」
「良いことか。そうだな。今日は私にとってかけがえのない日になるだろうからな。前祝いだ」
「前祝い⋯⋯ですか」
王はそう呟きながら、ワインを口に運ぶ。マオウもグラス一杯のワインをすべて流し込むと、大臣に向け「そちらも飲め」と促した。
「それでは、いただきます」
「さて、本題に入ろうか」
ワインを三杯程口に運ぶと、遂にマオウがそう切り出した。王と大臣は、互いに見つめあって固唾を飲む。
「近いうちに、とある魔王のもとに赤子が生まれる」
「赤子、ですか?」
「その赤子は相当な魔力量を持って生まれてくる。成長すれば、魔王達をも超えるやもしれん」
マオウの言葉に、隣で利いていた大臣が割って入った。
「失礼。そんなことがありえるのでしょうか? 魔王様がたの力は我我も知るところ。いくらそのうちの一人から生まれたとて、そう簡単に貴方がたを超えるとも思えない」
「ふむ。だが事実だ。証拠に、その赤子を宿した魔王の魔力量がここ最近、何倍にも膨れ上がっている」
そう言って、マオウは更にワインを口に運んだ。
「成程。そうなれば、これまで魔王様がたが守ってきた均衡が崩れかねないと⋯⋯」
「そう言うことだ」
「それで? 我々にどうしろと?」
王が問うと、マオウは空になったグラスを机に置いた。
「どうしろと言う訳でもない。そうか、よくよく考えれば、これは交渉ではなく、謝罪と忠告だな」
ひとりでに語るマオウの話についていけない王たちは首をかしげる。
「この際に、魔王の数を減らそうと思っている。そうだな、多くても三人いれば十分だ」
「そ、それは一体⋯⋯」
段々と不穏な空気が広がる。それに王も大臣も勘づき始めた。
「魔王戦線。そう言えば分かるか?」
「なんですと!?」
魔王戦線。それは禁忌とも言われている魔王同士の対戦だ。一度起これば国は幾つも滅び被害は甚大なものになってしまう。
「つまり、謝罪と言うのは⋯⋯」
「ああ。人類が滅びるかもしれないと言うことだ」
王は最悪の事態を、人類と魔王の対立だと思い込んでいた。しかし、実際はもっと残酷なものだった。魔王達が全国規模で争えば、彼らより力を持たない人類が巻き込まれ、滅びるのも必然。それは、無条件の蹂躙に他ならなかった。
「おまちください! なんとか、考えを改めてはもらえないでしょうか!? この国にはまだ小さな子供や女もいる! それに! そんなことをすれば、魔王アダムと魔王イヴの怒りを買ってしまう!」
王が必死に抗議するが、マオウは顔を埋め、くすくすと笑いだした。
「何が可笑しいのです⋯⋯」
「アダムとイヴか⋯⋯」
魔王戦線。そんなことは不可能だと王たちは確信していた。何故なら、魔王にはマオウでさえ逆らえない存在がいるから。
圧倒的な力を持ちながら、平和を求める二人の魔王。今となっては彼らがこの国においての、いや、この世界においての最後の希望なのだ。
しかし⋯⋯
「奴らなら、私が封印した」
「何⋯⋯だと────」
絶望だった。魔王を統治する彼らが封印されたと言うことは、体制に不満を持っていた魔王達が野ばらしになったのと同義。つまり、魔王戦線が現実的になったと言うことだ。
「だめだ⋯⋯そんなの許されない⋯⋯」
「許さない? 誰がだ」
「わたしがだ!」
「なら、どうする?」
「ここで、貴様をーーー」
「だめです! 国王!」
怒りを抑えられなくなった王に、大臣は声を上げて言い聞かした。
「くっ⋯⋯」
王は唇を噛み締め、何とか怒りを抑えた。
その様子を黙って見ていたマオウは立ち上がると無言で踵を返した。
部屋から出ようと歩き出す。
「魔王戦線が起きれば、お前たちの滅亡は絶対だ。それまで、僅かな時間を有意義に過ごすといい⋯⋯」
言い残すように、マオウは部屋を出た。ドアが開かれ閉まるまでに、王たちに視線を向け、ニヤリと笑った。
「すまぬ。大臣⋯⋯」
「国王、なにを!」
「城の騎士たちよ! マオウは今、敵と化した! その忠義を持ってして、奴を仕留めよ!」
その命令は城中に響いた。それは、マオウを敵として認識するという事。王は怒りを堪えることが出来なかった。
「人間は、やはり愚かだ⋯⋯」
「急げ! 王への忠義を果たすのだ!」「魔法使い一斉詠唱開始!」
「魔人である我らを救ってくれた王に報いるぞ!」
王の一声で城にばらけていた騎士たちがマオウに刃を向けた。
騎士たちの剣、魔法使いの大魔法、魔人たちの魔術それらが一斉にマオウへと向かった。
「騒がしい⋯⋯もう少し静かにしてくれ」
そう呟いた魔王が右手に何かを持つようにかざした。
途端取り囲んだ騎士たちが次から次へと炎に包まれていく。
城中に悲鳴が散乱する。それはもう、この世のものとは思えないほどの地獄絵図だった。
「だめだ⋯⋯こんなの、どうすればいいと言うのだ⋯⋯」
災害とも言える光景を目の当たりにし、王は膝からへたり落ちてしまう。
もう人類に助かる道はないのだと、絶望だけがひたすらに、波のように押し寄せた。
「愚かな王よ。お前に選択肢をやろう。この場で滅びるか、魔王の争いの中で死に絶えるか⋯⋯」
「私は、王だ。部下が命を落として戦っているのに、おめおめと生き残れるか」
「王⋯⋯」
「愚かな王。最期まで反吐が出る奴だ」
マオウが王の頭を握ると、体は一瞬にして廃になった。愚かで勇敢な王の最期は、実にあっけないものだった。
「国王!」
涙を流しながら切り掛かった大臣も、燃えるようにして死んだ。城に残ったのは、来訪者であるマオウただ一人だけだった。
その時、何処かで魔力が爆発的に跳ね上がったことに、マオウは気づいた。
「来た! 遂に来たのだ! その時が!」
嬉しそうに両手を大きく広げ、マオウは笑っていた。