お義姉さまはズルい
何の救いもないです。
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「アナベル・リグリー!今日を以て、お前との婚約を破棄する!」
煌々と輝くシャンデリアの下で、第一王子、ルーカスは叫んだ。
彼の視線の先には、顔を真っ青に染めた、ひどく儚げでうつくしい令嬢――ワタシの義姉がいる。
ひどく衝撃を受けたはずの彼女は、しかし声を震わせながらも、努めて冷静に言葉を発した。
「殿下、わたくし達の婚約は王命によるもの。殿下の一存で取り消すことのできるものでは、ございません」
「ふん、王命がなんだ。俺は真実の愛を見つけたのだぞ?きっと父上も許してくれる――なあ、エリザ」
その言葉に、彼の隣に寄り添っていたワタシ……エリザは、頬をほんのり染めてみせる。
それを見た義姉は、新たに言葉を紡ごうとする素振りを見せたが、それはルーカスによって阻まれた。
「それにお前は、エリザの母上が昔、公爵の妾であったことを理由に、彼女を虐めていたそうだな?」
全てエリザから聞かせてもらった――そう自信満々に言い切る彼を間近で見ているワタシは、笑いを堪えるのに必死だった。
――馬鹿な男。
そう内心で嘲笑しながらも、ワタシの表情は悲しげに曇る。
義姉に虐められている可哀想なコを演じるのは、何よりも得意なのだ。
……だってワタシは、この男に出会って以来、ずっとその仮面を被っていたのだから。
そんなことを考えながらもワタシは、つらつらとワタシに吹き込まれた義姉の罪――実際は何もされていないが――を述べてゆくルーカスの袖をついっと引いて、瞳を潤ませながら口を開いた。
「ルーさま、これ以上はどうか……お義姉さまが可哀想です」
「ああ、エリザ!君をずっと虐めていた相手を擁護するなんて、どれだけ優しいんだい?」
甘ったるく蕩けた視線を向けるルーカスに、計算し尽くした穏やかな笑みを返す。
少しの間見つめ合っていれば、落ち着きを取り戻したのであろう義姉が、常よりも低い声色で淡々と声を発した。
「理解いたしました。貴方はわたくしの義妹に想いを寄せていらっしゃるので、わたくしとの婚約を破棄したい、と……婚約解消の理由は殿下の不貞ということでよろしいですね」
「いいや、違う。お前の罪状により、俺たちの婚約は“なかったこと”になるんだ。だから、俺がエリザと婚約すれば、公爵家との縁談が壊れることもないからな。何の問題もないだろう?」
「貴方のおっしゃる罪状というものに、全く身に覚えがありません。証拠はあるのですか?」
「エリザがそう言ったんだ。お前に破かれたという彼女のドレスもある」
「捏造されたものです」
「ええい、黙れ!とにかく、お前はもう俺の婚約者でもなんでもない、罪人だ!衛兵、この女を捕らえよ!」
癇癪を起こしたルーカスがそう叫ぶも、衛兵はピクリとも動こうとしない。
……当然だ。
彼らが仕え、忠誠を誓うのは王に対してのみであり、そしてルーカスはまだ第一王子だ。
しかも、長く自分に対して献身を捧げた婚約者を蔑ろにし、あまつさえその義妹に誑かされるようなうつけ者と認識されてさえいる。
だから、彼らは王の子であるルーカスを守りこそすれ、決してその身勝手な命令に従ったりはしない。
まあ、そんなことが理解できていない彼は、怒りを隠そうともせず喚き散らかしているのだけれど。
そんなルーカスを目の当たりにしていた義姉は、一歩前へ足を踏み出し、うつくしいカーテンシーを披露した。
柔らかく波打つ金の髪が、ふわりと跳ねる。
ゆっくりと顔を上げた彼女の紫水晶のような瞳は、キラキラと輝く透明な雫を湛えていた。
「――殿下。ずっと、貴方のことをお慕い申し上げておりました。ですが、わたくし達の道は別れてしまったようですね……さようなら」
――ああ。嗚呼。
この言葉を、どれほど待ち望んでいたことか。
「ふふ……あはは……あはっ、あーっはっはっはっ!あはは、あはっあはははははは!」
もはや隠すまでもない。
ワタシは心のままに、声高らかに笑った。
皆のワタシを見る目が、侮蔑ではなく驚愕を孕んだものに変わる。
もちろん、隣にいるルーカスの甘ったるいそれも。
大笑いしたために溢れた涙を指先で拭いながら、ワタシは嗤う。
この場にいる、すべての人に向けて。
「やっと、やっと奪うことができたわ。お義姉さまの一等大切なモノ」
腰に添えられたルーカスの腕を振り払い、ワタシは義姉に近づいた。
そして彼女の耳元に唇を寄せ、
「ねえ、悲しい?それとも悔しい?今のお義姉さまの気持ちが知りたいわ」
そう囁いたワタシを、義姉はバケモノを見るような目で見つめ、呟く。
「……エリザ、どうして、こんなことを?」
――そんなの、決まっているじゃない。
「だってお義姉さまは、ズルいんですもの」
***
……物心ついたとき、わたしのお母さまは、いつも化粧台に座ってぶつぶつと恨み言を漏らしていた。
燃えるような赤毛と、黄金色の瞳を持ったお母さまは、わたしから見てもとても綺麗な容姿の持ち主だった。
けれど、彼女はわたしのことなんか眼中に無いようで、ただ、ひと月に一度だけ訪れる、ふわふわの金髪と紫の瞳の男性のことだけを考えているのだということは、幼いながらも理解していた。
また、その男性はいつも無表情かつ、用事が済めばさっさと帰ってしまっていたから、彼はお母さまを好いてはいないのだということもわかっていた。
その頃のわたしは、大きなお屋敷のすぐそばにある離れと、その周辺のお庭。お母さまと、日ごとに交代でわたしのお世話をしてくれる侍女達のみで構成された、とてもちいさな世界に住んでいた。
お母さまはわたしに関心を持っていないうえ、侍女たちだって誰ひとりとしてわたしに必要以上に関わろうとはしなかった。
でも、わたしはそんな世界が嫌いじゃなかった。
――籠の外にある、もっともっと広くて……醜いもので溢れているくせをしてうつくしい世界のことを、知らなかったから。
わたしが“外の世界”へ連れ出されたのは、十三歳になったばかりのころだ。
なんでも、わたしの“お父さま”の奥さまが亡くなってしまったため、わたしのお母さまが新しい“奥さま”になったのだそう。
わたしの“お母さま”が昔、既に妻のいる“お父さま”に恋をして、媚薬まで使って妾になったことだとか、月に一度、離れに訪れる男性が、わたしの“お父さま”だったことは、そのときに知った。
お母さまが“奥さま”になった日から、わたしは“妾腹”ではなく、“正妻の子”という立場になったため、わたしは離れから本邸の部屋へ居を移された。
……といっても、広い屋敷の中でもうんと端に位置するような部屋だったけれど。
そして、わたしが“正妻の子”になったことから、わたしには家庭教師が付けられた。
それだけでなく、今までよりもうんと沢山の侍女に世話をされるようになった。
ずっと豪華な食事が出されたし、綺麗なドレスも与えられた。
お母さまも、わたしに目を向けてくれるようになった。
……ぜんぶ、ぜーんぶ上辺だけのものだったんだけどね。
家庭教師はわたしを軽薄の目で見つめ、少しでも間違えれば、「これだから妾腹は」と言って首を横に振った。
沢山の侍女は、何かにつけてわたしに嫌味を言い、口実をつけて部屋の掃除を雑に切り上げ、食事を減らした。
お母さまは、自分の地位をより盤石なものにするために、わたしにお父さまを堕としたのだという手練手管や、“上手な仮面の被り方”を教え込んだ。
お母さまが正妻になったとはいえ、愛妻家だったというお父さまはできる限りお母さまに寄りつこうとせず、必然的にわたしも顔を合わせることは滅多になかった。
そんな状況は楽しいものではなかったけれど、まだまだマシだった。
だってその頃のわたしは、“他の人の世界”を知らずにいられたのだから。
わたしの日常が、当然があっけなく崩れ去ったきっかけは、些細なことだった。
あの日、わたしは勉強の息抜きに庭を散策していた。
けれど、ぼうっと歩いているうちに、わたしは広い庭の中で迷子になってしまったのだ。
実を言うと、屋敷の南へは絶対に行ってはいけないと家庭教師や侍女達からは言われていた。
だけど、道に迷ったからにはなりふり構っていられない。
そうして屋敷を探して庭を歩き回っているとき、その光景は突然わたしの目に飛び込んできた。
金髪に紫の瞳を持った男性――お父さま。
しかし彼は常のように無表情ではなく、口元には柔らかな弧を描いている。
その目線の先には、お父さまと全く同じ色彩を持った美少女がいた。
お母さまと瓜二つの色彩を宿して生まれたわたしとは違うのだと、そう見せつけられているような心地がした。
彼らを取り囲む使用人達も、わたしに向けられるそれとは真逆の優しい表情をしていて、穏やかに二人を見つめている。
呆然とするわたしの頭の中に、ふと、いつかのお母さまの言葉が響く。
『ああ、忌々しい。あの女も、その娘も。あの方の心をあたくしから奪ってしまうなんて』
家庭教師のひとりごとが浮かぶ。
『本当に、なんにもできないんだから、半分しか血が繋がっていないとはいえ、聡明なアナベルさまとは大違い』
侍女の呟きを思い出す。
『アナベルお嬢さまはあんなに旦那さまに似ていらっしゃるのに、あの妾腹ときたら、旦那さまの面影の欠片も無いわねえ……本当に旦那さまの子供なのかしらね?』
「うそ。うそ、嘘嘘嘘嘘嘘」
信じられなかった――信じたく、なかった。
誰からも笑いかけられて、大切にされるひとがいるなんて。
わたしは恥ずべき存在で、疎まれるのが当然だなんて。
ズルい。ズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいっっっ!
わたしは、ワタシは。
憎らしくて、妬ましくて、ひどく羨ましかった。
お父さまの愛するひとから生まれて、何不自由なく大切にされてすくすくと育った義姉が。
そんなどす黒い感情を抱いたワタシは、時間を見つければ、義姉の様子を観察するようになった。
その度に格の違いを見せつけられて、苦しい思いをしたけれど、それを止める気にはならなかった。
……だって、奪ってやりたかったから。
なんにも与えられないこの虚しさを、義姉にも味わってほしかった。
そしてそうでもしない限り、胸にぽっかり空いた空白は、埋まってくれそうになかった。
そんな日々の中、ワタシは義姉に縁談があるという話を耳にした。
なんでも、この国の第一王子とのものだとか。
見合いは公爵邸で行われるらしく、その日は部屋から出ないよう、家庭教師からきつく言われた。
そして見合い当日。
隙を見て部屋から抜け出したワタシは、会場になっているであろう庭の一角へと向かった。
そこには予想通り、義姉と彼女と同じ年ごろの美少年がいた。
義姉は美少年をチラチラと見ては頬を赤く染めていて、どう見ても彼のことが気になっている様子だった。
少年はそれを不思議そうに眺めていて、特に照れている様子は見えない。
――そうだ、この少年を奪ってしまおう。
二人を見たワタシは、義姉から奪うものを決めた。
幸いと言っていいのかはわからないが、お母さまは元来そのつもりだったようで、ワタシへ今まで以上に沢山の技術を教えた。
それを頭に入れつつ、ワタシは姉の婚約者となった美少年、ルーカスと接触する機会を窺った。
チャンスが来たのは、二人が婚約して一年後のことだった。
当時のルーカスは、優秀な義姉への劣等感に苛まれて、苦しんでいた。
そんな彼へ近づき、甘い甘い言葉を囁けば、彼はあっけなくワタシに靡いてくれた。
それからはもう、ワタシの独壇場だった。
ワタシの身に降りかかるあることないことをルーカスへと吹き込み、その主犯は義姉なのではないかと仄めかした。
純粋かつ単純だった彼は素直にワタシの言葉を信じ、義姉への不信感を募らせた。
そのお陰で、彼らの間に亀裂が入り、逆にワタシとルーカスの仲は深まっていった。
そうして、ワタシとルーカスが恋人になってから一年経ってから、彼はワタシをまっすぐに見て告げた。
「俺は君を虐めるような冷たい女とは結婚できない。アナベルとの婚約は、破棄することにした。だから安心して欲しい。必ず俺が君を守るから」
そんな言葉と共に、抱きしめられる。
その抱擁を笑顔で受け入れたのは、“勝ち”を確信したからに他ならない。
だけど、もう一押し。
「……それならば、公爵家と王家だけで話し合うのではなく、今度の夜会で、皆の前でそう宣言していただけませんか?――お父さまはお義姉さまの味方だから、聞き入れてくれないかもしれませんの。だから、夜会へ参加した方々に、証人になって欲しいのです」
瞳を潤ませてそう縋れば、彼は大きく頷いた。
――これでいい。
こうすることで、彼は夜会の後に、廃嫡もしくは幽閉されることになる。
王の整えた縁談を勝手に破棄するなどという愚行を衆人の前で行うのだから、当然だ。
ワタシも一国の王子を誑かした罪で、何らかの刑に処されることになるだろう。
だから、彼が夜会で婚約破棄を宣言すれば、ワタシとルーカスとが結ばれる未来は消える。
仮に、ワタシと彼が結ばれる未来があるとすれば、それはワタシが拒んだ、王家と公爵家で話し合いをすることだ。
そうすれば、ルーカスは王太子にはなれなくなるかもしれないが、少なくとも前者よりも酷いことにはならない。
だから、多少の被害はあれど、ワタシはワタシとお母さまの思惑通り、義姉の大切なモノを奪い、深く傷をつけることができる。
……だけど、ワタシは別に、お母さまの命令に従うつもりはない。
だって、お母さまがお父さまに無理やり迫ったりしなければ、ワタシは生まれることもなく、こんな思いをしなくても良かったのだ。
だからワタシは、ルーカスに婚約破棄を夜会で宣言するよう頼んだのだ。
――全部全部、壊してしまおうと思ったから。
そうして、ワタシは運命の日を迎えた。
***
「……ワタシの持たない全てを持つお義姉さまが、ワタシは憎くて仕様がなかった。だからね、お義姉さまの一等大切なモノを、貰おうと思ったの」
今までの人生を振り返りながら、ワタシはそう呟いた。
国王陛下の入場する姿が、視界の端に映った。
それと同時に、こちらへ駆けてくる衛兵の足音も聞こえる。
ワタシの最期も、すぐそばに迫っているようだ。
胸元に飾られた、派手なブローチの裏に手を伸ばし、仕込んでおいたガラスの小瓶を取り出す。
そんなワタシに、義姉はそっと手を伸ばす。
「エリザ、わたくしは――」
「もちろん、罰されることは承知しているわ。でも、これがワタシにできる精一杯の抵抗だったのよ」
久しぶりに、心からの笑みを浮かべる。
晴れ晴れとした笑顔を義姉へ向けて、ワタシは小瓶の蓋を外し、中の液体を煽った。
カシャン、と軽い音を立てて、ワタシの手から滑り落ちた小瓶が割れる。
すぐに脚の力が抜け、ワタシは床へ倒れ込んだ。
腕や脚にガラスの欠片が刺さり、紅い液体がドレスに点々と染みを作る。
鋭い痛みに、微かに顔を歪める。
捕らえられて、死ぬにせよ死なないにせよ、何日も苦しむのが嫌だったから、あまり苦しくないというこの毒を選んだのに。
我ながら、最期までついていないなと思う。
「エリザ!」
駆け寄る義姉に嘲笑を向けて、朦朧とし始める意識を奮い立たせ、ワタシは言った。
「大っ嫌い」
倉河みおり様から、素敵すぎるエリザのイラストをいただきました!
裏設定
作中に書いた通り、全ての発端はエリザの母がエリザの父である公爵に恋情を抱いたことです。既に公爵には愛する妻がいましたが、エリザの母は彼を諦められず、夜会で媚薬を盛って既成事実を作成。そしてエリザを妊娠。彼女の実家もまた公爵家であったことも相まって、公爵はエリザの母を自身の妾にせざるをえませんでした。
そして、妻のことを愛していた彼はエリザの母と、彼女を妾にする理由の一つになったエリザを強く憎みます。
また、エリザの母は公爵に狂信的な愛情を抱いており、エリザのことは彼を手に入れるための道具だとしか思っていません。
公爵の正妻が亡くなったあとにエリザの母がその座に着いたのは、彼女の実家が公爵に圧力をかけたからです。
お読みいただきありがとうございました。