7 驚くべき真相
祐介は、日向刑事を連れて、町工場から山下公園に向かった。どういうわけか、海には風が吹き荒れていた。
祐介は、まだ咲いていない薔薇の花壇のあたりをうろうろしながら、事件の説明を開始することにした。そこからは昔から変わらぬ姿の氷川丸が見えている。
「羽黒さん。勿体ぶらずに真相を教えてくださいよ……」
と日向刑事は、焦ったそうに言った。
「ええ。分かりました。日向さんの推理通り、犯人はやはり土屋直弥でしょう」
「しかし彼にはアリバイがある……」
「ええ。しかしそれは偽造されたアリバイだったのです」
「一体どのようなカラクリが……」
「まず、考えていただきたいのが、被害者が、青島飯店で黒いコートと帽子をまったく脱がなかったこと、そして、トイレに入る時にはマスクを着用したというふたつの不思議な点です。これは暖かい店内では明らかに不自然な行為です」
これはコロナ禍前の事件であり、トイレに行く際にマスクを着用するのは不自然な行為であった。
「それは確かに、そうですね」
「そして、映像の中で、彼女はトイレから戻ってきた後、麻婆豆腐を食べていますが、この具材は、死体の胃からまったく発見されなかった。日向さんは、この謎をどうお考えですか?」
「それは、やはり彼女が食後に嘔吐したのではないですか?」
羽黒祐介は首を横に振った。
「もし彼女が嘔吐したのであれば、餃子の具材だけ胃に残っていたのは不自然です。いいですか、彼女は麻婆豆腐なんて、はじめから食べていなかったのですよ……」
「なんですって……! それはつまり、どういうことですか?」
「トイレに入った女性と、トイレから出てきた女性は、まったくの別人だったんです。すなわち、トイレ内で、人と人がすり替わっていたのです。
つまり被害者は黒いコートを着て、入店しましたが、同じ頃、赤いジャンパー姿の似た背格好の女性が店内にいたことを覚えていますか。このふたりがトイレの中で、服装を交換したのです」
「でも、いえ、一体何のためにですか。だって、彼女は事件の被害者なんですよ」
「ええ。それこそがこの事件の最大の誤解なんです。我々は、トリックを仕掛けたのは犯人の方だと思っていたのです。ところが、実際にトリックを仕掛けたのは、被害者の方だったんです」
「なにを馬鹿な……」
「よくお聞きください。どういうことかと言いますと、被害者、内村麻美こそがそもそもこの事件の計画立案者だったのです。
動機を考えてもみてください。一方的に浮気をされて、捨てられた被害者の方にこそ、殺人の動機があるというものです。
内村麻美は、青島飯店で一人二役を行っています。これは完全なアリバイ工作です。青島飯店にいるように見せかけて、その実、彼女は喫茶店er02に向かっていたのです。この代役の女性の手紙の切れ端が、彼女のアパートの屑籠の底に残っていたのです。『前金はいただきました。当日は、黒髪のロングヘアで良いでしょうか』これを何故、内村麻美が完全に廃棄しなかったのは疑問ですが、おそらく、何かに焦っていて気づかなかったのでしょう。電子メールだと、かえって記録が残るから、あえて差出人の分からない手紙にして、連絡し合っていたのでしょう」
「いや、これは、おったまげた……」
「内村麻美が行ったことは、まずマスクを着用せずに黒いコート姿で青島飯店に入店し、防犯カメラにあえて顔を映した後、マスクを着用して、トイレへ向かいました。トイレ内で、代役の女性と落ち合い、黒いコートと、女性の赤いジャンパーを交換し、マスクを着用して、その女性の振りをして、支払いを行い、店から出て行ったのです。その後、内村麻美は、土屋直弥のいる喫茶店er02に向かったのです。このようにして、彼女自身は、二時よりもっと早い時刻に、横浜駅付近の喫茶店er02の付近へと移動することができたのです。
ところで、代役の女性は二時頃、青島飯店から出ていますが、これには疑問があります。内村麻美のためのアリバイ工作であれば、二時を過ぎても、店内で内村麻美を演じ続けた方がいいはずです。しかし、彼女は二時になると店の外に出ました。これは、何故でしょうか。
これはおそらく、被害者から来るはずの連絡が来なかったから不審に思っての行動だったのでしょう。この女性は、まだ名乗り出ていませんが、お金で雇われた人物であることは、手紙の内容からも分かっています。いずれにしても、内村麻美が殺されたという、深刻な事態を知り、自分が疑われることを恐れて、現在も身を隠しているものと思われます」
「なるほど。辻褄が合いますね……」
「さて、被害者は、喫茶店er02の付近、僕が見つけたビル一階の駐車場あたりでおそらく殺害計画を実行し、土屋の反撃に遭い、彼女は命を落としました。これが事件の真相です。土屋の行為は、過剰防衛とも正当防衛ともとれますが、土屋は何故、そのことを周囲に隠しているのでしょう。それは土屋がこのことで自分の過去まで詮索されることを恐れたのでしょう。土屋は、内村麻美になんらかの口実で、呼び出されたに違いありません。しかし、それは土屋にとっても非常に都合の悪いものだったに違いありません。たとえば、土屋の結婚を、破局に追い込むようなそんな類いの秘密だったとか。彼は、それが露見することを今でも恐れているのです。だから、土屋は、被害者と会うにあたり、こんなこともあろうかと反撃用の絞殺用のワイヤーを用意してきたのでしょう。それがナイフやバットではなかった理由は、刺殺や撲殺よりも、絞殺の方が、血が飛ばないから処理がしやすいと思ったのでしょう。
しかし、土屋は殺害後、死体の処理に困り、そこに駐車していた軽トラックの荷台に死体をあげ、そこに敷かれていたビニールシートを上から被せてしまったのです。そうすれば傍目には、荷物に見えますし、これで一時的に死体を隠せたわけです。
ここからがさらなる問題です。土屋は、すぐに都内に帰らず、喫茶店er02に戻りました。犯人なら一刻も早く、現場から通りざかりたがるものですが、きっと心が落ち着かず、そうしなかったのだと思います。彼はまだ死体から離れ去ることに恐怖を感じていたのでしょう。普通の心理状態ならば、犯人は現場から一刻も早く離れ去ろうとするはずです。しかし、彼はなにか忘れものがないか気になって家を出れない人のような臆病な精神状態になっていました。一度、離れるともうそこには戻ってこれないという感じがあったのだと思います。あるいは自首を考えていたのかもしれません。いずれにしても、路上に立っていると怪しいので、一旦、店内に戻ったのでしょう。
そこで、彼はおそらく、自分の指紋が被害者の赤いジャンパーに付着していることに気づいたのです。彼は、慌てて、死体のジャンパーを回収しに行きましたが、すでに軽トラックはそこにはありませんでした。この軽トラックは中華街付近の町工場に移動したのです。彼は焦り、そのトラックが中華街付近の町工場のものと聞き込んで、横浜駅からみなとみらい線で、中華街へと急いで向かったのです。これが三時のことです。そして、町工場の軽トラックにたどり着くと、ジャンパーを剥いだ上、ビニールシートに包んで、それを山下公園の付近の茂みまで移動したのです。死体が上着をまったく着ていなかったのはこのためです。そして、軽トラックからわざわざ死体を動かした理由は、そこに死体を残してしまうと、喫茶店er02付近で犯行が行われたという真相も知られてしまうからです」
「なんていうことだ。これなら、すべて辻褄が合う!」
と、日向刑事はあまりのことに喜び、海に向かって言葉にならない言葉を叫んだ。
「しかし、それでは、我々はこれから何を調べたら良いのですか?」
「事件当日、軽トラックに死体が積まれていたことをまず証明すべきです。それはトラックの荷台を調べれば、ルミノール反応や、DNAなどから、自ずと分かることでしょう」
と祐介は断言した。