他人との距離感難しすぎてwww withぴーちゃん
このエッセイと出会っていただきありがとうございます。あくまで個人的な意見ですが、最後までお読みいただけると嬉しいです。
「私は他人に嫌われているのではないか。」
心の根底には必ずこいつがいる。この「嫌われているのではないか」という感情を、ここでは仮に「ぴーちゃん」と呼ぶことにする。何となくそのほうがかわいいから。
ここで私の対人関係における基本的スペックを述べておく。
とりあえずめちゃくちゃコミュ障。ろくに人と目を合わせられない。リア友は数人。ネッ友さん数人。・・・悲しくなってきたからあとは察して。
さて、問題となっているぴーちゃんだが、この子の影響力というのは凄まじい。ぴーちゃんが私の側にいるだけで「あ、今言ったことまずかったかな・・・?」だとか、「あのときもっとこういう言い回しが出来てたら・・・」だとか、独り反省会が24時間体制で行われる。
以下ではぴーちゃんのエネルギーがいかに大きなものなのか、事例を交えてご紹介していく。
友人AさんからのLINEの返信が素っ気ない。そういう変化がとても気になってしまう性格なのだ、私は。
ちなみに同性の友達。Aさんは県外に住んでいるから気軽に会うことは難しいのでLINEでの会話が基本的なコミュニケーションだ。彼女とは「もうめちゃくちゃ仲が良くてほんとに心を許してる親友」レベルまではいっていないのだが(私のコミュニケーション能力のなさ故である)、私にとっては大切な人だ。
以前は向こうから話題を振ってくれたり、共感を含んだ相槌をうってくれたりしていたのに。共通の趣味の話題を振っても「それな」「ほんとにそれ」で済まされる。
おそらくここで多くの人間には「私、何か嫌われるようなことしたかな?」とぴーちゃんが降臨することだろう。単純に私とトークするのが面倒なのかもしれないし、Aさんの他の友人との距離が縮まった結果のことなのかもしれない。不安と焦りだけがブクブクと膨れ上がっていく。なぜなら私はAさんのことが純粋に好きだし、これからも仲良くできたら、と思っているからだ。空回りしていくぴーちゃんというネガティブ感情がどれほど自分を堕としていくのかは想像に難くない。
何か気に障ることを言ってしまったのだろうか、いや私って何もしなくても嫌われるしな・・・。もともと仲良くなりたいと思っていたのは私のほうだけだったのかもしれない。
ぴーちゃんの心の支配力、恐るべし。
ここで私は唐突にある仮説が浮かんできた。
Aさんは今、他人とコミュニケーションをとることがしんどいときなのではないか、と。
ぴーちゃんの莫大な力で物事を自分中心に考えすぎていたことに気づいた。Aさんにとって何かストレスになるようなことがあったのかもしれない。忙しくて体調がすぐれないのかもしれない。
Aさんは私を何度も助けてくれた。本人は覚えていないくらい些細なことだったのだが、私は救われた。なら今度は私が彼女に寄り添うべきではないのか。ほんの少しの勇気をだして、「伝える」ことを恐れずにAさんといられたら。
その結果、仮にAさんとの心的距離が遠ざかることになっても仕方ない。もちろんそうならないようにぴーちゃんをコントロールしようと試みているのだが。彼女が私を嫌いになっていたとしても、当然悲しいけれど気持ちを切り替えるスピードは上がるだろう。去る者は追わない主義だ。
「ひねくれていないでもっと相手のことを信じてやれよ笑」とか、「単純に嫌われてるだけだろ、空気読め笑」というツッコミをしたくなるのもわかる。でも他人を「信じる」ことも他人に「期待しない」ことも、思っている6538倍くらいは難しい。個人的には人類が直面する最重要課題の一つだと思っているくらいだ。
なんだか私のコミュ障っぷりを晒しただけの気もするが、むしろそんな気しかしないのだが、私は彼女に嫌われていようといまいと「ぴーちゃん」との共生を楽しんでいく。
最後までお読みいただきありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
よかったら他の作品もチェックしていただけると...(図々しい)