ぼくのみみ
思いつきで書き上げました。
お気づきの点などあれば教えていただけるとうれしいです。
ぼくは、保育園のぬいぐるみとして買われた、クマのぬいぐるみ。
名前は、ミミ。
ぼくの大きな耳を見たすみれ組のレイラちゃんが、「ミミちゃん」とぼくを呼んだから、それからずっと、ぼくは「ミミちゃん」と呼ばれている。
クマなのに、ミミ。
普通、ミミって、うさぎとかにつける名前じゃないか?
確かに、ぼくの耳は、クマにしてはちょっと大きいかもしれないけれど。
まぁ、そう呼ばれるのは、別に嫌じゃないし、好きにさせている。
だって、ぼくは喋れないし、動けないからね。
保育園に来たばっかりのころ、ぼくはみんなの人気者だった。
何たって、ふわっふわの、もっふもふだったからね。触り心地抜群さ。
すみれ組のレイラちゃんも、ひまわり組のアヤネちゃんも、そら組のカオルくんも、ぼくのことがいちばんすきだと言ってくれた。
毎日いろんな子にぎゅーっと抱っこされて、耳や尻尾をもみもみされて、からだじゅうもみくちゃにされて。毎日クタクタになるけれど、とってもしあわせだった。
そのうち、だんだんとぼくが汚れてヨレヨレになってくると、ぎゅーっと抱っこしてくれる子は減っていき、乱暴に扱う子が増えてきた。
腕を掴んで振り回されたり、耳を掴んで投げられたり、お腹をふまれたり。
とっても痛かったけれど、ぼくは我慢した。
だって、ぼくは喋れないし、動けないからね。
ある日、レイラちゃんとアヤネちゃんが、ぼくの取り合いっ子を始めた。ふたりは、ぼくがヨレヨレになった今も、ぎゅーっと抱っこしてくれる子たちだ。
ぼくも、ふたりのことは大好きだ。
それでも、こういうのは本気でやめてほしい。
「れーらのミミちゃんかえして!」
「ミミちゃんはみんなのだもん!レイラちゃんのじゃないもん!」
レイラちゃんはぼくの右耳を持って、アヤネちゃんはぼくの左耳を持って。
お互いに力いっぱい引っぱるもんだから、ぼくは耳が痛くて痛くてたまらなかった。
それでもぼくは、我慢した。
だって、ぼくはぬいぐるみだから、声を上げることも、抵抗することもできないからね。
先生、はやく助けに来て。
そう、願いながら。
でも、そんなぼくの願いは、先生にも神様にも届くことはなく、とうとう僕の耳は二つともちぎれてしまった。
耳がちぎれたその拍子、レイラちゃんとアヤネちゃんはしりもちをついて、ぼくの体は、ぼてっと落ちた。
そしてふたりは、自分の手に握られたぼくの耳と、少し離れたところに落ちているぼくの身体と、相手の手に握られたぼくの耳を、順番に見て。
そして、ふたり同時に泣き出した。
「「⁈………ぅわーーーーーん!!!」」
ふたり分の大きな泣き声を聞いて慌ててやってきた先生は、三つに分かれてしまったぼくを見て、ようやく事態を把握した様だった。
「あらあらあら。さぁ、ふたりともいらっしゃい。先生にお話をきかせてね。」
先生に連れられて、レイラちゃんとアヤネちゃんは、ぼくの耳を持ったまま行ってしまった。
ぼくは、お遊戯室の冷たい床に、ひとり取り残されたまま。
ふたりと、ふたりの小さな手に握りしめられたままのぼくの耳たちが、だんだんと遠ざかっていくのを、ただじっと見ているしかなかった。
だってぼくは、喋れないし。動けないからね。
それから、おかたづけの時間になるまで、耳の取れたぼくに近づいてきてくれる子は、だれもいなかった。
レイラちゃんとアヤネちゃんが僕を取り合っていたのを見ていた子が、周りにいたはずなのに。
ぼくがヨレヨレで、耳のとれたぬいぐるみだからなのかな。
だから、誰も来てくれないのかな。
そんな、泣きそうな気分になっていた時、ぼくのか身体がふわりと浮いた。
「よーが治してやるからな、ミミ。」
そう言って、ぼくを冷たい床から拾い上げてくれたのは、外遊びから帰ってきたリョウくんだった。
リョウくんはちょっと舌ったらずで、「リョウ」と発音できない。いつも自分のことを「よー」と言ってしまうので、おしゃべり上手な女の子たちからからかわれている。それが恥ずかしくて、からかうのをやめてほしくて、ちょっと乱暴な言葉遣いになってしまうだけで、リョウくんは別に、乱暴者なわけじゃない。
ただ、他の子よりもちょっと背が高くて、力が強いだけ。
壊れたおもちゃや、やぶれた絵本を見つけると、修理してもらおうと先生のところに持っていくんだけれど、あまりにリョウくんばかりがもってくるもんだから、先生はリョウくんが壊していると思っているみたい。
リョウくんが「よーじゃないよ。こわれてたんだよ。」と言っても、先生のお顔がリョウくんを信じていないお顔になるから、リョウくんは自分で修理をするようになった。
でも、上手に治すことができなくて、余計に壊れたり、ズレてくっつけちゃったりするから、先生に叱られるんだ。
リョウくんは、なにも悪くないのに。
ぼくが踏まれたときには助けてくれたし、ぼくにふれる手はいつもやさしいんだ。
今も、耳のちぎれたぼくをそっと抱っこして、「いたかったな」って、頭をなでてくれている。
こんなに優しいリョウくんが、おもちゃを壊すはずもないのに。
先生ってば、人を見る目がないんだなぁ。
リョウくんがとっても優しい子だって知ってるのは、ぼくだけかもしれない。
それはちょっと残念なことだけど、ぼくだけが知ってるって、なんだか特別な感じがして嬉しい。
耳のなくなったぼくは、何だかよくわからない生き物になった。
耳がちぎれた所は糸がほつれて、中の綿がちょっと出ちゃってるし、左右に引っ張られたから、顔もちょっと歪んじゃったみたい。
リョウくんは、歪んだぼくの顔の形を整えたり、飛び出した綿を指で押し込んだり、ほつれた所にばんそうこうを貼ったりしてくれた。
ぼくに貼ってくれたばんそうこうには、リョウくんが大好きなヒーローが付いていた。
これ、リョウくんがいつもお守りみたいに持ってるやつだって、ぼく知ってるよ。
この前リョウくんが転んだ時、ポケットから出したばんそうこうを見て、泣くのをグッと我慢してたよね。
大事に大事に待ってたから、ちょっとくしゃくしゃになってるけど。大事な宝物なのに迷わずぼくに貼ってくれたのが、すごく嬉しかった。
「あとは耳だな」
ちぎれた耳が落ちてないか、リョウくんはあたりをキョロキョロと見回した。
近くに落ちていないことがわかると、おもちゃ箱の中や本棚の中、みんなのお荷物棚の中も覗いて探してくれた。
でも、僕の耳は見つからなかった。
だって、レイラちゃんとアヤネちゃんが持って行っちゃったからね。
「…ミミ、みつからないや。ごめんな。」
そう言ってリョウくんはぼくをぎゅっと抱きしめて撫でてくれた。
耳がなくったって、平気だよ。
こうやって、リョウくんが優しく撫でてくれるのなら、ぼくは耳なしのミミでいいや。
しょんぼりしているリョウくんの頭を、大丈夫だよって、なでてあげたかったけれど、ぼくには出来なかった。
だってぼくはぬいぐるみで、喋ったり、動いたりできないから。
喋れなくて動けないのがこんなに悲しいのは、はじめてだった。
「あら、リョウ君。また壊しちゃったの?」
されるがままにリョウくんに抱きしめられていると、ぼくたちの頭上から冷たい声が聞こえてきた。
この声は副園長先生だ。
副園長先生はたまに顔を出しては、こうやってリョウ君を犯人扱いする嫌な先生だ。
「よーじゃないよ。耳がとれてたから、治してあげてたの。」
「またそんな見え透いた嘘をついて。正直に言わないと、閻魔様に舌を引っこ抜かれますよ。」
「…よーじゃないよ。」
「正直に言いなさい!」
副園長先生は腰に手を当てて怒ったポーズをとって、仁王様の様に鋭い目つきでリョウくんを見下ろしている。
リョウくんの話も聞かずに、リョウくんがやったと決めつけて…。
この人は本当に保育士に向いてないなぁ。
話を信じてもらえなくて、リョウくんのしょんぼりがますますひどくなった。
リョウくんがぼくに顔を押し付けて、「よーじゃないのに」と呟いた時、リョウくんママがお迎えに来たようで、他の先生から声がかかった。
「リョウ君、お迎えでーす。」
「ちょうど良かったわ。先生からお母さんへお話しします。リョウ君はお帰りの準備をなさい。」
そう冷たく言い放つと、副園長先生はぼくの頭を鷲掴みにしてリョウくんから取り上げると、ズンズンと玄関へと向かっていった。
頭を掴むなんて、なんて酷い扱い方をするんだろう。せっかくリョウくんが頭の形を整えてくれていたのに、また歪んじゃうじゃないか。
ううーん!離してよぉ!
動けないことがこんなにもどかしいのなんて、初めてだ。
「リョウ君のお母さん!」
「あら副園長先生、こんにち…「お宅ではどの様な躾をなさっていんるですか⁉︎」………何のことでしょうか?」
リョウくんママの挨拶をぶった斬って、鼻息荒く怒涛のごとく話し始めた副園長先生の話を、リョウくんママは至って冷静に、穏やかな表情を崩さずに、しかし目の奥には凍える様な冷たさを湛えて、黙って聞いていた。
副園長先生の主張はどれもこれも間違っていて、ぼくからすると、どんな育ち方をすればこんな副園長先生みたいな偏った考えの人間が出来上がるのか、聞きたいのはこっちの方だけどな。
あー、こんな人が副園長だなんて、この保育園も終わってるな。
副園長先生に後頭部を掴まれて、証拠品としてブラブラ揺らされるぼくは、早くこの手から抜け出したくて、何とか動けないかと力を入れてみた。
けれど、やっぱり無理だった。
だって、ぼくはぬいぐるみだからね。
中身が綿だから動けないよね。
「壊しただけでは飽き足らず、自分はしていないと、嘘までつくんですよ⁉︎」
「副園長先生は、どうしてそれをリョウがやったと思われるんですか?」
「どうしてって、状況から見ても、そうとしか思えないでしょう?」
「状況って……リョウが壊している現場を目撃されたわけではないんですね?」
2人の話は、なかなか終わらない。
副園長先生はますますヒートアップするし、リョウくんママも応戦のスタンスだ。
がんばれ、リョウくんママ!
そこへ、お帰りの支度を整えたリョウくんがやってきた。
リョウくんは頭を鷲掴みにされたぼくを見て、悲しそうに顔を歪めた。
「せんせー、そんなところ持ったらミミがかわいそうだよ。離してあげて。」
「可哀想だと思うのなら、どうして壊したの⁈」
「よーじゃないよ。耳がなくなってて、落ちてたんだよ。さがしたけど、みつからないんだ。」
今にも泣きそうな顔で訴えるリョウくん。
それでも副園長先生はリョウくんを信じてくれなくて、リョウくんママに振り向くと、壊しておいて反省しないのなら弁償してもらう、と言い出した。
その大きな声に気づいたのか、職員室から他の先生が出てきた。
「あらあらあら、副園長先生、どうされたんですか?」
さっきレイラちゃんとアヤネちゃんを連れていったサイトウ先生だ。
サイトウ先生はいつもニコニコしていて、子どもたちがイタズラをしても、あらあらあら、と言って優しく諭してくれる、とっても穏やかな先生だ。
サイトウ先生の後ろからは、ぼくの耳を握りしめたままのレイラちゃんとアヤネちゃんも、ひょっこり顔を出している。
「サイトウ先生、またリョウ君がおもちゃを壊したんですよ。」
副園長先生が、まるで水戸黄門の紋所みたいにサイトウ先生の目の前にぼくを突き出して、ふふんっと鼻息荒くふんぞり返った。
「あらあらあら、でもそのぬいぐるみは、他のお友達が取り合っててお耳が取れちゃった子じゃないかしら?」
「れーらがひっばったの。」
「あやねもひっぱったの。」
「「そしたらとれちゃったの。ごめんなさい。」」
「っえ?」
サイトウ先生の後ろに半分隠れる様にしながら、ふたりが本当のことを話してくれた。
それを聞いて、今までリョウくんを犯人扱いしていた副園長先生は、急にオロオロして、しどろもどろに言い訳を始めた。
リョウくんがぬいぐるみに謝っていたから、そうとしか思えなかった、とか。
ちぎれたのなら、サイトウ先生がその全てを回収しておくべきだった、とか。
あの状況を見れば誰だってそう思う、とか。
全部ひとのせいにして、謝る気ゼロだね。
お間違いをしたなら、きちんと謝りなさいって、いつも子どもたちに言ってるのにね。
情けない人だね。
ようやく状況を把握したのか、副園長先生はみるみるうちにしょんぼりとうつむいて、リョウくんママに「申し訳、ございませんでした…」と言うと、リョウくんにぼくを渡して、しょぼしょぼと職員室へ帰っていった。
「リョウ君、嫌な思いさせてごめんね。お母さんも、本当に申し訳ございませんでした。この件は上に報告し対処させていただきますので。」
サイトウ先生は頭を深々と下げて、リョウくんママに謝った。
リョウくんママは、副園長先生がジハツテキにリョウくんに謝るまで許さないと言っていた。
うむむ、難しい言葉はよくわからないけど、リョウくんに酷いことされたから怒っているのはよくわかった。
はいはーい、ぼくもそれに賛成です。
手を上げて言いたかったけれど、ぼくの身体はやっぱり動かないし、喋れなかった。
副園長先生に鷲掴みにされて少し歪んでしまったぼくの頭を、リョウくんが優しく整えながら撫でてくれる。
リョウくんの、あたたかくて小さな手でそっと触れられるのが、とても気持ちいい。
このままもうしばらく撫でてくれたら、ちぎれた耳の痛みも忘れられるかもしれない。
うっとりと夢見心地でいると、リョウくんママとのお話を終えたサイトウ先生が、リョウくんに話しかけてきた。
「リョウ君、良かったら、ミミちゃんをリョウ君のお家に連れて行ってくれない?」
「……いいの?」
リョウくんは目をまん丸に見開いて、サイトウ先生を見上げた。
サイトウ先生が言うには、今までレイラちゃんとアヤネちゃんにお話ししていたけれど、ふたりがどうしてもぼくの耳を離してくれないのだそうだ。
この耳はミミからもらったのだからこのまま持って帰る、この耳は自分のものだ、取り上げられるくらいなら耳を食べる(?!)、と言って聞かないのだとか。
耳が無いぼくが可哀想じゃないのかと聞いても、ミミは優しいから許してくれるはずだと、言っているらしい。
このままぼくがここにいても、そのうち手足をちぎるような奪い合いが始まるかもしれないから、それを防ぐためにも連れて帰ってほしいのだとか。
う、うん。そっかー……。
ぼくもそのほうがいいと思う。
ちぎられるのは、もう二度と経験したくないかな。
ぼくは力の限り手足を動かしてリョウくんにしがみつこうとした。
でも、やっぱりからだは動かなくって、手足はダラリとしたまま。
ただ、リョウくんがぼくを抱きしめる手にぎゅっと力をいれたから、ぼくの頭がこてんとリョウくんの肩にもたれかかる様に動いた。
「ほら、ミミもそれがいいみたいよ。」
それを見たサイトウ先生が、にっこり笑って優しい声でそう言いながらぼくとリョウくんの頭を撫でた。
リョウくんは、へへへっと笑って、ぼくをもっとぎゅっと抱きしめた。
その日、ぼくはリョウくんのぬいぐるみになった。
リョウくんに抱っこされてリョウくんのお家に帰り、リョウくんと一緒に眠った。
朝になったら、リョウくんがおはようと言って抱きしめてくれた。
お家を出るときは、いってきますと声をかけてくれるし、帰ってきた時にはいちばんにただいまを言いにきてくれる。
よく晴れた日には、リョウくんママがぼくをお風呂に入れてくれた。ヨレヨレで汚れていたぼくは、すっかりキレイになって、フワフワの体を取り戻した。
そのフワフワの体を、リョウくんが嬉しそうに撫でてくれる。
保育園でみんなに抱っこされるのも嬉しくてすきだったけれど、こうやってだれかひとりに可愛がってもらえるのもいいものだなぁ。
ぼくはリョウくんのミミになれて、しあわせだよ。
ありがとう、リョウくん。
だいすきだよ。
おしまい