56 気弱な狩人
狩人の少女専用に用意された裏口の扉をくぐったバンダナ少年の目にまばゆい光が突き刺さり、クレンスは思わず顔をしかめた。
「──……っ!」
一歩踏みしめた瞬間、足元からザクッと聞き馴染みのない音がした。
床石とは明らかに異なる柔らかい踏み心地にクレンスは衝撃を覚える。
耳からは鳥のさえずりが聞こえ、ひんやりとした涼しい風が肌をふわりと撫でてきた。
カビや獣の匂いも一切しない。
(これは幻なんかじゃない……)
クレンスはゆっくりと目を開く。
少年が踏み出した場所は、柔らかな木漏れ日が差し込んだ森のなかだった。
「は……あぁ……!!」
クレンスは気が抜けてしまい、地面にへたり込んだ。
「……外に……出れた……やっと……」
少年の消え入りそうなかすれ声が口から漏れる。
途端、クレンスの表情が次第に歪み始めた。
脱出からの安堵を呑み込むほどの罪悪感と自己嫌悪がクレンスの胸のなかを渦巻く。
「くそっ! なんでおれだけッ!」
拳を地面に打ち付ける。
だが、今はこんなところで立ち止まってる場合じゃない。
いまこの瞬間もダンジョンでは仲間たちが懸命に魂をすり減らして闘っているのだ。
クレンスは自分の心に鞭を打ち、涙を拭って荷物袋からとある道具を取り出した。
「こいつなら……!」
その道具は方向を指し示すコンパスの形状をしていたが、ただのコンパスじゃない。
仲間たちがダンジョンでかき集めた倉庫から持ち出した魔法道具・手招きコンパスである。
「導きの神ホレスよ。迷える子羊に力をお貸しください。
そしてどうか道なき道に人里へと続く道すじを示し、我をお導きください。
《迷羊光芒》!」
クレンスの魔法詠唱に呼応し、木漏れ日から光の欠片たちがヒュンと飛び出した。
やがてそれはクレンスの真正面から列をなして光の軌跡を描き、クレンスを導く道筋を形成した。
(みんな、死ぬなよ……!
応援を引きつれて必ず戻ってくるからな!)
走り出したクレンスの顔には先ほどの弱々しさは消え失せていた。
その直後、バンダナ少年の背後でなにか大きな影が木々の間を横切ったが、背後を忍び寄る何者かの気配にクレンスは気づく事なく、進み続けるのだった。
ただひたすらに前へ、前へと。
* * *
鼠狩りの最終ゲームが行われた会場内は熱気に包まれていた。
次々と敗北を重ね続ける鼠側に対し、狩人側は勝利を重ね、観客たちの盛り上がりは最高潮に達するなか、ついにルース一行の試合が始まる。
「次の対戦パーティ・リーダー、前へ」
異様な熱気に包まれるなか、リーダー担当のルースがステージ上にあがる。
相手パーティのリーダーも呼応するようにステージ上に姿を見せた。
相手はエレガントなフロックコートに身を包んだ恰幅のいい男性だった。
年齢は40歳前後くらい。
頭の髪の毛は綺麗に剃られ、目に当たる部分を派手な装飾で彩られた特製のアイマスクで隠している。
いかにも貴族といったような礼装で身なりはきちんとしているが、サイズが合わない服を無理矢理着込んでしまっていたため、コートのボタンが今にもはちきれそうだ。
「ん?」
しかし、相手リーダーの様子がどこかおかしい。
妙に落ち着きがなく、歩く姿もどこか不安げだ。
ルースはどんな場面にも柔軟に対応できるよう冷静な眼差しで相手の様子を観察した。
「こここんにちわ。おおおお嬢さん。この度はよよよろしくお願いしますぅ」
向かい合った両者。
ルースは相手の男の挙動不審な態度とあきれるくらいの腰の低さに戦意が半分ほど失いかけた。
「勇敢なる両者よ、答えよっ! 表か! 裏か!──」
コイントスによる対戦方式の決定権は狩人側に委ねられた。
今回の対戦方式は一戦ごとにコイントスを使い、勝ったパーティのリーダーが対戦相手を自由に選んでもよい、というもの。
《迷宮の醜い怪物》はその様子を不満げに見つめる。
「フン。腰抜けめ」
角笛が鳴り響く。
一戦目の出場者を決める時間だ。
対戦相手の選択権は狩人側にある。
観衆の煽りを浴びながらルース一行に緊張が走る。
すると、恰幅のいい仮面男が高らかに手を挙げた。
「ボクが出ます!!」
なんと、ステージ上に第一戦目で足を踏み入れたのは狩人側のパーティ・リーダーであった。
「おお! ひ弱そうな男に見えたが、あの男なかなか度胸あるじゃないか」
「いいぞ! 鼠の奴らに貴族の恐ろしさを見せてやれぇ!」
「……それで、あの男の呼び名ってなんといいましたっけ?」
「さぁ。知りませんなぁ」
「あらやだ。パーティ・リストをごらんなさいよ。
あの方は《北の猿男爵》よ」
観衆が一斉に声をあげ、会場全体が狩人側のコールで埋め尽くされる。
「「「「「《猿男爵》! 《猿男爵》! 《猿男爵》! 《猿男爵》! 《猿男爵》!」」」」」
観衆の熱狂ぶりにガーランドは周囲を睨む。
「ちっ。癪に障るな」
「ええ。ですが皆さん。誰が選ばれても心強くあって下さい。
わたくし達には、“必勝法”があるんですから」
力強い言葉を吐いたルースだったが、錫杖を握る彼女の拳はわずかに震えていた。
《北の猿男爵》が歩み寄り、ステージ上の端に立った彼はおどおどした様子でルースのパーティ・メンバー達一人一人に目を滑らせ、そのなかの一人を指さした。
「……ぇ?」
彼が指さしたのは、血生臭い戦場に立つ者からはもっとも遠い存在である大人しげな少女・アイシャであった。




