52 妖しげな案内人
ピシャリ、ピシャリ。
ヴェルカンはぬかるんだ泥の地面を忌々しく踏みしめながらゆっくりと進んでいく。
「さ~すが、ヴェルカンの旦那ァ!」
そこへ甲高い男の声と共に機械仕掛けの鳥が、ヴェルカンの肩へとゆるやかに舞い降りた。
「先ほどはワタシめに水魔法をかけた時、『それを使って上空から雨を降らせろ』と命令された時はいまいちピンと来なかったでやすが、奴らの頑丈な土の身体を水で濡らすことで雷属性の攻撃魔法も難なく通してしまうとは!
いや~さすがヴェルカンの旦那! 御見逸れしやした」
肩の上で機械仕掛けの鳥がヴェルカンを褒めちぎりながら小躍りするが、しかし、当の本人は相手にする様子もなく、彼の鋭い眼差しは地面に倒れたパイソンをじっと捉えていた。
「俺は……ぐっ、まだ、やれる。まだ……!」
パイソンは全身が痺れながらも、ほふく前進で腕や足を必死に動かし、地面に落としてしまった長柄の槍に手を伸ばそうとする。
しかしそこへ、ヴェルカンのブーツが容赦なく彼の伸ばした手を踏み潰した。
「ぐぎぃっ!」
パイソンが顔を歪め、悲鳴をあげる。
「やめとけ。これ以上使っちまうと、お前の寿命がどんどん縮むだけだぞ」
「……へ?」
ヴェルカンはパイソンが落とした緑色の布を拾うと、槍の上から布をさらりと被せてから、布越しに槍をひょいっと拾い上げる。
「お前が手にしたコイツには呪いがかけられてる。
本来、魔法道具ってのは術者の魔力がどれくらいあるかで効果に差が出るが、コイツには術者の魔力は必要ない。
代わりに術者の魂を代償にして魔法を発動させる」
パイソンの眉がピクリと動く。
ヴェルカンは続けて言葉を一つ添えた。
「……いわゆる、“呪具”ってやつだ」
説明を聞き終えたパイソンの表情からは覇気が完全に消え失せていた。
彼の頭の中で、薄気味の悪い女との会話が記憶とともに蘇る。
『──それで、こいつを俺にくれるってのかい?』
洞窟のアジトで、お頭は亜人の女から長槍を受け取る。
『組織からのささいな贈り物です』
薄く笑みを浮かべる兎耳の亜人女。
お頭は鼻で笑うと、受け取った長槍をまじまじと見つめる。
『ってえことは、ただの槍じゃねえってことだな』
『はい。それはもう。それを手にした者には強大な力を手にすると云われています。伝説ではその槍一本で北大陸からやってきた十万の軍勢をせん滅させたとか』
『ほほう。そいつはすげえ』
『お気に召していただけたようですね。それでは今後ともお付き合いのほど、宜しくお願い致します』
去り際に見せた女の横顔を思い出す。
妖しげに笑みを浮かべたその横顔からは腹の中に隠したドス黒い何かが、こちらをじぃっと覗き込んでいるように見えた。
脳裏によぎった記憶にパイソンはぞくりと身を震わせる。
するとその時、ヴェルカンがパイソンの目の前に長柄の槍をカラン、と落とした。
「それでも死に急ぎたいんだったら、止めはしない。好き勝手に暴れろ」
「……」
逡巡の末、パイソンは大人しくなった。
どうやら抵抗を諦めたようだ。
カシャン。
開閉された鉄仮面が再びヴェルカンの口を再び覆い隠す。
ヴェルカンは冷淡な眼で死にかけのパイソンを見下ろし、しゃがみこんだ。
ガシリ、とパイソンの髪の毛をわし掴んだヴェルカンはパイソンの顔をグイッと引き寄せる。
「さあ、とっとと教えろ。お前らの雇い主は誰だ? 連れ去った奴らをどこへやった?」
ヴェルカンに問い詰められたパイソンはためらいの表情を浮かべたが、やがて観念したようにため息を吐き、口火を切る。
「俺達は……カーリース教の奴らに雇われた」
そう言い、パイソンは地面に横たわったまま口から血が混じった唾を吐き出し、話を続けた。
「魔無しの者を集めて奴らに引き渡す。それが俺らの仕事だ。とくにあいつら冒険者を拉致ってくると、大層喜んでたっけな」
「カーリース教か……フン。成程な」
ヴェルカンがつぶやく。
「魔法至上主義の貴族連中が大半だとは前から聞いてたが、まさかこれほどの非人道的な行為をやるほど腐ってたとは。
………これで、化けの皮が剝がれたな」
すると、パイソンはヴェルカンの足元にすがりつき、必死に叫んだ。
「拉致ってきたやつらの居場所は教える! だから! どうか俺の刑は軽くしてくれな──」
瞬間、ザクッと音がした。
パイソンは目を丸くして急に黙りこむと、彼の頭部が胴体から滑らかにポトリと落ちた。
「!」
「あらあら。お話の腰を折ってしまったようですね」
突然、頭上から聞こえた女の声にヴェルカンが顔をあげると、兎耳を頭に生やした亜人の女が隆々と伸びた木の枝の上に腰かけていた。
「大変申し訳御座いません」
目の周りが黒く滲んだその亜人女はそう言い、始末した相手を見下ろしながら、淡々とした口調で告げる。
「以降は気をつけます……と言っても、彼もう死んじゃってますけど」
ヴェルカンは泥の地面に転がって沈黙したパイソンの亡骸に目をやる。
スッと再び顔をあげたヴェルカンの顔は先ほどよりもひと際厳しい表情へと変わっていった。
「……何モンだ? 答えろ」
「名乗るほどの者じゃありません。ワタクシも彼と同じ側の者ですから。引き受けた仕事をただ全うしただけです」
すると、ヴェルカンは鼻で笑った。
「だったら惜しかったな。標的はこっちが保護した。
お前を雇った奴らの正体もコイツから話は聞いた。
あとはお前らの組織を徹底的に調べ尽くして、二度と出れねえように全員牢獄にぶち込むだけだ」
「フフフ。それはそれは。頑張ってください。ワタクシも応援しています」
そう言い、女は薄い笑みを浮かべながら、しなやかな動きで木の上から降り立った。
女はヴェルカンに背を向けた途端、どこからともなく折り畳まれた黒い傘を取り出した。
そして、優雅に傘を開いた亜人女は肩越しに振り返り、唇を開く。
「では。ワタクシも捕まりたくはありませんので、ここで退かせていただきます」
途端、ヴァルカンは敵意を込めた低い声で「おい」と相手に圧をかけ、長剣の切先を亜人の女に向ける。
「俺がそうすんなり逃がすと思ってんのか?」
「ウフフフ。その表情。殺気を帯びてますね。良い眼です♪」
女は三日月のような目で妖しく嗤うと、新たなる傘をヴェルカンの手元に出現させた。
「貴方をとても気に入りました。ワタクシが連れ去られた人間たちの場所へご案内致します」
ヴェルカンは手元にあらわれた折り畳まれた傘を乱暴に掴み取ると、眉をひそめた。
「……一体なんの真似だ? 何を考えてる?」
女はフフフと不敵に嗤い、濡れた唇に人差し指を添えた。
「ワタクシはいつだって楽しいことしか考えていませんよ♪」
ヴェルカンは目をいったん閉じ、考えることをやめた。
「フン。まあいい」
考えたところで、目の前の相手の企みを推し量ることなど到底できないだろう。
首をポキポキと鳴らしたヴェルカンは亜人の女を真似て傘を開いてみせる。
「お前が案内した場所が、ほんとうに楽しいかどうか、俺が見定めてやるよ」
亜人女がくすりと嗤う。
「満足していただけると思いますよ。きっとね」
雨がやみ、冷気に包まれた森にたたずんだ二つの影が、次の瞬間、跡形もなく姿を消した。
やがて、静寂を取り戻した森に取り残された小悪党の亡骸に木々から差し込んだ日差しがそっと照らす。
その光の筋は彼の魂をこことは異なる別の場所へ導くものだったのか、
あるいは偶然がもたらした光景だったのか。
その答えは誰も知らない──。




