45 光は闇に煌めく
青い火をまとった松明が石造りの通路を幻想的に染めている。
つい数時間ほど前、リクト達がいたこの場所で、狩人との激しい戦闘が繰り広げられた。
今では不気味なくらいに静寂が支配した通路を二人の少年が緊張を帯びた表情で、ゆっくりと慎重に歩いていく。
すると、二人の少年のうち、バンダナのような布を頭に巻いた少年・クレンスが足を止めた。
「リク兄、あそこだよ」
クレンスが声を潜めて、とある方向を指さす。
淑女との一戦以降、クレンスはリクトのことを『リク兄』と呼ぶようになっていた。
バンダナ少年からの熱い眼差しを受けたリクトはやや照れつつ、クレンスが指さした方向に顔を向ける。
だが、クレンスが指さした場所には何も無かった。
ただ通路に伸びる壁の一部のみしか目に入るものはなく、リクトは小首を傾げた。
「まあまあ、見てなって」
前に出たクレンスは自信に満ちた面持ちで壁に近寄り、壁をじっと見つめながら人差し指を壁に当てると、壁面をツツーッと撫で始めた。
バンダナの少年は呪文を口ずみながら、体をくねらせる蛇を描くように指を動かしていくと、少年が撫でた部分から青白い光が走った。
壁面に光の筋を帯びた模様の輪郭が浮かび上がったかと思うと、今度は発光した壁面に詰まれた石がガタガタと震えて左右に動き出し、新たな通路が姿をあらわした。
“隠し通路”……? リクトが胸の中でつぶやく。
「リク兄にうちらのとっておきを見せてやるよ!」
クレンスはそう言ってリクトに顔を向けるなり、手招きしながらにやりと笑みを浮かべた。
──今から遡ること、2時間ほど前。
黒仮面の淑女を倒した後、リクト達は体力と魔力の消耗により、動けない状態になってしまった。
思案の末、砦の生還者組と狩人の元・奴隷組の二つに分かれ、交代制で防護魔法を展開・維持し、各々の体力と魔力の回復をおこなうことになった。
そして、ガーランドさんの魔法道具生物が得意とする擬態魔法を活用し、周辺の見回りをする体制で、その場をしのいだ。
……だが、唯一欠けているのは戦力だ。
リクトが現在扱える召喚獣は2体。《ビッグ・ピョンチュー》と《夢魔》のみ。
ギレオンはクールタイムが済んでおらず、再召喚にはおそらくあと2日はかかるだろう。
そして理由は不明だが、リクトの召喚獣になった《深淵の死神》も鎧の狩人とともに何処かへ行ったきりだ。
つまり、現時点の戦力は先ほどの戦いで得た数個の魔法道具、二体の召喚獣、ガーランドさんの魔法道具生物だけ。
今後のことを思うと心許ない。
『それなら、おれに“提案”があるんだけど』
そう言い、手を挙げたのが、バンダナ少年・クレンスだった。
クレンスの話によると、砦に今まで集めた武器の保管庫があるとのことで、その案内役をクレンスが務めると言ってきたのだ。
その同行者として誰が行くか相談した結果、満場一致でリクトに決定した。
狩人に対抗できる唯一の戦力としてこれ以上の人材はいない、という考えからだろう。
……しかし、そこで問題になるのが、リクトが欠けた状態で誰が残った者達を守るのか、という問題だ。
『それはあたしに任せてくれ』
そう言って名乗りをあげたのはアギレラさんだった。
洗脳魔法が解けて意識を取り戻した彼女は砦の生還者たちに合わせる顔が無い、と言って周辺の見回りを自らの意思でおこなっていた。
彼女は深々と頭を下げ、淑女との戦いで自分が起こした行動を謝罪した。
『アギレラ、頭をあげて。私たちが生き残れたのはあなたのおかげよ。あの時も自分の意思じゃなかったんでしょ? そこまで気に病む必要ないわ』
落ち着いた雰囲気の女性が優しくかけた言葉に対し、アギレラさんは変わらず暗い顔のままで首を横に振る。
『そうはいかないさ。みんなの砦を失ってしまった。リーダー代理とはいえ、これはあたしの責任だから』
するとそこへ強面の男が前に出てきて、口火を切った。
『アギ姐、あんたなにか勘違いしてるぜ』
『……え?』
アギレラさんが顔をスッとあげる。強面の男は続けて言った。
『失っちゃいねえよ。アギ姐がいる場所こそが、俺たちにとって“希望の砦”だ』
照れを隠すように強面の男は鼻をこすり、最後に一言添えた。
『今までも、そしてこれからもな』
* * *
「神様はどうやらおれらを見捨てていなかったみたいだな」
隠し通路を抜けた先に広がる空間に出た途端、クレンスが真っ先に歓喜の声をあげる。
続いてリクトが広々とした空間に足を踏み入れた。目の前に広がる光景にリクトは思わず頬を緩ませる。
「すごい……こんなに集めてたなんて」
感嘆の声を漏らすリクトの反応にクレンスは誇らしげな顔で「すっげーだろ!」と言って口角をくいっと上げた。
部屋の壁中に飾られた数えきれない槍や剣類、そして均等に整列して置かれたいくつもの台座には他の多種多様な武器が静かに鎮座している。
すると、クレンスは鎮座する武器類を見やり、「だけどなぁ」と言って唸った。
「全部持っていくのはさすがに無理あるよな〜」
考え込むクレンスにリクトが「それなら」と言い、背負っていた背嚢を下ろし、袋口を開けてみせた。
クレンスが訝しげな目でその様子をじっと見つめるなか、リクトは台座に置かれた一振りの長剣を手に取った。
(おいおい嘘だろ……。袋のサイズからしてあの剣が袋の中に納まるとは到底思えねえ)
クレンスはそう思った。だがしかし、長剣は背嚢の中に納まった。思った以上にあっさりと。
「す、すっげー!」
途端、声をあげたクレンスが瞳を輝かせて小動物のように素早い動きで詰め寄ってきた。
「なあなあ、リク兄! その魔法道具いったいどこで手に入れたんだよ」
「説明すると長くなるから」
照れ笑いをしながらもリクトは気持ちを切り替えて次々に武具を背嚢に格納していく。
そんな様子をしばらくじっと見つめていたクレンスはいつになく神妙な表情に変わり、重い口を開ける。
「こんなこと言うと、無神経だけどさ……」
「ん?」
リクトが小首を傾げてクレンスに顔を向けると、クレンスはリクトからサッと目を反らした。同時に少年の頬はじわじわと赤みを帯びていく。
「リク兄がここに連れて来られてよかった」
「なに。急にどうしたの?」
「リク兄がいなかったら、おれたちは砦に閉じこもったきり。外に出る希望をもつなんてことも思い浮かばないままだった。きっと今頃死んでたと思う」
クレンスは息を深く吸い込むと、リクトに真剣な眼差しを向けるが否や思いの丈を言葉に込めて言った。
「みんなを代表して礼を言うよ。本当にありがとな」
「う、うん。どう、いたしまして?」
リクトは熱い眼差しを送るクレンスから一度目を反らし、頭をかきながらクレンスにどう言葉を返そうかと必死に頭を巡らせた。
瞬間──空気を引き裂いて、通路奥から悲鳴が響く。
「「!?」」
クレンスとリクトは互いに目を合わせると、二人同時に身を翻し、悲鳴がしたほうへ即座に駆け出した。
「まじかよ……」
悲鳴の源へ先に辿り着いたクレンスが動揺の声を漏らす。
続いてリクトもその場所に足を止め、眉をひそめた。
広々とした空間。
その奥の壁に寄りかかって座る金髪少女の後ろ姿が目に留まる。
長い金髪が目立つ彼女のその姿は寄りかかって──というより、どちらかというと壁際に追い詰められて──の表現が正しいようにリクトは感じた。
「キシャアアアアア!!」
二人の頭上から轟く怪物のうなり声──
二人が見上げると、そこには天井に開いた大穴と体長10メートルはあろうかと思うほどの巨大な蜘蛛が壁にへばりつく光景が二人の瞳に映った。
二節の長い牙をうねうねと上下に動かし、八本脚の怪物はよだれのような液体を口から垂らしながら身を縮めてブルブルと震える少女に今にも飛びかかりそうな勢いでジリジリと距離を詰めて来ている。
リクトはすかさず水平二連散弾銃を手元に顕現させた直後、散弾銃をさっと手に取り、二つの撃鉄を起こして狙いを定め、ためらいなく二つの引き金を引いた。
瞬間、あたりに乾いた銃声が連続してこだました。
──ズズンッ。
致命傷を受けた八本脚の怪物が滑り落ち、床面に巨体がめり込んだ途端、緑色の液体が胴体のあちこちから勢いよく噴き上がる。
仰向けにひっくり返った怪物の八本脚はもがくようにうねうねと蠢き続けたが、しばらくするとぴくりとも動かなくなった。
「きみ、大丈夫?! 怪我とかしてない?!」
リクトが少女のもとにすぐさま駆け寄ると、少女は鼻をすすりながら振り返り、顔をリクトに向ける。
……だが、そこにあったのは、あどけない少女の顔ではなかった。
包帯で両目を塞がれた顔──
少女の正体を知った瞬間、ゾクリとしたものがリクトの背筋を駆け巡った。
リクトは彼女の顔に見覚えがあった。
ギレオンを召喚した場所で、狩人の群衆のなかにいた。
「狩人!」
瞬時にリクトは銃口を包帯少女に向ける。
次の瞬間、傷んだ包帯がちぎれ、ひらひらと解けた。
包帯が虚空を舞い、少女の素顔があらわになり、リクトは目を大きく見開いた。
「……っ」
そこにリクトが想像する悪魔の顔は無かった。
露わになったのは、頬をびっしょりと濡らしたか弱い少女の顔だった──




