42 蜘蛛婦人 其の三
『魔法道具は、私たちが魔法を使うために必要不可欠です』
リクトの脳裏に蘇ったのは、ドーヴァーコーストに向かう旅路の最中、モモカさんから教わったこの世界の魔法についての講義の記憶だった。
『精霊や神、悪魔などといった旧き支配者たちの大いなる力を一時的にお借りすることで、私たちは魔法を使うことができるのです。ですが、その対価として術者自身の魔力を支払う必要があります』
そこでリクトは挙手する。
『一つ質問してもいい?』
すると、モモカ先生は柔らかい声で『はいどうぞ』と返したので、リクトは生徒になった気分で背筋を伸ばした。
『魔法が使える原理はなんとなく分かった。だけど今まで通ってきた町の人たちはあんまり積極的に魔法を使ってなかったよね。あれはどうして?』
『魔法にも縛りがあるんです。魔力消費が多ければ多いものほど、強大な魔法を出せますが、そのぶん魔法を操る技術は相当難しくなります。それに魔力の総量は人によって異なります。ほとんどの人は簡易魔法くらいが限界なんです』
モモカさんはそう言って懐に手を滑らせると、勾玉の形をした赤い石を取り出してみせた。
『そして、これが魔法道具の心臓部──“核珠”と呼ばれるものです』
じっくり観察しようとしたが、モモカさんはすぐさま懐に赤い石を戻した。
『最近では“魔石”と呼ぶ人が多いですね。まぁ、呼び名は地方によっても変わりますが』
軽い補足を添えた後、モモカ先生は片手の人差し指をピンと立てつつ、声にやや力を入れた。
『詠唱を始めると、この石を媒介にして術者に魔法を発動する権利が与えられ、魔法名を口にすれば魔法が発動します。その魔法を魔法道具で操作するのですが、核珠が無い状態だと、“魔法道具は魔法道具にあらず”。つまり──』
そう言い、突き立てた人差し指を折り曲げたモモカ先生が、リクトの難しい顔を見て取り、いつもの柔らかい口調に戻してさっきの言葉を言い直す。
『魔女の空飛ぶ箒も核珠無しの場合、ただの箒になってしまう、ということです』
──……そして、時は現在に巻き戻る。
「で、どうする」
ガーランドさんが小さな声でリクトに訊ねる。
「魔石を破壊してしまえば相手は無力になるんですよね?」
「ああ。だが、あの女がどこに魔石を隠してるのかは分からない。当てずっぽうに攻撃を当ててる間に俺達のほうが先に詰むだろうな」
「もっと簡単な方法があるじゃない」
ルースさんが自信満々といった面持ちでリクトらの前に踊り出た。
「魔石と繋げてる術者の意識を断てばいい。それだけのこと」
錫杖を握りしめ、「あたしにやらせて」と豪語するルースさんに強面の男が不安そうな顔で「一人でやれるのか?」と彼女の背中越しに問いかける。
すると、ルースさんは顔をこちらに向けてニヒッと口元に笑みを浮かべた。
「あたしを誰だと思ってんのよ?」
そう言い、ルースさんが顔を狩人のほうに戻したその背後で、強面の男がぽつり本音をこぼした。
「……だから誰だよ」
途端、首をつんつんと突かれた気がして、リクトが視線を下ろすと、いつの間にかエレウが肩に乗っている。
「どうした?」とエレウに声をかけると、エレウは不安げな表情を浮かべてこちらを見つめてきた。
「もしかして、ルースさんのこと心配してるの?」
小さくコクンと頷くエレウ。
「たぶん大丈夫さ。あんなに自信たっぷりなんだから」
リクトとエレウがそんなやり取りをしていたその一方で、ルースさんは「行くわよ!」と声をあげ、単身狩人のもとに突っ込んでいく。
「彼女にもきっと、なにか考えが──……」
そう言いかけてリクトが顔をあげると、狩人の奴隷たちにあっさりと組み敷かれたルースさんの姿がそこにあった。
「負けちゃいました~! だれか助けてぇ~!」
手足をバタバタとさせて助けを乞うルースさんに半ば呆れつつ、リクトが拳銃を構えたその時。
「《裏切りの枷》」
女の声で魔法名が耳に入った瞬間、ルースさんの首を巻いた鉄製の首輪が突如として出現した。
「ルースさん!?」
狩人の奴隷たちが彼女のもとから離れ、ルースさんが静かに立ち上がる。
振り返った彼女の眼鏡の奥は人形のように虚ろな瞳に変わっていた。
「ニヒッ♪ ひっひっひ♪」
途端にルースさんはへれへらと不気味に笑い出す。
彼女の哀れな姿を目にした強面の男が頭を抱えた。
「即行で奴隷に堕ちてんじゃねえかっ!」
ルースさんは楽しげに笑い声をあげながら、おぼつかない足取りでこちらに向かってくる。
もしかして、さっきルースさんが一人突っ込んで行ったのって、ただ単に奴隷になりたかっただけなんじゃないかと勘繰ってしまう。
でも、こうなってしまった以上、彼女抜きでこの状況を切り抜けるしかない。
「あのバカタレが。まったく……」
ガーランドさんは彼女にうんざりしたような顔で「あいつは放っておけ」と言い放つと、一転して真剣な顔つきに様変わりし、ナックルダスターをはめた拳を構えた。
「とりあえずだ。お前達は奴隷のほうを押さえろ! 俺とリクであの女を叩く!」
「はい!」「「「おう!」」」
ガーランドさんの掛け声を合図にリクトらは一斉に駆け出した。
男達は20名。対する奴隷の数はざっと見ても30名はいる。
残りの余った10名ほどの奴隷なら二人で対応できるはずだ。
あんまり銃で人を撃ちたくはないのが本音だけど……後の事は後で──
「考えるっ!」
撃鉄を起こし、即座にトリガーガード部分に人差し指をかける。
リクトの横では強面の男たちが数名の奴隷を次々と押さえ、ここは俺たちに任せろと目配せを送ってきた。
これならイケる! そう思ったのも束の間だった──。
「「っ!?」」
余った奴隷たちがリクトらを取り囲んだ。その数は約10……いや、23!?
ちょっと多くない?!
焦りながらも一番近くの奴隷一人に狙いを定め、魔力で作った通常の銃弾を一発撃ち込んだ。
瞬間、飛び散った火花と共に銃口から解き放たれた弾丸は標的である奴隷へと一直線になって軌道を描き、右足に当たる直前で見えない壁に当たり、炸裂した。
「!」
当たったのになんで?!
目を凝らしてよく見る。
すると見えない壁だったものが即座に盾へと顕現した。
リクトは弾切れになった銃を消すと同時に通常弾が装填された銃を顕現させ、二番目に近い距離にいる奴隷にめがけて銃弾を浴びせた。
しかし、今度は奴隷が出した槍によって銃弾が弾かれ、壁にむなしく銃弾が炸裂する。
再度同じ動作で三発目を撃ちかけたが、ガーランドさんの絶望に満ちた顔が見えて、即座に詰みだと理解した。
「フッ。どうやら、俺の見立て以上にあいつの奴隷は強かったみてえだな」
「みたい、ですね……」
すると、女の狩人がため息をつく。
「なにをするのかと期待してたけれど、突撃が失敗したらそれで終わり? あっけないわねぇ」
扇子の風を自分の顔に向けて優雅に扇ぐ女の狩人を横目にリクトはガーランドさんと背中合わせで武器を構えた。
けれど、あの狩人の言う通りだ。正直言ってほとんど無策だった。今まで手強い相手と何度も戦って、何度も生き延びた。それに比べたら人間の奴隷なんて簡単に倒せる、無意識にそう思い込んでしまっていた。
……甘い考えだったんだ。
瞬間、取り囲んだ奴隷たちが一斉に手にしたのは豪華な装飾に彩られた魔法道具の数々。
もはや、彼らは奴隷じゃない。──“戦士”だ。
「あいつらが持ってるいくつかは帝都の闘技大会で数回だけ見たことがある。ありゃ間違いなく伝説級の魔法道具だ。奴隷に持たせる代物じゃない」
「え。でも魔法道具って、たしかどれも消耗品なんですよね? どうしてそんな大層なものを……」
「“たとえ高級品であろうと、使えなくなったら新しいものを買えばいい”。あいつらがそういうぶっ飛んだ思考の集まりだってこと、すっかり忘れてたぜ」
ガーランドさんが皮肉な笑みを浮かべてそう言い放つ。
リクトは絶望の波に呑まれ、うなだれた。
自分の足元に目をやる。ほとんど無策で敵陣に突っ込んだ自分の愚かさを改めて思い知らされた。
召喚獣がいなければ自分はただの人間──
こうなったら一か八か、ありったけの銃を使うしかない。
この世界において、銃が魔法に劣る鉄屑の武器だとしても。
……次の手段を頭に巡らせていたその時、
「おいリク!」
ガーランドさんが背後から突然声を張り上げた。
リクトが顔をあげると、その瞳に映ったのは周りを取り囲んでいた奴隷たちが次々と倒されていく光景だった。
そんな奇跡の芸当をもたらしたのは、たった一人の神官見習いの手によるものであり、見るからにそれは神に仕えし者の姿とはかけ離れた“怪物”そのものだ──。
「主様に仕える奴隷はわたくし一人で充分! あなた達はそこで大人しく眠っておきなさい! うひゃひゃひゃひゃひゃ♪」
完全に頭が壊れた神官見習いの動きは想定していなかったのか、それとも本気を出したルースさんがあまりに強すぎたのか、他の奴隷たちは成す術なく錫杖の物理的攻撃によってなぎ倒されていった。
その光景を主人の狩人だけでなく、ガーランドさんと共にドン引きした顔で眺める。
「とりあえず……大半の壁は消えたな」
「……で、ですね……」
倒されたアギレラに目をやる。息はしているようだ。
ルースさんの独占欲の暴走に内心青ざめつつも、他の奴隷たちが排除されたことで勝利への道は切り拓かれた。
だ・が──
「うひっひひひっ♪ 主様を邪魔する者は全員ぶち殺し♪ です♪」
同時に強大な壁が二人の前に立ちはだかる。
二人の前に立った神官見習いは丸眼鏡をくいっとあげ、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「さて、こいつをどうするかね?」
苦笑いを浮かべてガーランドさんが口にした『こいつ』という呼び方がリクトには『この化け物』と呼んでいるふうにしか聞こえなかった。
だが、その認識が間違いではなかった事をリクトはこの後、身を持って知る事になる。




