41 蜘蛛婦人 其の二
「あら。この子と知り合いなの? 世界って狭いわねぇ」
仮面の内側から過剰に驚いてみせる淑女。……なんとも胡散臭い反応だ。
女はアギレラの背後に回り、仮面の穴から覗く切れ長の目をこちらに向けて告げた。
「この子の名は『カタメ』──あたくしのお気に入り奴隷よ」
「ふざけんな!」
途端、強面の男が前に出るなり、声を荒げた。
「俺たちのリーダーを勝手に奴隷扱いすんじゃねぇ!」
拳を振り上げる強面の男の肩をガーランドさんが力強く掴んだ。
「よせっ! お前が今突っかかったところで勝てる相手じゃない!」
ガーランドさんの言葉に強面の男は眉をピクリと動かし、今度は強引に前へ足を踏み出そうとした。
その様子に小太りの男があわてて駆け寄り、強面の男を羽交い締めにする。
「放しやがれ! あの女はこの俺がぶっころす!」
「無理ですって!」
小太りの男がかける言葉も強面の男にとっては火に油を注ぐようなものでしかなかった。見かねてルースさんとリクトも駆け寄る。
「あらあら、元気な鼠だこと。でも威勢のいい奴隷は好きよ」
そう言い、淑女は扇子を勢いに任せてぱちんと折り畳んだ。
「勘違いされると困るんだけど、この子は最初からあたくしの奴隷よ」
「は?! なにふざけたこと言ってやがんだ!」
一段と声を荒げて強面の男は自身の身体を押さえつけていたルースらを振り払う。小太りの男が不安げな視線を彼に送ると、強面の男は冷静さを取り戻したことを目で訴えた。
その意志を信じ、ルースらは強面の男からそっと離れる。彼は淑女のほうに顔を向けた。
「アギ姐はな、俺が来る前から砦のリーダーやってたんだぜ? アギ姐のことはあんたよりも俺らのほうがよ~く知ってるんだよ! 主人気取りのお前なんかよりもな!」
淑女は強面の男の言葉に動じる様子もなく、淡々とした声で「あらそう」と返した。
「それじゃあ、この子がリベニア族の生き残りだったことは知っていて?」
「……あ?」
眉をしかめる強面の男。
「リベ……なに?」
小太りの男がガーランドさんとルースさんのほうを振り返り、小声で二人に訊ねる。返答したのはガーランドさんだった。
「南ネグロにかつていた戦闘民族だ。全盛期は大陸の半分を支配したこともある」
「あら♪ 先住民族に詳しいのね。そこの逞しい体をした鼠の言う通り」
そう言いながら、淑女はアギレラさんの周りをゆっくりとした動きで歩き回り始め、言葉を続けた。
「リベリア族は高い戦闘能力は持っているけど、魔法には長けていなかった。だから魔法文明が発達していたロザラムの侵略を受けてあっさりと敗北。ほとんどの者が虐殺され、生き残った者は捕虜になって闘技場へと送られた。彼女もその一人」
淑女の一言に反応して、リクトらは自然とアギレラのほうに視線を注ぐ。
「とくに彼女の探知スキルはとても優秀でね♪ 闘技場で彼女を一目見た時に決めたの。『この子をあたくしの奴隷として一生飼ってあげたい』ってね♪」
「人をなんだと思ってるんですか!」
リクトは込み上げる怒りにたまらなくなり、声をあげた。しかし、淑女は不思議そうに小首を傾げる。
「亜人を奴隷として買ってるのと同じことよ?」
その一言にリクトはぴくりと肩を動かした。
「自分よりも社会適応能力が低い種族を奴隷として扱う。それが社会の縮図じゃない」
ああ、そうか──リクトは今さらながら思い出した。
ここがかつて自分がいた世界とは歴史や文化、価値観が違う“別の世界”なんだということを。
この人物とは考え方が根本的に合うことは無いのだと。
悟って絶望に沈むリクトを置き去りにして淑女は呆れた声を出しながら艶やかな唇を開いた。
「まあ、魔力の質が足りない鼠は脳も発達していない亜人と一緒だからあなた達には到底理解できないでしょうけどねぇ」
直後、強面の男がアギレラのほうに向かって駆けだした。
すかさずルースらが彼の身体を掴み、制止する。
強面の男は引き留められた体の代わりに声を振り絞り、ありったけの思いを吐き出した。
「なあ! 目ぇ覚ましてくれ! アギ姐! こんなイカれた女にこき使われるようなヤツじゃなかっただろ?! 頑張ってくれよ! 敗けないでくれよ! なあ!」
「……」
しかし、男の精一杯の言葉をかけられても、アギレラは虚ろな目をしたまま反応を示さなかった。
それでもめげずに強面の男は声をかけ続ける。
「無駄よ。あたくしの魔法にかかっている間は自分の意思で口どころか手も足も動かすことは不可能。一度だけこの子を見失ってからずっと探していたけど、こうしてあたくしのもとに戻ってきた今はもう完全にあたくしの手中」
「だったら、てめえをぶっ倒してその魔法を強制的に外してやるまでだ!」
「だーかーらーあんたには無理なんだってば!」
ルースさんがそう言い放ち、彼の身体を押さえつけるのを横目にリクトは思い切って足を前に踏み出した。
その時、背後でガーランドさんが「リク」と呼びかけたが、リクトは振り返ることなく、闘志がこもった瞳を淑女にぶつけた。
「坊やね? さっきモンスターを解き放って何人かの狩人を“殺した”のは」
淑女の切れ長の冷淡な眼差しがリクト一人に向けられる。
一対一の舌戦のステージに立って初めてリクトは相手の背の高さにごくりと唾を飲んだ。
……身長は190cmほどはあるだろうか。
威圧的な視線を上から向けられ、心折れそうになりつつも、バイセルン事変で巨人に追いかけられた時の事を思い出し、自分を奮い立たせて言葉を投げた。
「先ほどの戦いでずいぶん消耗したんじゃないですか? 引き下がるなら今の内ですよ」
リクトの膝はガタガタと震え、緊張で声の抑揚はおかしくなっていた。
声を紡いでる最中も一同の視線を感じ、なぜだか自分が責められてるような心境に陥ってしまい、涙がこぼれ落ちそうになる。
──小学生の頃の話だ。
給食時間に大好きなカレーのおかわりを貰いに行った際にカレーの残りが無い事実を知り、みんなからの視線を浴びている状況と自分のみじめさが重なり、恥ずかしさのあまりむせび泣いたあの日のトラウマを思い出した。
なぜこんな時にダサい記憶を思い出してしまうのか。しかし、
……あんなみじめな思いはまっぴらごめんだ。
リクトは心に鞭を打ち、毅然と前を見据えた。
「それは坊やだって同じ、ではないかしら? あんな強大なモノを呼び出すにはそれなりに代償も大きかったはずでしょう?」
「……」
淑女がくすりと妖艶な笑みを浮かべる。
「当たらずとも遠からず、といったところかしら」
この時、リクトは淑女が何を言っていたのかほとんど聞き取れていなかった。
今までリクトはモモカさん以外の女性とまともに話した経験がない──家族や姉の友人は含まないとする──ましてや高身長女性との対話など初めての経験である。
どういった態度で淑女と接すればいいか分からずに対話を始めてしまった結果、緊張で頭の半分が状況に追いついていない状況にあった。
とりあえず神妙な表情を作っておこうと沈黙を貫いた結果、淑女はリクトの“適当なだんまり”を“意味深な沈黙”と受け取った。
「でも、……そうね。坊やがあたくしの奴隷になるなら退いてもべつに構わないわ」
「え、ぼくが……?」
思いがけない返答にリクトは思わず自分を指さす。
「邪神を召喚獣にしてしまえる召喚士なんて存在自体がレアだもの。それを独占できるのだからこれ以上の交換条件は無いわ。だからね? 坊やさえ良かったら──」
「嫌です! それはお断りさせていただきます!」
「あら即答」
淑女が発した『奴隷』という言葉。
その言葉はリクトにとって、いや、釘宮凜來にとって『ブラック企業』に務めた過去を思い起こすブロックワードであり、淑女からの提案を即座に断ったのはその時の教訓から得た身を守る本能的なものだった。
「そう。いいわ。手に入らないのなら、坊やの意思を奪えばいいんだから」
瞬間、淑女の瞳にギラギラとした衝動の灯火が宿る。
「結局、実力行使でくるのね」
ルースはそう言い、錫杖を片手にリクトの傍らに立つ。
「おい、リク。勝算はあんのか」
すると、ルースさんとは反対側にガーランドさんもリクトの傍らに立った。
「……いえ。ほとんどないです」
ガクリと肩を落とすルースさん。
「ならどうして戦い引き受けたのよ?! 逃げたほうが戦うよりも生存率は上がってたじゃない!」
ルースさんに叱咤され、返す言葉もない。しかし、前を見据えたリクトの目にアギレラの姿が留まると、ある思いがリクトの胸に宿った。
「ルースさんの言う通りです。でも……たとえ1%でも、アギレラさんを解放できる可能性があるほうに賭けてみたい。そう思ったんです」
一同に一時の沈黙が下りる。
するとフンとルースさんが鼻を鳴らした。
「相変わらずお人好しの性格ね」
ルースさんは呆れつつも、錫杖を構え、戦闘態勢を取る。
「だが、俺は嫌いじゃないぜ。そういうの」
横に立ったガーランドさんは口元を緩ませてそう告げると、ナックルダスターを拳にはめて戦う意志を見せた。
「なあ、俺らのことも忘れないでくれよ?」
それまでの一部始終を眺めていた筋肉隆々の男達も武器を手に取り、リクトらと心を一つにして一列に並ぶ。その中には強面の男と小太りの男も混じっていた。
リクトも一同の思いを受け取り、魔導銃を手に取る。
「いらっしゃい。遊んであげる」
パシン、と扇子を広げて強者の余裕を漂わせる淑女。
「アギレラさんを解放して、ピスケの父親を見つけ出し、全員無事にここを脱出する──“絶対に”!」




