表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/105

38 春の黄昏、夏の午後

 海辺の町ドーヴァーコーストに涼風(すずかせ)()(わた)り、町の人々に夏の朝を()げる。地面には昨日()りしきった雨が水たまりとなっていくつか残っており、それを思わず()んでしまった今日一番の不幸者がちっと舌打ちする。嫌悪に満ちた顔でその不幸者は水に()かった片足を持ち上げた。


「最高の一日だな」


 彼は水たまりに向けて心にもない言葉を言い放つと、濡れた(くつ)を左右に振り乱す。彼の横を通る通行人が次々と眉をひそめ、厳しい視線を彼に向けるが、当の本人は気にするそぶりを見せず、とある一軒(いっけん)の建物へと(おもむ)く。



 * * *



 彼が赴いた冒険者ギルド《三脚天使(トリステル)》には朝早くから行列ができていた。

 《三脚天使(トリステル)》の建物はコの字型になっており、建物に(かこ)まれた中庭は季節によって木々の色合いが変わる。元々は酒のたしなみとして(もう)けられた空間であったが、冒険者が多くなった現在は新人冒険者を教育する広場になっている。


 早朝にも関わらず、多くの新人冒険者が担当の教育係と共に様々なスキルを学ぶなか、中庭の一角では幼い男の子が真剣な顔つきで目の前の小石をじっと見つめていた。


「いしにねむりしせいれいよ、われにこたえ、われにちからをかしたまえ。《礫の戯れ(グランマーヤ)》!」


 男の子が呪文(スペル)を唱えた途端、(つぶて)が小刻みに震えだし、フワリと中空に浮遊する。

 緊張でこわばった男の子の表情がみるみるうちに(ゆる)んでいき──


「やったぁ!」


 男児は地面を何度も蹴って興奮を(たか)ぶらせた。その様子を(かたわ)らで見守っていた壮年(そうねん)の男が(ほこ)らしげに鼻を鳴らし、男児に拍手を送る。


「やればできるじぇねえか。これで簡易魔法はマスターしたな」


 そう言い、腕組をして称賛(しょうさん)する壮年の男に対し、男の子は照れを隠すように鼻をこすりながらへへっと笑う。


「もっとジョウキュウの魔法おしえろよ! それを覚えて、わりぃーヤツをおれの魔法でコテンパンにしてやるんだ!」


 すると、壮年の男は目を大げさに見開(みひら)き、「おいおい」と言って腰に手を当てながら(ふく)み笑いを浮かべた。


「たったこれだけの魔法ができるようになったからって図に乗るんじゃないぞぉ~? 上級魔法を教えてやれるのはお前さんが基本的な魔法をひと通りできるようになってからだ」


 そう言われ、きょとんとした男の子だったが、一時の逡巡(しゅんじゅん)の後、気を持ち直し、今度は上目遣いで壮年の男を睨んだ。


「きほんてきな魔法っていくつあんの?」


 男児にそう(たず)ねられた壮年の男は愉悦(ゆえつ)に満ちた面持ちで目を閉じると、きっぱりと男児に告げる。


「全部で260種類だ」


「ゲッ。そんなの覚えてられっかよ!」


 男児は壮年の男を軽蔑(けいべつ)するような眼差(まなざ)しでジトリと睨み、口を酸っぱそうに(ゆが)めた。


「坊主、魔法ってのはなぁ、奥が深いんだぞ?」


 壮年の男は悟りを(ひら)いたような面構えだったが、その胸中(きょうちゅう)真反対(まはんたい)のものであった。


(この坊主、思ったより()み込みが早いな。これだと俺が教えてやれるネタがもうじき尽きちまうぞ……)


 壮年の男は大人の威厳(いげん)に満ちた表情を保持(ほじ)しつつ片目だけパチリと(ひら)き、窓の向こうの席に(こし)かけた桃色髪の着物少女に魂を込めた視線を送る。


(モモカ先生! そろそろ代わってくんないかな?!)


 すると、男の視線を感じ取ったのか、少女が男のほうに顔を向けた。まるで子供のように愛くるしい瞳で少女はこちらを見つめ、白い歯を唇からそっと覗かせ、穏やかな微笑みを返した。


「おじさん、なにニヤついてんの」

「ぬはっ!!」


 はっとして壮年の男は我に返り、気を取り直して魔法の指導を再開した。

 心なしか、先ほどよりも指導の掛け声に気合が入ってるなと感じた男児が怪訝(けげん)な顔つきで小首を(かし)げるその一方で、二人の様子を温かい眼差しで見つめるモモカのもとに女性店員がしたり顔で歩み寄る。


「打ち解けたみたいね」


 女性店員が運んできた珈琲(コーヒー)入りのカップを桃色髪の着物少女は礼を告げて手に取り、二人のやり取りを見つめながら目を細めた。


「ここに至るまで時間はかかりました。最初の頃は目も合わせてくれませんでしたし」


「やっぱり、キッカケは()()か」


 隣に腰かけた女性店員の問いかけにモモカが小さく頷く。

 今からさかのぼること三日ほど前。マーテルが隣町から傭兵団を連れて店に戻ってきた。

 後日、ピスケの父親の捜索(そうさく)が始まったが、それまでに何度か降った激しい雨の影響により、足跡は流されてしまっていて、その行方は(つか)むことができずにただ時間だけが(むな)しく過ぎていった。


……そんなある日、事故が起きた。


 それはモモカが《三脚天使(トリステル)》の店で使う食材を調達した帰り道の出来事。

 モモカが通りがかった二階建ての家屋(かおく)から女性の悲鳴が突如として聞こえ、声の(みなもと)にモモカが視線を向けると、建物の二階から落ちる女の子の姿が彼女の目に飛び込んだ──。




 それから(ほど)なくして、(とお)りが(さわ)がしくなり始めると、寝室(しんしつ)で寝ていたピスケが目を覚まし、通りが見える窓を()けた瞬間、それまで頭を支配していた眠気(ねむけ)が一気に吹き飛ばされた。


 通りに()ち並んだ一軒の建物の周りには人だかり。建物の壁にはみっしりと植物が()(めぐ)らされていた。(から)み合ったツタは通りに向かって飛び出しており、()(ざら)のような形になったツタの上には一人の女の子が座り込み、泣きじゃくっている。


 その異様な光景にピスケの思考が停止していると、今度は通りに飛び出ていたツタがひとりでにうねうねと動き、下へ下へと伸び始めていく。

 ツタの(かたまり)は人だかりのなかにまで伸びると、受け皿に乗った女の子を地面に降ろした。


『カヤ!』


 すると、女の子の親らしき二人の男女が女の子のもとへ()()り、女の子の体をぎゅっと強く抱きしめた。

 その直後、役目(やくめ)()えたかのようにツタはざわざわと音をたててちぎれ、バラバラの葉となって(そら)()っていく。


『あの、大丈夫でしたか?!』


 そこへ声をあげて桃色髪の着物少女が女の子のもとに駆け寄った。

 その途端、それまでの状況を見届けていた通行人が今度は着物少女の周りを一斉に取り囲んだ。


『あんたの魔法見てたぜ。すっげえな!』

『あんな一瞬で出来る芸当(げいとう)ただ者じゃない! 一体どこから来たんだい?』

『わたしにもその魔法を教えてちょうだい!』


 突然、注目の的となった桃髪の着物少女は困惑の表情を浮かべながらこの場をどうにか収めようとするが、一向(いっこう)に収まる気配はなく、


『今すぐ町長を呼んでこい!』


 そしてその後、モモカの勇気ある行動を称えたパレードがおこなわれる事となる。

 その一部始終を目に焼き付けたピスケの瞳は(まばゆ)いばかりの輝きに満ち(あふ)れた。

……この出来事が、モモカに魔法の指導をお願いするきっかけとなった。


「──子供は元気が一番ですから。あの子が笑顔を取り戻してくれて、ほんとうによかったです。でも……」


 ピスケの様子を窓()しに見守り、(ほの)かに笑顔を見せたモモカだったが、その瞳は(さび)しげな色をしていた。彼女の含みをもたせた言い方に女性店員は何かを察して遠くを見つめる。


「心配だよね。お()れさん……あのまま出て行っちゃったきりだし」

「はい。──って、……え!」


 途端に顔を真っ赤にしてきょどる桃色髪の少女。その反応に女性店員はくすりと笑う。


「言わなくても顔に書いてあるわよ。

……あたしもその気持ちわかる。男ってさ、考えなしに突っ込んじゃうのよね。心配してるこっちの気持ちも知らずにさ」


「もしかしてマーテル様のこと、ですか」


「ええ……、え!」


 ぼんやりと答えた女性店員の顔が途端に紅潮(こうちょう)し、()頓狂(とんきょう)な声をあげる。あまりに勢いよく背筋をぴんと伸ばした彼女の反応に今度はモモカが「顔に書いてますよ」と言ってふふふと笑った。


「ち、ちがうわよ! あんなひょうちくりんの男なんて、こっちから願い下げだし!」


 そう言いきった彼女だったが、途端に(しお)れたような顔でポツリと言葉を付け()す。


「それに彼、結婚してるし」


 モモカはマーテルと初めて話した時の事を思い出し、「そうでしたね」と(にこ)やかな笑みで返した。

 その後、女性店員は小噺(こばなし)を沢山持ち出してきた。そのどれもがマーテルの話ばかりで、


『あーみえて7人の子供がいるのよ』

『若い頃はサーカス団の座長をやってたんだって』

『ティムール人とジャナール人の血が混じったハーフなのにどっちの国の言葉も話せないのよ~! 可笑しいでしょ』などなど……。


 このまま彼女を放っておくと湯水(ゆみず)のようにエピソードが尽きないだろう。モモカは困った表情を浮かべつつも最後まで彼女との談笑(だんしょう)に身を任せた。



 * * *



人情(にんじょう)のある方なんですね、マーテル様」

「え?」


 女性店員はふいに(まめ)鉄砲を喰らった(ハト)のような顔でモモカを見やる。


「会って()もない子供のために身体を張って、自分のできる限りのことをやり遂げようとする。立派な方です。とても」


 モモカは口を(ゆる)ませてそう言いながら、カウンターのほうに視線を移すと、そこに立つ彼の幻影を想像し、尊敬(そんけい)の念を(いだ)いた。

 するとモモカの目線を()ってカウンターのほうを見た女性店員が、とろんとした目で唇を(ひら)く。


「その正義感が、見てるこっちを時々ヒヤヒヤさせるんだけどね」

「ふふ、やっぱり好きなんですね」

「だから違うってば!」


 直後、二人の会話を破ってスイングドアがこじ開けられたかと思うと、投げ飛ばされた大柄の男が二人の横を突っ切り、酒場と冒険者ギルドの受付カウンターの境にある柱に激突した。


「「っ!?」」


 モモカは突然の出来事にびくりとして席を立ち、口を両の手で(ふさ)ぎながら呆然(ぼうぜん)とそれを見つめる。

 二秒ほど遅れて女性店員が駆け寄り、声をかけると、


「俺に喧嘩(けんか)(いど)むんだったらそれなりにまともな力をつけておけ」


 続いてスイングドアを()け放ち、来店した小柄(こがら)の男。

 灰色がかった短い髪に褐色(かっしょく)肌と顔の下半分を覆う鉄製の仮面。

 顔立ちは幼いが、その眼光は野性の狼のように(するど)い。

 革鎧(レザーアーマー)を着込んだその男の背中に背負った剣は(さや)(おさ)まったまま、(あるじ)(たずさ)えるその時を待ちわびて鞘のなかで眠りについている。

……小柄の男は周囲の視線に目をやると、ため息まじりに頭をかいた。


「これじゃあ、こっちが弱い者(いじ)めしてるみてえだな」

「ヴェルカン様ァ~!」


 途端、甲高(かんだか)い男の声と共に機械仕掛けの鳥がスイングドアの隙間を()って入って来た。黄金(おうごん)()まったその奇怪な鳥が小柄の男の肩に舞い降りると、肩の上で小躍(こおど)りしてみせた。


「さすがヴェルカンの旦那(だんな)ァ、お見事デス~! 剣無しでもお強いだなんてイカしやす♪」

「お前はその(くちばし)を一生()じてろ」


貴方(あなた)は!?」


 目の前にあらわれた人物にモモカは驚きと動揺(どうよう)が入り混じった声をあげる。

 二人の視線がぶつかり、お互いの声が同時に(かさ)なった。


「どうして貴方がこんなところに」「なんでお前がこんなところにいやがる?」


 二人の鋭い視線が静かにぶつかり合う。場がピリッとした空気に包まれるなか、その様子を(はた)から見物(けんぶつ)していた女性店員が、じとりとした目つきで(まゆ)をぴくりとさせた。


「こ、()()()()()()って」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ