37 帝国最強の牙
円形劇場跡の舞台上に一点、真っ赤な血だまりが広がっていた。
血の主であるアヴィスの肉片は一つたりとも残っていない。すべての肉片は今もなお獣の胃袋の中でじわじわと消化されつつあった。
《飢饉の獣》の勝利──
ぐるる~……。
腹を満たした鎧の狩人が満足げに立ち去りかけたその時、
「……やれやれ。こんなものか」
「──ンッ!?」
途端に後ろから声がして鎧の狩人が振り返ると、血だまりの上に浮かんでいた骨の破片が中空に集まり、それが頭蓋となってカタチを成すと、途端に口が開く。
「力で押し通すだけでまったく芸が無い。これでは『演目が退屈だ』と見限られてしまうぞ?」
その声は間違いなくアヴィスのものだった。
頭蓋を介してアヴィスが煽り言葉を吐くと、やがて沸き立った血だまりが中空に吸い上げられ、頭蓋を支える胴体のカタチへと変化する。血液で出来上がった胴と首の上にポツンと乗った頭蓋。
何人もの命を喰らった鎧の狩人でさえ、その歪な光景には薄気味悪いものを感じざるを得なかった。
「自分が一体何者なのか、貴殿も知りたいだろう。ならば、その問いの答えに余が導こうじゃないか」
言いながら、胴を構築していた血がうねりをともなった大きな波となって浮き立ち、頭蓋を頭頂部から丸呑みすると、血が一気に引くとともに今度は血の気のない幼女の白い顔がヌラリとあらわれた。
一糸纏わぬ姿となり、舞台上にぽつんと一人の幼女が佇んだその光景はさながら幻想的な絵画のようで、幼い見た目に反して目に見えぬ妖艶な雰囲気を身に纏っていた。
左右色違いの瞳が瞬く間に血の色に染まり、右の瞳に逆五芒星が浮かび上がると、彼女の足元に魔法陣が顕現し、その中からずぶずぶと音を立てて巨大な門が姿をあらわした。
人外幼女が悪戯心に満ちた目つきで唇を妖しく歪める。
「 ──……余なりの“流儀”でな」
人外幼女が呪文を口ずさんだ途端、両開きの門扉が鈍い音を軋ませながら完全に開ききった直後、漆黒色に染まった門の向こうで“何か”が蠢き、飛び出した。
次の瞬間、門からあらわれた何かを目にした鎧の狩人はぎょっと目を剥いた。
「──ぁ、ぁあ゛──…ギャア゛ア゛ア゛ア゛!!」
途端、鎧の狩人は世にも恐ろしいものを見たかのような様相で狂ったように辺りに叫び散らし、そして──
──ブツン。
彼らの像を映した観客席の鏡すべて黒一色に変わり、その後の一切の様子を捉える事が困難になった。
ざわめきだす観客たち。運営スタッフが彼らの対応に追われる。
「皆さま少々お待ちください。ただ今、原因を究明しております」
一方で、男装の麗人は観客達の混乱など何処吹く風という顔でシュッとした細い顎に手をやり、卓上の中央にふわりと浮かんだ黒塗りの鏡をぼうっと見つめ、「成程」と口にする。
「鏡が捉えられなくなるほど濃縮された魔力の質量。……“本物”か」
しばらくして鏡面を覆っていた暗闇が消え、鏡が死神の像を再び映すと、途端に観客達は口をぽかりと開けた。
そこには先ほどまで殺意剝き出しだった鎧の男の像はなかった。
鏡の向こうでは雑巾のように搾り取られ、薄い皮一枚になり果てた男の生首が舞台上に虚しく転がっていた。
その間、わずか数分。
観客が目を離した一時の間に事がすべて終わってしまっていた。
「フム。この程度で死んでしまうとは……やはり“不完全体”だったか」
そう言い放った死神幼女が冷たい眼差しで対戦相手の亡骸を見下ろす。
死神幼女は生まれたままの姿のまま身を屈め、変わり果てた姿になった元・鎧の男の亡骸を手に取ると、立ち上がりざまに身を翻し、ステージの床を蹴った次の瞬間、誰の目にもその姿を捉えられることなく、姿を消した。
同時刻──パキンと弾ける音が観客席全体に鳴り響いた。
音の源は卓上に黄金の髑髏仮面が置かれた席の足元──砕けたガラスの破片が空しく散乱しており、その席に腰かけていた死体顔の男は色素を失った死体のような手をガタガタと震わせながら、干からびた指を彩った十の指輪のうち一つに視線を移す。
左手中指にはめていた指輪の中石は抜け、円形の窪みだけとなった指輪を目にした男は途端に顔を引きつらせた。
「──わ、わた……私の、コレクションがぁああああっ!!」
黄金の髑髏仮面の男の席からすり潰したような哭き声が観客らの耳を突き刺す勢いで響き渡る。
しかしその一方で、観客らは男が泣き叫ぶ光景を目にしても誰一人顔色一つ変えず、ワイン片手に陽気な笑みを浮かべるだけだった。
「泣く者がいれば笑う者もいる。……これぞ賭けの醍醐味ですねぇ」
「しかし、また面白いモンスターを用意しましたなぁ~。最近食傷気味でしたが、今年は来た甲斐がありました」
「それにしても見かけない人外ですわね……仕入れ先はどこかしら?」
「新種のモンスターを探すとするなら《奈落の穴》ですかね? 調査隊の話ですと穴の内部がまだほんの1割程度しか把握できてないと聞きましたよ」
「それはありえんな。狩りの準備のためにわざわざ命を落とすような場所に行く必要はあるまい。考えられるとすれば、たしか2、3年ほど前に“デューレン生まれの変人”が見つけた《暗黒海域》だろう」
各々が熱弁を振るい、賑わう観客らを横目に麗人は頃合いと見て取って席を立ち、手に取った仮面で顔を隠した。ユノスは微笑みを浮かべてワイン片手に彼女を見送る。
麗人は広間の中央まで進んだところで立ち止まり、手を二、三回叩いた。途端、観客達の視線が麗人に向けられる。
「皆さん。そろそろ毎年同じことの繰り返しで退屈でしょう」
そう言い、単眼仮面の麗人は周囲の視線に注がれながら歩き始めた。
「新しいゲームをしてみませんか? もっと刺激的で面白いゲームを」
突然動き出した麗人が語る様子を上階の透明床越しに眺めていた老齢の男の眉がピクリと動く。
「あの鼠どもに打ち勝てるとっておきの駒をお見せ致しましょう。こちらをご覧ください」
パチンと麗人が指を鳴らすと、大鏡の鏡面がぐにゃりと歪み、とある広間の中央に集まった狩人達の像が映し出された。
彼らはギレオンが呼び出した怪物の群れに囲まれてしまっていた。
「さあ、見せてやれ。お前たちの力の“一端”を──……」
小石程度の小さな球体に彼女が告げた次の瞬間、観客席からはどよめきの声が上がった。
鏡のなかで動きを見せたのは三名の狩人──
ある者は全身が有刺鉄線状の鎖の束で拘束されており、その鎖の束の内、数十本の鎖を触手のように操り、その者の周囲にいたモンスターらをたちどころに絡め取るや否や、ミシミシと鎖の圧迫を与え、耐え切れなくなったモンスター達がグシャリと潰れる。
豪快な破裂音と共にモンスターの臓腑や肉片が周囲に弾け飛んだ。
ある者はドレス姿のか弱い女性の姿で短いスカートを優雅に揺らしながら、巨人の背中を一気に駆け上がると、巨人の頭の上で宙返りした。その直後、彼女の仮面の穴から覗いた切れ長の目が大きく見開かれた途端、彼女と視線を合わせたモンスターすべての眼球がぐしゃりと潰れる。
またある者は片手をひらりと上げて指鉄砲のカタチを作り、銃を撃つ動作を見せた次の瞬間、彼の背後で待機していた武装メイドの女達が一斉に床を蹴り、四方に飛び散った。
彼女らは周囲のモンスターに飛びかかると同時に各々の武装で斬りかかる。
目にも留まらぬ速さでモンスターを蹴散らしていくその様子を彼は一切見届けることなく、ただ読書に浸りながら歩き始めた。
やがて眼前に出来上がった屍の山──その頂に腰を下ろすと、彼は読み終えた本をパタリと閉じ、退屈まじりのため息をついた。
「思った以上にオチが弱い。“星一つ”かな」
広間を埋め尽くしていたモンスターの大群はたった三名の狩人によって、魑魅魍魎の墓場と化した。
その光景を目の当たりにした他の狩人参加者たちは三名の芸当に感嘆の声をあげ、盛大な拍手を送る。
「す、すげぇ……!」
「あいつら。バケモノか!」
「あんたら何者だ? どこの貴族に雇われた?」
「ボクらのチームに入りませんか!?」
「あ、それずるい! 私のパーティに入らない?」
「是非とも我々と狩りを!!」
注目の的となった三名それぞれの周囲に続々と狩人参加者たちが押し寄せる。
「「「……」」」
ところが、その直後──
狩人三名に賛辞の言葉を送った角熊仮面の男の右手がスッと腕から乖離し、ボトリと床に落ちた。
「──へ?」
あまりの一瞬。そしてあまりに綺麗な芸当に右手を失くした狩人は困惑の表情を浮かべる。
瞬間、メイド女の刃が空を切り、今度は角熊仮面を被った男の生首が胴から外れ、虚空を舞う。
「なんで」
その言葉を残し、一人の狩人が首と右手の部分が欠落した死骸と化すと、周囲の狩人達は仮面の裏で一様に戦慄した。
そして──
直後、大鏡からおぞましい叫び声が鳴り響いた。狩人による狩人達の殺人ショーがおこなわれた。
見るも無残な光景に観客達は口元を歪め、顔をひきつらせた。
すると、麗人は仮面をスッと外し、濡れた唇に薄く笑みを浮かべ、長く伸びた前髪をなびかせる。前髪が揺らめくたびに右の瞳に青白い二つの線が交じり合った×印がちらりと見え隠れする。
仮面を外した女の素顔を目にした数名の観客の顔が一瞬の内にこわばった。
「“ヴァレリウスの猟犬”め」
上階では老齢の男が、透明の床越しに下の階を見下ろしながら忌々しそうに口を歪めた。
「《弑階白剣》まで連れ出してきおって……一体何を考えている?」
「あの女のこと、知っているんですか?」
彼の背後に立っていたメルキスが尋ねる。老齢の男は「いいや」と告げてかぶりを振った。
「顔を見るのは初めてだ。だが……あいつの右目に刻まれた×の印。
そして、さっき暴れ回っていた三人の常人では計り知れない圧倒的な力。
符号する二つの点から浮かぶのはあいつと“奴ら”しかおらん」
老齢の男はじっと遠くを見据えながら言葉を紡ぐ。
「帝国メギオン──彼奴は北の果ての大陸を支配する皇帝ヴァレリウスの右腕だ。
あの女の姿が目撃された場所には必ず死体の山がいくつも積み重なっていると聞く。
コードネームは“強欲”。
……しかし、最も恐れられているのは女のほうではない。
彼奴が飼いならしている“私兵”のほうだ」
メルキスはごくりと唾をのんだ。
「特殊作戦部隊・《弑階白剣》──
帝国軍の中でもエリート中のエリートで構成されたメギオン帝国最強の部隊とされているが、その実態を知る者はごく少数しかおらん。
表立って行動する事がない彼奴等は所持する兵器や人数、隊員の素性といったものは一切公にされていない。
……底が知れぬ連中だ」
そう言い、老齢の男は視線を上に移すと「だが」と言葉を付け足す。
「一年前に起きた内戦のいざこざで漏れた機密資料から判明したのは三つある。
一つ。隊員は皆、並みの人間では太刀打ちできない規格外の力を備えた化け物揃いだということ。
二つ。隊には精神が不安定な者や協調性が欠如した者が多く、軍内部でも手を焼く存在だということ。
……そして三つ。彼らを指揮する隊長は右目に×印が刻まれた不死の女、ということ」
言い終えた老齢の男は顔を下に向けた途端、ぽつりと声をこぼす。
「……だが、なぜ奴がここに?」
* * *
「──おいおい! 狩人が狩人を狩るなど前代未聞だぞ……!」
「どれだけの者が狩人の育成に金をつぎ込んでいると思っている! 責任者を出せ!!」
「財産の半分以上を投資して雇った凄腕の傭兵たちがたったの3秒で全滅してしまった……」
ざわめきだした観客席。
途端に麗人・ラヴィナスが声をあげる。
「どうかご安心ください。これは単なる“余興”の一環です。蘇生できる程度に原型は残していますので、治癒魔法を施せば命は助かるでしょう」
ラヴィナスは澄ました口調で歩き始めると、大鏡の前で足を止めた。麗人は笑みを含んだ声で「そんなことよりも」と言って身を翻すと、観客達に身体の正面を向けて言葉を続けた。
「彼らの力をご覧になっていかがでしたか?
これでも彼らはまだ実力の半分も出してはいません。先ほどの蒼髪の鼠が呼び出したモンスターであろうとも彼らならば容易く打ち勝つ事ができるでしょう」
すると、ラヴィナスの言い分に不満を抱いた観客の一人が声をあげた。
「ならば、どうしてあの化け物があらわれた時に本気を出さなかったんだ?」
沈黙する麗人。発言した観客の男の態度は次第に大きくなり、勝ったと言わんばかりに鼻を鳴らす。
「言わせてもらうが、貴女の言葉はただの醜い言いワケにしか聞こえん。ついさっきだって見たはずだ。あの鼠が呼び出したバケモノの力を。
……あれはまさしく神の領域。神を殺せる人間など大陸中どこを探してもいやしな──」
途端、麗人は薄く笑い、前髪に隠れた昏い瞳を観客の男に向けた。
「神をそんな簡単に殺してしまったら、……果たしてお客は喜びますか?」
ぞくりとした戦慄が観客の男の全身を駆け巡る。強がりの言葉にも受け取れる発言でありながら、女の言葉には嘘偽りがまったく感じられなかった。
本気で神を、上位存在を殺せると断言してしまえる彼女に男は薄気味悪さを覚えた。
こんな恐ろしい女を相手にできないと悟った男は大人しく席に腰を落とす。
麗人はそれを見て取ると、話を続けた。
「あなた方に一般の狩人参加者の実力はどの程度なのかを知っておいてほしかったのです。そして、なんらかの脅威が現れるまでの間、彼らにはなるべく実力を出さぬように指令を与えていました。……ですので、ゲームはこれからがメインディッシュです」
すると、先ほどとは別の観客が戸惑いの声をあげる。
「しかし、だ……ここにいる者の多くはもうすでに高い出費を支払っている。あんたの言葉が本当だとしても、これ以上の出費はとても──」
「ではこうしましょう」
観客の一人が言いきる前に麗人が言葉を続ける。
「この勝負に限り、あなた方が掛けた金額の10倍を私のポケットマネーからお支払いする事をお約束致します」
瞬間、ラヴィナスの発言によって貴族たちの目の色が変わった。
* * *
「──あの女が何者であれ、ゲームの進行を阻む者への対応は一つしかありません」
そう言い、メルキスは一人ブツブツとつぶやく老齢の男を横目に神妙な面持ちでスタッフを呼び出す。
すぐさま駆け寄ってきたスタッフにメルキスは告げた。
「あの女をただちに追い出せ!」
「はっ」
ところがその直後、老齢の男が「いや」と横入りし、片手をひらりと振る。
老齢の男からの横槍にメルキスは意表を突かれた顔で目を見開いた。
「……勝手にやらせておけ」
老齢の男はそう言って袖口に手を入れると、麗人が使っていたものと同型の球体を袖口の中からスッと取り出した。
不服そうな顔をするメルキスをよそに老齢の男は球体を口元へと持っていく。途端、老齢の男の口から飛び出したのは意外な人物の名であった。
「アイリ。お前に一つ頼みたいことがある──」
老齢の男は球体に向けて何かを命じた後、その球体を袖口の中に戻しながらメルキスの名を呼ぶ。
「なんでしょうか」
「身支度を済ませておけ。準備が済み次第ここを去る」
「? なぜです。まだ狩りの途中ですよ?」
戸惑いの表情を見せるメルキスに老齢の男は遠くを睨みながら口をゆっくりと開いた。
「このゲームは、もうじき終わる……──」




