36 秘密の裏面
──あのあと、何が起きたのか正直言ってあまり覚えていない。
覚えているものといえば、自分が引き金を引いて、ギレオンを召喚する際に発した言霊と銃声だけだ。
気がつくと、広間の床はおびただしい量の血であふれ返っていた。
さっきまでリクトらを囲んでいた狩人たちの気配は消え失せており、広間に残っているのは自分達だけになっていた。
ガクン、と力が抜けて座り込んだガーランドさんを見、リクトはそこでようやく呆然とした状態から立ち戻った。
「いったい、何が……」
ガーランドと同じ姿で座り込んでいた強面の男がぽつりと呟く。
誰しもが先刻起きた事を呑み込めずにいた。
“それ”を放ったリクトでさえも。
強面の男は生気を失った自分の顔に手を当てる。
「俺たち、生きてる……よな? 夢とかじゃ……ねぇよな?」
直後、広間の隅に一塊になっていた瓦礫がガタガタと音をたてて崩れ落ちた。
強面の男はその音に反応し、ビクリとする。
崩れた瓦礫の山を小太りの男がじぃっと見つめ、口を開いた。
「……夢じゃない、と思う」
小太りの男は数十分ほど前に自分がいた場所の残骸を眺め、今までの出来事を思い出したのか、ぶるるっと身を震わせた。
その横でリクトは握りしめた魔導銃をかざし、銃身に目を滑らせる。
「……」
この惨状を作ったのは紛れもなく自分だ。
この場にいた大勢の人間の人生を、時間を一瞬にして消してしまった。
重くのしかかる後悔の念と罪悪感、そして自分が使役する召喚獣の力がどれほど強大かを思い知り、恐怖した。
「おい」
突然近くでガーランドの声がして、リクトはどきりとする。
慌てふためいてガーランドのほうに体の正面を向けると、彼は座り込んだ状態でこちらの顔をじっと覗き込んでいた。
「大丈夫か?」
「はい、なんとか」
すーっと息を深く吸い込んで吐き出した息と共に返事をするリクト。
ガーランドはリクトの曇った表情を見て取ると、顔を血の海と化した大広間に向けて言った。
「大部分は逃げた。死んだのはごく一部の奴らだけだ。それに」
ガーランドが重い腰をあげる。
「殺らなきゃこっちが殺られてたんだ」
そう言って、ガーランドはリクトの肩に手を添えた。
「あんな奴らのためにお前が気に病むことはない」
「……はい」
途端、ぼろぼろのローブをはためかせて一人の老人がリクトらに背中を向けた状態で姿を見せると、フワリと降下する。
ローブを突き破って生やし、目の前でバサリと折りたたんだ蝙蝠のような翼が老人の邪悪さを表しているかのようだ。
老人が床に降り立つ直前、薄汚れた老人の足裏がちらりと見えた。
しかし、静かに降り立った老人は黙ったまま一人の世界でシワだらけの細い手をじいっと見つめている。
「あの時、私は確かに死んだはずだ……だが、これは一体どういうことだ?」
ギレオン──バイセルンでは敵対した存在だったけれど、今回は彼のお陰で助かった。
リクトはギレオンの背中越しに礼を告げる。
すると、ギレオンは顔だけを動かし、リクトをギロリと睨むと、歪な笑みを浮かべた。
「そうか、私は貴様の力で再びこの地へ呼び戻された、ということか」
ギレオンの背中に生えた二対の翼がギュンッ、と槍状に折りたたまれたかと思った次の瞬間だった。
翼に生えた爪がリクトの胸の部位をドスン、と貫いた。
「……っ?!」
リクトは胸に衝撃を感じ、思わず後ろに後ずさった。
……ところが、驚くべきことに痛みはまったく感じない。
リクトはすぐさま自分の胸に手を当てて何度か胸のあたりを摩ってみた。
しかし、奇妙なことにリクトの胸からは出血どころか、刺し貫かれた穴すらも見当たらない。
後ろに首をねじると、リクトの体を貫いた爪は床の表面に深く突き刺さっていた。
「え? え、え……!?」
何が起きたのかさっぱり分からず、ただ自分の胸を貫かれた光景だけが眼前にある。
全身から込み上げる気持ち悪さで気が変になりそうだ。
すると、
「成程」
ギレオンがしわがれた低い声でぽつりとこぼし、伸ばした翼の指骨を今度は逆に縮めていく。
同時にリクトの胸を貫通した爪が引き抜かれ、リクトの体をすり抜けていった。
「さしずめ私は貴様の操り人形になった、といったところか……クッ、忌々しい」
途端、ギレオンが口にした言葉にリクトがはっとする。
──『アスカナ』と同じ現象だ……。
『アスカナ』では、モンスターが召喚獣になると主人にあらゆる攻撃が通用しなくなる。
つまり、この状態はギレオンが自分の召喚獣になった証という事じゃないか?
……でも、なぜ? どうして?
ギレオンは『アスカナ』のモンスターに居なかったはずなのに。
「あの、あなたはずっと昔からこの世界にいたんですよね……? 変な質問しますけど、一番古い記憶は思い出せますか?」
ギレオンはしばしの間リクトを睨んだが、一度まばたきをして訝し気な顔をした。
「妙なことを言う」
そう言って、ギレオンはこちらに体の正面を向けて振り返る。
「貴様を殺そうとした相手が目の前におるというのに……意図はなんだ?」
鋭い眼光の圧にリクトは怖気ずつ、腹から精一杯の声を出した。
「こ、こんなこと言っても! ……信じてくれるか分からないですが」
そう言い、リクトは不安な気持ちを抱きつつもガーランドらが見つめるなか、自分がここに来た経緯をかいつまんで話した。
とても奇妙で、馬鹿げた話を──。
「……」
ひと通り話し終えたあと、一同に沈黙がおりた。
小太りの男は一同の様子を見つつ、アハハハと高らかに笑って見せる。
「さすがに冗談よね?」
「「……」」
しかし、小太りの男以外の全員、誰も笑ってなどいなかった。
強面の男は真剣な顔でブツブツと呟いてる。
その一方でガーランドさんはというと、物憂げな表情で遠くを見つめていた。
「ねっとげーむ? あーるぴーじー? おーぷんわーるど? くそっ! 何言ってるのか、全っ然分からねぇ……!」
強面の男が一人頭をかきむしる横で、ガーランドさんが口を開く。
「でたらめなやり方でバケモンを出せる奴なんざ、この世にはいない。それに、ずっと気になってたんだが……」
そう言い、ガーランドはリクトを指さした。
「お前、“魔石”を持ってねぇだろ?」
一同の視線がリクトに注がれる。
「ま、ませき?」
『魔石』と言われて真っ先に頭の中に浮かべたのはファンタジーモノのゲームで見かける魔法素材だ。
この世界にもやっぱりあるんだ。
ガーランドさんはリクトの顔を凝視したあと、やっぱりな、といった風な顔で口を開く。
「魔石っつーのはこういうやつだ」
そう言ってガーランドさんは黒のジャケットをめくってみせた。
彼が見せたジャケットの裏地には勾玉のような石が埋め込まれていた。
思わず、「あ!」と声を出すリクト。
ずっと前、モモカさんが持っていたものと同じのやつだ!
「魔法を人間が使うには、魔石という媒体を使って発動させるのがベターだ。とくに特徴的なのは“匂い”だ。本来なら魔石を使うと強い匂いを発するんだが、お前からは一度もその匂いがしなかった」
めくったジャケットを戻し、ガーランドさんは「だからお前は俺らとは違う」と言って再びリクトを指さす。
「お前は魔石すら持たずに簡単にモンスターを召喚した。そんな芸当、《召喚士》や神官ですら出来っこない。なのにお前はできた。だが、お前のその話を聞いてると妙に腑に落ちる」
小太りの男の口元からだんだんと笑みが消えていく。ようやくこれが冗談ではないと察してくれたようだ。
すると、ギレオンが沈黙を破り、口を開く。
「仮に、貴様の話が事実だとして……貴様が望む情報を私は持ち合わせてはおらん。
『召喚された』、という話も私にとっては身に覚えがない話だ」
『アスカナ』の世界と異世界。
それぞれ共通する要素は多いのに微妙に食い違いがある。
神の使いとしてこの世に舞い降りた渡徒と異世界に転生した設定のプレイヤー。
ワイヴァンとワイバーンもそうだ。
見た目は共通してるし、弱点も一緒なのに『アスカナ』の世界には無かった無限増殖能力があった。
──この違いはなぜ起きている?
──なぜ二つの世界が完全に同じではないんだ?
「人間は語ることが好きだ」
ふと、ギレオンが口火を切る。
自然と一同の視線がギレオンに注がれた。
「だが、すべての事柄を未来に継承させる事は不可能。遺跡として存在し続けた構造物の作り方も当時を生きる者たちにとっては当たり前の方法で、記録にする価値などないと思っていた。
……だから未来の時代を生きる者たちはその遺跡がどうやって作られたのか、想像する事でしか答えは得られなかった。
それと、とてもよく似ている」
ギレオンはぼうっとした顔で足元に視線を向けたままそう述べた。
「つまり? どういうこと?」
話についていけずに頭が破裂しかけた強面の男が顔を強張らせて訊く。
すると、ガーランドが「俺の解釈が間違っていなければだが」と前置きして立てた指二本を一本ずつ折り曲げながら話を続けた。
「片方は史実と創作が混じって作られた半分作り話、だがもう一つのほうは」
ガーランドが言い切る前にリクトが口を無意識に動かし、言葉の続きを口にする。
「紛れもない、“本物”……」
「その話が本当だとしたら、リクの兄ちゃんは未来から来たって事ですか?」
小太りの男が誰に向けてではなく、周囲にいる一同に問いかける。
「それは無いんじゃないかと思います」
リクトはそう答え、自分の意見を述べた。
「自分がいた世界では、魔法なんて存在しません。それにこの世界の歴史とぼくがいた世界の歴史は全然違います。だから時代というより、完全に切り離された別々の世界と考えたほうが辻褄は合うかと」
そう言いながらリクトは自分の言葉に頷いた。二つの世界線の細部が微妙に異なる点も辻褄が合う。
自分が今いる世界が実在する世界で、自分がプレイしていたゲームの世界がこの世界を模倣して作られたものだとしたら?
だけれど、その説が正しいのなら新たな謎が生まれてしまう。
『アスカナ』の開発者はこの世界の史実をどうやって知る事ができた?
なぜ、作られた存在のはずだったアヴィスが自我を得た?
仮想世界で作られたプレイヤーの自分が、どうしてこの世界で存在し続けていられるのか?
顎に手を当ててリクトが考えあぐねていると、
「一つ、思い出したことがある」
ギレオンが突如投げた言葉にリクトはぴくりと肩を動かした。
ギレオンの言葉を一言も聞き漏らすまいとリクトは彼の口の動きを注視する。
「目を覚ます前、誰かの声が私に告げた……女とも男ともつかぬ不思議な声であった。貴様の言葉が真実だとするならば、もしかするとあの言葉にも何か意味があったのかもしれぬ」
ギレオンがそう口にした直後、彼の姿が霞み始めた。
どうやら“召喚継続限界時間”が来てしまったらしい。
「その声は貴方になんと言ったんです?!」
リクトが彼が消えてしまう前にあわてて訊ねると、ギレオンは消えかけながらも口をゆっくりと動かした。
「『──この世のありとあらゆるモノ全てをお前たちにやる。
好きに生きるがいい。私はお前たちを見ている。
“遠い場所”から、ずっと』……そう言っていた」
ギレオンがその場から姿を消し、代わりに被造物人形がコツンと目の前に落ちた瞬間、ざわりとした嫌な風がどこからともなく吹き渡り、リクトらの間を掠めていった。
* * *
リクトがギレオンを召喚してしばらく経った頃、ダンテはアギレラと共に結界を修復すべくダンジョンの心臓部を目指していた。
「こうしていまだ襲ってこないという事は、リクト様達が踏ん張ってくれてる証ですね」
ダンテが走る足を止めずにぽつりとこぼすと、「ええ」とアギレラが小さな声で返す。
「我々も彼らの健闘に応えないといけませんね」
瞳に希望の光を灯したダンテの傍らを走るアギレラは重い口を開ける。
「あたしが見回りで外へ出てる間にこんなことになっちまうなんて……してやられたよ」
沈み込んだ顔で舌打ちをするアギレラにダンテは眉を八の字に垂らして彼女に顔を向ける。
「貴女はよくやってくれてますよ、アギレラくん。ここにいる全員のことを誰よりも考え、常に鍛錬を欠かさない。貴女のおかげで私たちは今日まで無事に生きて来られたんです」
「そんなこと!」
声を張り上げたアギレラだったが、喉まで出かかっていた言葉を呑み込み、顔を背けた。
「あたしが臆病なだけ……」
「では、言い換えます。貴女のその臆病さに私たちは救われたのです」
アギレラはダンテのほうを見やると、神妙な面持ちで口をわずかに開けた。
「……あたしはそんな──」
彼女が何かを言いかけた直後、ダンテは正面の光景を目にした途端、ピクリと眉根を寄せた。
「あれは……!」
ダンジョンの心臓部となる部屋──その扉は無残な姿になっていた。
扉は縁のみを残して中央から派手にぶち抜かれており、扉にあいた大きな穴がその時の衝撃力を物語っている。
「アギレラくん、この先は危険だ! きみの探知魔法で調べてみてくれないか?」
ところが、アギレラからの返事がない。
ダンテが顔を後ろに動かした次の瞬間、
「んぐっ!」
突然、後頭部に衝撃が走り、ばたりと倒れたダンテの横をアギレラの足が通り抜けていく。
ダンテは手足が麻痺し、めまいを起こしながらも必死に目だけを動かし、扉の前に立つアギレラを目で追いかけた。
「ア……ギレ……ラ……くん、どう……し……て」
意識がうつらうつらとなりながら必死に呼びかけたが、しかし、アギレラは目を合わそうとはしなかった。
「呼んでも無駄ですわよ」
「?!」
女の声がしてダンテはあたりに視線を巡らせる。
途端、カツンと高い音が響き渡り、痙攣するダンテの目の前に黒を塗りたくった仮面を被った一人の淑女が姿を現す。
「だって──」
淑女がアギレラの背後に回り、彼女の顔の眼前を手で覆うと、垂れ絹を扱うような動作でスンッと手を下ろした。
すると、たちまちアギレラの顔は突如顕現した鉄製の仮面に覆われた。
骨組みだけで作られた鉄の仮面──その形は山羊の頭部を模したもので、山羊の目に位置する穴から覗いた彼女の片目はやり場のない憤怒と哀しみ、そして深い絶望の色に染められていた。
途端、淑女は彼女の背後から再び姿を現し、彼に告げた。
「この子はもともと、あたくしの可愛らしいお人形なんですもの」
レースの生地と《天駆獣》の黒き羽毛が飾られた扇子をヒラヒラと華麗に扇いだ淑女が扇子をパチンと閉じると、仮面に開いた二つの穴底に宿した二つの冷たい眼差しをアギレラに向けた。
「殺りなさい。“カタメ”」
アギレラは腰に差した一振りの剣を鞘から抜き取り、ダンテのそばに立つと剣を振りあげた。
「っ!」
瞬間、体を小刻みに震わせながらアギレラの唇が動いた。
【ご】【め】【ん】【な】【さ】【い】
ダンテは思考することもできないまま、深く昏い闇の深淵に沈み落ちた。




