33 血路
闇の空間に一点、照明が落とされた。
そこに佇むのは、正装のスーツに身を包んだ一人の青年。
照らされた床の縁では固唾をのんで青年を見守る秘書らしき佇まいの若い女の姿があった。
ひんやりとした空気にさらされた二人の中空に突如、風を切る音がして、二人が顔を見上げる。
すると、虚空に白塗りの仮面が続々と浮かび上がり、青年の周りを一瞬にして取り囲んだ。
「メルキスよ。ここに呼び出した理由はわかっているな?」
しゃがれた男の声が闇の空間にこだまする。
メルキスが、ばつが悪そうに頭を軽く下げて「はい」と小さく返した。
彼の背後からその様子を見つめていた秘書らしき女の目には、彼のご自慢の髪型である茸髪の艶の輝きが幾分失って見えた。
「では答えてもらおうか。“アレ”が何なのかを」
今度は威厳のある男の声が響き渡る。
すると、メルキスの前に大鏡が顕現した。
鏡面がぷくんと波打つと、鏡に映ったメルキスの像がたちまち消え、鏡面で発生した波紋がおさまると共に人外幼女の像がメルキスの像と入れ替わるようにして鏡面に浮かび上がる。
「モンスターの管理はそちらに一任していたはずだ。暴走するモンスターを出してしまった責任は君にある。責任をどう取るつもりかね?」
仮面の口から切れ味のある男の声が響いた。
すると、お言葉ですが、と言ってメルキスは頭を上げる。
「アレはこちらが手配したモンスターとは何の関係もございません。おそらく外部からの侵入によるものかと」
「ではどこから入ってきた? 出入りの警備は万全ではなかったのか?」
「それは……」
メルキスが言葉を詰まらせたその時、
「警備は問題ありませんでした!」
途端、メルキスの背後から女の声が横入りした。
メルキスが驚いた表情を浮かべて後ろを振り返ると、彼の秘書らしき女が照明の中に足を踏み入れて口を開く。
「鼠狩りが始まる少し前にイレギュラーの鼠を数匹急遽、投入したことが今回の結果に繋がった可能性が高いと思われます。イレギュラーの鼠を投入した件はメルキス様の指揮系統から逸脱したものであり、外部から雇った者が勝手に」
「──きみに話を聞いているのではない」
鋭い男の声が女の言葉を遮った。
「ここは君のような下位の存在が発言できる場所ではないのだ。立場をわきまえろ」
「……申し訳ございませんでした!」
威厳のある男の声が響くと、女はすぐさま頭を下げ、照らされた空間から身を引いた。
「どうなんだね? メルキスよ、そのイレギュラーの鼠がアレと関係しているのか?」
「はい……おそらくですが」
すると、闇に浮かんだいくつかの仮面の口から男と女のため息が漏れた。
「君には失望したよ、メルキス君」
今度はしゃがれた男の声が響く。
「これでは次回の鼠狩りの管理は別の者に任せるしかあるまいな」
「……」
反論する言葉が見つからずにメルキスは口をつぐんだ。
「皆さん、大事なことをお忘れではないですか?」
それまで沈黙を守っていた仮面の口から聡明な女の声が響き、メルキスが顔を上げる。
「問題は“アレがどこから来た”でも“誰の責任か”でもありません。『アレをどう対処するか』です」
聡明な女が口にした意見に周りの仮面達は途端に沈黙する。
「それでしたら一つ」
秘書らしき女以外は誰もいないはずの闇の空間から突然、温度のない女の声が割って入った。
「私からご提案してもよろしいですか?」
女の口調は紳士めいたものであったが、しかし、声には暗く影が差していて、仮面達への敬意など微塵も感じ取れない。
「誰だね? ここは部外者の立ち入りは禁じているはずだが?」
カツン、カツン、と靴音を空間に響かせて現れたのは単眼の仮面を被った長身長髪の女であった。
「失礼を承知の上で申し上げさせていただきますが、ここにいる者達だけでアレを処理するのはいささか難しいかと」
途端、メルキスは眉間にしわを寄せた。
「では、聞こう。きみの“提案”とやらを」
仮面達から発言を許された単眼仮面の女は誰の目も届かない仮面の裏側で、くすりと妖しげな微笑みを浮かべたのだった。
* * *
床の上に横たわった痩せ細った男達。その数、17名。
ほんの数時間前まで屈強な体格をしていたとは思えないほど彼らの身体は限界まで搾り取られていた。
皮と骨のみの悲惨な状態となった彼らの無残な姿をガーランドさんは険しい表情で見つめる。
「……しかし、本当にこいつらは大丈夫なのか?」
はい、とリクトは返し、横たわる一人の男のそばに立った。
「アヴィスの大鎌から繰り出される技は二つあります。一つは斬られた者の寿命を削り取る《斬刑の処》。これは単体にしか使えません。
そして、二つ目は複数の対象を刈り取る《葬送蓮華》。でもこれは生者を対象としたものではありません。この技が対象とするのは、斬られた者にかけられたデバ……呪いの解除だったはず」
リクトが口にした言葉を裏付けるように横たわっていた男達の皮がみるみるうちに膨らみ始めた。
消失した筋肉が蘇ると、男達はむせるような咳を吐き出した。
……よかった。ちゃんと生きてる。
胸を撫でおろしたリクトは強面の男と小太りの男が他の男達の状態を確認し、全員が無事であることを見届けると、門のほうへと駆け出す。
「とりあえず門を早く閉めておきましょう。これ以上、新手の狩人やモンスターが侵入したら大変なことになりますから!」
「お、おお、そうだな!」
リクトがガーランドと共に門のほうへと足を運びかけたその時、
「それは賢明な判断ですね」
突然、背後から男の声がして、二人はすぐさま後ろをくるりと振り返った。
しかし、そこにあったのは先ほどリクトが下りた短い階段があるだけだった。
考えてみれば当たり前のことである。
ついさっきまで、そこには誰もいなかったのだから。
「しかし、残念ながら──」
再び男の声がして、今度は中空に二人は目を向ける。
すると、そこには黒い傘を開いた状態で中空を滑るようにして浮遊する一人の男の姿があった。
人の顔に掘られた“人面月”の仮面を被り、紳士服に身を包んだその男は三日月型に裂かれた口の部分から気品に満ちた声で告げる。
「──気がついたところで、もうすでに手遅れです」
直後、中空の至る所に空間を割って入るようにして細長い影が次々に現れた。
その影の一つ一つが円錐状に広がり、黒い傘を差した人影へと形を変えると、続々と広間に降り立っていく。
ほんのわずかの間に広間は多種多様な仮面を被った狩人たちに占領されてしまった。
すると、人面月”の仮面男が両手を広げ、愉悦を孕んだ声で告げる。
「それでは始めるとしましょうか。鼠の“一斉駆除”を──……」
* * *
鼠狩りが開始してからしばらく経った頃、観客の盛り上がりは最高潮に達していた。
ガラス張りの天井の向こう側では、ねっとりとした目つきでガラス張りの床を見下ろすメルキスの姿があった。
彼の視線は階下に設置された大鏡に向けられている。
水面のように揺らめく鏡面には、蒼髪の少年一行を取り囲んだ狩人達の像が浮き上がっていた。
途端、メルキスは口元に薄い笑みを浮かべる。
「新たに発見した鼠の巣の場所はすでに狩人全員に通達済み。
なかでも蒼髪の鼠を始末した者には報酬額を5倍にすると提示すれば餌に食いつかないヤツはいない」
茸髪の髪をかき上げつつ、メルキスは「まったく」とぼやいた。
「あの澄ました無礼者には感謝せねばならんな」
その一方、賑わう観客席に舞い戻った長髪の麗人が席につくと、対面席に腰かけたユノスはワインの入ったグラスをくるくると揺らしながら柔和な笑顔を浮かべて麗人を迎える。
「姉さんの仕業かい?」
「……さて、何の事かな」
単眼仮面を外した麗人は素知らぬ顔でワイングラスを手に取り、観客の大半が視線を注いでいる大鏡に目をやると、一気にワインを飲み干した。
その横顔を見つめていたユノスがフフッと笑う。
「姉さんは意地が悪いね」
「ユノスよ、この世界に蔓延している“毒”をその目に焼き付けておけ。我々の“存在理由”を忘れないためにもな」
「わかったよ、姉さん」
まるでこの世の闇をドロリと煮詰めたような、黒々とした麗人の瞳が大鏡に浮かび上がるリクトの像を見据える。
(さて、この窮地、どう切り抜ける?
蒼髪の召魔銃士よ──)
* * *
広間を埋め尽くす狩人の集いに囲まれたリクト一行。
ガーランドは緊張のあまり、身動き一つ取れないでいた。
彼の額を伝う汗が、緊迫に満ちた空気の中でぽつりと垂れ落ちる。
成す術もなく、へたりこんだ強面の男と小太りの男は狩人達から放たれた殺気の圧に思わず息を吞んだ。
リクトはブルブルと震えていた握り拳をゆっくりと開き、先刻、アヴィスから手渡されたあるモノに目をやる。
『“これ”をどう活かすかはお前次第──』
時は《真似っ子妖精》と別れたあとに遡る。
遅れて異変に気がついた、というアギレラと合流し、彼女にアヴィスとの関係を問われたリクトは適当に『遠い親戚の子』と誤魔化した。
作戦会議の末、《真似っ子妖精》は彼女と共に結界の修復を施すべく、地下へと向かった。
足早に立ち去る二人の背中を見送るリクトにアヴィスは先刻の言葉と一緒にあるモノをリクトに手渡した。
それは小さな彫像の人形、被造物人形だった。
リクトがそれを握った瞬間、それは瞬く間に紫色の粒子に包み込まれたかと思うと、被造物人形入りの“弾丸”へと変化した。
弾丸の中の被造物人形を目にしたリクトは眉をピクリと動かす。
どうして、これが──口から出かけた言葉をアヴィスが制する。
『この状態が続けば、いずれお前たちはここで確実に死ぬ運命だ。さて、どうする?
多数の戦力を有するあちら側に対し、お前たちの戦力はごくわずか。諦めて素直に死を受け入れるか、それとも一縷の望みにかけて死に抗うか』
そう言い、童女の顔で悪魔のような笑みを浮かべたアヴィスが、リクトに手を差し伸べた。
『選ばせてやる。お前の好きな“死に方”を──』
リクトは一度読んだ本のページを読み返してまた閉じるように、脳内の記憶を現在に戻したあと、深く息を吸いこみ、肺に溜め込んだものを口からフゥ、と吐き出した。
それはほんの数秒であったが、決意を固めるには充分すぎるほど、リクトにとってはとても長い時間だった。
「彫像に封じられし被造物よ、我に従い、我にその力を示せっ!」
魔導拳銃を顕現させたリクトが、すでに装填済みの弾丸を一発抜き取る。
抜き取られた弾丸はたちまち金色の粒子となって消え失せた。代わりにアヴィスから入手した被造物人形入りの弾丸を装填する。
次にリクトの口が発したのは、今から数ヶ月ほど前、バイセルン事変を引き起こし、アヴィスと対峙した事のある忌むべき者の名であった──
「来たれ──……“ギレオン”!!」




