32 飢饉の獣
ガーランドが声を張り上げて魔法名を唱えたその刹那、鬼の鉄仮面騎士に覆いかぶさった網が瞬く間に黒光りした巨大な芋虫へと変貌を遂げた。
その名は《石喰らいのワーム》、またの名を『黒鉄ノ処女』──この世界に存在するワームの中では珍しく、石を主食とするモンスターである。
体内に無数に宿した針は鉄杭の如き力を誇り、体内に入れたものは岩だろうと易々と砕くといわれ、この世に雌しか存在しない希少種だ。
《アーティファクト・モンスター》の体内が《石喰らいのワーム》の体内空間へと変化し、鬼の鉄仮面騎士が抵抗する一瞬の隙も与えず、体内に内包された鉄杭のように太い針が勢いよく生え、次々と飛び出した針が狩人の鎧を穿ち、鎧の内部の肉を貫いた。
「ウガァァァッ──!!」
耳をつんざくほどの獣の呻声が広間にこだまする。
巨大なワームの腹の表面がうねうねと激しく蠢くたび、ワームは尾を左右上下に振り回し、巨大な尾が広間の壁に激突するたび、激しい揺れと共に天井や壁から砂埃が噴き出した。
ワームの周囲にいた男達は砂煙に顔を歪め、ワームの皮膚に埋まった鎖を握りしめながらも余った片腕で顔を覆い、パラパラと上から落ちてくる小石を弾き返す。
……やがて、ワームの体内が途端に静かになり、狩人の抵抗が突然止んだ。
広間に不気味な沈黙が下りる。
しかし、いくら待てども、ワームの腹に動きは無かった。
「……やったか?」
ぽつりとこぼすガーランド。
様子を窺おうと強面の男が鎖を捨てて一人駆け出し、ごくりと唾を呑み込んでワームのそばに歩み寄る。
その場にいた全員が固唾をのんで見守るなか、強面の男はワームの硬い皮膚にそっと耳を当てた。
直後、異様な音が広間に響き渡った。
それはまるで壊れた金管楽器のようでもあり、巨大な怪物の腹の音が鳴ったかのようでもあった。
途端、周りにいた男達が突然ガタガタと震えだし、潰れた声で一斉に叫び始めた。
男達の目は虚ろに変わり、握りしめていた鎖を捨て去り、一人二人と次々に倒れていく。
「おいおいおいおい嘘だろ!」
ガーランドが一人の男のもとに駆け寄り、意識が薄れつつある男の両肩を掴み、激しく揺さぶった。
「おい! しっかりしろ! 急にどうしたんだ!」
すると、みるみるうちに男達の全身が急激に痩せ細っていく。
まるで体内の水分を何かに搾り取られたかのように。
その様子を呆然と見つめて立ち尽くす小太りの男。
はっとして、強面の男が後ろを振り返ると、ワームの腹がブクブクと膨張し始めていた。
嫌な予感に駆られた強面の男が咄嗟にワームから離れた──次の瞬間、ワームの口から豪快に赤い液体が滝のように放たれた。
……それは、“血”だった。
ワームは何度か嘔吐を繰り返し、鎧の男をごぽりと吐き出すと、黒い液体状へと変わり、ガーランドのもとに吸い込まれ、彼の上半身を覆うジャケットの姿へと立ち戻った。
「ううぅぅ……」
すると、先ほどまで倒れていた男達がむくりと起き上がり、フラフラと左右に揺れ、足を引きずりながらガーランドらのもとにゆっくりと近づいてくる。
血走った目。声から漏れ出す呻き声。
彼らの様子を目にしたガーランドは頭の中で悟った。
──彼らにはもう自分達の声が届くことはない、と。
「くっそ! やるしかねえのか!」
下唇を噛みながら、ガーランドは腰のベルトに差した斧を手に取る。
「うがあぁアァ!!」
半狂乱で突進してきた男に対し、強面の男は向かってきた男の肩を掴んで強引に抑えつけながら、精一杯の声を注ぐ。
「お前ら! 正気に戻れ! 俺の肉なんか食っても美味かねーぞ!」
その一方で飢えた男達の獲物として認識された小太りの男は死に物狂いで駆け回り、瓦礫のなかに滑り込んだ途端、瓦礫が崩れ落ちる。
ついに追いついた男達が涎を口から垂らし、瓦礫に手を突っ込んだが、崩れ落ちた瓦礫が障害物となり、小太りの男を掴み取る事ができなかった。
飢えが頂点に達した男達は一斉に唸り声をあげる。
「ひっ!」
小太りの男は恐怖のあまりに体をすくめ、「ごめんなさい! 助けて下さい!」と引きつった声で連呼し続ける。
一方で、ガーランドは頭の中で問答した。
彼らを倒すしか自分達の生存の可能性は無いに等しい。
だが、斧を握る手に力を込めるほどに彼らの数時間前の顔が脳裏によぎる。
ガーランドは自分にこんな仕打ちをした神を心の底から呪った。
「お前ら……すまねえ!」
ガーランドが斧を振りかざした次の瞬間、一陣の風が通り過ぎた。
突然の突風に思わずよろめくガーランド。
だが、広間を駆け抜けた風が飢えた男達の横を通過した直後、男達はプツンと糸が切れた人形と化し、バタバタと倒れた。
困惑顔で周囲を見渡すガーランド。
視線を巡らせてある一点に彼の目が留まると、わずかながらに口元を緩めた。
彼の視線の先には、階段の上で息を切らしながら膝に手をついて立つ蒼髪少年の姿があった。
「すみませんっ! 遅くなりました!」
声を張り上げ、笑顔を浮かべる少年を見るなり、安堵の息を漏らしたガーランドだったが、少年の足元に立つ幼女に視線が移ると、たちどころに顔をこわばらせた。
「おいおいおいなんだ? そのガキは」
血の気のない白い肌と頭に生えた二対の黒き角。
紫がかった色の長い髪は左右中央に二つに束ね、それとは対照的に白く染まった前髪の下に煌めく金色の瞳と青い瞳。
黒い鎧とドレスを混ぜたような恰好以外は一見すると幼女であったが、彼女から発せられる雰囲気は子供のものとは思えないほどの冷たさに満ちていた。
大鎌を携えた彼女の瞳がギロリとガーランドの姿を捉えた瞬間、ガーランドは背筋に悪寒が走った。
(こいつは絶対味方じゃねえ)──ガーランドは本能的にそう直感した。
すると、人外幼女はフンと鼻を鳴らす。
「今は余に敵意を向ける時ではないぞ、ニンゲンよ。
その眼差しを向けるべき相手は余ではなく、お前の後ろに立つ者だと思うが?」
薄く笑みを浮かべて首をひねる人外幼女を不気味に思いつつ、ガーランドは眉根を寄せたまま後ろを振り向いた。
「っ!?」
その光景を目にした彼は途端に顔を引きつらせた。
先ほど串刺しにして倒したはずの狩人がいつの間にか起き上がっていた。
無数に穿たれた鎧からはとめどなく血が流れ落ちながらも、その手には巨大な斧を握りしめ、鉄仮面の口部分からは獣のような荒い息を絶えず吐き出していた。
「彼奴はお前達が束になっても勝てる相手ではない。ここは余が引き受けよう」
そう言い、人外幼女がブーツの音を響かせて階段を降りていく。
そして、ガーランドの横を通り過ぎたその時、
「信用していいんだな! アヴィス!」
リクトが声を張り上げ、人外幼女の背中に向けて問いただすと、彼女は肩越しに振り返る。
幼女の青く光る左の瞳がリクトを見据えた。
「お前の魂は余がいただく。それを忘れるなよ」
幼女にしては似つかわしくない妖しげな笑みを浮かべた人外幼女はそのまま身を翻して狩人のほうに向き直ると、床面に巨大な魔法陣を顕現させた。
「ここは蠅が多い。場所を移そう」
途端、人外幼女と狩人は紫がかったドーム状の煙に包み込まれ、リクトらの前からたちどころに消えてしまった。
「おいリクト! あいつは一体何なんだ?!」
開口一番にガーランドが階段を降りていくリクトに迫る。
あいつは、とリクトは言葉を一度切り、一拍の間を置いて口火を切った。
「味方です。一応、今のところは──」
その一方、リクト達からは少し離れた場所、すり鉢状の円形劇場跡にて、階段状に作られた斜面の客席に取り囲まれた中心の底に位置する舞台上に突如として、巨大な魔法陣が浮かび上がり、二つの人影が現れた。
舞台上に降り立った鎧の狩人が周囲の客席を見渡すと、目の前に降り立った人外幼女に殺意を込めた眼差しを向ける。
直後、アヴィスは薄く笑みを浮かべ、優雅に手を叩いた。
その途端、乾いた音が劇場の空間に重なって響き渡る。
「さて。これで我らの邪魔をする者は居なくなった。少し話をしよう」
ブーツの硬い音が舞台上にこだまするなか、アヴィスは狩人の周りを歩き回る。
「こうして直に顔合わせするのは初めてになるかな?《飢饉の獣》よ」
ぴくりと反応を示す鎧の狩人。
「──オレのことヲ知ッテイル?」
途端、目の前に立つ狩人とは異なる方向から女の声が横入りして響いた。
だが、アヴィスはそれに動じることなく、声がした客席のほうに目を向けると、客席のそばにある階段の中央に一人の女の姿があった。
「フン、知ってるも何も我らはかつて徒党を組んだ仲ではないか。まさか、それすらも忘れてしまったのか?」
アヴィスに煽られたとも知らずに細身の女は額に手を当てて肩をガタガタと小刻みに震わせた。
「……思イ出せん……うぅぅうぅ」
すると、女は唸るような低い声を喉奥からせり出した。
「ソ、レ、よ、リ、も……」
「?」
アヴィスが首を傾げた次の瞬間、
「オマエの肉ヲ食ワせろォオオオオッ!!」
下顎がない歯を剥き出しにさせた細身の女と鎧の狩人が同時にアヴィスに向かって猛進する。
アヴィスはため息をこぼすと、やれやれといった表情を浮かべた。
「食い意地の悪さは噂に聞いた通りか、どうやらこれは──」
同胞を見つめるアヴィスの眼差しが、瞬く間に敵に向ける冷たいものへと塗り替わる。
「──“躾け”が必要のようだな」




