30 巡り会う死
──墓標にその者の名前は刻まれていなかった。
名無しの墓標など、死体漁りを何度か経験した者にとっては、よくあること。
さほど関心を寄せる事ではなかった。
……だが、問題は墓が発見された場所にあった。
そこには動物はおろか、虫一匹の姿も存在しなかった。
そして、その土地に住んだ者は一週間も経たずに飢えと喉の渇きを覚え、死ぬ者が続出し、一つ二つ山を越えた町や村人までもがその土地を訪れる事を避けた。
古の伝承によれば、その土地には昔、大きな城下町があったという。
だが、ある年から不作が続き、ついには食糧難に陥った。
しかし、城主とその一族は異常なほど食欲旺盛で独占欲が強く、庶民が飢えに苦しんでいる間も食糧を密かに貯え続けた。
そして、その行為が明るみに出ると、彼ら一族は法の下に裁かれ、処刑された。
しかし、彼ら一族は死んでもなお、その罪が許される事はなく、神から罰が下された。
永遠に飢えと喉の渇きにもがき苦しみ、天へ召される機会を与えられずにこの土地を彷徨い続けているという。
そんないわくのある呪われた土地で、名無しの墓標が土の奥深くから発見された。
墓の主が処刑された一族の一人であろうと当初はそう考えていた。
だが、墓の主を降霊させた直後に悟った。
……こやつは、単純な霊などではない。
そして、この世のものでもない。
得体の知れない──『何か』だと。
* * *
髑髏面の男は席に腰かけると、髑髏の面をスッと取り、卓上に置いた。
彼の素顔は肌ともに血が抜けた色、まばたき一つしない目は乾ききっており、さながら墓場から這い出た死体のようであった。
(馬鹿な鼠だ。この俺を完全に葬り去ったと思い込んでいる。あの時、奴らが滅した魂が、俺の分霊の一つであるとも知らずに)
男は卓上の中央に浮遊する鏡に映し出された像を一瞥すると、そこへやって来たスタッフの男からグラスに注がれたワインを手に取り、骨と皮になった口に流し込むと、ニタリと口元を歪めた。
「さぁ、俺を一度殺した報い、その身にたっぷりと刻んでくれよ? 鼠ィッ!!」
男は歯を剥き出しにして歪に嗤う。
憎悪が込められた男の高笑いは盛り上がりの頂点に達した観客達の声にかき消されるのだった。
* * *
ガーランドが厨房で見た事を報告するべく、人を探して通路を進んでいくと、通路の向こうからこちらに向かって走ってくる人影が見えた。
一人、二人と次々に横切る彼らの顔は皆、真っ青な表情を浮かべていた。
ガーランドは一人の男を捕まえると、何があったのか訊ねた。
すると、男は嫌そうにガーランドの手を振り払う。
「お前らを追って来た奴だよっ! そいつが門をこじ開けて入ってきたんだ!」
「なんだと……?」
男はガーランドの顔を見るなり舌打ちをこぼすと、去り際に一言漏らした。
「こうなるんだったら、お前らをここに入れるんじゃなかった」
走り去る男の背中をガーランドは目で追いかけた。
何も言い返す言葉が見つからない。
今は出来る事をやろう、そう自分に言い聞かせて門へと歩みを始めたその時、
「あんた、戦えんのかよ?」
バンダナの少年が彼を背中越しに呼び止めた。
ガーランドは振り返る事なく口を開く。
「正直に言うとかなりきつい。だが、そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「……おっさん……」
「俺が時間を稼ぐ。その間にお前は他の者たちを連れて行け。なるべく遠くにな」
ガーランドは顔だけを横に動かすと、バンダナの少年と目を合わせて言った。
「頼んだぞ」
そう言って、足を踏み出したガーランドに対し、
「あんちゃん一人にカッコいい役を任せておけねえな」
聞き覚えのある声だなと感じたガーランドが後ろを振り返ると、そこには強面の男と小太りの男の姿があった。
「右に同じく!」
小太りの男が自信に満ちた声で言う。
自分なりに編み出したカッコいい決めポーズなのであろう、立てた親指を自分に向けている。
すると彼らに合わせるようにして、次々と武器を手にした男達が参戦の意思を表明してきた。
その数、ガーランドを合わせて合計20名。
「すまんな。悪いがお前たちの力、当てにさせてもらう!」
覚悟を決めたガーランドは勇猛な男達と共に足並みを揃え、出陣する。
未知なる敵が暴れ狂う“死地”へと。
* * *
大人一人が通路を走るよりも早くエレウはリクトのもとへと到着し、身振り手振りを使ってリクトに現状を必死に伝えた。
事の重大さを知ったリクトが門に向かおうとしたが、ダンテの姿をした《真似っ子妖精》が制止する。
「門のほうも確かに心配ですが……これ以上の侵入を防ぐために破壊された結界魔法の修復を急がなければなりません。リクト様はどうか私とご同行を」
ためらっている時間はリクトには残されていなかった。
「分かりました! 行きましょう!」
リクトはエレウを胸ポケットに入れたのち、《真似っ子妖精》と共に部屋をあとにする。
だが、走り始めてわずか数秒後、胸に強烈な痛みが走った。
思わず顔を歪め、膝をつく。
「どうしましたか!?」
《真似っ子妖精》が遅れてリクトの異変に気がつき、リクトのもとに駆け寄る。
激しく咳き込み始めたリクトの背中をさすると、煙のようなものがリクトの口からゴフッと吐き出た。
やがて、それは幼女の姿へと変わり、リクトらの前に舞い降りた。
こちらに背を向けた姿であらわれた為、顔は分からなかったが、細部を凝視すればするほど、その姿にどこか見覚えがあるような気がした。
「もしかして……《深淵の死神》なの?」
すると、リクトの声に幼女がぴくりと反応を示した。
幼女は顔のみを動かし、二つに束ねた長い紫髪をなびかせてリクトのほうをちらりと一瞥する。
金色の瞳と蒼くどこまでも昏い瞳──左右色違いの瞳を宿した人外幼女は呆れたようにため息を漏らした。
「フン。このようなカラダになり果ててしまうとは……まったく。この状態となってしまっては、元の力も引き出せんか」
自分の手を見つめ、ブツブツと小言をこぼす人外の幼女。
「お前は……《深淵の死神》なのか? いやでもあの時、死んだはずじゃ……」
リクトの発言でようやく彼の存在を認識したかのように幼女はリクトに視線を走らせてギロリと睨む。
「……“状況”が変わった」
ポツリとこぼすように人外──いや、“死神幼女”は言う。
すると、彼女は身体の正面をリクトに向けて唇を開いた。
「ここはひとつ、“提案”だ」
「……『提案』?」
険しい表情を見せるリクトをよそに死神幼女は被虐心に満ちた冷たい笑みを浮かべると、まるで赤子を迎え入れるように両手を広げてみせた。
そして、幼女の姿となってリクトの前に再びあらわれた死神女は、こう告げたのだ。
「──余と手を組まないか? ニンゲン」




