05 風の交わり
木々を駆けていく子供達。
その最後列にいた一人の男児が足をつまずいた。
男児が地面に転んだ直後、男児の目の前に木々をなぎ倒して人食い竜、《ワイヴァン》が現れた。
「ギャオオオオオス!」
男児は青ざめた顔で涙目になった。
ズボンの股からはシミが広がっていく。
男児が目を閉じた次の瞬間、颯爽とあらわれた着物少女が男児をかばい、《ワイヴァン》の行く手を遮った。
「花霊よ、我が刀にチカラを!
神の愛シ子を傷つケし者に戒メを与エよ!
──《花吹雪の舞》!」
刀を構えた彼女の詠唱と共に花の形を成した四つの刃が出現した。
顕現した四つの刃は刀身の周りを旋回する。
「モ……モモカ……先生……」
溢れた涙でぐっしょりと濡らす男児に対して、着物少女は肩越しに振り返り、優しげな笑みを見せた。
「大丈夫だから。ここは先生に任せて。ほらっ、みんなのところに走って!」
男児は力いっぱい頷き、年長組の子供らのほうへと駆けていった。
男児の後ろ姿を見届けた着物少女は安堵の笑みを浮かべ、すぐさま《ワイヴァン》のほうへと向き直った。
か弱い少女の瞳に闘志が灯る。
「あの子たちは、私が守るっ!」
彼女は刀を構え直し《ワイヴァン》に向かって突進を仕掛けた。
刀で《ワイヴァン》の体を斬りつけた瞬間、刀身を覆った花の刃が乱舞し、《ワイヴァン》の皮膚を重ねて切りつけた。
──しかし、《ワイヴァン》は怯む事なく長い首を伸ばし、彼女に噛みつきを仕掛けた。
すんでのところで噛みつきをかわした彼女だったが、尻尾のなぎ払いを喰らってしまい、吹き飛ばされた先の大木に身体を強く打ち付けた。
「んぐっ!」
……地面に倒れこんだ彼女の顔は、憔悴しきっていた。
地面を踏み鳴らす足音が、ズン、ズン、とゆっくり近づいてくる──……。
途端、彼女の愛刀が手から滑り落ちた。
蜥蜴のように突き出た口が着物少女の眼前に近づいた途端、怪物の鼻息が彼女の顔に吹きかかる。
全身を小刻みに震わせながら、着物少女は懐からそっと小刀を取り出した。
──“自ら命を絶つ”。
それが、彼女に残された“最後の手段”であった。
声にならない声が彼女の唇から漏れる。
「ごめんなさい。師匠……!」
着物少女は瞳を濡らし、自身の喉元に小刀を突き立てた。
と、次の瞬間、
「──」
誰かの口笛が辺り一面にこだました。
《ワイヴァン》はぐるんっと長い首を後ろにねじり、周囲の気配を探る。
すると、再び口笛が鳴り響いた。
音階は外れていてどこかぎこちない音色だったが、《ワイヴァン》はその音色を追うように着物少女に背を向けて、長い尻尾をくねらせながら、木々をなぎ倒して消えて行った。
……途端、着物少女は全身の緊張が解け、背後にある木に全身を預けた。
いまだ何が起きたのか、頭の中は混乱に満ちていた。
すると、草の茂みを踏み潰す足音が次第に近づいてくる。
疲弊した気力を奮い起こし、閉じかけた目を開けると、目の前には蒼髪の少年が佇んでいた。
* * *
少年の瞳が着物少女の姿を捉え、顔がわずかに傾いた。
「「……」」
一陣の風が二人の間を吹き抜けていく。
しばしの沈黙を破って、先に口火を切ったのは少女のほうだった。
「Loios……soísai」
見開いた少女の目に宿った瞳がゆらゆらと揺れる。
少年は大きめに口を動かし「はじめまして! ぼくの名前は釘宮──」と切り出そうとしたが、すぐに口を閉じた。
しばらく虚空を見つめ、考えるそぶりを見せたのち、再び口を開く。
「ぼくはリクト。リクト・サシューダ……です」
ふわりと風によって揺れる少年の蒼い髪。
優しく微笑んだ少年の整った顔立ちから滲んだ大人の雰囲気。
仄かな大人の色気を纏った少年の温かな笑みに少女は頬をほんのりと赤く染めた。
──その時、静寂を切り裂いて、竜の雄たけびが重なって辺りに轟いた。
「「?!」」
同時に二人は竜の鳴き声が聞こえた方向に目を向ける。
(このままじゃ村のみんなが!)
焦りと不安に満ちた顔で空を見つめる少女。
すると、少女の横顔を静かに見つめていた少年が口を開いた。
「ぼくに一つ考えが」
「……?」
少女は口をぽかりと開けて、少年に顔を向ける。
(この子、どうしてカムイの言葉を……)
「でも、この案では、ぼく一人だと限界があります。……協力をお願いしてもいいですか?」
少女は力強い瞳で少年の目を見つめ、コクリと頷く。
彼女の決意を受け取った少年は生唾をごくりと飲み込むと、彼女に伝えた。
《ワイヴァン》の“攻略法”を──。
* * *
とある一人の兵士の半身が血をまき散らしながら宙を舞う──《ワイヴァン》が通った道の跡には、死体が山のように積み重なっていた。
「ニール兵長! もうここは持ちこたえられません! 撤退の指示を!」
「ならん! ここで退けば我らの後ろにあるカルガリー村への侵入を許す事になる!
……そうなれば、進行方向にあるリーズ城に《ワイヴァン》が押し寄せてくるのも時間の問題」
ニールは震える指を抑え込むようにして剣を強く握りしめる。
「もうじき黎明騎士団がここへやって来る。それまで、何としてでもここで食い止めるぞ!」
と、その時──いくつもの葉が風に逆らって舞いあがり、兵士達の頭上に浮かんだまま静止した。
「こ、これは?!」
「《妖精》のしわざか?!」
「あれは異国から来た小娘の……」
ニールは、宙に浮かぶ葉の文字を凝視する。
「“音を立てるな”──だと?」
「ニール兵長! 奴がこちらへ向かってきます!」
「お願いです! 兵長! 撤退の指示を下さい!」
辺りが兵士達の叫び声で一気に埋め尽くされるなか、《ワイヴァン》は物凄い速さで低空を飛行し、木々をなぎ倒しながらこちらに迫って来る。
「全員、そこを動くな! 音を立ててはならん!」
「何を……正気ですか!?」
「さすがにそれは自殺行為です!」
兵士達は一斉にどよめく。
周りから反対意見が飛び交うなか、ニールは一人の部下の襟首を掴み、小さな声で必死に訴えた。
「いいから黙れっ! これは命令だ!」
その決断はニールにとって、大きな賭けだった。