28 別れの影
「『プレイヤー』──ふふ。とても懐かしい響きですね」
ダンテさんの返しに力が抜ける。後ろにあった腰掛の椅子にフラリと座り込んだリクトは両手で頭を抱え、うなだれたまま口を開く。
「今まで、自分は長い夢を見てきたんだと思ってました。だけど、姉の友人とこの世界で出会って『もしかしたら、ここはまだゲームの世界なんじゃないか』って思うようになって」
「ふむ……その口ぶりから察するに、その『知人』からは何も聞いていないと?」
「ええ」
リクトはそう返し、今までの出来事をかいつまんで彼に話した──。
「──……なるほど。ずっと一人で。それは大変だったでしょう」
すると、リクトは顔に仄かな笑みを浮かべ、静かにかぶりを振る。
「いいえ。一人ではありませんでした。今になって思い返すと、いつも僕のそばには誰かがいて、僕を導いてくれていました」
そう言い、リクトは暖炉の火をじっと見つめる。
「“仲間”ができたんです。今までの人生で出来たことがないほどの──とても、とても“大切な仲間”が……きっとここで幸運を使い果たした自分の来世は寂しい人生になると思います」
冗談3割、本音7割。
ダンテさんにリクトのジョークがどこまで通じたのかは分からないが、ダンテさんは口と目元にしわを寄せ、「そうですか」と相変わらず優しげに満ちた声色でそう返した。
「珈琲はお飲みになられますか?」
「え。あ、はい! 珈琲大好きです」
「それはよかった。少々お待ちを」
この世界に珈琲があった事実に驚きを隠せないでいるリクトをよそにダンテさんは部屋の入り口扉のほうから右手にある台所へと足を運んだ。
台所の棚から手動式の豆挽き機を取り出し、器用な手つきでカップに出来立ての珈琲を注ぐ。
その間もリクトは彼の行動を目で追いながら話を続けた。
「正直に言ってずっと不安だったんです。……もしこの世界が夢だとして、次に目を覚ました時、元の世界で目が覚めて『今までの出来事は全部夢でした』ってオチになるのが怖くて。だから、あえて何も考えずにここまでやって来たんです」
すると、カップを手に持ったダンテさんが歩み寄り、リクトの前にある木製テーブルの上に珈琲入りのカップをそっと置く。
カップからは白い湯気が立ち、香ばしい香りがリクトの鼻を通り抜けていった。
「……もし、この場所が現実で、ぼくと同じような人が、プレイヤーと出会うことが万が一あったら、今度は絶対に逃がさない。そして、色々知りたいこと聞き出そうと思ってたんです」
ダンテさんは柔和な笑みを浮かべたまま、暗い顔のリクトと向かい合って椅子にそっと腰かけた。
すると、リクトは「でも」と言って言葉を付け足す。
「いっぱい聞きたいことがあったのに……突然目の前に現れたら、出なくなるもんですね」
そう言ってリクトは照れくさそうに笑った。
途端、ダンテさんは穏やかに、そして静かに口火を切る。
「一つ、あなたにお伝えしなければいけないことが御座います」
瞬間、リクトの顔から笑みが消えた。
うつむいた状態から顔を上げ、ダンテさんの顔を見やると、彼は視線を卓上に向けたまま重々しく口を開いた。
「私は、残念ながらあなたがおっしゃる『プレイヤー』などでは御座いません」
「……え?」
想定外の言葉にリクトは目を丸くする。
「で、でも! こうしてぼくの話す言葉も分かってますし、ちゃんと日本語が話せてるじゃないですか!」
リクトの反応にダンテさんは少し寂しげな表情を浮かべ、目元にしわを寄せた。
「じつは、これには深いワケがあるんですよ……」
ダンテさんはそう言って右手を上げた途端、彼の右手が黒い体毛に覆われた手に変貌を遂げた。
「っ!?」
直後、リクトは慄いて背もたれにぴたりと背中をくっつけた。
ダンテさんは予想通りの反応といった様子で、口角の端を持ち上げる。
「私はね……《真似っ子妖精》と呼ばれる存在。つまり、あなた達でいうところのモンスターなんですよ」
* * *
『アスカナ』にはプレイヤーが土地を買い、家を建てることができるハウジングシステムというものがある。
その空間は『アスカナ』の世界とは切り離された異空間という設定だった。
今までプレイヤーが通ってきた場所を記憶した装置──《映天殻》を起動すれば、いちいち移動せずとも一瞬のうちに選んだ絶景に変わる。《召喚士》が召喚獣を休ませる場所として使われることも多かった。
撮影モードを使って好みの衣装に着替えて、召喚獣と共に撮影会も堪能できた。
また課金用ともなると、ハウジングシステムを利用した自分好みのダンジョンも作成可能だ。
マルチプレイで他のプレイヤーを招き、自分で用意したゴール地点に辿り着いた者に設定した報酬を獲得させることができる。
ダンテさん……いや《真似っ子妖精》の話によると、彼もダンジョンに設定されたモンスターだったらしい。
Ver4.0のアップデートが開始された日──自我に目覚めた《真似っ子妖精》はこの目で見たのだそうだ。
突如、広範囲に発生した不具合により、自分の主であるプレイヤー、ダンテさんと共にここへ転移するさまを。
そしてリクトは彼の話を聞きながら、《真似っ子妖精》特製のダンベルを使った筋トレをいつの間にかさせられてしまっていた。
……ちょっと待って。え、なにこの状況?!
彼曰く、何時いかなる時も筋肉をつけておかないといけないらしい。
ガーランドさんの仲間みたいな人だった。
そして、彼は続ける。
「──……私とダンテ様の出会いは、私がまだ函なかに囚われた存在であった頃、私はダンジョンに眠りし宝を守護する番人でした。
ですが、ダンジョンの崩落により身動きが取れなくなったところを冒険者に助け出されたのです。それが私とダンテ様の出会いでした。私はダンテ様に恩返しをと思い、このダンジョンの新しい主人としてダンテ様をお迎えしました」
? それって、ただ単にダンジョンをゲットするサブクエストをクリアしただけでは……リクトがそれを口に出さずとも《真似っ子妖精》にはお見通しだったようで、彼は口を結ぶリクトの顔を見やり、哀愁たっぷりの笑みを浮かべた。
「ええ、その通りですよ。
助けた行為がもともと用意された筋書きであった事は知っています。……ですが、重要なことは『助けられたこと』などではないのです」
《真似っ子妖精》はカップを手に取ると、コーヒーをすすり、じっくりと味を噛み締めたあと、口を開いた。
「『ダンテ様に恩を返したい』──という気持ちは、プログラムに組み込まれたものではない。これは私の、私だけの本心から生まれたものなのです」
そして、彼はダンテさんと暮らした日々を語りだす。
彼曰く、『ダンテ』という名のプレイヤーは現実の世界で子供の頃に重度の病気を発症し、寝たきり生活になってからゲームの中でしか自由に動く事ができなくなったらしい。
「ダンテ様の夢は“沢山の困っている方々を助ける事”でした。
ですが、不運な事にその後、再び発生した転移現象に巻き込まれ、飛ばされた先はこのダンジョンでした。
出口を探す過程でデスゲームの存在を知りました。
憤りに震えましたが、私たちの力では奴らを倒す事は不可能。
ならば我々になにかできることはないか思案した末、ここに連れて来られた者達を保護するに至ったのです。
私もダンテ様のお役に立てるよう努力致しましたが、志半ばでダンテ様は倒れてしまい、現在は私一人だけが取り残されてしまいました……」
《真似っ子妖精》はカップを卓上にそっと置く。
カップの中で揺れるコーヒーの液面に映った彼の顔はとても寂しげだった。
「残された私はダンテ様の意思を引き継ぎました。
そして、いつしかここは『希望の砦』と呼ばれるようになっていたのです」
なるほど、リクトはそう呟きながらダンベルを床に置く。
「つまり、『ダンテ』という名のプレイヤーがハウジングシステムで建てた土地と別のどこかのダンジョンが融合したということですか」
「ええ……。ですが融合したもう一つのダンジョンの目星はすでに見当がついております」
「え、それはほんとうですか?!」
喜びを帯びた声をあげるリクトとは反対に《真似っ子妖精》の顔に暗い影が差した。
「……そのダンジョンの主の名はヒグレ。
ダンテ様の話によると、彼はダンジョン制作の天才だったそうです。
一度入れば二度と出られない構造の迷宮を多数作り、誰一人としてゴールにたどり着けなかったと言われています」
「……その人も、ここに転移を?」
《真似っ子妖精》はコクリと頷く。
「転移後、一度だけ顔を合わせたそうです」
ですが、と言った途端、《真似っ子妖精》は言葉を切った。
なんです、とリクトが《真似っ子妖精》の顔を覗き込んで問いかける。
「コラァ! 筋トレ休まない!」
険しい顔つきとなった《真似っ子妖精》に指を差されたリクトはダンベルを手に取り、必死に筋トレを再開する。
まだこの会話システム、続けるんだ……。
「『彼はむかし話した頃の彼じゃなかった』、そう仰ってました。
それと、これはあとから聞いたお話ですが、ヒグレ様はこちらへ転移してすぐにこちら側の住人と接触し、彼が所有していたダンジョンを譲渡したのだそうです」
「! その相手って……」
リクトの嫌な予感は的中した。
「ええ。殺人ゲーム《鼠狩り》を運営する組織、《猛々しい狩り》──
彼はまさかそんな恐ろしい事にこのダンジョンが使われるとは、思ってもいなかったのでしょう」
想像を絶する決断の重みがリクトの頭にのしかかる。
もしも自分が彼と同じ立場だったら、そう思うと胸が疼く。
「奴らの恐ろしい行為を目の当たりにした彼はダンテ様と転移後に再会した際、ダンテ様の土地の周りに特殊な結界魔法を張ったあと、どこかへと消えたそうです」
「それしか方法が無かったんですか? 『一緒に逃げる』という選択肢もあったはずじゃ」
《真似っ子妖精》はゆっくりとかぶりを振る。
「残念ながらそれは不可能です。ダンジョンへの出入り許可は奴らが管理しております」
《真似っ子妖精》はそう言って、顔を天井に向けて遠くを見つめた。
「……我々にはここで生きて、ここで命を終える道しか残されていないのです」
彼がそう告げてから、部屋中に響き渡るくらいに暖炉の火の音がやけにうるさく聞こえた。
それほどまでの静寂が二人を、部屋を包みこんだ。
* * *
漆黒を塗りたくった闇の中で獣の荒い息遣いが響く。
闇の底で地べたを這う獣とも人ともつかぬ怪物の頭上から女のすすり泣く声がかすかにした途端、怪物は頭上を見上げた。
崖の絶壁に切り抜かれたように開いた穴がポツポツとあるなか、女の泣き声がひと際大きく聞こえる穴が一つあった。
穴の先では、立体的に掘られた巨大な壁画の下で一人の細身の女が泣き崩れている。
「メイナぁ……なんであたしを一人にしたの……?」
声を震わせて泣く女の目からは液体が零れ、彼女の目の下の隈を幾度となく濡らす。
壁の向こうで独り寂しく死んでいったメイナの事を思うと、自責の念に駆られ、悲しみは怒りに変わり、振り上げた彼女の拳は何度も壁面を叩いた。
「『ずっと一緒だよ』って、いつも言ってたじゃない……あんたがいなかったら、あたしどう生きたらいいの……」
途端、細身の女は壁の向こうに“人の気配”を感じた。
「お姉ちゃん」
壁の向こうから聞こえたのは、もう叶わないと思っていたメイナの声だった。
「メイナ……? 生きてたの!?」
「ごめんね、一人にして。許してくれる?」
女は涙を拭いながら壁に向かって叫んだ。
「当たり前じゃない! あんたが死んだって本気で思ってたんだから!」
ふふっ、と壁の向こうからメイナが笑う。
「お姉ちゃんは私がいないとダメ人間だもんね」
メイナと話しているうちに女の顔が生気に満ち溢れていく。
「待ってて。いま開けてもらうから!」
壁から身を離し、女が壁に背中を向けた途端、壁の向こうのメイナは「大丈夫だよ」と声を返した。
「そんなことよりも、お姉ちゃんに一つお願いがあるの。聞いてくれる?」
「ん? なに」
女が肩越しに振り返る。
壁の向こうからメイナは親しみを込めて言った。
「──お姉ちゃんの カ ラ ダ わ タ シ に ち ょ ウ ダ い」
壁の向こう側に立っているはずのメイナの姿は、影も形も存在しなかった。
その直後、闇の底から何かが這い上がる音がした。




