27 壁の中の安らぎ
観客席の大鏡に映し出されたリクト一行の像が乱れ、真っ黒に塗りつぶされると、途端に観客席からは不満を訴える声が飛び交った。
「ちっ、何をやってる! せっかくいいところだったというのに!」
すると、床面から影が伸び、フクロウの仮面を被った男の姿になったゲーム案内人役のフェリーロが観客に向かって華麗に頭を下げた。
「大変申し訳ございません。原因を究明してまいりますので、今しばしお待ち下さい」
フェリーロの姿が再び影一色に染まり、床面に吸い込まれる。
「そういえば前の年も同じようなことがあったな」
「ありましたねぇ。確か、あの時も見失った鼠の消息は分からぬままでしたっけ……?」
「脱出できていないのだから、どうせ死んでるに決まっておるわ」
「フフフ、ですな」
観客らの話し声に耳を傾けていた長身の麗人は、物憂げな表情を浮かべながら、卓上の中心に浮かんだ鏡をぼんやりと見やる。
プツプツと音を立て続けて黒一色に染まった鏡の向こう側で、何が起きているのか、彼らには知る由もない。
鏡面が別のエリアを映し出す。
観客席の誰もがリクトらの生存を信じていなかった。“たった一人”を除いては──。
* * *
「あたしはアギレラ。ここのリーダー代理をやってる。よろしくな」
眼帯の女は柔らかな表情を浮かべて名乗ると、リクト一行に手を差し出し、一人一人と握手を交わしていく。
「『代理』って、そもそもリーダーはアギレラさんの他にいないじゃないっすか」
「う、うるさい! 誰もやりたがらないから渋々やってるだけだ!」
強面の男から飛んできた言葉にアギレラは顔を真っ赤にして大声をあげた。
その光景にリクトを除いた一行は頬を緩ませた。
と、その時、女の甲高い声が空気を切り裂く。
「メイナは!? あの子はどこなの?!」
群衆を割って出てきたのは、二十代前半くらいの細身の女だった。
女は血相を変えて強面の男に向かって駆け寄り、何度もメイナの名を叫ぶ。
彼女の目の下には濃い隈がちらりと見えた。
強面の男はしがみつく女から目を反らし、重い口を開ける。
「あいつは……助からなかった」
強面の男がそう返すと、女は呆然とした表情になり、膝から崩れ落ちた。
「嘘……そんなの嘘よ」
すすり泣く女のもとへアイシャ達が静かに歩み寄り、彼女の背中をさする。
いたたまれない空気のなか、アギレラは初老の男に声をかけると、彼女らを連れて群衆を割り、離れて行った。
アギレラがその場を去るとガーランドらを囲んでいた群衆も一人二人と散り散りになった。
「とりあえず、あなた方もお疲れでしょう。お身体を休める場所がございます」
初老の男が柔和な笑みを浮かべ、「こちらに」と言って小さく会釈すると、右へと続く通路へ進み始めた。
ガーランドがルースの顔をちらりと見やると、彼女は去っていくアギレラの背中をうっとりとした顔で見つめていた。
ガーランドは呆れた顔で大きく嘆息する。
「お嬢ちゃんはこっちだ」
急に肩を掴まれたルースは「ひっ!」と小さな悲鳴をあげて、ビクッと身を震わせた。
そのままガーランドの手によって、驚いた拍子に固まってしまった身体の向きを先ほど初老の男が進んだ通路に向けられた。
リクトは閉ざされた巨大な壁を不安げに見つめる。
物憂げな様子を察した坊主頭の男がリクトの肩を軽く叩いた。
「安心しろ。あいつは奈落の底に突き落としたからよ。今頃、地獄の炎に焼かれてるだろうさ」
リクトは白い歯を覗かせる坊主男の顔をちらりと見やる。
「……そうですね」
なぜか分からないが、煮え切らない感情が胸の奥でくすぶっていた。
鬼の鉄仮面を被った狩人と目が合った瞬間、見えなかったはずの狩人の表情が見えた気がしたからだ。
目つきは殺気に満ちていたが、口元は薄く笑みを浮かべていた──そんな気がしたのだ。
「少年! ずっとそこにいる気か?」
ガーランドのせかす声に促され、リクトは踵を返してガーランドの背中を無言で追う。一抹の不安を胸に抱きながら──。
青い火が揺らめく松明があちこちに飾られた細長い通路を、初老の男が先行して歩く、いや、徐々に歩調を早めていく。
後方にいたガーランド一行も自然に彼の歩調に合わせて早足になる。
すると、初老の男が顔だけを動かし、口火を切った。
「ご紹介が遅れました、私はダンテと申します。以後お見知り置きを」
だが、『ダンテ』と名乗った男は途端に歩調の速度を上げた。
ガーランド一行も彼の背中を追う。
あまりの早さに次第に一行は顔を歪めた。
「もしかして、これって……試されてる?」
ルースが渋い表情でぼやくと、「さあな」とガーランドが雑に返し、ダンテに言葉を投げた。
「ダンテさんよう、一体これは何のつもりで?!」
数メートルほど離れたダンテが再び顔を動かし、柔和な顔で口を開く。
「体力作りですよ。これくらいしておかないと、いざという時に死んでしまいますから」
ダンテのにこやかな表情の口から出た言葉は、いまリクト達が置かれている現状がいまだ死に近い場所にあるという事を改めて実感させられた。
ダンテに続くガーランド一行は時折、通路を行き交う者達とすれ違った。
彼らは腰のベルトや胸ポケット、バンダナなどに掲げた冒険者プレートを鈍く光らせて、それぞれが珠玉で飾り立てられた珠簾をくぐり、それぞれの部屋に消えていく。
「皆さん、ここに住まわれてるんですか?!」
ほとんど走った状態でガーランドがダンテの背中に向かって問いかける。
「ええ、その通りです。ここは外とは隔絶された空間にあります。どうやらここ一帯には高い魔力を持つ者には見えにくい領域にあるようでして。ですから狩人やモンスターに襲われる心配もない。我々にとってここは安らぎの空間なのです」
「『安らぎ』って、こんな隔離された空間でくつろげるわけないじゃない! ずっといたら息が詰まっちゃう!」
ルースがぼやく。
「さて、それはどうでしょう」
ダンテは笑みを浮かべたまま意味深にそう言った。
すると、突然ダンテは歩みを止めた。
後方からガーランド一行も足を止め、膝に手をついて息を整えた。
「ここです」
まったく息を切らす事無くダンテはそう言って、網状の模様が刻まれた石扉に彼が手をかけた途端、彼の手の甲に目が留まったリクトは思わず目を見開いた。
「!?」
しかし、その一方で開かれた扉の先でガーランドらを待ち受けていたのは、青天の下に広がる美しき庭園であった。
「は? ……外? まさか、出られたのか?」
扉の向こうへ足を踏み入れると、靴底から草を踏みしめる感触が伝わる。
信じられない光景にガーランド達は目を疑う。
「いいえ。残念ながら、ここは“本物の外”ではございません」
ダンテは憂いを帯びた目で空を見上げた。
「種を知りたいかい?」
横から少年の声がしてガーランド一行が声の主に顔を向けると、少年が意気揚々と歩いてきた。
紫色の布をバンダナとして額に巻いた少年は誇らしげに八重歯を覗かせるなり、親指で自分を指した。
「これはおいらの力」
「じゃないだろ」
電光石火の勢いで強面の男が少年の頭をコツンと叩いた。
頭の痛みに悶えながら少年は一気に弱々しい声色に変わる。
「そ、そうでした~」
こほん、と小太りの男が代わりに説明する。
「この景色は全部、魔導装置が見せた幻です。川や谷、砂漠から雪景色まで色んな景色を見せることができるんです」
へぇ、と言ってルースは深く息を吸い込んだ。
一気に息を吐き出すと、彼女は納得した表情を浮かべる。
「たしかに匂いはカビくさいままね。さすがに匂いまでは再現できないか」
彼女はため息まじりにそう言って、腰に手を当てる。
「幻を見せてるのはアレだよ」
強面の男が指さした方向に一行は視線を移す。
湖の向こうに浮かぶ小島に生えた林の下に巨大な貝殻のような形をした機械装置が見えた。
ガーランドは彼らに許可を取り、ルースらと共に機械装置がある小島へと足を運んだ。
彼らの言った通り、湖は偽物であった。
一行が進むたび、さざ波が立つのにガーランド一行の衣服は濡れることが無かった。
その一方で、ガーランドらの背中を静かについていくリクトの眼差しはずっとダンテのほうに向けられていた。
ガーランドの隣に付き添うように歩いていたダンテがリクトの視線に気が付いたのか、リクトのほうに顔を向けると、リクトはあわてて顔を反らした。
「な? ……すごいだろ」
自慢げにバンダナの少年が言う。
機械装置のそばにやって来たガーランド一行は機械装置の外装部分をまじまじと見つめる。
だが、その禍々しい外観に押し任されたのか、誰一人として機械装置に近づこうとはしなかった。
「……ちょっと触ってもいいですか?」
リクトがおそるおそる口火を切ると、ガーランドらが一斉にリクトのほうへ顔を向ける。
リクトが久しぶりに声を発したので、一同は驚きの表情を浮かべていた。
「べつにいいけど、何も起こらないと思うぜ? おいらでもこれを操作するのに数か月かかっ」
少年が言い終える間もなく、リクトが機械装置に近づき、手をかざした途端、駆動音が鳴り、風景が夜の砂漠へと一瞬にして変わった。
「おいマジかよ!」
強面の男が目を見開き、驚きの声を上げる。
少年は驚きのあまり、口をあんぐりと開けたまま棒立ちした。
「きみ! この操作方法をどこで?」
途端にダンテがリクトの背中に向かって声を投げる。
「むかし、使ってたものと少し似ていたので……」
「ちょっと待て」
強面の男が割って入る。
彼は訝しげな顔で額に手を当てながらリクトに問いかけた。
「これはな、俺達が生まれるよりもずっと前からある超古代文明の《未知なる人工物》だぞ? すると何か? お前さんは超古代人の末裔ってことなのか?」
「きみ、悪いがちょっと来てくれないか」
問い詰める強面の男に構うことなくダンテがリクトに詰め寄る。
リクトの目をじっと見つめ、ダンテは改めて口を開く。
「きみに少し話がある」
「……僕もあります、個人的に」
二人の間に重い空気がのしかかるなか、ルースは退屈げに伸びをしながら周りの人に「どっかに寝られる場所ない? 少し休みたいんだけど」と訊ねた。
「あぁ、それでしたら」
そう言って、一人の女性が歩み寄り、ガーランドらに小石を手渡した。
小石の表面には数字が刻まれていた。
「そちらの石に記された数字の部屋があなた方の部屋です。どうぞご自由にお使いください」
「これはこれは、ご厚意に感謝致します」
途端に声色を変えたルースは女性の手を取り、神官としての雰囲気を取り戻した。
ガーランドは目を細めてその光景を眺めると、苦笑いを浮かべながら踵を返す。
それぞれが解散するなか、ダンテとリクトはしばらくの間、互いに見つめ合った。
リクトの頭上を飛び回っていたエレウは、小首を傾げながら二人の様子を上から見下ろす。
先に口火を切ったのはダンテのほうからだった。
「それでは、こちらへ」
先導するダンテのあとを神妙な面持ちでついていくリクト。
長い通路を抜けると、突き当りの扉の前でダンテが立ち止まる。
「そちらの方は、話をされても宜しいのですか?」
意味深な言い回しでリクトに念を押すダンテに対し、リクトは虚空に浮かぶエレウに顔を向けて囁いた。
「エレウはここでまってて」
そう言われたエレウは、ほっぺたを膨らませてムスッとする。
不満げなエレウを置き去りにしたままリクトは振り返ることなく、ダンテのあとを追って部屋に入り、ぱたんと扉を閉めた。
ふん、とエレウは鼻を鳴らし、ほっぺたを膨らませたままくるりと旋回し、小さな羽をパタパタと羽ばたかせて、通路奥に飛び去った。
リクトが入った部屋はダンテの私室のようだった。
部屋の奥で暖炉の火がパチパチと燃え、部屋中を橙色に染め上げている。
リクトが部屋に入るなり、ダンテは扉の鍵をカチリと閉めた。
「……まさかこんなところで、あなたのような方に出会うとは夢にも思いませんでした」
エレウがいないことで翻訳魔法がかけられていない状態にも関わらず、ダンテの口から出た言語はもう滅多に耳にすることがないと思っていた“日本語”だった。
リクトはダンテのほうに身体を向けると、確信をもって口を開く。
「ダンテさん、あなたは僕と同じ──“プレイヤー”ですね?」
ダンテは口元にしわを寄せて、かすかな笑みを浮かべた。




