25 悪夢の獣
突如、飾られた松明の火が揺らめく迷宮の通路内にジョンの叫び声が轟く。
声が枯れ切るまで叫び続けるその様は、外の世界を初めて知った赤子のようでもあった。
「おい、急にどうしたんだ?」
ジョンの異変にガーランドを始めとした全員が戸惑いの声をあげる。
「私のせいです」
メアが口火を切った。
「彼の心の奥底に眠っていた過去の扉を、私が不用意に開けてしまったせいです」
メアは神妙な表情を浮かべながら一度うつむくと、再び顔をあげてジョンに視線を向けた。
「今までせき止めていた感情の波に心が決壊しかけている。このままじゃ……!」
ジョンは狂ったように両刃剣を何度も振り下ろしては、何度も空を切り裂いた。
しかし、その行為はジョンのもとに駆け寄った獣の人外少女によって終わりを告げる。
「……っ!」
突然、ジョンは温もりに包まれた。
振り下ろしかけた両刃剣がぴたりと止まる。
「これがほんとうにあなたの望みなんですか? 人殺しをするためにあなたは生まれてきたんですか? あなたの本心はきっと違うはずです」
「望みとか、生まれた理由とか、そんなことどうでもいい!」
メアの腕の中でジョンは叫んだ。
「殺す理由があるから殺してんだ!」
「“殺す理由”……?」
メアが問いかけると、ジョンは自分の中の怒りを鎮めるかのように長い息を吐いた。
「……俺は殺した人間の魔力を吸い込んで強くなれる。そういう身体になったんだ。だから俺は殺す必要があったんだ。強くなるために」
「なぜ、そこまでして強さを求めるの?」
メアの一言にジョンの肩がピクッと震えた。
「嫌なんだよ。
弱かった頃の……虐げられる側だったあの頃の自分には、もう戻りたくないんだよ!」
鼻をすすりつつ、ジョンはそう答える。
感情の波に揺られて身を震わせるジョンにメアは優しげな声のまま彼に問いかけた。
「それで、ほんとうに強くなれたのなら、どうしてあなたは苦しそうに泣いてるんですか」
メアの腕の中でジョンは目を見開く。
すると、目から一粒の雫が床にポツンとこぼれ落ちた。
彼の腐りかけていた頬は目から溢れ出た雫によって、びっしょりと濡れていた。
自分の奥底に眠った感情を知り、ジョンの瞳が揺らぐ。
「“殺したくなんか、なかった”……」
ポツリとこぼしたジョンの一言にメアは「え?」と聞き返した。
ジョンは拳を強く握りしめ、口を開く。
「『殺したくない』って思うことは時々あったさ……。
だけど、人間を前にすると、どうしても抑えが効かなくなる。
恐怖と憎しみでいっぱいになってしまうんだ。
“あの時”みたいに」
「──あの時?」
「とても怖いんだよ……。
人が……みんなが……表では優しい顔してるけど、裏では醜い獣に変わる……。
いくら叫んだって、誰も助けてくれない。
みんな見て見ぬフリだ。
何をしても殴られて、蹴られて、痛くて、苦しくて……。
ずっと嫌な思いをするくらいなら、いっそのこと、みんな殺してしまえばいいんだっ!」
メアは彼に対しておこなわれた数々の暴力の記憶を読み取った。
「でも……本当は、誰も……殺したなくなんかなかった……。
“本物の家族”になれるなら、なってみたかった」
途端、メアが優しく彼の頭を撫でる。
彼女の胸の中で、ジョンはすすり泣いた。
「あなたがしたくないことは、私がさせない。
あなたが助けを呼ぶ声に誰も耳を傾けてくれないのなら、私があなたのすべてを受け止めてあげる。あなたの理解者になる。
私は、あなたの“味方”だから──」
すると、少年は頬を濡らしながら柔らかな表情を浮かべ、メアからそっと離れた。
「お姉さん……優しい人だね。
まるで、マリーみたい」
通路内に立ち込めていた霧が晴れると、もとの姿のジョンとメアが向かい合っていた。
そこには“殺意”も、“敵意”も、霧と共に消え失せていた。
「そろそろ終いだ。さっさと殺してしまえ、ジョン」
ジョンの後方から黄金の髑髏仮面の男が言い放つと、ジョンはたちまち敵意がこもった眼差しに立ち戻る。
彼は両刃剣を構え、静かに戦闘態勢をとった。
「そんな! もうあなたに戦う意思はないんでしょ?! やめなさい!」
メアの後方から涙目を浮かべたルースが声を飛ばす。
「その剣を下ろしなさい!
あなたが戦う理由はもうなくなったの! そうでしょ?」
すると、ジョンは静かに首を横に振る。
「まだ、僕の憎しみは残ってるよ」
「? なにを言って──」
瞬間、ジョンは薄く笑みを浮かべ、短剣の切っ先を自分に向けると、勢いよく喉を掻き切った。
「「「「「「「──!?」」」」」」」
その場にいた全員が目の前でおこなわれた光景に言葉を失う。
ジョンが床に倒れ込むと、リクトらが一斉にジョンのもとに駆け寄った。
「待って! いま、治癒魔法をかけるからっ!」
ルースが杖を振るいあげるそばで、メアの膝の上に頭を乗せられたジョンは笑みを浮かべる。
そして、ジョンはか細い声を口から吐きだす。
「不思議だ……自分でもわかる……これで、死ねるって……」
「いいから! お前は黙っとけ!」
リクトらがジョンを囲む中、ガーランドが声を張り上げた。
「ねぇ……お姉さん……ひとつだけ、お願いさせて」
「心を読みます。そちらでお話しましょう」
ジョンはメアの提案を受け入れ、そっと目を閉じた。
その光景を黄金の髑髏仮面の男は信じられないといった様子で、呆然と眺めた。
「──承知しました。
悪夢を見せるのは得意ですが、そういうことをした経験がなかったので、あなたがお気に召すかどうかは分かりませんが……やってみます」
メアがそう告げると、横たわったジョンの周りを包み込むようにして、白い光が辺り一面に降り注いだ──
──少年が誰かの温もりを感じて目を開けると、木製の椅子に腰かける一人の女性が目の前に現れた。
赤ん坊を大事そうに抱きかかえた女性は優し気な瞳で赤ん坊を見つめ、語りかけている。
彼女が差し出した人差し指を赤ん坊は小さな手で、ぎゅっと握りしめた。
すると、ジョンは指に彼女の温度が伝わるのを感じ、吐息を漏らした。
「生まれたことを祝福してくれる誰かがいたんだ……僕にも……」
ジョンは「マリー」と言いかけたが、目を閉じて首を静かに横に振る。
「生んでくれてありがとう……“母さん”──」
目覚めの世界でジョンはリクトらが見守るなか、目を閉じたまま腐りかけていた顔に子供のような笑みを浮かべた。
「ゆっくり、おやすみ」
メアがジョンの耳元でそっと囁く。
ジョンは安らかな顔で、静かに息を引き取った。
「よい夢を──……」
こうして、この世に残した怨みを晴らすべく殺戮を繰り返してきた《怨屍鬼》はその日、本懐を遂げた。
彼にとって、ほんとうの憎悪の根源たる相手は彼に暴行を加えた一家でも、幸せな家庭でもなかった。
誰かに利用されて生きる人生の呪縛から抜け出すことができずにいた『自分自身』だった。
直後、ジョンの身体はボロボロと砂のように崩れ落ちた。
メアは静かに立ち上がり、物思いに沈んだ顔で塵となった彼を見送る。
「申し訳ありません、マスター。本来の使命を全うできませんでした」
リクトは静かにかぶりを振る。
「これで、良かったんだよ」
各々の思いで灰と化したジョンの亡骸を見つめるなか、彼らとは全く異なる感情を沸き立たせる者が一人いた。
「……そんな……そんなバカなことがあるか!」
使命を果たしたメアが彫像に姿を戻した直後、黄金の髑髏仮面の男が焦りに満ちた声でリクトらのもとに駆け寄りざま、叫んだ。
「《吹き飛べ》!!」
「「「「「「っ!?」」」」」」
黄金の髑髏仮面の男が短杖を振るい、魔法名を言い放った瞬間、リクトらは十メートルほど遠くへと弾き飛ばされた。
「お前は俺の所有物なんだぞ! 勝手に死ぬことを許すと思うか!?」
男はジョンの成れの果てとなった灰を掴み、服の内側から黒い小袋を取り出すと、袋の口を開けて手を突っ込んだ。
袋の中から男が手にしたのは、小さな水晶玉の形をしたものだった。
その数は全部で四つ。
立ち上がったルースはその瞬間を見逃さなかった。
「あんた……! それ正気なの?!」
「ルースさん、何なんですか。あれは」
「ヒトの魂を閉じ込めるための魔法道具よ。しかもその数……ジョンが殺した一家の魂でしょ?」
男は沈黙で答えた。
「あんたは一家の魂を霊媒袋に封じて隠し持ち、ジョンの不死を継続させていた……いえ、つもりでいたってところなんでしょうね」
男はうなだれた姿勢で溢れ出す怒りに肩を激しく震わせる。
途端、男は灰を投げ捨てると、立ち上がりざまに短杖を振るい、《亡霊》の群れを背後に降霊させた。
「やる気?!」
ルースの問いかけに男は答えず、問答無用で突撃の号令をかけた。
瞬間、ルースは間髪入れずに顕現させた銀色に輝く長杖を手に取り、男に向かって杖を振るう。
「《反魂滅葬》!!」
津波の如く押し寄せる《亡霊》の大群にルースの魔法が炸裂する。
まばゆい閃光が通路内を真っ白く染め上げた。
一瞬の内に《亡霊》の群れは光に呑み込まれ、黄金の髑髏仮面の男の全身をも包み込んだ。
「そんなことあるわけがない! 死を超越したはずのこの俺が、死ぬはずが」
閃光によって男の肌はドロリと溶け落ち、衣服と装飾品を残して、黄金の髑髏仮面の男は跡形もなくリクトらの前から消え去った。
光がおさまり、通路が色を取り戻す。
ルースは息を激しく吐きつつ、顔には余裕の笑みを浮かべる。
「準備しといて正解だったわ……」
そう言い残して、ルースはバタリと倒れた。
「ルースさんっ!?」
ルースのもとに駆け寄るリクト。
強面の男がルースの背後に回って座り込み、後ろから彼女の背中を支えながら抱き起こした。
「へへへ……どうよ! あたしだってやる時はきちんと仕事する女だってこと、ちゃんとわかった?」
リクトはスッキリした顔で力強く頷いた。
「正直、見直した」
「《反魂滅葬》……死に返りした者の魂を強制的に冥界へ送る伝説級魔法。まさかこの目で見られる日が来るとはな」
顎に手を当てつつ、感心するガーランド。
ルースはまんざらでもない顔で誇らしげに笑った。
「長生きしてみるもんでしょ?」
悪戯な笑みを浮かべたルースの一言にガーランドは言い返そうとしたが、彼女の活躍ぶりに免じて今回は「そうだな」と、短い返事で済ませた。
予想に反した言葉が返ってきて、ルースは少しムッとする。
「……ということは今回の勝負、俺たちの“勝ち”ですね!」
強面の男が二ッと笑う。
ですね、と釣られてリクトが微笑むと、ルースが突如ガバッと前のめりに起き上がった。
「そうだった! あいつらに脱出の協力を頼むの忘れてた~! 誰一人いないじゃん!」
「今更それ言います? その約束、ルースさんが言うまで誰も覚えてませんでしたよ」
「いや、一番大事なことでしょうが!」
ルースとリクトが言い合うなか、アイシャはリクトらとは違う方向に顔を向けて凝視する。
「あ、あのう……皆さん」
アイシャは一同を呼びかけたが、彼女の声は一同の言い合いのなかに消えてしまった。
「おっさんは怪我してるし、人生半分行っちゃってるし、あんたとあたしは切り札使っちゃったし、戦力ゼロなのよ?! これで生き残れると思う?!」
「あのな、本人前にして言うか? フツー」
ガーランドが死んだ魚の目をしてルースにぼやく。
『人生半分』その言葉にリクトは見えない針がぷすりと突き刺さった。
「あ、あのう! 皆さん、どうか聞いてぇ……」
アイシャはめげずに声を絞り出す。
しかし、
「だって事実じゃない。おっさんに『おっさん』って言って何が悪いワケ?」
「お前には人を思いやる心は存在しねえのか!?」
「まあまあガーランドさん、ここは落ち着きましょう」
「聞けよコラァッ!!」
見かねたミトラが声をあげた途端、男性一同とルースはアイシャ達のほうに顔を向けた。
「なんだよ?!」
ガーランドの剣幕にアイシャは怯えつつも、モジモジとしながら声を絞り出す。
「さ、さっきから、あ、足音が近づいて来てるんですけど……」
「え……?」
一同は耳を周囲に向ける。
すると──なにか硬いものを引きずるような鋭い音と共に、こちらへ近づいてくる足音が周囲に鳴り響いた。
──……リ、……チャリ、……ガチャリ。
途端に足音はぴたりとやみ、辺りは静まり返った。
「行っちゃったのかな……?」
マロンがそう呟いた次の瞬間──
ズガンッ!!
巨大な刃が壁を砕き割り、石の破片が勢いよく飛散した。
砕けた壁の向こうから、鬼の鉄仮面を被った甲冑騎士がヌラリと姿を現し、ルースは咄嗟にガーランドの背中に隠れた。
そして、彼の肩につかまりながら苦笑いを浮かべた。
「死霊使いの次は鬼のバケモン? 冗談でしょ……」




