24 夢の籠
──ジョン・ドゥは年齢こそ少年でありながら、元・死刑囚の殺人犯である。
気がつくと、ジョンは人を殺すことに生きがいを感じていた。
弱い者の命を狩り取ることに強い快感を覚えた。
全身に金ピカの飾りをした不気味な男に従えば、待ち焦がれたお楽しみの殺人ゲームを堪能できるのだから、彼に従うことになんら疑問に思わないし、生前の自分が何者だったかなんて、人間をやめた今となってはどうでもいいし、考えることすらやめてしまった。
『……■■■』
(あ? 誰の声だ?
誰か知らんが、俺を呼んでいる。……そんな気がする)
ジョンは声を追いかけた。
しかし、見当たす限り、辺りには霧が立ち込めていて何も見えない……。
ジョンはさっきまで馬耳の女を相手にしてたはずだった。
だが、馬女が現れてから急に視界が真っ白になってしまった。
(『隠し遊戯で遊びたい』ってか? いいぜ。ノッてやるよ)
ジョンが霧の中に颯爽と突っ込むと、目の前に建物の影が現れた。
どこかの路地裏に出たようだ。
すると、そこに6歳くらいの男児が指をくわえて突っ立っていた。
(馬女の行方なんぞ、もうどうでもいい。
こいつが俺の新しい獲物で決まりだ)
だが、男児はジョンの気配に気が付いたのか、くるっと背中を向けて走り去ってしまった。
(追いかけっこで俺に勝負するつもりか?
いいぜ。逃げろよ。
どんなに逃げようとも、お前の運命はもう俺の手の中だがな)
男児のあとを追いかけると、大きな屋敷が霧の中から現れた。
ジョンは男児の走る姿が見えた廊下の窓へ体当たりして突っ込み、難なく屋敷内に侵入した。
……だが、変だ。
窓に突っ込んだつもりだったが、なぜか窓は割れていなかった。
ジョンは首を傾げたが、そこに別の珍客が屋敷の中に入ってきた。
すかさず床を蹴り、蜘蛛のように天井に張り付き、様子を窺う。
入り込んだのは三人の身なりがいい男の子だ。
しかし、さっき見かけた男児よりも歳は上のように見えた。
この屋敷の子供ってところか、とジョンは思った。
三人組はきょろきょろと屋敷内を見回したあと、それぞれバラバラに散った。
(どうやら、あいつらもあのガキを捜してるようだな。
あいつらに教えてやる。『狩り』ってのは、先に獲物を見つけたモンが勝ちだってな!)
床に降り立ったジョンは無数にある部屋の中から迷うことなく、一つの個室に入った。
そこは子供部屋だったらしく、四つの小さいベッドがあった。
その奥にあるベッドの下を覗くと──
──ミ・ツ・ケ・タ。
男児はベッドの下でブルブル震えていた。
今から己の手にかかることを想像するだけで、ジョンは胸の奥から沸き立つ興奮が止まらなくなった。
ところが、ジョンが手を伸ばしたその直後──
「!?」
ジョンとはちがう別の手が男児をベッドの下から引きずり出した。
引きずり出したのは、あの三人組の一人であった。
男児は再び集まった三人組にあっさり捕らえられ、浴室に連れて行かれた。
(ちっ、なめたことをしてくれる!)
ジョンは三人組のあとを追いかけた。
……だが、浴室でおこなわれた光景を目にしたジョンはたちまち動けなくなった。
捕まった男児は三人組に体の自由を奪われた状態で、たっぷりと水が張った浴槽の中に顔を突っ込まれていた。
(ありゃ、ひでえ……。
さすがの俺もドン引きだ)
三人組は男児を殺す事もせずに、さんざん痛めつけたあと、親らしき声が聞こえた途端、男児をゴミのように放置してどこかに行ってしまった。
(苦しみから解放されたいのか? なら俺が楽に殺してやるよ)
ジョンは浴室の真ん中で横たわって泣いている男児に音を立てずに忍び寄る。
顔中青あざだらけになった男児が、まるで生まればかりの子羊のように弱々しい動きで立ち上がる。
そして、ジョンが背後から男児の首に手を伸ばしたちょうどその時──
「オスカー坊ちゃまっ!」
突然浴室の外から女の声がして、ジョンは衝立の裏に隠れた。
数秒待たずして、メイド服を着た一人の女性が現れ、男児のもとに駆け寄った。
ジョンはメイドの女性を目にした瞬間、自然と口が動いた。
「“マリー”……──!」
ジョンはその言葉を口にした自分に驚き、思わず口を塞ぐ。
しかし、ふと口から出た言葉にジョンは妙な懐かしさを感じた。
メイドの女性はすすり泣く男児をぎゅっと強く抱きしめている。
「……申し訳ございません。あなたを助けてあげられなくて……力になれなくて……本当に申し訳ございません」
メイドの女性は何度も何度も謝罪の言葉を口にした。
目をぎゅっと閉じた女性の頬を雫が滑り落ちていく。
途端、だらりと膝から崩れ落ち、タイルに手をつく。
ジョンはそこで、気づいてしまった。
「そうだ……これは俺の……僕の“記憶”だ…… ──」
* * *
迷宮の広い通路のなかでメアと対峙しているにも関わらず、ぼうっとして動かないままのジョン・ドゥの様子を、メアの後方からじっと観察していたルースさんは神妙な顔で、ずれた丸眼鏡をくいっと上げた。
「一体何が起きてるの? あれから全っ然、動きがないじゃない」
「……たぶん、メアのスキルが発動したんだと思う」
リクトは言う。スキル?、と言ってル-スさんがリクトのほうをちらりと見る。
リクトはジョンの様子を窺いつつ、頷いた。
「メアは召喚されるとすぐに固有のスキル《夢ノ籠》を発動させる。あれを一度発動させると、相手は催眠状態になるんだ」
「なによそれ! もうあたし達が勝ったも同然じゃない!」
途端にルースさんは嬉々として声を張り上げた。
「すっごいわね! あんたの《妖精》! しかもめっちゃ可愛くて美少女とか存在が罪だわ、もう」
「いや、『《妖精》』じゃなくて、正確には召喚獣なんだけど……」
「細かいことはどうでもいいの! それより今はあの子、何しようとしてんの?」
鼻をフンフン鳴らして興奮ぎみに訊ねてくるルースさんにリクトは引き気味に答えかけた。
と、その時──
〈マスター〉
直後、突然メアの声がリクトの頭の中に割り込んだ。
リクトは彼女との交信に集中するべく、ルースさんとの会話を断ち切って頭の中で会話を試みた。
〈メア! いまどういう状況? あいつを夢の中に閉じ込めたの?〉
〈それが……彼の記憶を見たのですが……彼、とても酷い環境のなかで幼少期を過ごしていたようです〉
メアはジョンの頭の中で見たものをリクトに告げた。
それはとても凄惨で、絶望と哀しみに満ちた悲劇の記憶だった──。
* * *
ジョン・ドゥになる前の彼は『オスカー』という名だった。
彼はもともと戦争孤児であったが、保護した一家からはほぼ毎日のように暴力を振るわれていた。
彼を保護した一家は地元の名家である。
孤児を保護した理由も世間からの好感度を上げるためだった。
彼らは表では善人の顔を演じ、オスカーに対しては悪魔の顔を見せた。
オスカーが16になった年のある夜。
恋人に振られた腹いせで、酒に手を出した兄が酔った勢いで暴れだした。
そこに居合わせたオスカーは兄から性的虐待を受けて必死に抵抗し、誤って兄を殺害。
オスカーに虐待してきた事実が公になることを恐れた一家は金の力でオスカーにしてきたことを全て包み隠した。
一家はジョンを品行方正で成績優秀であり、平民からも人望が厚かった心優しき長男を殺した残忍な殺人犯に仕立て上げた。
しかし、それでも彼を弁護する者はいた。メイドのマリーだ。
だが、『マリーは日頃、長男に暴力を振るっていた』という一家がでっちあげた嘘の証言が出された事により、彼女の証言を信じる者は誰一人としていなかった。
──それから三週間後、オスカーは首吊りの刑に処される。
それからしばらく経ったあと、町を通りがかった《不死の魔術師》の手によって、彼は《怨屍鬼》として蘇った。
嵐の夜。
一家がテーブルを囲んで食事をしていると、
ドン、ドン、ドン、
玄関の扉を誰かが叩く音がして、一家は互いに目を合わせた。
「こんな時間に誰かしら」
最初に席を立ったのはマロリー夫人だった。
夫人は「どちら様?」と言って、扉の向こうに呼びかけたが、返ってくるものは扉を叩きつける雨と風の音だけだった。
あとから「なんだ、どうした」と言って、夫のジョセフがやって来た。
「変なの。声をかけたのだけど、返事がなくて……なんだか気味が悪いわ」
ジョセフは鼻を鳴らして笑う。
「どうせ、子供の悪ふざけだよ」
そう言って、ジョセフは扉に手をかけた。
ぎいっとゆっくり扉が開くと、そこにはずぶ濡れのレインコートを着た少年が降りしきる雨の中、一人ぽつんと立っていた。
ジョセフが腰をかがめ、優し気な声で少年に話しかける。
少年は目深に被ったフードを上げ、顔を晒した。
「「!?」」
少年の顔を見たジョセフは絶句し、マロリー夫人は世にも恐ろしいといった表情で甲高い悲鳴を叫び散らした。
何事かと次男と三男がやって来て、オスカーの顔を目にした途端、彼らは恐怖のあまり壁に張り付いた。
「バ、バケモノ!!」
オスカーは飛んでくる言葉に反応することなく、歩みを進めた。
少年が一歩進むたびに一家は後退りした。
やがて、オスカーと一家は屋敷の中に消え、彼らの断末魔は嵐の中に虚しくかき消された。
雨が激しく降り注ぐなか、屋敷の門の外側にて、懐中時計の針を追いつつ、少年の帰りを一人待つコートの男。
しばらくして、屋敷の中から出てきたのは、血に染まった少年一人だけだった。
「……済んだか?」
「……」
少年はわずかな動きで頷いた。
すると、フードの男は黒い小袋を服の内側から取り出し、びちょびちょに濡れたまま少年を置き去りにして屋敷の中に上がると、しばらくしたのち、屋敷から出てきた。
彼の手に持っていた小袋には、何かが入っているようだった。
彼が門を出ると、顔を雨に打たれながら虚空をぼうっと見上げる少年の姿があった。
「……どうして……僕、まだ生きてるの……?」
少年は前に出した自分の両手を見下ろした。
「殺したいひと……もう殺したのに……」
すると、フードの男は降り注ぐ雨空に向かって口を開ける。
「神が言っておられるのだ。『お前の復讐はまだ終わっていない』と。自分の心に耳を傾けてみるといい。まだまだ殺し足りないと思っているはずだ」
「……」
両手をだらりと下ろし、少年は俯いて自分に問いかける。
「……そうだね……シシ……まだ殺り足りないかも……シ死シシ死死……」
「これからはもう昔の名前は捨てよ。今からお前の名はジョン・ドゥだ」
少年は雨に打たれながら、ゆっくり顔を上げた。
「ジョン……ジョン・ドゥ、か」
「気に入ったか?」
少年は一度顔を下に向けると、一拍の間を置いた。
すると、過去への踏ん切りがついたのか、少年は口元に笑みを浮かべ、男のほうに顔を向ける。
「うん、いいね。死死死死ッ!」
殺しの快感に突き動かされたジョンは、やがて、幸せな家庭の一家を狙うようになる。
こうして、《怨屍鬼》ことジョン・ドゥはこの世に産声をあげた。
そこに、かつてのか弱き少年の姿はもう無い──。




