22 怨屍鬼・前編
黄金の髑髏仮面の男は仮面の顎部分に手をやる。
彼の視線の先には、死面の少年と対峙するガーランドと、その傍らに放たれた黒豹もどきの姿があった。
(あの獣はたしか、我らの側の一人が使っていた魔法生物だったか。
なるほど、敗けた狩人から奪ったということか。
鼠にしてはよくやる)
男は仮面の奥で目を細めた。
「だが……小さいな」
黄金の髑髏仮面の男はフッと小さく笑う。
(獣といえど半分は魔法具で出来た代物。
使い手の魔力を引き出さなければ、魔法具はガラクタも同然。
先刻、巨大化した際に魔力量のほとんどを使い果たしたに違いない。
たった一匹の獣しか出せぬ時点で、勝敗は目に見えている)
「では、決闘の号令役はお前たちに譲ってやろう」
黄金の髑髏仮面の男がそう告げると、リクトらは互いに目配せを送り合う。
その結果、挙手したルースが号令役を務める事となった。
「それじゃいい?
“これから行われるのは個人の戦いであり、勝敗の結果に口出しするべからず。両者、名をあげよ”──」
「ガーランド・ロウ」
「あ? 名前だァ? んなもん忘れたなァ~。シシシシッ!」
腕を組んで状況を静観していた黄金の髑髏仮面の男が声をあげた。
「“ジョン・ドゥ”」
リクトらの視線が黄金の髑髏仮面の男に注がれる。
「死体を手に入れた際に俺がつけた、そいつの名だ」
ルースは神妙な表情を浮かべつつ、黄金の髑髏仮面の男から目を離すと、二人の様子を見たのち、深く息を吸いこんで大きく口を開いた。
「では──はじめっ!!」
ルースの号令を合図に死面の男が先に床を蹴り、ガーランドに向かって突撃を仕掛けた。
「いけぇっ!」
ガーランドの号令と共に黒豹もどきが飛び出す。
獣が宙に飛び上がり、ガーランドに向かって突っ込んでくる死面の少年の上に飛びかかった。
だが、死面の少年は避けることもなく、襲い掛かってきた黒豹もどきの攻撃をすんなりと受けた。
獣の前足の鋭い爪がギラリと光り、ギシャリと肉を裂く音が辺りに響き渡る。
しかし、獣の攻撃を真正面から浴びた少年は動じるそぶりを見せず、両刃剣をブーメランのように投げ放った。
「──っ!」
両刃剣が円形の軌跡を描き、ガーランドにめがけて飛んでくる。
仮面の割れた部分から露出した少年の乾いた口元がニタリと歪んだ。
ところが、少年の予想に反して、ガシャンと鉄を弾くような音が鳴り響いた。
両刃剣はガーランドの胸板を貫くどころか、胸板に弾かれ、横方向にくるくると円を描いて床面に二、三度跳ねたあと、床を削りながら動きを止めた。
死面の少年は転がり落ちた両刃剣からガーランドに目を移し、片目を大きく見開いた。
ガーランドの筋肉の表面がぐにゃりと歪んだかと思うと、肌から浮き出た透明な液体が黒い鎧へと変わっていく。
「?!」
はっとした死面の少年が目の前の黒豹もどきを手刀で一刀のもと、真っ二つに斬り裂いた。
(見せかけの囮だと!?
最初から防御優先してきやがったか!)
「《暗翳の外套》タイプ──」
ガーランドが低い声で呪文を唱え始めた。
死面の少年が両腰の短剣に手をかけたその刹那──
空気と肉を裂く音とともに少年の身体が上半身と下半身に裂かれた。
数秒遅れて、少年の腐りかけた脳内にガーランドの声が届く。
『──“両刃剣”』
少年の視界が反転する。
ドタッ、ドタッ。
二つの半身が床に転がり落ちた。
「グハッ!!」
少年が口から勢いよく血を吐き出した途端、どす黒い液体が床面を濡らす。
少年は口元を拭いながら、円の軌跡を描いて空を切っていくものを目で追いかけた。
やがて、それはガーランドの手元に飛んでいき、彼が掴み取ったものを目にした死面の少年は驚きの色を示した。
それは、自分が鼠に向けて投げたはずの両刃剣だったからだ。
(俺が投げ飛ばした剣に化けやがったのか……!?)
「──ぉぉぉぉおおおおおっ!!」
その隙を逃すまいと両刃剣を振りかざしてガーランドが突進を仕掛ける。
少年が忌々しく頭をむくりと上げた次の瞬間、ガーランドは雄たけびをあげ、少年の脳天に刃を突き立てた。
「やった!」
思いがけない展開に顔を一気に明るくしたルースが、手を合わせて歓喜の声をあげる。
ガーランドは疲弊した表情で俯き、肩で呼吸しながら両刃剣にもたれかかった。
少年の頭に突き刺さった両刃剣がヌラリと蜃気楼のように揺らめく。
みるみると黒い液体状に変化したそれは、ガーランドのもとに吸い込まれた直後、黒のジャケットとなり、彼の半裸を包み隠した。
全体重を乗せていた両刃剣が消えた途端、ガーランドは一瞬よろけたが、膝に手を置き、息を整えながら顔を対戦相手のほうに向ける。
「……すまねえな。勝っちまってよう。これでも自警団で長年やってきたんだ。守る戦いには慣れてる。冒険者としては、まだまだヒヨっ子だがな」
リクトは瞳を輝かせながらも、目の前の出来事が信じられずに言葉を失っていた。
ルースとリクトは示し合わせたわけでもないのに頭の中で二人同時に呟いた。
((……あの人、ただの筋肉おじさんじゃなかったんだ))
ガーランドは振り返るなり、疲れた顔に取って付けたような笑みを浮かべた。
「悪ぃな、坊主。どうやら俺のレベルでも勝てる奴だったみたいだ」
ガーランドが前の戦いで負傷した片足をひきずりながら、リクトのもとに歩み寄ろうとしたその時、
彼の背後から、血飛沫が勢いよく飛んだ。
「……?」
ガーランドはゆっくりと首だけをねじった。
途端、じわりじわりと激痛が彼の背中に走る。
彼がリクトらに背中を向けた瞬間、リクトらの顔は困惑から驚愕の表情へと塗り変わった。
ガーランドの背中には、大きく裂かれた切り傷が刻まれていたからだ。
直後、ガーランドに切り傷を負わせた犯人と思しき人影が彼の背中から飛び出した。
「──狙いは良かったぜ。だが、相手が悪かったなァ!」
背後から現れた死面の少年がニタリと笑う。
「……なっ?!」
咄嗟に床を蹴り、緊急回避して後方に下がるガーランド。
距離を置いたのち、少年の姿を目にしたガーランドは眉をひそめた。
「なんで、くっついてんだ……?」
先ほど上半身と下半身に分離して斬り裂かれたはず。
ところが、少年の身体はぎこちない形ではあったが、二つの半身がかろうじて結合していた。
次の瞬間、先ほどの攻撃で蓄積されたダメージが限界に達したのか、割れ欠けた仮面がパキッと音を立てて完全に割れ、死面の少年の素顔が露わになった。
少年の腐りかけた額には、蝶のような形の紋章が刻まれていた。
それを見たルースは目を皿にして顔を俯き、額に手を当てた。
「《怨屍鬼》──……」
ルースがボソッと呟いた一言にリクトはぴくりと反応し、彼女に目をやる。
その時、リクトは迷宮に来る前の記憶を思い出した。
ルースと行動を共にし、《三脚天使》からピスケの家までの道すがら彼女とした小話のなかで耳にしたことを──。
《屍鬼》──それは元々、人間の死体であり、その地を彷徨っていた別の魂が何らかの形で宿り、動き出したもの。
しかし、彼らは生き物としては不完全な存在であり、活動するには神の許しが必要。
大抵の場合、神から許しを得ることはない。むしろ責め苦の罰を与えられる。
飢えと渇きは永久に満たされる事は無く、この世を彷徨い歩き続ける屍の魍魎と化す。それが《屍鬼》。
しかし、稀に神から許可を得て、息を吹き返した者がいる。それが《怨屍鬼》だと。
リクトはルースの眼差しの先に立つ元・死面の少年に目を移す。
「あいつらは《屍鬼》と違って、強い復讐心がある。復讐を終えるまで絶対に死ぬことはない」
「神官なら倒せるんじゃないの? 神官だって神様の力を借りているんでしょ?」
顔に焦りを浮かべたリクトが食い気味に訊ねると、ルースは《怨屍鬼》をじっと見つめたままかぶりを振る。
「あいつは倒せない。なんせ、神の加護に守られているんだから」
「……そんな」
力のない声を漏らしたリクトはガーランドと対峙する《怨屍鬼》に再び顔を向ける。
神の意思に従う神官が、神の御墨付きであるあいつに手を下すことは許されない、そう言ってルースは悔しげに《怨屍鬼》を睨んだ。
「奴の復讐を果たす日が一日でも早く訪れることをただ祈るのみ……。あたしにできることはそれしかないわ」
「それって、つまり……」
ルースは小さく頷くと、とどめの言葉を吐いた。
「あたし達が奴に勝てる見込みは限りなく、“ゼロ”よ──」




