14 灯火
──灯りは常に“平等”だ。
たとえ相手が残忍な心を持った《オーク》や《ゴブリン》であろうと、温かな温度で周囲を明るく照らしてくれる。
──灯りはいかなる時も“沈黙”を守り続ける。
着火された瞬間に闇を切り裂くことはあっても、救いを求める人に自らの意思で手を差し伸べることはない。
……たとえ、灯りの下で何が行われていようとも──。
一人の男が息を切らしながら橙色に染まった石の螺旋階段を壁伝いに上っていく。男の名はゴッズ。
彼の鎧に刻まれたいくつもの傷跡が彼の人生を物語っていた。
先の大戦で活躍した彼は戦地で出会った村人の女性と恋に落ち、子宝に恵まれた彼は戦場を離れ、結婚後は戦いとは無縁の長閑な暮らしを続けていた。
しかしその後、彼の酒好きによる借金が原因で離婚。
独り身の寂しさを紛らわす酒代を稼ぐため、ゴッズは傭兵として再び戦いに身を捧げた。
戦いの中でしか自分の存在価値はない。
人を愛するなんて、俺には性に合わなかったのだ。
……彼はそう自分に言い聞かせた。
そんなある日、ゴッズは隊商を護衛する仕事を引き受けた。
一つの山を越えるまで商人と荷馬車を守り抜く。それはゴッズにとって、朝飯前の仕事となるはずだった。
山道の下りに差し掛かったところで突然山賊が現れ、襲撃を受けたゴッズは応戦し、3人、4人と次々に倒した。
だが、新手の刺客に背後を取られてしまい、気絶した彼が目を覚ますと、そこは見知らぬ遺跡の中──そして、今に至る。
壁掛けの松明がパチパチと音を立てて照らすなか、男の足取りは重かった。
男の手が壁に触れると、赤黒く光る液体がべっとりと壁に付着した。彼が踏んだ踏板には赤黒い靴跡が残った。
遺跡に張り巡らされた殺人罠をくぐり抜けてようやく階段に辿り着いたゴッズだったが、その代償として深手の傷を負ってしまったのだ。
一段一段上るたびに激痛が彼の全身を駆け巡る。
(このまま血を流し続けるのはまずい。一刻も早くここから脱出せんと……)
最後の一段を上りきったゴッズは息を切らしながら膝に手をついて休息を取った。
彼が顔をあげると、そこには円形の大広間があった。
しかし、ゴッズが床に視線を落とした途端、思わず彼は顔を歪めた。
……床一面には、血だまりが広がっていた。
血の水面には5,6人の死体がぷかりと浮かんでいる。そのどれもが身体の部位を酷く損傷していた。
ここにも罠が仕掛けられてあるのかと警戒心を強めたゴッズだったが、血の水面の上に伸びた一つの人影にふと目が留まった。
どうやら人影の正体は、女の子のようだ。
水色のワンピースに身を包んだ12歳ごろの少女。両目には包帯がぐるぐると巻かれていた。
包帯少女は死体のそばにぐったりと座り込んだ状態で死体の男をじっと見下ろし続けていた。
死体の男と少女がどういう関係なのか──ゴッズは経験上、なんとなく察しがついた。
(幼子まで狙うとは……なんてやつらだ!)
「お嬢ちゃん! 大丈夫か?!」
ゴッズはそう叫ぶなり、血の水面をピシャピシャと音を立てて少女のもとに駆け寄る。
包帯少女はゴッズのほうにちらりと顔を向ける。
だが、またすぐに死体の男に顔を戻した。
言葉を発しない少女に対し、ゴッズは人見知りだった娘エリーの顔が頭によぎった。
これ以上、少女を怖がらせないようにゴッズは優しく声をかける。
「今まで怖かったろう。だが、俺が来たからにはもう大丈夫だ。俺が絶対に嬢ちゃんを外へ連れ出してやるからな!」
すると、包帯少女は死体の男を見下ろしたまま声を出した。
「……おじさん、優しい人ね」
ふいっと顔をゴッズに向けた少女は彼の顔に向けて指を差し、ぽつり言った。
「──だから、死ぬのよ」
直後、ゴッズの後頭部に鋼鉄のように鋭い何かが突き刺さった。
それは瞬く間に彼の頭蓋を貫き、口から出てきたのは青紫色の剣先──ではなく、剣状に伸びた細長い髪の束だ。
「──っんあ゛!!」
髪の剣に頭を貫かれたゴッズは何が起きたかのすら分からなかった。
身体はピクピクと痙攣し、手足の感覚もすでになくなっていた。
少女の後頭部から蛇のように伸びた髪の束が形を歪めたその瞬間、とてつもない痛みが全身を走る。
ゴッズは血走った目を大きく見開き、天を仰いだ。
(これが、柄にもなく家族を作った俺への罰か……)
ゴッズの頭を貫通した髪の一本一本が、まるですべての足を広げたタコのようにグワッと広がった途端、ゴッズの頭は上半身の鎧もろとも細切れになり、大広間の空間に彼の血が豪快に飛び散った。
包帯少女は血の雨を浴びながら左手の指を伸ばして掌をじっと見つめた。
彼女の掌には黒い粒子がうねうねと蠢き、数字と記号を形作っていた。
『122/146』
血の雨が降りしきるなか、少女は右手の指についた血を唇の間に差し込み、唇の間からチュポンと音を立てて指を抜き取ると、唇の隙間から舌をちらりと出し、唇についた血を綺麗に舐め取った。
血の味を堪能した包帯少女は血の雨にうたれて再び血に濡れた右手の指を、今度は左手の掌に当てた。
少女が掌に蠢く数字を指で撫でた途端、片側の数字が『122』から『119』に変わった。
少女は部屋中に散らばった死体を見渡すと、視線を落としてぼそりと呟く。
「……この部屋、もう飽きた」
立ち上がった少女が大広間から出ようと右手に出現させた傘を広げたその時、少女は左手に違和感を感じた。
左手の掌をもう一度目にした少女は数秒の間、動きを止めた。自身の掌に描かれた『146』が『145』に減ったからだ。
包帯少女は掌を見つめたまま小首を傾げた。
「……狂っちゃった?」
『145』の数字は現時点の狩人側の人数を指し示すものであった。
狩りを開始してすぐに鼠側の人数が減ることはあっても、狩人側の数が減る事例はこれまで一度も発生したことはなかった。
魔法陣か術者のどちらかに何かしらの不調が起こり、それによってカウンターが狂ったのだと、包帯少女は思い直すことにした。
……この時、狩人側の全員がそう思った。
──だが、事実は違った。
* * *
今からさかのぼること、約三十分ほど前。
「──……何をする気か知らんが、無駄な悪あがきだ。とっとと逝け!」
胡狼仮面の男が命じた途端、巨大獣は咆哮をあげ、通路を隙間なく塞いだ巨体を強引に押し出し、壁や天井を激しく削りながらリクトらに向かって突進を仕掛けた。
リクトはガーランドの背中を片手で支えて立ったまま巨大獣を迎え打つ事にした。
もう片方の手に握られた魔導拳銃の銃口を巨大獣に向け、引き金を引くとともに一発の銃声が轟いた。
(フン、無駄な悪あがきを。こいつの身体には弾丸など通用──)
瞬間、巨大獣の巨体が動きを止めた。
バキバキッ! ゴキゴキッ!
通路に骨が砕けるような音が鳴り響く。
そして バクンッ! と巨大獣の巨体は一瞬の内に毛むくじゃらの巨大モンスター《ビッグ・ピョンチュー》に呑み込まれた。
(──弾丸ではない……だと?!)
《ビッグ・ピョンチュー》の結んだ大口の中からムシャムシャと巨大獣を頬張る音が通路に鳴り響く。
胡狼仮面の男はくるっと振り返り、《ビッグ・ピョンチュー》に背中を向けて逃げ出した。
直後、《ビッグ・ピョンチュー》のブヨブヨとした腹から一本の長い腕が突き出し、胡狼仮面の男の身体を捕らえた。
胡狼仮面の男は手足を激しくバタバタと動かした。
「やめろ! 嫌だ! 死にたくない! 俺は、まだ……──」
言い終える間もなく、胡狼仮面の男は大口を開いた《ビッグ・ピョンチュー》の腹の中にドプンと放り込まれた。
少しの間、ブヨブヨとした腹の中からは男の叫び声が漏れ続けていたが、五分を過ぎた頃になると、途端に腹の中は静かになった。
“食事”をすませた《ビッグ・ピョンチュー》はしばらくすると、シュンッと空気を裂く音を響かせて姿を消した。
《ビッグ・ピョンチュー》が先ほどまでいた場所はリクトらが数十分前に見た光景とはまったく異なっていた。
そこには、巨大獣によって表面が削り取られた天井と床。
そして、彫像が一体、床に転がっていた。
リクトは目を細めて自分の震える掌をじっと見つめる。その口からは掠れた声が漏れ出た。
「あの人、死んだんだ……ぼくが……人を……殺した……ぼくの手で……」
茫然とした顔で立ち尽くしたリクトが弱々しく呟くと、ガーランドは「いいや」と言ってかぶりを振る。
「俺にとっては違う」
そう言ってガーランドはリクトの目を力強く見つめて言った。
「お前は俺の命を救ったんだ」
リクトは頬が濡れた顔をガーランドに向けて、声にならない声を漏らした。
すると、ガーランドは優しげに頬を緩ませてリクトの肩を強く叩いて言った。
「お疲れさん、俺の“救世主”」
こうして、胡狼仮面の男との戦いは、ガーランドの協力によって“リクトの勝利”で終わった。
現在の生存者状況──鼠119名、狩人145名。
……そして、更新された生存者のカウント結果が、鼠狩りの試合に予期せぬ波乱をもたらす事になる。




