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09 戦いの始り

 ルースが目を覚ますと、心配そうにこちらを覗き込む、幼い女の子の顔が目の前にあった。


「……あたしにも、ついに天使のお迎えが来たのね」


 弱々しい声が、ぽつりと口からこぼれる。


 しかし、自分で口にした言葉に違和感を覚え、ルースはむくりと上体を起こした。


「つか、あたし、そんなに生きてないじゃんっ!」


 思わず飛び出したセルフツッコミが、石造りの部屋に虚しく響く。


 誰に聞かせるでもなかった独り言を恥ずかしく思い、ルースは頬を赤らめた。


 気を取り直すように目を細め、周囲へ視線を巡らせる。


 そこにあったのは、冷たい石壁に囲まれた四角い部屋。


 そして壁際には、蒼い髪の少年──リクトが横たわっていた。


 見覚えのない場所。


 倒れているリクト。


 その光景を目にした途端、嫌な記憶が脳裏をよぎった。


 ルースが恐る恐る背中へ手を回すと、刺された箇所にちくりとした痛みが走る。


「痛っ! やっぱ、こっちが現実だったかー……」


 天国でも夢でもない。


 どうやら、あのウサギ女に眠らされたあとの世界が、そのまま続いているらしい。


 重い腰を上げようとしたルースの目の前へ、《妖精(フェアリー)》がひらりと宙を舞いながら現れた。


 リクトの胸ポケットの中でひと休みしていたエレウだ。


「あんたは確か、蒼毛(あおげ)のペット──」


 そこまで言いかけた途端、エレウがほっぺたをぷくりと膨らませた。


「あ、ごめんね! ペットじゃないよね? 頼もしい《妖精(フェアリー)》だもんね!」


 褒められて気を良くしたのか、エレウは満足げに胸を張り、えっへんと得意げな顔を見せた。


(う~ん。この子、くっそ可愛いな……)


 ルースが頬を緩ませていると、視界の隅でリクトが寝返りを打った。


 何かに追い立てられているように顔をしかめ、小さな声で寝言を漏らす。


「急いで女の子を助けないと……悪魔に食べられてしまう……!」


 ルースはリクトのもとへ近づくと、その場にしゃがみ込んで耳を澄ませた。


「へぇ。それで? どんな悪魔なのよ。言ってみなって」


 ため息交じりに、夢の中のリクトへ問いかける。


「あたしだったら、何か対策法を知ってるかもしれないよ~?」


「ん~……確か、名前は“ルース”ってヤツだ……」


「…………」


 ボフッ!!


 次の瞬間、リクトは脇腹に走った凄まじい痛みとともに、強制的に目を覚ました。


 * * *


 意識のない世界で、突如として脇腹に激痛が走った。


 こんな最悪な目覚めは、生まれて初めてかもしれない。


 まるで、誰かに思いきり蹴られたような感覚だ。


 不思議だな。


 そんな非情なことをする人なんて、近くにはいなかったはずなのに。


「あら。ようやく目が覚めたみたいね。大丈夫?」


 痛む脇腹を手で押さえていると、頭上からルースさんの心配そうな声が降ってきた。


 ぼくはすぐには答えられなかった。


 代わりに口から飛び出したのは、むせ返るような咳の連続だった。


「足にそんな力入れてないのに。あんた、見た目以上に貧弱ね」


 犯人はおまえかよ……。


 ぼくは恨めしげにルースさんを睨みつけた。


 けれど、あの気味の悪い夢から目を覚まさせてくれたのだから、ここはむしろ感謝するべきなのだろうか。


「それより、この状況を見てみなよ。かなりまずいよ」


 こちらへ飛んできたエレウを両手で受け止め、再び胸ポケットへ入れる。


 すると、外の様子が気になるのか、エレウはすぐに胸ポケットからひょいっと顔を出した。


 ぼくも身体を起こし、ようやく今置かれている状況を理解する。


 ここは、石造りの壁に囲まれた四角い部屋のようだった。


 周囲には使い古された大きな蝋燭立てや、首のない石像、割れた陶器の破片などが無造作に散乱している。


 どれも長い間放置されていたらしく、分厚い埃を被っていた。


「あのクソウサギ……! まんまとしてやられたわ。気配がまったくなかった」


 ルースさんは忌々しそうに爪を噛んでいる。


『クソウサギ』というのは、ぼくたちをここへ閉じ込めたメイド服姿のウサギ女を指しているのだろう。


「それ、神官が使う台詞じゃないよ」


「まだ見習いだからいいの」


「よくないと思うけど……」


 ルースさんの扱いに困り果てていると──。


 足元の床から、ヌッ、と何かが生えてきた。


 フクロウの仮面を被った小男だった。


「うぎゃあああっ!!」


 思わず叫び声を上げる。


 けれど、ちらりとルースさんのほうを見ると、彼女は驚くどころか、至って冷静な顔をしていた。


 ぼくは慌てて咳払いをし、さっきの情けない叫びを誤魔化そうとする。


「……だっさ」


「しょうがないでしょ!! いきなり下からズイ~って出てきたら、誰だって驚くって!!」


 必死に言い訳を並べていると、小男がコホン、と咳払いをした。


 そうだ。


 今はルースさんと口論している場合じゃない。


「宜しいでしょうか?」


 恥ずかしさのあまり、ぼくたちは沈黙で答えた。


 小男は気にした様子もなく、芝居がかった仕草で片手を胸に添える。


「第38回《鼠狩り(カカラトス)》に、“鼠役”として選ばれた皆様。誠におめでとうございます」


 フクロウの仮面の奥から、弾んだ声が響いた。


「わたくし、このゲームの案内役を務めさせていただきます、フェリーロと申します」


 そう名乗ると、フェリーロは気品たっぷりに片足を引き、華麗な一礼を披露した。


「あなた方には、これより脱出ゲームの参加者となっていただきます」


 片手の人差し指を立て、説明を続ける。


「すでにお察しのこととは存じますが、ここは、とある遺跡の内部で御座います」


 フェリーロは仮面越しに、ぼくたちを見回した。


「この遺跡は、全部で40の階層に分かれております。そして、あなた方が現在いらっしゃるのは最下層」


「最下層……」


「鼠の皆様には、ここから出口のある最上階を目指していただきます」


「なるほどね」


 ルースさんは立ち上がると、鋭い目つきでフェリーロを睨んだ。


「でも、あたしたちが『はい、分かりました』って素直にあんたに従うと思ってるわけ?」


 ルースさんから目配せを受け、ぼくはすぐに光の粒子からフリントロック式の魔導銃(グリストル)を顕現させた。


 ルースさんも、いつもの錫杖(しゃくじょう)を手元へ呼び出す。


 二人同時に、武器の先端をフェリーロへ向けた。


「二対一。有利なのがどちらか、言うまでもないわね」


 しかし、フェリーロは微動だにしなかった。


 むしろ愉快そうに、フッ、と笑う。


「威勢の良い鼠は、お客様方の心を掴みます」


 両手を広げ、歓迎するように言った。


「ぜひとも、その姿勢を最後まで保ち続けてくださいませ」


 次の瞬間──。


 ルースさんの錫杖の先端から、光弾が撃ち出された。


 ズドンッ!


 まばゆい光がフェリーロの身体を貫き、胴体の中央に大きな穴を開ける。


「……っ!」


 攻撃したルースさん自身の目に、わずかな動揺が浮かんだ。


 ぼくもフェリーロへ顔を向けたまま、口を開けて呆然とする。


 けれど、身体に穴を開けられたフェリーロは、平然と話を続けた。


「どうやら、あなた方はまだ戦いの場に慣れていないようですね」


 開けられた穴の周囲が、霧のように揺らめく。


「無策のまま、敵の前へ姿を現すのは愚か者のすることです」


 次の瞬間、身体に開いていた穴は跡形もなく塞がってしまった。


「分身の魔法……」


 ルースさんが、悔しそうに呟いた。


「話を戻しましょう」


 フェリーロは何事もなかったかのように片手を上げる。


「この遺跡──我々は“迷宮(ダンジョン)”と呼んでおりますが、内部には鼠を獲物とする“狩人”たちが徘徊しております」


 その声が、薄暗い部屋の中へ不気味に響き渡る。


「狩人たちは、容赦なくあなた方へ襲いかかってくることでしょう」


「狩人……」


「立ちはだかる狩人たちを退け、あるいは巧みに掻い潜り、脱出を目指してくださいませ」


 フェリーロは声を弾ませた。


「優秀なる鼠には、地位と多額の報酬が授けられます。どうぞ、ご期待ください」


「誰がそんなもの……」


「それでは、お二人のご健闘を心よりお祈り申し上げます」


 ルースさんの言葉を遮り、フェリーロは再び優雅に頭を下げた。


 そのまま身体が、ズブンッ、と床の中へ沈んでいく。


 瞬く間に、フクロウの仮面も床下へ消えてしまった。


 その直後──部屋の奥にある石壁へ、ピシッ、と一本の亀裂が走った。


 ギシギシと石の擦れる音が響く。


 壁が中央から左右へとゆっくり動き、暗闇に包まれた通路がぼくたちの前へ姿を現した。


「こっちにはゲームの拒否権どころか、人権すらないってわけね」


 ルースさんは、開いた通路を睨みながら吐き捨てた。


「狩人が徘徊してる……って、死ぬ危険しかないよね?」


「大丈夫っ!」


 ルースさんは、ぼくを安心させるように明るい声を出した。


「一度くらいなら、祈りの魔法で死んでも生き返らせてあげるから」


「復活魔法って、一度きりしか使えないの……?」


「は? 当たり前でしょ」


 何を馬鹿なことを聞いているんだ、とでも言いたげな顔で見られた。


「無限に復活できちゃったら、この世は生者だらけで狭苦しい世界になってるわよ」


 ルースさんは両手を広げる。


「そんな世界になるの、想像してみ? キモいでしょ」


「そりゃそうだ……」


 キモいかどうかは、ともかく。


 ──もし、ここが本当にゲームと同じ仕組みで動いているのなら。


 プレイヤーに、完全な死は存在しない。


 何らかの方法で生き返ることも、理論上は可能なはずだ。


 けれど、この世界へ来てから、ぼくは現実としか思えない体験をいくつもしてきた。


 傷つけば痛い。


 血を流せば身体は弱る。


 失われた命は、簡単には戻らない。


 今さら、自分が本当に死ねるのかどうかを試すような度胸なんて、ぼくにはなかった。


 ちらりとルースさんのほうを見る。


 彼女もむすっとした顔で、こちらを見返してきた。


 しばらく無言で目を合わせたあと、互いの意思を確かめるように、同時にコクリと頷く。


 どうやら、進むしかないようだ。


 ぼくたちはそれぞれの武器を手に持ち、暗闇の通路へと足を踏み入れた。


「そういえば、さっき無詠唱であいつを攻撃してたよね」


 通路を歩きながら、気になっていたことをルースさんへ尋ねる。


「あれって、詠唱しなくても出せるものなの?」


「は? できるわけないじゃん」


 ルースさんは、さも当然のように答えた。


「事前に詠唱を済ませて、魔法を待機させておいたのよ。魔法を扱うなら、それくらい常識」


「へ、へぇ……」


 ……常識だったんだ。


 この世界へ来てからしばらく経つのに、知らないことがまだまだ多すぎる。


 こうして、ぼくとルースさんは半ば強制的に、過酷な戦いのスタートラインへ立たされた。


 出口は、遥か上にある最上階。


 その道中には、ぼくたちを獲物として狙う百人を超える狩人たちが待ち受けている。


 そして──。


 ここから始まるんだ。


 本当の戦いが──。

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