05 出立は突然に
※リクトと丸眼鏡の神官少女がパーティを組む事になる“三日ほど前”の話です。かなり先に展開する予定の内容に絡むものなので、読み飛ばしても問題ありません。
山脈の麓にあるフェリーゼ神殿に横たわっていた山の影が、シリア山から昇る日の光によって、山のほうへと追いやられ、朝日の光に照らし出された神殿からは一日の始まりを告げる鐘が高らかに鳴り響く。
神秘的な外観の三階建てであり、
三階部分には中庭と食事室、
二階には神官と神官見習いの寝室になっている。
一つの個室を二人が共同で使用していた。
朝の鐘が神殿内に鳴り響くなか、とある個室のベッドにて、寝間着姿で寝る二人の少女がいた。
片方はロングヘアーの茶髪少女、
その隣にはボブヘアーの黒髪少女。
二人とも神官見習いである。
茶髪の少女が鐘の音と共に目を覚ますと、茶髪の少女は思わずぎょっとした。
そこには、自分の顔をうっとりとした表情で見つめる黒髪少女の顔がすぐそこにあったからだ。
蛇に睨まれた蛙のごとく、茶髪の少女は身動き一つ出来ずにいるなか、先に口を開いたのは、黒髪少女のほうだった。
「おはよう」
「お……おはよう」
黒髪少女の表情と声色は優しげに満ちていた。
だが、茶髪の少女は彼女のねっとりとした眼差しに薄気味悪さを感じた。
「いつから見てたの?」
茶髪の少女は眉をひそめて黒髪少女にたずねると、黒髪少女は悪戯な笑みを浮かべて言った。
「ずっと」
茶髪の少女は不快そうに黒髪少女を睨みつけた。
「冗談言わないで」
茶髪の少女の語気には、ややトゲがあった
──が、黒髪少女は笑顔を崩すことなく、茶髪の少女の頬にそっと両手を添えた。
「可愛い顔が台無し。もっと笑って」
黒髪少女は茶髪の少女の口角に、指をくいっと深く押し当てた。
彼女の物理的な力で、茶髪の少女はひきつった笑みを見せる。
「うん、今日も綺麗よ。ミス・ジュリア。
ちょっとだけぎこちないけれど」
「……ありがとう。貴女も綺麗よ。ミス・ルース」
ジュリアにそう言われ、頬を赤らめたルースはくすりと笑った。
そして、二人はベッドからムクリと起き上がるなり、今日もいつもと変わらない朝を迎えた事を神に感謝した。
ルースはサイドテーブルから手に取った丸眼鏡をかけて、ジュリアが寝間着から修道服に着替える様子をうっとりと眺める。
ジュリアは慣れた様子で、円柱形の黒い修道帽をかぶり、白襟の黒いロングチュニックに着替え、姿見の鏡で身なりを整えたジュリアは、鏡越しにルースのほうをちらりと見る。
「……っ!」
ねっとりとした目でこちらを見つめるルースと目が合ったジュリアは気味悪そうに寝室から出て行ってしまった。
途端、ルースは枕に顔を埋めて叫んだ。
「ん~っ! ミス・ジュリア! 今日もくっそ可愛いっ!」
ルースは興奮する気持ちを落ち着かせた後、修道服に着替えを済ませてから少し遅れて寝室を出る。
一本の柱を取り巻くように並んだ螺旋階段を他の神官見習い達と共に降り、聖堂へ向かった。
* * *
ルースが聖堂内に入ると、すでに15人ほどの神官や神官見習い達が集まっており、30分間の祈りを捧げているところだった。
その中にはジュリアの姿もあった。
ルースが祈りを捧げ始めた途端、出入口の扉がそっと開き、中年の男が聖堂内に足を踏み入れた。
『中年』とは言っても、顔立ちは40歳でも通るくらいに若い。
シュッとした顔から見せる凛々しい表情と整った口髭は経験を積み重ねてきた大人の男としての知的さと色気に満ちていた。
白い立ち襟の祭服に身を包み、青いストールを首にかけた彼の格好は、この世界では“司祭”の証である。
突如、扉から入ってきた司祭の男を、ちらりと見た神官や神官見習い達は、祈りを忘れ、横を通り過ぎる司祭の男の背中を目で追いかけた。
聖堂内がにわかにざわつくなか、司祭の男は神妙な表情で聖堂内にいる神官見習いの中からルースの姿を見つけると、彼女の隣にそっと立ち、彼もまたルースと同じように神への祈りを捧げた。
* * *
ルースが祈りを終えると、周りにいた神官や神官見習いは、もうすでに聖堂から立ち去った後だった。
「──なぜ泣いている?」
突然、背後から男の声がして、ルースはゆっくりと後ろを振り返る。
そこには長椅子に座った司祭の男が、小首を傾げてルースの顔を凝視していた。
ルースは「分かりません」と言って、丸眼鏡を少し持ち上げ、恥ずかしげに涙を拭った。
「祈りを捧げると、どうしたわけか、自然と流れてしまうのです」
ルースは、涙が出た理由を告げなかった。
本当は、あくびが原因だという事を。
「それでは、そろそろ奉仕のお時間ですので、失礼いたします」
(ボロが出る前に早々に退散しよう)ルースは司祭の男に向けて会釈したのち、扉のほうへと足早に駆けていく。
「待ちなさい。ミス・ルース」
司祭の男に呼び止められたルースは顔を片側だけ歪め、扉の前で足を止めた。
長椅子からすっと立ち上がった司祭の男は意味深な言い回しでルースに告げる。
「しばらく奉仕活動には参加しなくてもよい。
神官長からはすでに許可も頂いている」
振り返ったルースは戸惑いの表情を見せる。
司祭の男はキリッとした顔をして、腰のポケットに片手を突っ込むと、さっきよりも鋭い声を出して言った。
「──私と来なさい」
* * *
──フェリーゼ神殿の正門にて。
外出の手続きを済ませたルースは緊張した面持ちで司祭の男の背中を追いかけた。
神殿から離れるほどに心細くなり、手提げ鞄の取っ手を握る力は自然と強くなっていく。
司祭の男は、体の正面を前に向けたまま後ろをついてくるルースに語りかけた。
「……私のことは知っているね?」
ルースはあわてて、彼の背中越しに答える。
「貴方を知らない人など、この国にはおりません」
そう言って、ルースは彼にまつわる伝説を語り始めた。
ある村では、悪霊に取りつかれた少女を救い、
またある町では疫病の源となった害竜を退治し、
教皇グレゴリウスから突き付けられた11の試練をやってのけるなどなど。
……数多くの伝説を残した彼の名は、オスヴァルト・シュペンベルグ。
「カンダール神殿の司教を務める貴方が、なぜこちらに?
それにどうしてわたくしなんかを……」
「前の戦争で、大神殿が破壊された事は、きみも耳にしているだろう?」
「……はい。
確かその時、大神殿に保管されていた聖遺物をいくつか失ったと聞いています」
「そうだ。きみも知っての通り、神殿は聖遺物を失くしては力を発揮しない。
教皇は再建した大神殿に必要な聖遺物の回収と発見に力を注がれている。
……要するに“聖遺物探し”だ。
疑わしい所は墓の底だろうとドラゴンの腹の中だろうと、徹底的に探し出す。
それが、私に与えられた役目だ」
「でも、それとわたくしに何の関係があるんですか?」
すると、オスヴァルトはルースに顔を向けた。
「きみには、“幻視”の才がある。その力で私をサポートしてほしい」
「つまり……貴方の助手になれ、と?」
ルースがたずねると、オスヴァルトはそこで足を止めて振り返り、意地悪な笑みを浮かべて言った。
「旅の同行者が“男”では、不服かね?」
「いいえ! 決してそのような事は……」
慌てふためくルースの様子を見たオスヴァルトは進行方向にくるりと向き直り、再び歩を進めると、小さな声を出した。
「……図星か」




