29 旅立ちの日
リクトは己の心臓を止めにかかった小さな悪魔のほっぺたを、ぷにぃ~っと軽くつねった。
しかし、エレウは自分が罰を受けているとは思っておらず、無邪気に目を輝かせて、ほっぺたをつねられた事すらも喜んでいるようだった。
「このっ、この~! 反省しろ~」
すると、エレウとのやり取りを後方から静かに眺めていたモモカさんは思い切ったように口を開く。
「あの! ……じつは、リクト様にはまだ伝えていない事があります」
「……はい?」
突然モモカさんにそう言われたリクトはエレウのほっぺたをつねったまま振り返った。
同時にエレウもほっぺたをつねられたままの状態でモモカのほうに顔を向ける。
「いつ言おうかなと、ずっと迷っていたんですけど……。
今お話してもよろしいですか?」
途端、リクトは急にかしこまり、エレウのほっぺたから手を離した。
「よろしいです、けど……なんです?」
「私には親代わりの先生がいまして、その……驚かないでくださいよ?」
エレウとリクトは互いに示し合わせてもいないのに、うんと頷いた。
「じつは、先生はその昔、《渡徒》だったそうなんです」
「へえ~。って……えええええええええええ?!!」
慌てふためくリクトの様子を見て、モモカさんは一瞬驚いた顔をしたが次第に表情が柔らかくなり、くすくすと笑い始めた。
「やっぱり、驚いちゃいますよね」
「今ってその先生は何してるんですか?! どこにいるんです!?」
リクトは思わず食い気味になってモモカさんに訊ねた。
以前にモモカさんから聞いた神話の話だと《渡徒》という存在が《アスカナ》でいうところのプレイヤーと設定はかなり近い。
《アスカナ》の場合だと、女神の気まぐれによって異世界に転生した者達がプレイヤーという設定になっている。
NPCはプレイヤーを『神の使い』だと信じている設定だった。
この世界でいう《渡徒》も扱いはとてもよく似ている。
ところが、リクトの期待に満ちた質問に対し、モモカさんは目をそっと閉じると静かにかぶりを振った。
「……そうですか」
リクトは肩を落としつつも、ふと気になったことをモモカさんに訊ねる。
「そういえばこの前に言ってましたよね?
『やっと本物に会えた』って。
あれってどういう意味だったんです?」
すると、モモカさんは桃色の髪を耳にかけながら照れくさそうな顔をした。
「各地を旅していけば私もいつか《渡徒》に会えるかなって、思っていたんですけど、なかなか出会えなくて……。
とある町で《渡徒》の噂を耳にしては町中を探し回った事もありましたが、どの方も本物ではありませんでした」
「偽物の《渡徒》を見分ける方法って、あるんですか?!」
「ええ。本物であれば体のどこかに神の刻印があるはずです。
刻印は決して消える事はありません。
特徴的な色のオーラを体中から出しておりますので、目利きの人であれば偽者かどうかは一目見ればすぐに分かってしまいます」
モモカさんはそこでいったん言葉を切り、リクトの右腕を指さす。
「そして……リクト様の右腕にあったその紋章こそ、本物の神の刻印。
リクト様の場合、“白いオーラ”ですね」
リクトは自分の右腕に刻まれた勾玉の紋章に目をやる。
すると、モモカさんは再び口を開いた。
「私は旅をしながら多くの人命を救った先生のような人間に少しでも近づけたらなと思って、今までやってまいりました。
ですが、あなた様と本物の《渡徒》に出会えた今、叶えたい目的を“また一つ”見つけました」
「叶えたい目的?」
モモカさんは「はい」と言って、コクリと頷くと、リクトの顔を上目遣いに見上げ、小さく唇を動かした。
「……リクト様のお供をさせていただけませんか?」
「え?」
「も、もちろん! 私なりにリクト様をお支え致します!
言葉や歴史についても教えますし、お料理はまだかじった程度しか知らないので、お役に立てるかは分かりませんが……頑張りますっ!」
モモカさんは少し早口になりながら必死に自分の役立ちポイントを次から次へと挙げていく。
その姿は可笑しくて、なんとも可愛らしかった。
「ありがとう」
「……え?!」
モモカさんは目をパチパチと大げさにまばたきさせて、リクトのほうをじっと見つめる。
「モモカさんが一緒に居てくれたら、ほんっとに助かってるし、お供になってくれるなんて僕としては申し分ないよ。
頼りない自分で申し訳ないけど……」
リクトはやや照れくさそうになりながらも、すぐさま顔をきゅっと引き締めたのち、背筋をピンと伸ばして右手をモモカさんのほうに差し出した。
「──これからもよろしく、です!」
きっと今の自分の顔はニヤニヤ顔になってしまっているんだろう。
だが、そんな変質者のような表情を浮かべるリクトに対し、モモカさんは太陽のように明るい笑顔を見せた。
「はいっ! よろしくお願いしますっ!」
モモカさんと握手をかわすと、二人の頭上からその様子を眺めていたエレウが嬉しそうな顔で二人を祝福するようにリクトとモモカさんの周りを飛び回った。
「それで、まずはどちらへ?」
「仲間を探そうかなと。
召喚できる仲間を」
「当てはあるのですか?」
「まったく」
申し訳なさそうに苦笑いするリクト。
「なので、ひとまず各地を巡って、情報を集めようと思ってます」
「それでしたら」と言って、モモカさんが胸に手を当てた。
「このモモカが、リクト様専属の観光ガイド役を務めて差し上げます!」
「じつを言うと、それを結構期待してました」
二人は目が合うと、思わずふふっと笑う。
──こうして、リクトはこの町で二つのものを得た。
“二人の仲間”と、
“希望”を。
〈第一部・完〉




