02 夢の終
戦闘準備を済ませたのち、
「それじゃ作戦通りに行こうか」
と口にしたのも束の間──
「ひゃっはー!!」
先手必勝と言わんばかりに《ルキアナ》が飛び出した。
──はぁ……言ったそばからこれだ。
『アスカナ』のキャラクターにはそれぞれAIが組み込まれ、各々が独自の思考を持っている。
勿論ゲームの性質上、プログラミングされた禁止行為は絶対に取らないが、《ルキアナ》のように自由奔放に行動するキャラクターはいる。
こういう子の場合、育成しようにも戦闘面ではなかなか役に立ちにくい。
それなのに意地になって彼女を使っている理由──。
それは少年が今まで入手した《ルキアナ》以外の召喚獣のレベ上げが、ひと通り済んだからだ。
現在、少年が保有する召喚獣の全体戦力はかなりのものになっていて、残すは《ルキアナ》のみというワケだ。
ジャキンッ。
《ルキアナ》の爪が鉄のように厚く変わり、死神女に攻撃を仕掛ける。
死神女は涼しげな顔で避けることもせずに真正面からダメージを受けた。
しかし、与えた爪の攻撃は少量のダメージ程度。
死神女は微量のダメージに動じることなく、大鎌を振るう。
ザシュッ。
空気を切り裂く音がして《ルキアナ》に戦闘ダメージが入った。
すぐさま少年は回復剤入りの特製弾丸を《ルキアナ》に浴びせた。
たちまち《ルキアナ》は全回復し、すぐさま少年は攻撃用の銃弾に切り替え、遠距離から死神女の背中にダメージを与えた。
だが、そのダメージ量も微々たるもので、とても死神女を倒せる数値には程遠い。
それでも少年は効率性の悪い戦いを続けた。
プレイヤーの技術が試される戦闘ゲーにおいて、戦闘ゲーが苦手な少年は考えた。
前線には行かずに遠距離から攻撃・支援ができる《銃士》、召喚獣を操る《召喚士》。
これらのジョブを試行錯誤した結果、二つのジョブを組み合わせるに至ったワケだ。
少年は《召魔銃士》のスペックを活かし、低レベルのままでいかに戦う技術がなくても、高レベルの相手に勝つ作戦を思いついた。
それはすなわち──
死神女のHPがゼロになるまで、少年と《ルキアナ》の二人で小さなダメージを負わせ続け、ダメージを喰らったら即回復を繰り返す──その名も『ちびちび攻撃作戦』!
これが、少年が編み出した最強の作戦だった。
「よしよし。順調にHPを削っていい感じだ。
この調子なら《深淵の死神》を倒した経験値で《ルキアナ》のレベルも目標値に到達するな」
勝利が目に見え、伸びをする少年。
ピコン。
突然、通知音が鳴り、視界最上部にメッセージが表示され、少年は眉をひそめた。
〈バックグラウンドアップデートを開始します〉
「そういや今日だったか」
多くのプレイヤーが待ちに待った《アスカナ》のアップデートの時間だ。
Ver4.0の更新により、《アスカナ》の世界に新たな舞台が追加され、NPCのAIが大幅に調整される。
新たなる世界で新たな“冒険”が始まるのだと思うと、いくら年を取っても自然と胸は高鳴るものだ。
通知を確認し、メッセージをスッと指でスライドして消したその時、
ピコン──
「ん?」
再び通知音が鳴り、さっきとは違う文面のメッセージが表示された。
〈未定義のデータを検知しました〉
「……は?」
〈プログラムの問題を確認〉
途端、大量のメッセージウインドウが重なり、視界全体が赤い文字によって埋め尽くされた。
〈ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR ERROR〉
「ちょちょちょ、ちょっと待った! え?!」
指でスライドしてメッセージを消してはまた同じ文面のメッセージが繰り返し表示される。
なんで? こんなこと、今まで一度もなかったのに……。
直後、領域支配者の《深淵の死神》はまるで操り人形の糸が切れたようにガクンとうなだれ、ふらつきながらぶつぶつと何かを呟き始めた。
「ひゃっはー!!」
「《ルキアナ》戻れ! なんか変だ……」
しかし、《ルキアナ》は制止を聞かず、両手のひらに黒い粒子を集め、巨大なハサミの形をした武器《不可避の鋏》を顕現させた。
空気を切り裂く音が響き、二つの刃を限界まで広げた《ルキアナ》はよろめく死神に特攻を仕掛けた。
二つの刃が死神の体を捕らえる。
「ぐっ!」
悶え苦しむ死神女の表情とは対照的に《ルキアナ》は陽気な笑みを浮かべ、力いっぱいに二つの刃を一気に交差させた。
ガチン、と豪快なる音が洞窟内に鳴り響いた。
すると、死神女の耐久値であるHPは0となり、死神の体はブロック状の粒子に分解され、消えていく。
あまりに拍子抜けの幕切れに気持ちの行き場を見失う。
いくらレベ上げしてたとはいえ、呆気なさすぎる……。
これもバグなのだろうか?
〈クエスト完了〉
心に不安の雲がかかり始めた少年の感情とは真逆の間延びした効果音が鳴る。
新たに表示されたクエスト達成のメッセージを指でスライドして消そうと試みたが、なぜかメッセージはずっと残ったまま。
スライドして動きはするが、指を離すとまた元の位置に戻ってしまう。
完全に少年の操作を拒絶している……やっぱり何かがおかしい。
「ご主人~やりました~!」
その一方、《ルキアナ》は少年の胸中など知る由もなく少年のほうに向き直り、高く上げた右手を左右に振ってぴょんぴょんと陽気に飛び跳ねた。
「《ルキアナ》! 今すぐ戻れ。早くここから出よう!」
……踵を返し、メニュー画面を立ち上げる。
そして【ログアウト】に指が触れかけた次の瞬間だった。
「──……どこへ行く?」
ねっとりとした低い女の声が少年の耳元で囁いた。
「っ?!」
後ろを振り返ると視界いっぱいに死神女の顔が迫る。
「……まだ宴はこれからだろう?」
死神女の体は顔半分と身体のパーツのいくつかがブロック状に分解した状態になっていた。
だが、死神女はそんな自分の状態を気にするそぶりをまったく見せず、悪魔のような笑みを浮かべた。
「うわあああああ!」
完全に思考停止した少年は無意識に魔導拳銃を出現させては一発撃ち放つ。
弾切れになれば即座に銃を消し、装填済みの魔導拳銃を顕現させてからさらにもう一発。
ギリギリの思考回路だったが、それでも的確な判断で銃弾を浴びせ続けた。
しかし──
銃弾を何発喰らわせてもなお、死神女はケタケタと笑い続けた。
そして、本来表示されるはずのダメージ数値も一切表示されなくなっている。
……嘘。ダメージすら効いてない?!
直後、死神女は眼前で瞬く間に大鎌を振り下ろした。
咄嗟に左腕で防ぐと、刃に切り裂かれる音が耳をつんざく。
おそるおそる左腕に目をやると戦慄が走った。
……なぜならそこには、あるべきはずの左腕が無かったからだ。
「……っ?!」
二の腕の部分を残した状態で、少年の左腕は死神女の大鎌によって断ち切られていた。
一瞬ぞくりと血の気が引く。
ところが、おかしなことに痛みはまったく感じなかった。
少年は不思議に思い、二の腕の断面から出血していないのを確認して安堵のため息を吐く。
……そうだ。ここはあくまで仮想空間内だから、実体なんてそもそも無い。
どんなにダメージを受けても、ここにあるのは現実の肉体じゃないんだ。
〈警告! :危険度レベル4〉
「っ! 今度は何!?」
〈システムがウイルスに感染しています!
このままの状態ではあなたの脳に重度の障害を与える危険性あり!
:the system is infected with a virus!
Risk of severe damage to your brain!
10秒後に強制終了します〉
「ウイルス?! いやいや……それはさすがにやばいって!」
「──……逃がしはしない」
動揺する少年をよそに死神女は容赦なく大鎌を再び振り上げた。
ガキンッ。
少年の眼前で鈍い音が鳴る。
「っ! ……?」
思わず閉じた目をゆっくり見開く。
すると、目の前には《ルキアナ》の背中が見えた。
死神女が振り下ろした大鎌の斬撃は《ルキアナ》の巨大なハサミによって封殺され、ギチギチと音をたてながら大鎌を巨大な得物で受け止めていた。
「《ルキアナ》……? どうして。さっき帰還させたはず……」
《ルキアナ》は視線だけを動かし、顔を綻ばせた。
「ご主人、今のうちに逃げて下さい」
「いや『逃げて』って、お前いつからそんな」
「ご主人、ボク……言う事守れないダメな召喚獣だったよね。
いつもボクが突っかかっちゃうから無駄にダメージを喰らっちゃって……。
ご主人が用意してた回復アイテム全部使い果たしちゃうし……」
《ルキアナ》は今までの出来事を懐かしげに話し始めた。
その一つ一つはすべて《ルキアナ》と共に旅をするなかで起きたことばかりだった。
だがしかし、《ルキアナ》はあくまでも仮想世界の住人である。
AIの進歩で自然な会話は実現できるようになったとはいえ、高度な感情までは再現できていないはずなのに……。
瞬間、
目の前の彼女はまるで感情を持ったかのように悲しげな笑みを浮かべた。
──パキィン!
途端、弾ける音が耳元に木霊した。
大鎌は巨大なハサミごと《ルキアナ》の身体を断ち切った。
微笑みを浮かべた《ルキアナ》の身体が少しずつ、ブロック状の粒子となって分解を始めていく。
「でも、ボク……ご主人と今まで一緒に冒険ができて……すごく、すごく、楽し──」
そして、そして……
──《ルキアナ》は跡形もなく、消滅した。
「ルキ……ア……ナ」
虚空にわずかながら残り漂う粒子を少年は目で必死に追いかけた。
やがて虚空に何も残らなくなると、一気に力が抜け落ち、少年は膝から崩れ落ちた。
瞬間、左右色違いの死神の瞳が煌々と光を放ち、瞳の奥に魔法陣が出現した。
「──《破滅ノ刻》!」
死神女が呪文を詠唱したその刹那──
地面に巨大な魔法陣が突如として浮かび上がった。
ピキッ、
氷の地面に大きな亀裂が走る。
その直後、弾ける音と共に氷の地面が砕け散った。
底の無い闇に砕けた氷の塊が吸い込まれるなか、やがて足元の地面すらも消え、少年の身体は宙に投げ出された。
死ぬんだ……。
本当に死ぬんだ──そう思った。
身体が闇に喰われる。
視界はまるでPCの電源を消したかのように暗転し、意識はプツンと切れた──……。