28 誰かを守れる魔法
不知火先輩は《アスカナ》内で作った唯一の仲間だ。
そしてリクトを《アスカナ》に誘った人物でもある。
その正体は姉の友人・常坂シロであった。
不知火先輩とは親しい間柄ではない。
姉が飲み物を買いに外出し、偶然二人きりの時間になった際、展開させたゲームの話題が思いのほか盛り上がり、《アスカナ》をおすすめしてきたというのが、《アスカナ》を始めたキッカケだった。
不知火先輩とは互いに仲間登録はしたものの、実のところ、彼女とあまり連絡を取っていなかった。
……というのも、不知火先輩は《アスカナ》の世界ではかなりの人気者だったからだ。
『アスカナ』は基本オフラインのソロプレイ専用だが、オンライン接続すればマルチプレイができる。
《影繋ぎ》のギルドリーダーでもあった彼女は会うたびに初心者プレイヤーやギルドメンバーが彼女の腰ぎんちゃくのように付き従っていた。
どこへ行っても強制的に多人数になってしまい、やたら騒がしくなる。
……それはまるで修学旅行で騒ぐ学生のようで、孤独を愛するリクトにとってその光景は精神的ダメージが大きかった。
……そんな日々が続き、リクトは後ろめたさを感じつつも不知火先輩からのメッセージを無視し続けた。
しかし、まさかこんな所で再会するとは。
これは果たして“奇縁”なのか、それとも……。
雲の隙間から差し込む光がそっとバイセルンの町をそっと照らす。
そんな光景をリクトはゴードラム大聖堂の庭園広場から一人ぼうっと眺めた。
リクトの足元にはアスカナバッグが置かれてある。
ヴェルカンや巨人、アヴィスとの度重なる連戦によって、尽き欠けた気力と魔力と体の怪我は時間と共に無事回復していた。
そして、今日ようやく医師から退院の許可が出たのである。
「リクト様! ここにいらっしゃったんですか」
柔らかな声とともにモモカさんが駆け寄ってくる。
「今日でついに退院ですね。
外に出るのは久しぶりじゃないですか?」
そう言われ、リクトは含み笑いしながら照れくさそうに頷いた。
「ここへ最初に来た時は『早くここから出たいっ!』て思ってたけど、いざ出る日になると、ちょっぴり寂しいかな」
「そういうものですか……。
私はあんまりお医者様にお世話になったことがないので、その気持ちはよく分からないです」
「でも健康は大事だよ。
お医者さんにお世話にならないように生きることが、長生きの秘訣だからね」
途端、フフフと笑うモモカさん。
「?」
リクトが不思議に思ってモモカさんの顔を見やると、モモカさんは「いえ」と言って、笑みを収めようとしたが、どうやらツボに入ってしまったようで、なかなか止まらない様子だ。
笑いすぎてこぼれ出た涙を拭いながらモモカさんは言う。
「急にお爺ちゃんみたいなこと言うので、なんだか可笑しくなっちゃって」
……お、お爺ちゃん!?
リクトを憐れむように大聖堂の鐘が高らかに鳴り響く。
すると、庭園広場にいた人達は足を止め、町の方向に向かって一斉に黙とうを捧げた。
──のちに“バイセルン事変”と呼ばれるようになるあの厄災から、幾日が過ぎた。
バイセルンでは、町の住民と黎明騎士団の連携で、今日も破壊された建物の修復作業が行われていた。
大がかりな作業であったため、資金面と人手不足が不安視されていたが、不知火先輩が所属するギルド《影繋ぎ》からの支援金が復興への後押しとなり、少しづつではあるが、バイセルンは元の風景を徐々に取り戻しつつあった。
小高い丘にある大きな岩をくり抜いて造られたゴードラム大聖堂は、幸いにも町外れにあった為、被害はほとんど受けなかった。
失ったものが多かったバイセルンの人々にとって、ゴードラム大聖堂がいつしか心の拠り所になっていったのも、ごく自然な流れだろう。
一分間の鐘が鳴り終わり、各々が各々の時間を再び過ごし始めていくなか、黙とうを終えて顔を上げると、リクトはモモカさんに告げる。
「今更遅いと思うけど……“ありがとう”」
「──え?」
「毎日さ、こうして来てくれて」
ヴェルカンはあれから一度しか来なかった。
でもあの人……町の復興で忙しいはずなのに、それでもあの日わざわざ来てくれたってことは、もしかして、意外と優しいヤツだったりして?
ふと、眉間にしわをよせるヴェルカンの険しい表情が頭の中に浮かんだ。
恐怖に身を震わせたリクトはあわてて首を横にぶんぶんと振り、現実に意識を戻す。
すると、モモカさんからの返事が遅れて耳に届いた。
「──全然そんな! 私ができることはそれぐらいですから……」
モモカさんはさっきの話で耳を赤くし、手を左右に振りながらそう言う。
「そういえばモモカさんって、魔法を教える先生だったんですよね?」
モモカさんはケロッとした表情で「え……?」と言った。
「え、あれ……違いましたっけ?」
急に不安になってくる。
すると、モモカさんは思い出したように目と口を大きく開けた。
「ああっ! いいえ。全然合ってます。むしろ合ってました!」
「え……合ってるって、ど、どっちが?」
「先生だったことです。ごめんなさい。すっかり忘れていました」
いや、本人が仕事を忘れてどうすんの……。
モモカさんの天然ぶりに苦笑いしつつも、気持ちを切り替えて話を戻す。
「それでふと気になったんだけど……。
この世界じゃ魔法って、学校で教わるのがフツーだったりするの?」
「がっこう?」
そう言って、モモカさんは眉を八の字にして小首を傾げた。
「うーんっと……なんて説明したらいいんだろう。
同じ年代の子供たちが集まって、数年の間、教育を受ける施設みたいなところ?かな」
「へぇ。リクト様の故郷には、そういう場所があるんですねっ!」
「それで……ここの子供たちは誰から学ぶの?
ご近所さんとかになるのかな?」
「うーん。普通は親に、ですかね」
「なに、その意味深な感じ」
すると、モモカさんは遠慮がちに言う。
「じつは私……実の両親を亡くしてるんですよ。
モンスターに村を襲われて、私だけが生き残ったんです」
「そう……だったんだ。ごめん。嫌な事聞いた」
「いえ。小さい頃でしたので。記憶はほとんど残ってません。
覚えてるのは、お父さんぽい人のおっきな背中と手を握った時のあたたかな温もり、くらいです」
「そっか……」
こういう時、なんて返したらいい。
「リクト様は? どんなご家庭だったんですか?」
「え? ど、どんなって……ごくごく普通、かなぁ?」
「普通、ですか」
しまった。親を亡くしてるモモカさんにとって『普通』は地雷ワードだったか!
……話題を変えよう。
「そ、そうだ! モモカさん!
この世界に学校が無くて、親に教わるのが普通だったら、モモカさんがやってる仕事って、この世界だと珍しいほうなんだよね?!」
早く話題を変えようとして焦った気持ちが影響して、つい早口になってしまう。
すると、モモカさんはうつむいて、黙り込んでしまった。
この質問も地雷だったか。リクトは軽はずみな質問をしてしまった事を今更後悔した。
「リクト様の世界には猛獣とか、野党は出たりしますか?」
「……え?」
「この世界で生きていくためには身を守る術が必要不可欠。
ですが、魔法の教育はある程度、育ってからじゃないと危険だっていうのが、この世界の考え方です」
なるほど。
つまりこの世界で言う魔法は、リクトがいた世界でたとえるなら、“銃”とか“自動車”みたいなもんか。
「私はその考え方が間違ってると思うんです。
もしもあの時……幼い子供だった頃の私にもしも魔法が使えていたなら、親を失わずに済んでいたかもしれない。
だから、私みたいな子供を増やさないためにも、誰かを傷つける魔法じゃなくて、誰かを守れる魔法を、子供たちに教えてあげられたらいいなと思って、今まで世界を旅してきたんです」
「……かっこいいね。モモカさんって」
「え、か、かっこいいですか? 私」
頬を赤くしたモモカは照れた口調でそう言うと、リクトは頷いて返した。
「とっても立派なことだと思う」
家にずっと引きこもってた自分なんかよりも、ずっと……。
モモカさんはこちらをちらりと見つめた後、リクトと同じようにバイセルンの町に顔を向けた。
それからリクト達はしばらく他愛のない話をして、時間を過ごした。
そんな時間を過ごしている間、リクトは“これからの事”を考えていた。
リクトには“旅をする目的”がある。
それは不知火が町を立ち去る際に残していった置き手紙を読んだ時から、すでに決めた事だ。
しかし、いざ旅に出るとなると、やや心細かった。
モモカさんの目的のことを考えると、やっぱり、旅仲間には誘えないな。
モモカさんと別れるのは、少し寂しくなるけど……でもここはモモカさんの意思を尊重しよう。
二人がゴードラム大聖堂の外に出ると、きょろきょろと辺りを見回す。
……あれ? 外で待っているはずのエレウの姿がどこにも見当たらない。
いつまで経っても出てこないリクトを見限って、妖精の国に帰ってしまったのだろうか。
そう思うと、心細さは更に募っていく。
……すると、その時、リクトの髪の毛がモゾモゾと動いたかと思うと、逆さまになったエレウの顔が突然、眼前にあらわれた。
「うぎゃああああああああっ!!」
──バイセルンの空に一人の情けない叫び声が、こだまのように響き渡るのだった。




