27 血まみれウサギ
鬱蒼と生い茂る森の中──
ザンバラ髪の男が、周囲に目を見張りながら、足早に駆けていく。
男の名はパイソン。
バイセルンの町で起きた襲撃事件から生還した彼は事件から一週間経っても、あの日のことが頭から離れずにいた。
(くそっ! あの小僧め。
俺を無視して行った仕返しに着物女を人質にして、小僧から金品をふんだくろうと思っていたが……。
死神みてえな女のガキが現れてから、それどころじゃなくなっちまった……ったく。
だが、それにしてもあの小僧。あの死神女をやっちまうとは。
あいつは一体何者なんだ……?)
しばらくして、パイソンは洞窟にたどり着くと、蔦に覆われた洞窟の前でじっと待った。
すると、ほどなくして「誰だ?」と男の声がした。
パイソンが「俺だ」と返すと、一秒も待たずして蔦の天然カーテンをはねのけて、一人の番兵の男が顔を出す。
「おう! パイソン。久しぶりだな。あっちの暮らしはどうだったよ」
「そりゃもう最高の悪夢だったぜ」
苦笑いを浮かべてパイソンはそう答え、悪い夢を振り払うように洞窟の隅に勢いよく唾を飛ばした。
「早速ですまんが、お頭は今いるか?」
朝日の光が届かない洞窟の奥底。
壁にかけられた松明の火が揺れるなか、パイソンが大広間に着くなり、焚火の周りに群がっていた男達が一斉に立ち上がり、ワーッと歓迎の声をあげた。
すると男達の中でも、ひと際目を引くガタイがいい丸刈りの男が、ヌッと立ち上がり、にやにやと笑みを浮かべて両手を大きく広げ、パイソンに歩み寄ると、パイソンの肩を強く組んだ。
「死んだかと思ったぞ。パイソン!
とんだ目に遭ったみてえだな!」
「ええ……あそこは地獄でしたよ。
そのおかげで町が混乱してる隙に、なんとかここまで逃げて来れやしたが」
「ハハッ! てめえはゴキブリ並みにしぶてえな! ま、こっち座れや」
すると、洞窟の真っ暗な闇の中から、女のうめき声が聞こえて、パイソンはすぐに反応を示す。
「ああ。“アレ”か……。
お前が監獄暮らしを堪能してる間にこっちは通行人を襲うのを辞めてよう。
“新しい事業”を始めたんだ」
「『新しい事業』……?」
「ああ」と言い、丸刈りの男はギラリと目を光らせる。
「“人攫い”さ──
近々、お貴族様が屋敷に集まる。
そこで“鼠狩り”をやるんだそうだ。
俺らは狩りに必要な獲物をさらって、あいつらに手渡すだけ。
報酬の額は俺たちが一度の盗みで得る額よりも遥かにでかい」
余裕たっぷりな笑みを浮かべる丸刈りの男だったが、それに対し、パイソンは遠慮がちに言う。
「そ、それはやめといたほうがいいですぜ……」
「あ? なにビビってやがる。
お前、監獄でキン■■切り落とされちまったんじゃねえか?」
男達の笑い声が一斉に洞窟内に響き渡る。しかし、パイソンは必死になって声をあげた。
「もしですよ?《影繋ぎ》に俺らの存在が知られちまったら、俺たち一貫の終わりですぜ?!」
「ったく、お前は心配症だな。
大陸中に目を利かしてるあいつらが、こんなちいせえ事に首を突っ込まねえって。
仮にもし《影繋ぎ》の奴らが俺らの邪魔をしたとしても、俺達の切り札をぶつけてやるまでよ。
なあ! お前ら!」
そう言ってのけた丸刈りの男は酒瓶をグビッと勢いよく飲んだ。
「おうよ!」
「やってやんぜ!」
ゲラゲラと笑う男どもの声が洞窟内に轟く中、パイソンは一人うつむき首を横に振る。
「……いいや。そうじゃねえんだ。お頭」
パイソンの怯えた姿に男どもの顔からだんだんと笑みが消えていく。
「……俺は《影繋ぎ》よりも、やべえ奴を見たんだ。
今まで会ったどの《渡徒》とも違う……。
あいつは巨人を殺した人外をたった一撃で倒しやがったんだ。
……ありゃ、俺達の手に負えねえ。それに奴が近くに来てるって噂だ。
奴が人攫いの件を調べ始めちまう前に、とっととここを出ましょうぜ!」
「……お前よう。わざわざそれを伝えるためにここに戻って来たのか?」
丸刈りの男は口に笑みを浮かべたが、目は笑ってなどいなかった。
パイソンはごくりと生唾を飲み、コクリと頷く。
緊張と不安が入り混じった汗がパイソンの頬を伝い、ポトリと滴り落ちる。
途端、丸刈りの男が手を叩きながらガハハと笑いだし、男どもがそれにつられて続々と笑いだした。
「──……あのう。すみません。
そのお話、詳しくお聞かせいただいても宜しいでしょうか?」
突然、闇の中から女の声が響いた。
「だ、誰だ。てめぇは?!」
「口の聞き方に気ぃつけろ! パイソン!」
丸刈りの男が初めて声を荒げた。
いつもと違うお頭の態度の急変にパイソンは困惑した。
「この方はなぁ。俺らのスポンサー様であり、そして俺達の“切り札”だ──」
「“切り札”?」
焚火の灯りに照らし出されて姿を現したのは、メイド服を着た若い女の亜人であった。
顔立ちは二十代前後くらいの人間の女。頭には大きなウサギ耳が生えており、前髪は長く、短めのポニーテールヘア。
頭の高い位置に結び目を持ってきたラビットスタイルで、可愛らしくもボーイッシュな印象を与える。
白と黒のメイド服は血に浸したように赤く見えた。
目の周りは黒模様に染まっており、全身に浴びた血が混ざったことで更に黒を際立たせていた。
タレ目に宿した漆黒の瞳からは、どす黒い殺気が満ちあふれている。
……全身血まみれのおぞましい姿であるにも関わらず、ウサギ女の口調はぞっとするほど上品さがあり、底の知れない不気味さがあった。
ウサギ女は胸に手を当てたのち、名を名乗った。
「初めまして。ワタクシ、『愛吏』という者です」
引き気味のパイソンの視線に気がついた愛吏は目線を下におろす。
「……?」
両手を広げ、血で汚れた自分の体を見た愛吏は、申し訳なさそうに笑う。
「身なり整わずでご挨拶してすみません。
この姿では、言っても信じてもらえないですね」
愛吏は指先に付着した血を舌先でツツーッと舐めあげると、妖しく微笑んだ。
「これでも一応、かつては《渡徒》だったんですよ。
今は“片付ける”側、ですが」
パイソンの背中にぞくりとした戦慄が走る。
《渡徒》とは、創造神イノヴァが遣わした神の使いだと信じられている。
彼らは生まれながら強大な魔力を宿しており、彼らの一人が戦場に赴けば、たった一人で一万の軍団を一掃させてしまうほどの実力を持っているとされ、その存在は世界の歴史を大きく揺るがすほどだと云われる。
(“同族殺しの渡徒”……そのなかでも人殺しを好む危険な《渡徒》がいるって話は聞いたことはあったが……まさかそんな奴と出くわしちまうとは)
俺はやべえ奴と遭遇しちまう星のもとに生まれたんだな、とパイソンは己の運命を呪った。
「それで先ほどの話、お聞かせ願えますか──……」




