25 奈落ノ竜
「歴史書にはこう書き記しておこう。
私の愛する子らを殺した虫けらがもう一匹おった、と……」
塔の天辺に降り立ち、巨大な翅を休める《ギガント・ワイヴァン》を見据えたギレオンは《ギガント・ワイヴァン》の腹の中に閉じ込められたアヴィスに向けて言った。
ギレオンはそれから「あー、そうであった」と続ける。
「貴様の名を聞く前に殺してしまったな。次から気をつけるとしよう」
その時、ギレオンの頭上から声が降ってきた。
「これは、これは、全くしてやられたよ」
「むっ?!」
ギレオンが見上げた視線の先には、宙にふわりと浮かんだアヴィスの姿があった。
ギレオンはすぐさま《ギガント・ワイヴァン》のもとに目を向ける。
塔には《ギガント・ワイヴァン》の姿はなかった。
だが、その代わりに大量の血でべっとりと濡れていた。
塔の天辺には《ギガント・ワイヴァン》のものと思われる内臓や腸、歯の一部が血だまりの上にゆらゆらと浮かんでいた。
「なっ……!?」
空中に浮かんだアヴィスはやれやれとした顔で、鎧と服についた血を払うようにパンパンと叩いた。
ギレオンは信じられないといった様子で、口を開けたまま呆然とした。
「そんな馬鹿な!
《ギガント・ワイヴァン》の腹から生きて出られるはずが……」
すると、アヴィスは「へえ」と薄く笑った。
「すべてを見通してるはずの神様でも、驚くことがあるのだな。
余も神というものを学んでいてね。参考になるよ」
「クッ! 神を侮辱する愚か者め……!
高慢な態度を取るのも、今のうちよ……!
神自らが貴様に神罰を与えてやる!!」
しかし、アヴィスは無関心といった様子で「『神自ら』、ねぇ」とつぶやく。
「……ならば一つ、試させてもらおうじゃないか」
そう言って、アヴィスは片方の掌を上に向けて突き出し、籠手を身に付けたもう一方の手で、突き出した腕の手首に籠手の爪を当て、躊躇なくブスッと突き刺した。
その光景を見たギレオンは眉根を寄せた。
「なにをするつもりだ……?」
「おや。知らないのか? “血の儀式”だよ」
不敵に笑うアヴィスの細く白い肌の手首から、ツーッと赤い雫が流れ、ポトリと落ちる。
地面にアヴィスの血が浸み込んだ途端、町中を赤い光が包みこみ、巨大な魔法陣が浮かび上がった。
「幸運なことに、この町には沢山の血が流れている。
“あいつ”を呼ぶには丁度良い量だ。
ここは一つ、利用させてもらおう」
すると、アヴィスの左右色違いの瞳の内、右の瞳に逆五芒星が浮かびあがる。
その刹那、アヴィスの真下にあった魔法陣の中心から長方形の棺のような形をした巨大な門がズブズブと音を立てて姿を現した。
「ぬッ!?」
ギレオンの顔に初めて怯えと不安が混ざったような影が浮かんだ。
すると、アヴィスはニタリと笑い、静かに囁いた。
「ΘЁΛΓЁΞΣδΛЁΠ ЛΠΘΛ〇ЛЁЁ──
……第八の門《悪の嚢》、“開錠”」
アヴィスが詠唱した直後、重々しい音を軋ませて両開きの門扉がひとりでにゆっくりと開く。
「──来たれ。
《奈落ノ竜》よ」
途端、闇に染まりし門の中から蛇のような吐息が聞こえた。
ずるずると何かが這いずる音が次第に大きくなり、やがて、七つの巨大な竜の頭が這い出てきた。
……眼球が無い代わりに、ごうごうと燃えさかる炎の目。
七つの口からは青白い炎の息を絶え間なく吐き出している。
七つの頭にはそれぞれ王冠のような角がびっしりと生えていて、首全体は濡れて赤黒く光っているが、それらは全部、“血”であった。
その巨体ゆえか、裂け目から出てきたのは、頭と首のみであった。
全身を外に出せば、周辺の谷や山々を潰してしまいかねないほどの大きさだった。
竜からは酷い腐敗臭が漂っていた。
ギレオンでさえも、顔を歪めてしまうほどに。
干からびて骨と皮になった竜は、七つの首を持ち上げる。
それにより、アヴィスの背後は竜の持ち上がった首のみでぎっちりと埋まった。
明け方の夜空に七つの竜の影が揺らめいた。
「ば、馬鹿な?! この世に“七つ頭の竜”を呼び出せる者など、おるはずが……!!」
「すまないが、“こちら”ではまだ使った事のない技なのでね。
『手加減はできない』と、先に言っておく」
すると、どこからともなく飛んできた大鎌をアヴィスは手に取り、器用に振り回した。
それによって、宙に投げ飛ばされた気絶中のリクトの身体を、アヴィスは片手で易々と掴み取った。
リクトを肩に抱えたアヴィスは悪戯な笑みを浮かべて言う。
「……これくらいで死ぬんじゃないぞ? “神様”」
アヴィスが、大鎌の先端部をギレオンに向けた瞬間、《奈落ノ竜》は鎌首をもたげ、蒼い炎を一気に吐き出した。
ギレオンはすぐさま両手で炎を受け止めたが、たちどころに顔を歪めた。
「っ! ぐぬぅぅぅううう!! 私は神だ!
……神……の、はずだ!
……んぐわぁああああああああ!!」
ついに力の限界を迎えたギレオンは、蒼い炎に呑み込まれた。
この世のものと思えぬ叫び声をあげ、ギレオンは塵と化した。
空中を漂っていた塵は、やがて一つの結晶体となり、アヴィスはそれを手に取った。
それは、被造物人形であった。
「やはり、神の器ではなかったか……。
正体を知ってしまえば、つまらぬものだな」
ため息を落としたアヴィスのこめかみにコツン、と銃口が押し当てられた。
アヴィスの肩の上に担がれていたリクトはいつの間にか意識を取り戻し、上体を起こしてアヴィスに銃を向けていた。
「「!」」
互いの目と目が合った次の瞬間、銃口から火花が激しく散った──




