22 降臨
……《サイクロプス》と目が合ったリクトは全身から血の気が引くのを感じた。
硬直したリクトの身体を巨大な手が覆う。
あっさりと《サイクロプス》の手に捕縛されたリクトは数秒遅れて抵抗を始めたが、もう無意味だった。
《サイクロプス》はリクトの身体を握りしめたまま、崩壊したバイセルンの町を闊歩する。
「お兄ちゃん!」
ふと、下から子供の声がして視線をおろした。
下には先ほど助けた女の子の姿が小さく見えた。
泣きじゃくる女の子のもとに大人の女性が駆け寄る。
大人の女性は女の子をぎゅっと強く抱きしめた。
おそらく女の子の母親なのだろう。
「無事だったんだ……よかった」
安堵しかけたが、すぐにかぶりを振る。
──今は他人の心配してるところじゃないだろ!
リクトは《サイクロプス》の巨大な手の中で激しくもがいた。
1%でも生き残る望みにかけて。
途端、首元にしがみついていたエレウはリクトから飛び去り、《サイクロプス》の指に飛びついた。
「何してるんだ! エレウ! 潰されるぞ!」
突風に吹き飛ばされそうになりながらもエレウは《サイクロプス》の指を持ち上げようと小さな両手を広げてしがみついている。
しかし、力の差は歴然で《サイクロプス》の指はびくともしない。
それでもめげずにペチペチッとエレウは奮闘したが、やがて巨人の指を持ち上げる事を諦めると、今度は力任せに《サイクロプス》の指を引っ叩き始めた。
「エレウ! 無茶だ! もういいから!」
叫んだが、エレウは聞く耳を持たない。
こうなったら。
「まだ試してない事がある! この方法なら脱出できるかも!」
すると、エレウは振り上げた拳を下ろした。
「羽はもう使えるかい?!」
エレウに言葉を投げると、エレウはリクトの目をじっと見つめ、こくりと頷いた。
「大丈夫だから! 離れてて!」
リクトはエレウに対して、にこやかに笑って見せた。
それは精一杯の作り笑顔だった。
エレウは納得していない様子だったが、リクトの意思を尊重する事にしたのか、それとも諦めたのか、治りかけた小さな羽を広げ、風に乗っかると、リクトのもとから飛び去って行った。
「ありがとう……」
リクトは緩めた口元を引き締める。
──すると、《サイクロプス》は大きく口を開けた。
ゆっくりとリクトの身体を持ち上げ、巨大な口元に近づけていく。
嘘ついて、ごめん……エレウ。
でも、死ぬ気は無いから。
最後まであがいてやる!
狙うは丸呑みの瞬間。
胃の中に入ってしまえば、銃弾を浴びせる、
もしくは銃剣を使って、胃を突き破って脱出する──
しかし、大口を開けた《サイクロプス》の口内は、人間のものと思われる肉片が歯の間にこびりついていた。
あぁ。
よく噛んで食べる派でしたか……。
“絶望”という名の口の中にリクトの身体はあっさりと放り込まれた──
* * *
城から飛び出したヴェルカン一行のもとへ空から一匹の《妖精》が飛んできて、ヴェルカンの目と鼻の先でとまる。
ヴェルカンは舌打ちをしつつ、足を止めた。
「今度は何だ!?」
ヴェルカンは煙たそうな顔で突然目の前に現れたエレウを払いのけた。
しかし、エレウは空中を器用に泳ぎ回り、ヴェルカンの手をひらりとかわした。
エレウがヴェルカン一行の頭上を一度旋回すると、彼らの頭上でとまり、一点の方向を指さして必死に口をパクパクとさせている。
モモカはエレウを凝視し、ぽつりと言った。
「……《妖精》? こんなところにどうして?」
ヴェルカンはエレウのことをようやく思い出した。
「囚人と逃げた羽虫じゃねえか」
そう言い、ヴェルカンはジトリとした目つきで言葉を付け足した。
「なんで、こんなとこにいんだ?」
すると、エレウは全身を最大限に使い、リクトの身に迫る危機を彼らに伝えた。
ヴェルカン一行がエレウの動きをしばらく傍観し続けた後、ヴェルカンは「なるほどな」と言って、感想を述べた。
「まったくわからん」
エレウはほっぺらをふくらませて、とある方角を指さした。
エレウが指示した先に視線を移したヴェルカン一行はたちまち目を見開く。
モモカはあまりの恐ろしさに青ざめた顔で、口を両手で覆った。
「リクト様!」
「あいつ! ……なに捕まってやがんだ!」
《サイクロプス》はゆっくりと大口を開け、リクトを今にも喰らおうとしていた。
モモカがヴェルカンにしがみつく。
「お願いですっ! どうかリクト様をっ! リクト様を助けてください!」
ヴェルカンは複雑な表情を浮かべて言った。
「駄目だ。距離がありすぎる」
「そんな!」
モモカは今にも消え入りそうな声を漏らし、膝から崩れ落ちた。
……だが、次の瞬間だった。
リクトを握った《サイクロプス》の片腕が、いつの間にか宙を舞っていたのだ。
「え?」
モモカはその光景を見て、目を疑った。
それは当の巨人も同じ反応だった。
《サイクロプス》は輪切りにされた片腕が、自分の腕のものだと気づくのに数秒を要した。
「グォォオオオオォ……!」
女とも男とも猛獣ともつかぬ《サイクロプス》のうめき声は天を突き、空を切り裂いた。
しんと静寂が下り、切断された《サイクロプス》の片腕が地面に激突する。
大きな衝撃音と共に土煙があたりに舞い上がった。
「リクト様!?」
モモカは《サイクロプス》の片腕が落下した場所へと向かおうとした。
「行くな」
ヴェルカンはそう言い放ち、モモカの腕を掴んだ。
「なぜです! 行かせてく──」
モモカは言いかけたが、ヴェルカンが視線を上空に向ける。
「あれを見ろ」
ヴェルカンが口元を覆った鉄仮面の顎で“上”を指す。
ヴェルカンに促され、空を見上げたモモカは目を見開いた。
「……っ!」
モモカが目を向けた天空はいつもの空と見違えるほどのまばゆい光を放っていた。
そして、天空の雲を突き抜けて、何かが降下する。
モモカが目を凝らしてよく見ると、それは人のようだった。
大鎌の柄に腰かけて降臨する一人の女が、ゆっくりと下界へ降りてくる。
その光景はまるで、自分が神話の一幕に直面したかのような体感だった。
そして、天空から降臨する“それ”はモモカが慕う人物も一緒に連れていた。
「リクト様!?」
リクトは骸骨の手と化した大鎌の柄尻部分で逆さ吊りの状態になっていた。
当のリクトは気を失っているようだ。
その光景を町の住民や兵士たちの誰もが天を仰ぎ、誰も言葉にすることができず、ただただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
「ママ。てんしさんがきたよ!」
そんな最中、リクトと少しのあいだ同じ時間を共有した女の子は母親の手をぎゅっと握り、瞳を輝かせながら天空を指さした。
ヴェルカンは上空からあらわれた“それ”を凝視する。
「……何なんだ? あいつは……」
突如、空からあらわれた謎の女は黒ドレスと鎧を身に着けていて、肌はまるで死体のように白い。
頭には黒光りとした二本の角が生え、
前髪のみ白く染まり、ツインテールの紫髪をなびかせている。
右の瞳は金色に輝き、左の瞳は青くどこまでも昏い。
大鎌の長柄に腰かけ、降下する“それ”を目にしたモモカは、ぽつりとつぶやいた。
「“死神”……」
モモカにそう呼ばれた人外の女は、不敵な笑みを浮かべた。
(──!)
その時、リクトの意識の底で聞きなれた女の声が頭の中で響く。
その声の主はまるで、“あの時”と同じようにぞくりとするほどの冷たい声で、聞き覚えのある台詞を口にする。
「さあ、宴の続きを始めようじゃないか──」




